沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

経済なら自民党という標語は30年前にすでに終わっている

自民党政治の腐敗が止まるところを知らない。今の国会を見ても、カルト教団統一教会と関係した議員のほとんどが責任を取ろうとしない。何かと屁理屈をつけて逃げ切ろうと一生懸命だ。岸田政権自体が徹底した調査をすることに二の足を踏んでいる。

自民党のこの腐敗体質は、何も岸田政権から始まったわけではない。GHQ占領下の7年間で、日本弱体化の毒入り注射を打たれた時からすでに自民党の腐敗は始まっていたのだ。

国家経営に重要な位置を占める安全保障政策と外交を米国に抑えつけられたままでは日本独自の自主性を発揮することはできない。それでも勇気を振り絞り、国民の力をバネにして飛翔すればいいのに、その前にワシトンに顔を向けてご機嫌を伺うのだ。

宗主国様の表情は穏やかだが、慎み深い笑みを見せつつほんの僅か横を向く。これで宗主国様に忖度するよう暗黙の指令が下されたようなものだ。

世界一の圧倒的軍事力を持ち世界を睥睨する宗主国・米国様を怒らせてはヤバイ、やはり飛ぶのは止めよう。こうしてバネの跳躍力は失われて時の経過とともに錆びていく。それでも戦中派が健在の間は自民党の政治には力強いダイナモがあった。戦争は負けたが経済で追いつき追い越そう。

その中心に田中角栄がいた。この異能の政治家は無名の時代から議員立法成立に精を出し、それらの法律の多くが日本経済復興の指針となった。(早坂茂三の諸著作を参照)

田中角栄は日本人の優秀さを心底信じた。その力を引き出すための法律を次々と成立させた。東大法学部卒の超優秀な官僚達が、尋常高等小学校しか出ていない田中角栄の法律談義に舌を巻き、政策立案に協力を惜しまなかった。それほど田中角栄の政治運営能力は群を抜いていた。奇跡と言われた戦後日本経済の高度成長の中心に田中角栄がいたのは間違いのない事実である。

54歳(当時歴代最年少)の若さで総理大臣になった田中角栄は独自の資源外交を展開、日中国交正常化を果たした。宗主国様に忖度しない目の覚めるような独自外交だった。しかし、そのことが宗主国・米国の逆鱗に触れた。マッカーサーが苦労して作り上げた袋を突き破るとは何事だ、田中角栄許すまじ、というわけだ。

ニクソンキッシンジャー米政府はロッキード事件を仕掛けて目の上の大きな瘤、田中角栄追い落としにかかった。今でこそ暗黒裁判と評価の定まったロッキード裁判で田中角栄は敗れ去った。田中角栄は政治の表舞台から消えた。

ご存じのように、田中角栄亡き後の総理大臣は皆、見劣り著しい吹けば飛ぶような小心者ばかりである。そして田中角栄が中心にいた日本の高度経済成長は、バブル崩壊とともに幕を閉じた。

以来、日本経済は成長しなくなった。平成の御代は失われた30年という不名誉極まりない名称をいただくことになった。あろうことかゼロ成長は令和の御世になった今も続いている。

経済は自民党に任せておけば良い、という宣伝文句はもはや全く通用しない時代になった。30年前から自民党の経済政策では日本は豊かになれないことがはっきりしている。上のデータがそれを証明している。しかし、にも関わらず、自民党の政治がずっと(1年間の細川政権、3年間の民主党政権を除く)続いているのはなぜか?

自民党に投票する有権者の頭の中には、バブル崩壊前の自民党の経済政策が残照としてこびりついているか、あるいはバブル崩壊以後、30年以上も経済成長していないことを示す諸々のデータを知らないからかも知れない。

仮にそうだとすれば、自民党に票を入れる有権者には是非覚醒して欲しいものだが、どうもそうとばかりも言えないような気がする。ぼくが懸念するのは民度の劣化である。

ロッキード暗黒裁判以来、対米従属の足枷からいよいよ抜け出せなくなったことによる自民党政治の腐敗ぶりはひどくなる一方であるが、それでも約3割の有権者自民党に票を入れる。だから自民党は政権を維持することができる。そんな状態が何年も何年も続いてきた。

