沖縄よ! 群星むりぶし日記

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犯人は木原郁子(X子)の父親・舩本賢二(Z)の可能性が強い

佐藤誠元警部補の実名記者会見の後、「木原事件」を伝える解説なり記事等がYouTubeを始めとして様々な媒体を介してものすごい勢いで増えている。その中には、木原誠二官房副長官の妻・木原郁子(文春のX)と彼女の父親・舩本賢二の顔写真を掲載したものまである。それらを一々取り上げるわけにはいかないが、一つだけリンクを貼っておきたいものがある。事件関係者の相関図を実名と顔写真入りで説明しているもので、事件の全容を把握する上で大変参考になると思われるので下に貼り付けておく。但し、残念ながら、この相関図には舩本賢二(Z)は登場しない。

2006年、木原誠二官房副長官の妻による元夫、殺人事件を追え、続編 全 3ツイートの画像

週刊文春8月3日号。昨日も書いたように、とにかく面白い。被害者に悪いとは思うが、記事そのものは、一流の推理小説に吸い込まれるような感じで一気に読ませてくれる。

さて、事件の全体像を把握する上で、年表は非常に重要だ。特にこの事件には政権上層部からの介入の有無が大きな争点になるので、常に年表を軸として検証する必要があるだろう。文春の記事からそのまま引用させてもらう。

木原夫妻と事件に関する年表

2005年:9月   木原氏、衆院選で初当選

2006年:4月10日 X子さんの夫(当時)安田種雄さんが遺体で発見される

2008年:春頃    木原氏が銀座で働いていたX子さんと出会う

2009年:8月   木原氏、衆院選で落選 (❊民主党政権誕生)

2012年:12月   衆院選で二度目の当選を果たし国政復帰 (❊安倍政権誕生)

2013年:9月    木原氏が外務大臣政務官に就任

2014年:10月   X子さんが木原氏の娘を出産 この頃に結婚

2015年:10月   木原氏が外務副大臣に就任

2017年:8月    自民党政調副会長兼事務局長に就任

2018年:4月   警視庁が安田種雄さん不審死事件の再捜査を開始

     4月8日  遺族と大塚署の女性刑事が初めて顔を合わせる 

     6月   佐藤氏がサツイチ係長から取り調べの要請を受ける

     8月   宮崎刑務所に収監中のY氏を捜査員が約30回にわたり事情聴取

     10月9日 東村山市の木原氏宅でX子さんに任意同行を求める。X子さんの実家と南大塚の別宅に家宅捜索

     10月9日 木原氏、自民党情報調査局長就任 

     10月上旬 X子さんへの佐藤氏の任意の事情聴取が開始

     10月下旬 佐藤氏が上司である管理官から事情聴取の終了を告げられる

     10月24日 臨時国会が開始

     12月    捜査員が宮崎刑務所のY氏を再び事情聴取

2019年:1月    木原氏が南大塚の所有物件から衆議院赤坂議員宿舎に生活の拠点を移す

      5月10日  東村山の定点観測の拠点が解除。捜査は事実上の中止に

2021年:10月    岸田政権誕生、木原氏は内閣副官房長官

(❊と太字部分は筆者による)

この年表で特に注意すべきところを太字にした。まず2006年4月10日。安田種雄が遺体で発見された日であるが、何故か大塚署は覚醒剤使用による自殺と認定して、事件として扱わなかった。「”事件”として明るみに出たのは、18年4月。警視庁大塚署の女性刑事が、約12年前の事件の捜査資料に目を留めたのだ。「自殺にしては、ナイフへの血のつき方がおかしい」」。

もしも、この女性刑事の目に12年間も眠っていた事件ファイルが触れなかったらと思うと、偶然がもたらす不思議な力に改めて驚いてしまう。女性刑事のおかげで、パンドラの箱が開いた。大塚署の初動捜査のまずさについて佐藤誠元警部補は次のように語っている。

「はっきり言って、大塚署の捜査ミスは一目瞭然だろ。現場が血だらけだったにもかかわらず、刃の部分にちょっとだけ血が残り、柄は綺麗な状態。それで12年後、大塚署の女性刑事が『誰かが血糊を拭き取ったのだろう」と疑念を抱いたんだ。種雄さんは死の前日、Yの自宅からX子と子供たちをようやく取り戻しているんだよ。そのとき、種雄さんはYの自宅の壁をバンバン叩き、2回も110番通報されている。それでも諦めず、ようやく奪還した。可愛い子を抱いて家に戻ってきた奴が、自殺する動機なんてないだろ」(佐藤氏)

当時の大塚署の態度には不思議な点がある。木原郁子(X子)の父・船本賢二(Z)は元警視庁の刑事で大塚署に行ったことがわかっているのだ。それだけではない、後で触れるが、種雄が殺された現場にいたらしいこともわかっている。

現場の状況はどのようなものだっただろうか?

