約4ヶ月の空白。3月12日以来久しぶりにキーボードを叩く。この間、心境の変化があった。ブログを書くことよりも、小説を書いてみる気になったのである。ブログは空(くう)を掴む感覚がある。空を相手に孤軍奮闘している自分がいる。虚しい。滑稽である。
4年前にこのブログを始めたときは明確な目的意識があった。沖縄の歴史も実情も知らない、そしてウチナーンチュの心情・情念も理解できない人間が沖縄を貶める言動をネット空間で繰り広げている。彼らに対して反撃の論陣を張ろうと思った。当面の敵は、チャンネル桜「沖縄の声」だった。
言われなき沖縄批判に対して、ウチナーンチュとしての立ち位置から微力ながらも性根を据えて反論する。今振り返ると少々肩に力が入っていたと思う。「沖縄の声」批判に止まらず論ずべき対象は拡散していった。
日々、ネットに流れる膨大な情報に目を通し、気になる多くのブログを読み、自分なりに整理してきた。そしてその結果をブログに書いてきたつもりだ。
その間、ぼくにとって二つの直接的な体験があった。そのひとつは、勇馬氏との議論だ。
「西尾幹二のインターネット日録」が縁で沖縄の、そして我が国の安全保障のあり方について真摯な議論を展開することができた。お互いの見解は平行線のままで終わったが、有益だったと今でも思っている。
もうひとつは、チャンネル桜・沖縄支局の内部分裂である。我那覇真子と依田啓示のネット討論が発火点になった。この時、ぼくは我那覇側の江崎氏と連帯して依田批判を展開した。
我那覇真子の「原理主義的保守思想」に共鳴したからでは決してない。(むしろぼくは我那覇の活動には批判的だ。)依田啓示という、そして彼の仲間、ボギー手登根という大嘘つき野郎を決して許してはならないとの強い憤りからである。
依田は県議選で落選し、ボギー手登根は今も細々と活動しているようだ。両人とも沖縄の恥である。
そしてもうひとつ、直接的に関わった体験がある。れいわ新選組のボランティア活動に携わったことだ。勇馬氏との関わり、江崎氏との関係は終わったが、れいわ新選組との関わりは今後も続くだろう。
さて、空白の4ヶ月の間に何故、ブログではなく小説を書こうという心境になったのだろうか?
実はこの間、958ページにわたるトルストイのあの大著『War and Peace』の英訳版とジョージ・オーウェルの『1984』を原書で読んだり、向田邦子の『蛍の宿』をはじめとするテレビドラマシリーズのほとんど全ての作品をインターネットで鑑賞したりしていた。
週に2、3度ブログを書いていたら、とてもそんな時間的余裕は持てなかったと思う。そしてこれらのことが偶然、心境の変化をもたらしたに違いないと思うようになった。
最初に書いたように、ブログは空(くう)を相手にするようなもので、それにつきっきりになると、次第に心が虚しくなり、終いにはそんな自分の姿が哀れで滑稽にさえ見えてくる。
逆に、『War and Peace』等、小説を読んでいる時は心が充実してくるのを感じる。そして向田作品を見終えた後も、同じように心が至福感で満たされる感じがする。人間の物語の何という面白さ!
と言うわけで、これからブログを書く回数は極端に少なくなるだろう。気が向いた時だけに止めるつもりだ。誰に対しても何の責任もなければ義理もないのだから。
その分、たっぷりと時間をかけて小説を書こうと思う。実際、すでに書き始めている。そのうち完成したら公表するつもりだ。
今のところ琉球新報短編小説に応募することを考えているが、落選したらブログに何回かに分けて掲載することも考えられる。
4年余りブログを書き続けてきたことが瓢箪とすれば、まさに小説という駒が誕生しようとしている。