経済は成長せず、多くの国民が貧困化し、政治の腐敗は止まらない。それでも政権交代が起きないのは、明らかに日本人の民度が劣化したからではないか。それ以外に理由は見つからない。民度の劣化と自民党政治の延命は、明らかに密接に絡み合っている。

 

プリティ宮城氏に軽い道義的責任はあるが、非難されるべきはむしろA氏の方だ

昨日、プリティ宮城氏の記者会見について書いたが、琉球新報Web版も同じ記者会見を報道していることが分かった。その記事には1時間40分を超える動画も貼り付けられているので、関心のある方はご覧いただきたい。

記者会見の動画を見ることで、プリティ宮城氏自身が関わるマルチ商法を元教え子に紹介したとされる件の全貌が明らかになったと思う。その内容を簡潔にまとめると

  • プリティ宮城氏の元教え子に金融商品投資で儲けている人がいて、彼の勧めで投資をするようになった。
  • 投資グループが活動するマンションで20代半ばの元教え子(A)から偶然声をかけられて話が弾むうちに、自分が関わっている金融商品投資に話が及んだ。
  • 話しているうちに、A氏は興味を示しはじめ、プリティ宮城氏も勧誘する気になってシステムに詳しいB氏をA氏に紹介した。
  • A氏はB氏の話を聴いて投資することを決意したが、どれだけの金額をどう用立てたのかをプリティ宮城氏は知らなかった。
  • 初めのうちは良かった。プリティ宮城氏の投資口座は増えていた。しかし次第に雲行きが怪しくなってくる。A氏は損を出した。
  • A氏の損を埋めるために、B氏は二つのことを提案する。一つはA氏が損した分の金額をB氏が立て替えて、この話はなかったことにする。もう一つは、その金額をFXに新たに投資する。A氏はFXに投資することを選択した。FXに関する知識がA氏にはあったからだ。
  • それでも最終的にA氏は損してしまった。そして勧誘したプリティ宮城氏を訴えることを決めた。

以上、長い記者会見の要点をまとめたつもりだが、舌足らずの感は否めず、できるだけ動画を見ることをおすすめしたい。

付け加えると、A氏は暴力団まがいの男性をプリティ宮城氏に引き合わせて、A氏を勧誘したのは間違いだったことを認めて謝罪すること、損害を出した分は補償すること、を確約しなければ訴訟を起こすと、恐喝させている。

以上常識的に考えると、いずれも理不尽な要求であることは明らかであり、A氏の行動こそ問題である。訴えるべきは、プリティ宮城氏ではなく、違法であることを承知の上で運営した上層部の人間たちだろう。

A氏の理屈で言えば、プリティ宮城氏を勧誘した元教え子をプリティ宮城氏は訴えなければならなくなる。これでは蛇が自分の尻尾を食うのと同じで、何の問題の解決にもならない。

そしてA氏に自己批判と反省の念が見られないのも大きな問題である。金融商品に投資して損害を出したら、自己責任は免れないはず。しかし、この投資グループの違法性が明確になった以上、A氏が取るべき態度は、プリティ宮城市議と協力して上層部に対して共同訴訟を起こすことだろう。

プリティ宮城市議は、共同訴訟を起こす意欲を示しているのだから、是非そうすべきだと思う。さて、もう少し思考を深めると、今回の件で明らかになったのは、沖縄の貧困問題が根底に横たわっているという厳しい現実である。

プリティ宮城氏と元教え子のA氏が、共に違法な金融投資グループに違法とは知らずに投資したのも、根底には沖縄の経済基盤の脆弱さがある。多くの人が経済的理由で生活に苦しんでいる。そのために沖縄にはマルチ商法が後を絶たないのだ。

経済の底上げをして、生活全般が安定しない限り、沖縄から違法なマルチ商法がなくなることはないだろう。「誇りある豊かな沖縄県」は依然として課題山積である。

最後に一言。それでもプリティ宮城氏はれいわ新選組を離党すべきではなかった。離党する理由は少しもないことが、記者会見を見てはっきりした。いつの日か、れいわ新選組に復党してもらいたい。