「Yの供述は鬼気迫るものだったよ。部屋に忍び込むと、そこには遺体があり、X子の背中には血が飛び散っている。Yは『血がついてるから脱げ』と服を着替えさせ、『朝方になったら警察に電話して、朝起きたら死んでいましたと言えよ』とアドバイスをしたという。朝方まで数時間ある。隠蔽工作をしようとしていたところ、突如玄関から大きな物音がしたわけだ」(佐藤氏)

Yとされている人物は、種雄の友人だったが、ある時から郁子と不倫関係に陥り、種雄との関係で問題を抱えていた。2018年8月、宮崎刑務所に覚醒剤取締法違反容疑で収監されていたYを捜査員が約30回、事情聴取を行っている。この聴取から得られたYの証言は貴重だ。

隠蔽工作をしようとしていた現場に入ってきたのは種雄の父親だった。父親は血にまみれて横たわる息子の死体を見て驚き、110番するために外に出た。その隙にYは抜け出した。

「Yの供述によると、予想外の出来事に慌てまくって、あいつは子供部屋のカーテンに身を隠したそうだ。俺に『突然来たからビックリしましたよ』と、はっきり言っていた。一方、X子は寝たふりをするしかないわな。(種雄さんの)父は『玄関の鍵が空いていた』と供述しているが、それはYが入った後だったからだ」(佐藤氏)

2006年に安田種雄が遺体で発見された事案を、当時の大塚署が覚醒剤による自殺と認定したが、現場の実際の状況は決して自殺として片付けられるようなものではなかったことが分かる。なぜ大塚署は事件性をなかったことにしようとしたか? この疑問にちらつく影がある。郁子の父・舩本賢二の存在だ。文春の記事は長いので、中を端折って最後の部分、文春の記者3人が舩本氏を直撃する場面から引用したい。

< 小誌記者3人は、コンビニに立ち寄ったZ氏を直撃した。

ーー週刊文春の記者です。

「ちょっと今、急いでんの」

ーー06年の事件のことで。

「17年前でしょ」

ーーその日のことを覚えていないか。

「覚えていない」

ーー06年4月、大塚署に行ってますよね。

「行ってるけどね、そりゃあ。連絡があったから」

ーー大塚署に行かれる前、どうされていた?

「(顔を好調させ)あ、ちょっと。車で、車で行くから悪いけど、ついてこないでくれる?ストーカーになるよ!」

ーー記者が「安田種雄さん」という名前を告げると、途端に顔を好調させ、言葉は怒気を孕む。「いいや、110番するぞぉ。ふざけんな、この野郎!」

ーーX子さんに関与の疑いがかかっている。

「やかましいんだよ、この野郎!やってもいいんだぞ、この野郎!」

ーー当時の安田種雄さんとの関係を........。

「だから!もう覚えとらんし、分からんて。もう本当にもう覚えてない、もう。俺は家に行ったことは確かだけどさぁ」

エレベーターに一緒に乗り込もうとすると、Z氏は記者の胸を小突き、右腕を強く掴む。血走った目を見開き、唇を震わせる。

「こんにゃろう、テメー!やってもいいんだぞ、こんにゃろう。お前ら3人ぐらいどうってことねえんだ!昔、何やっとったか知っとんのか!.........ボクサーだよ。ボクサーだけじゃねえぞ。喧嘩は得意なんだよ。」

Z氏は記者の1人の喉元に手をかける。

ーー喧嘩をしに来たわけではない。

「お前らぁ。損するぞ」

ーー事件の日、現場に行かれたんじゃないですか?

「もう覚えてないっちゅうの。現場には行ったよ」

ーー何のために行かれたのか?

「そりゃ、しょっちゅう見てるもん」

ーー安田さんの遺族にも取材している。

「知ってるよ。見たよ。あんなの信用してんのか、お前らアレを。あいつら」

ーーX子さんが疑われているが、Zさんが何か関与されたのでは?

「........それは大塚警察署によく聞いてくれよ。警視庁に」 >

(太字は筆者による)

記者とのやりとりで、舩本氏が事件の日、現場に行ったこと、大塚警察署に行ったことがわかる。迂闊に口が滑ったで済まされる性格のものではない。これで大塚署がなぜ事件性を認めなかったのか、2018年に再捜査が行われて、犯人を追い詰めるのにこれからという時期に、上層部から何故中止命令が下されたのか、辻褄合わせが明瞭になってきた。

娘の郁子は父親を庇う一心で、佐藤誠警部補(当時)の取り調べに対して黙秘を貫き通した。そして郁子の夫である木原誠二官房副長官を守るのと同時に警視庁の不祥事(舩本賢二は元警視庁の刑事である)を隠蔽する目的で、政権の上層部は捜査の打ち切りを発動した。

この見立てがこれからどうなるか、余談は許さないが、文春取材班は並々ならぬ覚悟を決めているようなので、どのような形で一件落着となるのか、非常に楽しみである。この記事の最後は以下の言葉で終わっている。

木原事件、第二章。その幕が上がろうとしている。