沖縄よ! 群星むりぶし日記

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「木原事件」は自殺か他殺かが問題ではない、なぜ捜査が中断されたかが最大の問題である

台風6号が遠のいたので、久しぶりに外出した。雨は止んで風も強くはない。メインプレイスの本屋さんを覗いたら、週刊文春8月3日号が、かなりの量まだ積まれたままになっている。ウチナーンチュは、きっと「木原事件」には関心が薄いのだろう。最新号の入荷日を店員に尋ねたら、台風の影響で未定とのこと。やりきれない気持ちのまま、隣接の喫茶店でコーヒーとサンドイッチを注文して、座り心地の良いラタン製の椅子に腰を下ろして、今、キーボードを叩いている。

さて、どこから始めようか。やはり、なんと言っても女子ワールドカップだろう。一昨日行われた日本対ノルウェー戦。ぼくの予想は3−0だったが、結果は3−1。まずは上々である。これでベスト8に残った。NHKで生中継を見たが、なでしこジャパンのプレーは素晴らしいものだった。

まず全員に硬さがない。落ち着いていて、なおかつ動きは機敏で積極的である。そしてチャンスと見たら、迷わずにシュートを放つ。ボールの保持率もシュート数も、ノルウェーを圧倒していた。パスは正確で技術力も高い。今の調子を維持できれば、きっと優勝は間違いないだろう。11日の対スェーデン戦が楽しみだ。

さて、「木原事件」。文春が付けたこの名称には幾分違和感を感じる。なぜなら当の木原誠二は安田種雄の変死事件には全く関係がないからだ。ただ、安田氏の妻だったX子と事件から8年後に結婚したために、間接的に巻き込まれてしまったのである。その意味で木原氏は犠牲者と言うべきかもしれない。木原氏がX子の元夫が問題のある変死を遂げていた事実を知っていながら、あるいは何らかの形で関与して結婚したとは、とうてい考えられないからだ。

その辺の詳しい事実関係は、文春の今後の取材を待つしかないが、今のところは、木原氏は全く関係ないと言えるだろう。ただ、木原氏にとって不幸なことは、彼が政治家であり、内閣副官房長官という重職についていると言う厳粛なる事実である。そのために、文春の報道に対する木原氏の対処の仕方は極めて重要であり、国民の注目を集めるところとなっている。

2018年4月から始まった再捜査に対して、木原氏の妨害圧力はあったのか、なかったのか。この問題は大変微妙であり、事実を突き止めるのは、恐らく不可能に近いだろう。しかし、妨害圧力はもう一つあり、それはほぼ確定的である。警視庁と警察庁上層部による妨害圧力だ。

文春8月3日号の年表(8月1日の当ブログに引用)によると、本格的な再捜査開始から約半年後、10月24日召集の臨時国会の直前、突然の捜査打ち切りが、警視庁上層部から告げられた。臨時国会が終了した後も捜査再開の目処は立たず、事実上の捜査中止となったのである。

これらの事実を週刊文春が詳しく報道した。そこで警察も黙っているわけにはいかなくなって、7月13日の定例会見で、露木康浩警察庁長官は「証拠上、事件性が認められないと警視庁が明らかにしている」と述べたのである。この発言に対して、X子を取り調べた佐藤誠元警部補が反発して文春の取材に応じ、異例の実名記者会見を行ったのだった。事件性があるからこそ、裁判所は捜索令状を出したのであり、捜査班はホシを追い詰める段階まで来ていたのである。その最中に、現場の捜査班と遺族に対して何の理由の説明もないまま中止命令を下したのである、

この一連の状況を見れば、常識ある一般人なら誰でも、警察上層部が捜査に圧力をかけたと考えるだろう。そして安田種雄を殺害した可能性が高いX子の父親・舩本賢二は事件当時、警視庁の刑事であったことを考えると、警察上層部が捜査を中止させた理由の一端はここにもあると見て良い。

そして問題はさらに深い。警察庁長官の任免には内閣総理大臣の承認が必要である。つまり、「事件性は認められない」と全く根拠の無い発言をした露木康浩警察庁長官の言動に対して、岸田総理大臣にも責任がある、と言うことである。岸田総理だけではない。再捜査開始と捜査が中断された2018年の内閣は安倍内閣であり、官房長官菅義偉だった。

このように考察を進めていくと、この「木原事件」は一民間人の不審死が、自殺か他殺かだけで問題が片付くような単純なものではないことがわかるはずである。「木原事件」は警察官僚と政治家が連携して自分たちの権力を維持するために、権力を行使して保身を図るという、国家のあり方自体が根本から問われる、背筋が凍るような、抜き差しならない深刻な問題なのである。だからこそ、ぼくはこの事件に強い関心を持ち、多くの時間を費やして、半ばワクワクしながら、半ば戦慄しつつ、信頼に足る新しい情報を追いかけている。単に自殺か他殺かをめぐる事件なら、これほどの関心を持つことはない。