 

プリティ宮城氏、宜野湾市議を続ける意向 ふざけるなと言いたいところだが、暖かく見守ることにしよう

れいわ新選組を離党したプリティ宮城ちえ(宮城千恵)が昨日、記者会見した。

内容をまとめると以下の通り。

  • 市議は続ける
  • 自身も被害を受けたマルチ商法関連の投資会社に対しては、被害者救済の窓口設置や合同での訴訟を考慮中

プリティ宮城氏は、れいわ新選組が初めて地方選で公認して当選させた市議である。その意味でこの選挙は、れいわ新選組にとって、来年予定される統一地方選に向けての初陣を飾る非常に重要な選挙だった。

九州沖縄地区の選対本部長を務める大島九州男を連日当地に張り付け、大石あきこ衆議院議員は何度も来県し、山本太郎代表も複数回来県して、プリティ宮城氏を支え応援したのは、この選挙が、れいわ新撰組にとって非常に重要な意味を持つ選挙だったからである。

その甲斐あってプリティ宮城氏は、定数26議席の中で2位当選を果たしたのだった。それを知った時の喜びは何とも言えなかった。同日投開票された知事選で玉城デニーが再選されたのと同じくらいに嬉しかった。れいわ新選組のスタッフは全員、言葉にならないほど嬉しかったに違いない。

しかし、嗚呼、好事魔多し。喜びの余韻がまだ消え去らない頃、一筋の黒雲が快晴の青空を掠める。プリティ宮城氏がかつての教え子から、マルチ商法を勧誘されたことで訴えられた、という報道を沖縄タイムスが流したのだ。

最初は何のことやら理解できなかったが、山本代表の記者会見で全体像がはっきりした。プリティ宮城氏は自身が加入したマルチ商法が詐欺とは知らず、元教え子を勧誘したが、その後投資会社の詐欺に気づいた。元教え子には申し訳なく思っていて、自身300万円の被害を被っている。プリティ宮城氏には道義的責任はあるが、この時点で除籍処分を考えてはいない。

山本代表は概ねそのような説明をした。そして翌日、れいわ新選組のホームページに代表声明としてさらに詳しく説明した。

この声明文を読むと、この件の全貌を把握することができる。文章はあくまでも誠実であり明晰である。この声明文でも除籍処分は行わないとしている。ぼくもこの決定は正しいと思った。しかし、プリティ宮城氏は、その4日後の10月5日、離党届を出している。れいわ新選組は、早速役員会にかけて受理することになった。

正直に言うと、ぼくはプリティ宮城氏の離党届に怒りを覚えた。身勝手で世間を知らなすぎる。言葉は悪いが脳天気野郎だと思った。

大島氏、大石氏、山本代表をはじめ多くのスタッフがどれだけの汗を流し苦労して、彼女を当選させたか理解しているのだろうか?

党に迷惑をかけたくないと言う理由で離党届を出したのならば、市議も辞めるべきだった。そのほうが潔いし筋も通っている。初めに記したように、被害者救済の窓口設置や合同での訴訟を考えているのならば、確かに市議のままでいるほうが何かと力を発揮できるかも知れないが、離党する理由にはならない。むしろ離党しないで、頑張ったほうが、道義的責任を果たす上でよかったのではないか。

離党すれば、少しは肩の荷が軽くなるだろう。れいわ新選組に対する負い目が消えるからだ。プリティ宮城氏はその道を選んだ。しかしその選択は間違いである。甘い、甘すぎると言いたい。

本当に道義的責任を取る覚悟があるならば、れいわ新選組に対する恩義を背負ったまま、離党せず、市議として有権者の期待に応えるべきだ。プリティ宮城氏よ、ふざけるなと叫びたいところだが、ここは冷静になって山本代表の言葉に耳を傾けることにしよう。

「これを持って、れいわ新選組の所属ではなくなるが、今回の問題に関し、被害を訴える方への誠意ある対応を見守ることは続け、宮城ちえさんが議員になる前から行ってきた平和活動が議会でも実を結ぶための助力を私たちはこれからも行っていく所存である。」

