沖縄よ! 群星むりぶし日記

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「木原事件」の重い扉を閉じることを決めた警察上層部の権力濫用を許してはならない

週刊文春8月31日号が昨日発売された。悔しいことに、沖縄は入荷が数日遅れるので、やむなくkindle版を購入した。目当ては勿論、「木原事件」である。その新しい記事から引用する。

< 7月26日の夜のこと。警視庁の重松弘教刑事部長の執務室に集まったのは、刑事部のナンバー2である井ノ口徹参事官と、國府田(こうだ)剛捜査一課長だ。この日の正午には小誌電子版で、佐藤氏の実名告発を掲載した記事が、雑誌の発売に先駆けて公開されたばかり。警視庁幹部が膝を突き合わせたのは、組織のトップの” 鶴の一声 ”がきっかけだったという。「露木長官が『火消しをしろ』と重松部長に命じたそうです。後輩の露木長官に『どうにかしてやれよ』と発破をかけたのは、元警察庁長官で現在は木原氏とともに官房副長官を務める栗生俊一氏だったそうです」(捜査関係者)

夜遅くまで続いた” 三者会談 ”では、國府田捜査一課長が「自殺と考えて矛盾はない」とするロジックを披露。捜査一課長を歴任した井ノ口参事官は後輩の意見に耳を傾けていたが、やがてこう口にする。「自殺とする根拠がない。さすがにマズいだろう。」

だが、最後は重松部長がその場を取り成した。こうしたお粗末すぎる三者会談の結果、警察は木原事件の重い扉を閉じることを決めたのだ。そして、7月28日の佐藤氏の会見の直後、國府田氏は、警察担当記者を集めた定例レクでこう言い放った。「事件性が認められない。自殺と考えて矛盾はない。事件性がない以上、捜査すべき人も認められない」 >

警察庁長官をはじめとする警察上層部は、木原事件を事件性がないとして幕を下ろすことを決めた、とこの記事は伝えている。しかし、これは誰が見ても理不尽極まりない権力の濫用と言う他はない。何故なら5年前、再捜査に携わった現場の捜査員全員が事件性を確信し、捜査打ち切りに納得していないからだ。現場に詳しい捜査員と、現場に疎い上層部との間に横たわる認識の格差はあまりにも大きすぎる。この断層は致命的である。これでは現場で一生懸命に汗を流す警察官達はやりきれない思いだろう。

しかし、警察組織は、上意下達が徹底した組織だ。上からの命令に下の者が背くことは絶対に許されない。その意味で、警察組織のトップである露木警察庁長官が「事件性はない」と断言した以上、再々捜査はあり得ないだろう。

公の場から姿を消した木原誠二官房副長官が突然、岸田首相に同行して、キャンプデービッドで開かれた日米韓首脳会談に出席した背景を考えると、警察上層部の強硬姿勢による影響がチラつく。恐らく木原氏は、この間の熟慮の結果、週刊文春と徹底抗戦する覚悟を決めたに違いない。

木原氏は、岸田首相にとってなくてはならない人材らしい。政策策定のほとんどに木原氏が関与していて、木原氏がいなければ岸田政権は持たないと言われるほど有能であり、陰の総理とまで呼ばれているくらいだ。

異常な性欲の持ち主で仕事をバリバリこなす特異なキャラクター、木原誠二。この男と妻・木原郁子(X子)を中心に展開する舞台を、警察上層部と岸田内閣が連携して更地にし、人々の記憶から消し去ろうと必死に画策している。

いったい、この連中は何を守ろうとしているのか?

紛れもなく自分たちの命の次に大事な権力という魔力である。人の上に立ちたい、というだけの単純で幼い欲望がそうさせるのだろう。再々捜査を認めれば、木原事件の真実が明らかになり、警察上層部は責任を取らされて岸田政権は瓦解する。こうなる事態だけは避けたい。そのためには、マスコミの口を封じ、文春砲のペンをへし折らなければならないのだ。

木原官房副長官週刊文春刑事告訴したのは、週刊文春に対する宣戦布告である。今頃、明晰な頭脳をフル回転させて、勝つための布石にずっと思いを巡らしているに違いない。

国民主権から乖離した身内だけの狭い空間で、自分たちだけの利益を死守しようともがく一部の権力亡者達。国民主権の立場から、この連中を許してはならない。

週刊文春の記事を読むと、スタッフの並々ならぬ気概と覚悟が感じられる。頼もしい限りであり、国民の一人としてさらなる声援を送りたい。