沖縄よ! 群星むりぶし日記

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木原事件はこのまま自然消滅するのか?

内閣改造木原誠二官房副長官は交代した。留任するらしいとの報道が多かっただけに幾らか肩透かしを喰らった感じがする。しかし、今日のマスコミのほとんどが、まるで申し合わせたかのように、木原氏の交代を報道していない。これも実に不思議な現象だ。木原事件は日本の民主主義の根幹が問われるほどに大きな問題であるにもかかわらず、である。マスコミの姿勢を見るだけでも、日本の民主主義がいかに未熟で危険な水域にあるかが理解できる。

ぼくは、内閣改造に全く興味はないし、新閣僚の顔ぶれを見るのも、反吐が出るほどうんざりする。唯一の関心は、木原官房副長官の処遇がどうなるかだった。

そこで、なぜ留任ではなく交代になったのか、について少し考えてみたい。岸田首相は木原官房副長官を留任する意向だった。これは間違いのない事実だろう。「(木原氏は)まったくの白だ!」と周辺に語ったことからも、岸田首相は留任を決めていたことがわかる。

岸田首相は、なぜ木原官房副長官の留任にこだわったか? それは一言で言うと、木原氏が政策マンとして有能だったからだ。政策立案、事務処理において抜きん出た能力を発揮する貴重な人材。岸田首相は、自分に欠けるそれらの能力を高く評価し、頼りにしたからこそ側近として長く登用したいと考えたのだ。

新しい資本主義・所得倍増・子供真ん中社会、等の諸政策は木原氏の提言によるらしい。他にもたくさんあると思われるが、岸田首相の口から出る政策は、ほとんどが木原官房副長官を経由したものと考えて間違いはなさそうだ。

しかし、新しい資本主義にしろ所得倍増にしろ子供真ん中社会にしろ、中身はスカスカのいい加減なものだらけだ。岸田首相の言う「新しい資本主義」とは、企業が収益を上げる状況を整備し、その収益の果実が庶民に滴り落ちて国民が豊かになるという図式。これは何度も言い古された経済政策に過ぎず、新しい要素はどこにもない。国会で追及されてうまく説明できず、いつの間にか立ち消えになった哀れな蜃気楼資本主義である。自慢げに述べた「所得倍増」も、追及されてよく考えた結果、無理だとわかり、いつの間にか資産倍増という名称に変わった。所得倍増と資産倍増とは中身が全く異なることは誰でもわかることだ。

頭の悪い凡人が有能な子分を頼りにする構図。しかも有能と思われた子分が提示する政策のほとんどが、身内を幻惑するだけの、国民には通用しない眉唾物。

発想力と実務能力がプーチン大統領もしくは田中角栄元総理大臣と比べて100分の1もない凡人政治家・岸田首相と有能の中身が疑われる木原官房副長官との主従関係は、まるで学芸会を見るようで滑稽でもあり悲しくさへなる。

では何故、木原氏は上司の慰留を振り切って、自ら身を引く決心をしたのか? 言うまでもなく、文春砲があまりにも強烈すぎたからだ。週間文春の一連の記事を読んだ人なら、これで木原氏の進退は極まった、と誰もが思ったことだろう。それほど週刊文春の記事は詳細にわたって説得力のある内容の濃い記事だった。

あれだけ徹底的に暴かれたら、普通の人なら心が折れて立ち上がれなくなるはずである。木原氏も例外ではなく、人知れず大いに苦悶したに違いない。文春砲に嘘はなく、反論したくてもできない。下手に反論したら逆に返り血を浴びてしまう。それだけは避けたい。釈明のための記者会見も開かず、一時雲隠れしたのはそのためである。

さて、進退極まった木原氏に残された道は2つだけだ。1)何も考えていない岸田首相の慰留を受け入れて現職を続ける。2)辞任する

岸田首相と比べてはるかに頭脳明晰な木原氏は辞任を選択した。これは現時点で正しい選択だったと言えるだろう。現職に留まれば、来月に予定される臨時国会で野党から激しく追及されることは目にみえている。状況次第では解散総選挙に大きく影響する。

木原氏は、そのように状況判断した。次のステップに行く影響を小さくするために辞任することを決めたのだ。それを受けて岸田政権は木原事件をできるだけ表舞台から隠蔽しようと動くだろう。煙幕を被せる工作を、今頃懸命になって準備しているはずだ。

しかし、だからと言って木原事件が消えてなくなるわけではない。事件が解決しない限り、文春の記事は消滅しない。次の国会で野党の追及が始まる。問題は、自民党にすり寄る野党が増えた今の国会で、果たして志のある野党議員がどこまで追求できるかどうかだ。下手すると腰砕けに終わる可能性だってあり得る。

木原事件を活かすも殺すも、野党の追及如何にかかっている。