どうですか、この山本代表の度量の大きさは。代表の言葉に甘んじて、プリティ宮城議員の今後の行動を暖かく見守ることにしましょう。

 

世界ウチナーンチュ大会と琉球独立の夢

昨日、第7回世界ウチナーンチュ大会の前夜祭パレードが午後3時から国際通りで開催されると言うので見に行った。平和通りアーケード街を抜けて国際通りに出たのは午後3時15分前だった。通りは既に多くの人で埋め尽くされている。通り沿いに立ったまま、パレードを見る気にはなれないので通りを横切って珈琲店スターバックスに入った。

これで座ったままパレードを楽しむことができる、と思いながらホットコーヒーを啜るのだが、定刻の3時を回っても始まる気配がない。すると今しがたぼくが出てきた平和通りアーケード街と国際通りの交差点に琉球独立党の大きなのぼり旗が立っているのに気づいた。

よく見ると、国際通りの両側に2本ずつ計4本ののぼり旗が正方形を描くように立っている。これにはちょっと驚いた。屋良朝助が率いる琉球独立党は解散したものとばかり思っていたからだ。のぼり旗の周りを見回したが、人が多いせいか屋良氏の姿を見ることはできなかった。

3時半を過ぎた頃、やっとパレードが始まった。するといつの間にか、どんな事情があったのかは知らないが、琉球独立党ののぼり旗は全て消えていた。狐につままれる気分でパレードを見ることになった。

てんぶす広場前から県庁に向かうパレードの先陣を切ったのは、荷台に首里城再建に使う木材(木皮を剥いだ樹木1本)を乗せたトラックだ。その後に世界各国各地域からやって来た沖縄県系の人々が続いた。記憶を辿って順不同に記すと、米国、カルフォルニア、ハワイ、カナダ、ブラジル、アルゼンチン、キューバ、ペルー、インドネシアシンガポール、フィリピン、中国、韓国、フランス、(その他もあったはずだが思い出せない)等々。

1時間ほど続いただろうか。途中、移民1世達の辛酸を極めた体験談を思い起こしては何度か胸が熱くなった。世界各地に生活基盤を築き、定住し国籍を取得した沖縄出身の人々が、沖縄出身というただそれだけの理由で、先祖から受け継いだ文化を忘れず、子供や孫に引き継いで、こうして5年に一度の開催にやって来る。

こんなことができるのは、全国47都道府県で沖縄県だけである。それだけ沖縄は、歴史、文化、伝統、コミュニティに独自性が強い証拠である。我々は、この事実をもっと深く掘り下げて考えてみる必要があるのではないだろうか。宝の山がもっと埋もれているような気がする。

世界のウチナーンチュのネットワークを構築し、さらに絆を深めて強固なものにする。その交流の中でお互いが切磋琢磨しながら世界平和に貢献する。ウチナーンチュの世界に雄飛する気概、打たれ強さ、辛抱強さを考えると、実現可能のような気がする。

米政府と日本政府の理不尽な抑圧を跳ね返す力を蓄えることが可能のような気がする。翁長前知事の「沖縄はイデオロギーよりもアイデンティティという言葉は、何度も噛み締めて思い起こす必要があるだろう。

さて、話を琉球独立党に戻す。ぼくは党首の屋良朝助をよく知っている。だいぶ前、短い期間ではあったが付き合ったことがある。その経緯を話すと、1995年に起きた海兵隊員3人による沖縄の女子小学生暴行事件から始めなければならない。

東京で暮らしていたぼくは、この事件を報道で知った時、沖縄は独立すべきだろう、独立して主権国家にならなければ、米軍(占領軍)基地問題は何一つ解決できないだろう、と考えた。その時以来、機会ある度にぼくは友人、親戚に対して、ぼくは沖縄独立派だと主張してきた。そして沖縄独立に共鳴する友人の紹介で屋良氏を知ったのである。彼とぼくは沖縄独立で意気投合した。彼は既に琉球独立党の党首として活動していた。

ぼくは独立党に入党したわけではないが、ある事件がきっかけで彼とは袂を分つことになった。その事件とは2010年に起きた、中国漁船の海保巡視船への衝突事件である。この事件に対する政府(民主党政権)の対応ぶりが、全くお粗末極まりないもので、これをきっかけに中国政府の我が国に対する横暴が強くなっていった。

そしてあろうことか、中国政府は沖縄はもともと中国領だったとまで主張するようになった。何の根拠もない暴言でしかないが、そんな状況下で県内から琉球独立を主張するのは中国側に利用されるだけである。だからぼくは、今後独立を口に出すまいと決意した。屋良氏の活動とも手を切ろうと決めた。

10年ほど前、平和通りに続く大平通りにある建物の2階に、屋良氏は事務所を構えていた。ある日その事務所で、ぼくは屋良氏に対して、中国が沖縄を自国領だと主張している状況下で琉球独立の旗を掲げて公に活動するのはやめるべきだ、中国の民主化を待って、それまでは力を蓄える戦略を練ったほうが良いのではないか、と提言した。

屋良氏は明言を避けたが、ぼくの提言は受け入れなかった。これまで通り公に琉球独立党の活動を続けたのである。しかし、那覇市議会選挙や市長選に出馬したりしたが、わずかな票を獲得しただけで結果はいずれも惨敗だった。それで運動もだんだん下火になっていったようで、ぼくもいつしかその存在を忘れていた。

しかしながら不死鳥のように蘇った琉球独立党の旗。党首・屋良氏の執念には舌を巻く。ある意味尊敬する。しかし、やはりその戦略には賛成できない。これでは中国共産党が喜ぶだけである。もしかすると屋良氏は中国共産党とコネでも持っているのだろうか、と訝りたくもなる。

それでは最後にぼくの琉球独立に対する考えを簡潔に述べたい。ぼくの心から琉球独立の夢が消えたことはない。いつの日か琉球が独立できれば最高に幸せだと思う。しかし、これにはいろいろな状況判断を吟味検討する必要がある。

まず中国が民主化されて三権分立の国家体制になることが絶対条件となる。問題はそうなった時の米政府と日本政府の対応の取り方だ。中国が民主化されても、まだロシアという敵がいる等の理屈をつけて、基地駐留を続ける米政府。そして相変わらず対米従属を続ける日本政府。

こんな状況になったら、ぼくは公然と琉球独立運動に参加する。

もう一つ、米政府と日本政府の対応の取り方がある。それは全米軍基地の撤収と日本政府の自主防衛への政策転換だ。そうなれば琉球独立は諦めよう。日本が自立した主権国家になれば、その時こそ真の意味で、日本本土と沖縄の国家統合が完成するのだ。

いずれに転んでも、今のところは、琉球独立は見果てぬ夢にすぎない。

 

崩れていくオール沖縄、カリスマ的政治家・翁長雄志亡き後の再建強化は困難を極めることだろう

昨日投開票された那覇市長選挙の結果は以下の通り。

投票率 47.05%(過去4番目の低さ)

翁長雄治 54,125票(立憲、共産、れいわ、社民、社大、にぬふぁぶし、推薦)

知念覚  64,165票(自民、公明、推薦)

ぼくは翁長氏に投票したが、それでも予想したのは、多分僅差で知念氏が勝つだろう、だった。予想は見事に外れて、1万40票という大差で、知念覚が新那覇市長に当選した。

今、投票結果を前にして複雑な心境に陥っている。負と正のベクトルが複雑に交差している。翁長氏の拙速な立候補表明、知念氏の行政マンとしての高い評価、オール沖縄が推薦する翁長氏、自民公明が推薦する知念氏、城間幹子市長の裏切りとも言える行為、等々の複雑な要素が絡み合って明快な答えが見つからず、スッキリした気分になれないでいる。

そこで一つの仮説を立ててみる。城間市長はオール沖縄の推薦を受けて2期市長職を務めた。その彼女がうまく調整して知念氏をオール沖縄推薦としたらどうなったか?

自民党公明党は、知念氏に対抗できるほどの人材を探すことはできない。そうなると間違いなくオール沖縄推薦の知念覚が圧勝する。本来はこの形が理想的だった。

しかし現実の結果として、オール沖縄内の調整は機能せず、自民党公明党という売国腐敗政党の参入を許してしまった。物事がままならない現実に叩きのめされる思いがする。それでもこのようなねじれ現象がなぜ起きてしまったのか、できるだけその実態を分析して全体像に肉薄しなければならない。

そのための参考資料として、今朝の沖縄タイムスWeb版と琉球新報Web版の記事は大いに参考になると思われるので、それぞれの記事を要約してみる。まず沖縄タイムスWeb版より。

知念氏の勝因

① 38年間の行政経験、7年半の副市長としての実績を前面に打ち出した

② 翁長雄治に比べて劣る知名度が、城間市長の告示直前の後継指名で一気に上がった

翁長雄志県政で副知事としてオール沖縄側に身を置いた浦崎唯昭、安慶田光男、城間市政で副市長を務めた久高将光らの支援を取り付けた

④ かつて自民党公明党と対立した金秀グループの呉屋守将会長、かりゆしグループの平良朝敬会長も支援

下地幹郎衆議院議員の支援も得る

自民党中心の事務所以外に市民有志の活動拠点をおもろまちに構え、自公に属さない支援者が集いやすい環境を整備した

翁長氏の敗因

組織力の点で知念覚側に劣った

② 城間市長の知念氏支持表明は、オール沖縄側の結束を強めたものの、知念氏の知名度アップにつながった

③ 翁長氏の辺野古新基地反対は支持につながらなかった。那覇市有権者へのアンケートでは、「経済政策」が34%と最も関心が高く、翁長氏が訴えた「辺野古の新基地建設計画への姿勢」は17%にとどまり、最大争点にはならなかった

④ 翁長氏の政治家としての5年間と、知念氏の38年間の行政経験の差が影響した

以上、沖縄タイムスの分析を見ると、翁長氏の勝てる要素はどこにもないことが理解できる。次に琉球新報Web版から引用してみよう。

当選した知念氏のプロフィール

「高校卒業後、憧れの職場だった那覇市役所に採用された。転機は2000年。故翁長雄志さんが那覇市長に初当選した際、秘書に起用された。手腕を認められ、秘書広報課長、総務部長、政策統括調整監と要職を歴任した。「先を読んで布石を打つ」など、行政運営について翁長さんから多くを学んだ。”覚を頼む”。現職の城間幹子市長は、翁長さんからそう言われ、副市長に起用した。知念さんは毎日、「この判断は市民のためになっているか」と苦悩しながら、市を「経営する」力を磨いたという。「市民生活をさらに良くするには政治の力が必要で、自らが実行すべきだ」と出馬を決めた。」

琉球新報のこの短い記事を読んでわかることは、知念覚が非常に有能な行政マンだったという事実である。当時の翁長那覇市長は、当選した際、知念氏を秘書に抜擢している。そして14年間市長職を務めた後県知事になった翁長氏は、市長職を城間幹子にバトンタッチする際、”覚を頼む”と城間市長に言い、城間氏は知念氏を副市長に起用した。知念氏は期待に見事に応えるような行政手腕を発揮した。

これらの背景がわからないと、城間市長が自分を2期支えてくれたオール沖縄を裏切ってまで知念氏を支持した理由が理解できなくなる。それほど知念氏に対する期待が大きいのだ。

今回の市長選の全体像に肉薄するために思考を進めているが、どうまとめて良いか、まるで見当がつかない。それほど複雑な要素が絡み合っているためだが、その中で気になる部分を取り上げてみたい。

城間市長は、私はもともと中道保守の立場であり、今のオール沖縄は左に偏りすぎている、知念覚を支持したことは、天国の翁長前知事も喜んでいるだろう、という内容の発言をしている。この発言から推測できるのは、翁長氏亡き後のオール沖縄は、保革統合という翁長氏の理念を超えて、革新勢力が幅を利かしすぎた、ということだろう。そして今の革新勢力の中で共産党の力が大きいことを考えるならば、城間市長の発言は暗に共産党を批判したものに違いない。

イデオロギーは腹八分六分に抑える」というのが、故翁長知事の共産党に対する牽制であり要望だった。そうでなければ保革統合の成立は難しいからである。翁長知事の中には同じウチナーンチュという想いが根底に横たわっていた。翁長氏が知事の間は、この融合策はうまく機能した節がある。翁長知事の強い郷土愛と政治的力量が大きく貢献したのは言うまでもない。

しかし、翁長知事亡き後、オール沖縄内部で革新系と保守派の間で歯車が軋み始める。その具体的な中身をぼくは知らないが、表に出てきた現象であらかた想像できる。玉城デニーが知事に就任して間も無く、オール沖縄を支えてきた金秀グループの呉屋守将会長、かりゆしグループの平良朝敬会長が相次いで離反していったのだ。

それからというものは、各市長選でオール沖縄勢は連敗する。県知事選では玉城氏が相手候補に6万票の大差をつけて当選はしたが、それは相手の佐喜真淳候補があまりにも酷い人物だったことと、辺野古移設問題が大きな争点になったことが幸いしたからだ。

玉城知事が再選されてよかったと思う反面、この4年間を振り返ると、沖縄の政治状況は決して楽観できるものではない。オール沖縄の衰退はもはや誰の目にもはっきり見えている。残念ながら今の玉城知事に翁長知事ほどのカリスマ性はない。

玉城氏の郷土愛は、翁長氏のそれと比べて決して劣るものではないが、革新系と保守派を統合するには、それだけでは十分とは言えない。卓越した指導力と見解の違うもの同士を惹きつける理念の提示、そして目的達成のために不可能を可能にする剛腕。翁長氏にはそれらの資質が備わっていた。

だから彼の政治目標である保革合同が、十分とは言えないまでも達成できたのである。玉城知事はそれらの資質が薄い。翁長県政を踏襲する形で後を引き継いだにも関わらず、保守派が次第に離れていった原因の一つはそこにあると言ってもいい。

勿論、玉城知事を批判するつもりは全くない。むしろ長引くコロナ禍の中、よく踏ん張ってくれたと思う。しかし,保革を統合する力は彼にはないのだ。保革を統合するということは、この沖縄においてさへ並大抵の力量ではできないのである。

今回の城間市長の裏切り行為は、いみじくもオール沖縄が抱える弱点を表に曝け出してしまった。お陰で知念覚を推薦して漁夫の利を得た自民党公明党は、従来以上に対米従属路線の正統性を主張するようになるだろう。

今後、沖縄の政治は大きく後退せざるを得ない。最悪の事態になれば、県が掲げる「誇りある豊かな沖縄」というヴィジョンも怪しくなってくる可能性がある。それでも絶望的な状況の中で、あえて希望を見出すとするなら、新しい那覇市長・知念氏は党派性の薄い行政マンだということを指摘したい。

願わくば、自民党公明党の推薦という枠にとらわれず、あくまでも市民党の立ち位置から県都那覇市の行政をリードしてもらいたい。幸い知念氏は、翁長前知事の子飼いと言ってもいい経歴の持ち主だ。翁長雄志の政治哲学、理念は十分すぎるほど理解しているはずである。

悪しき自民党公明党の飴と鞭という毒に汚染されず、そして流されずに、良い意味で自民党公明党の狡猾さを上まわるほどの行政手腕を発揮してもらいたい。

問題があまりにも複雑すぎるゆえに、うまくまとめることができなかったが、最後に投票率について触れたい。

投票率47.05%は過去4番目に低い数字らしい。過半数にも届かない投票率を見ると、那覇市の多くの有権者は政治に関心がないということを表している。

これは城間幹子市長の裏切りと同程度の、否それ以上に深刻な問題である。常識で考えると、過半数に満たない投票率で当選したとされても信任は成立しないはずだが、法律上は成立するらしい。この奇妙なシステムは大問題であるが、過半数を超える有権者が政治に背を向ける現実は、さらに死活的に大きな問題ではないか。

人々は今の政治システムのままでは、将来に希望を見出せないでいる。もはやなるようになれと、唾を吐くように諦めている人が多いのだ。それじゃどうすればいいのだ、ということになるが、正直のところどうしてよいかわからない。付け加えると、投票率の低さは全国的現象でもある。

ただ一つだけ言えることは、戦後長きにわたって対米従属の政治を続けてきた自民党の経済政策が、OECD諸国で唯一経済成長せず、ついに大卒初任給が韓国に追い抜かれたという事実、今現在も国家的衰退を続けているという現実が、我々国民の目の前に存在しているということである。

 

城間幹子の裏切りを許さない、オナガ雄治に今日投票した

新都心のメインプレイス5階に設けられた臨時投票所で、今日、期日前投票を済ませた。今は2階にある喫茶店でサンドイッチとコーヒーを飲食しながら、キーボードを叩いている。

投票用紙には、オナガ雄治と書いた。

先日も書いたように、今回は城間幹子那覇市長の裏切り行為のおかげで、誰に入れようか迷いに迷った。城間氏が推す知念覚は、優秀な行政マンである。それだけで判断すると、県都那覇市の首長として立派に務まる人物である。8年間、副市長としての知念氏と共に政策を遂行していく中で、彼の行政手腕の有能さを肌で直に感じた城間氏としては当然の推薦だったと言えるだろう。

しかし、だ。その有能な知念氏を推薦したのはオール沖縄ではなく、自民党公明党だ!それにもかかわらず城間那覇市長は、知念覚を応援する側に回ったのである。明らかに許されざる裏切り行為だ。

この一件で投票先は決まった。もう一つある。朱に交われば赤くなるの例え通り、知念氏は辺野古移設問題に関して、名護市長と同じ立場を踏襲すると公約に掲げた。つまり、政府と県の裁判の推移を見守るというのだ。これは完全にアウトである。当事者としての言い訳であり、責任逃れだ。

辺野古移設問題は、辺野古区のみ、ないしは名護市だけに限られた問題ではない。沖縄県全体に関わる問題であり、ひいては日米地位協定をめぐる全国的問題でもある。

ましてや県都那覇市の行政が県全体に大きな影響を与えることを考えるならば、辺野古移設問題に対して那覇市は当事者の一つであり、容認か反対かを明確にするのは首長として当然の責務である。

渡具知名護市長は4年前の選挙で、辺野古移設問題に賛成か反対か一切口にしなかった。市議時代は、積極的に賛成を表明していたのに、市長選では賛成を表明すると、選挙に勝てないと計算した上での責任逃れに徹して当選したのだった。それに味をしめた渡具知氏は、今年1月の選挙でも政府と県の裁判を見守るとの立場で再選されたのだった。

基地再編交付金を得るための狡猾な戦術に名護市民は敗北したのである。しかし、その名護市民は、それでも辺野古移設には6割の人が反対しているという歪な現実がある。基地再編交付金という毒入り飴玉に名護市民は誇りを捨て去ったのだ。名護市民の生活困窮問題を考えると、一概に非難できるものでないことは、重々承知しているつもりだ。

しかし、たとえ金のためとは言え、渡具知氏のような誇りを捨てた政治手法には賛成できない。渡具知氏のような政治家をぼくは心底軽蔑する。

そんな名護市長の立場を、知念氏は踏襲すると公約した。そしてその知念氏を腐敗極まる自民党公明党が推薦した。これでこれまでの懸念が一気に吹き飛んだ。いくら有能な行政マンだとしても、これでは全く支持することはできない。

だから今日は迷いなく、オナガ雄治に投票した。彼は35歳とまだ若く、政治経験も浅いが、那覇市長に就任したら大化けする可能性だって十分あり得る。幼い頃から父・翁長雄志の背中を見て成長した環境を考えると、政治家としての素質は未知数だが、伸び代は絶大である。

那覇市長時代から保革合同を目指した翁長雄志は、戦後沖縄の政治に偉大な足跡を残した。彼が長い歳月を費やして到達した「誇りある豊かな沖縄」は戦後沖縄政治の総決算といえる偉大な政治理念である。

その偉大な父親の政治姿勢を踏襲するオナガ雄治のこれからの成長に大いに期待する。

最後に一言。城間幹子よ、仲井真弘多と共に奈落の底へ落ちるがよい!天下の裏切り者ども!