かつて天皇の上に君臨する男が日本にいた
1945年、日本は大東亜・太平洋戦争に負けた。亡国寸前の徹底的大敗北だった。その結果、日本の歴史始まって以来の外国軍による占領下に置かれることになった。占領政策を統括する連合国軍最高司令官総司令部は実質上、米政府の管轄下にあった。
総司令官はダグラス・マッカーサーで占領下の日本で最高権力を与えられた。それまでの日本の最高権力者は天皇であったが、無条件降伏をしたために、占領軍の総司令官が全権を握ることになった。つまり、占領下の日本では、総司令官ダグラス・マッカーサーの位は、天皇の上にあったのである。
全権を掌握したマッカーサーは、日本を解体するために、矢継ぎ早に強硬な諸施策を打ち出して実行に移した。東京裁判(極東国際軍事裁判)、マッカーサー草案に基づく日本国憲法の制定、戦争協力者達の公職からの追放、日本人の誇りを育む7千冊以上の書籍の焚書廃棄、マスコミに対する徹底した検閲と報道規制、マスコミを利用した戦前日本を悪とするイメージ創りと洗脳、ざっと思い浮かぶだけでもこれだけあるが、占領期間の間いずれも徹底して敢行されたために、日本社会は徐々に、そして確実に変質していった。
加えてアメリカ文化が激流の如く流れ込んできたので、社会の至る所、街の中、教育現場、家庭の中、会社の中、観光地、社交場、など至る所がアメリカナイズされた。日本の伝統文化とあまりにも異なるアメリカ的自由と民主主義。それを無理に、あるいは消極的積極さで飲み込んだ日本人。
戦後の日本人は、太平洋の彼方からやってきた異質な文化を、自らの魂の一部とすることに満足し、真に納得しているだろうか? 確かに日本の現状は、親米保守に見られるように、対米従属が当たり前のような惨憺たる情況だが、ぼくは決してそのまま終わるとは思わない。7年間に及ぶ占領下での徹底した日本解体と、ファシスト的アメリカナイズにも関わらず、日本の伝統文化は完全に死に絶えたわけではない。アメリカ的自由と民主主義は、日本社会を大きく変え、日本人の精神の弱体化には成功したが、日本人の魂を完膚なきまで抹殺することはできなかった。
その証拠に、今、日米安保条約を解消して真の独立を唱える声がネット上で聞こえるようになった。戦後、アメリカ政府が画策してきた日本属国化を批判するコメントが散見されるようになった。属国のままでは、アメリカに頭を押さえつけられたままでは、日本の未来に希望が持てないと考える人々が増えてきた。
今の政治の腐敗とだらしなさの原因は、長期の親米保守政治にあると認識する人が出てきた。現状はどんなに目の当てられないほど絶望的な状況でも、日本人の魂は、深いところでまだアメリカナイズされずに、生命力を維持できている何よりの証拠だ。
7年間に及ぶ占領下での日本人改造は、一見成功したかに見えても、何千年も受け継がれてきた民族の血を水に変えることは不可能だった。しかしマッカーサーの亡霊は今も日本の中でしぶとく生きている。お前たち、二度とアメリカに逆らうなよ、と我々を恫喝するマッカーサーの亡霊の声がいまにも聞こえてきそうだ。
しかし、マッカーサーのアメリカは、もはや存在しない。今のアメリカはマッカーサーが天皇の上に君臨できたアメリカではない。今のアメリカの政治は日本以上に堕落した政治だ。今のアメリカはかつて世界を魅了したアメリカではない。犯罪大国であり、いつ内戦が起きても不思議ではない崩壊した国家なのだ。
そんな落ちぶれていく未来のない国に従属する必要性など微塵もあるわけがない。最早頼りにならない宗主国様とは縁を切るべき時が来た。この時期を逃せば、不要な返り血を浴びる危険に晒される。一刻も速く日米安全保障条約という不平等条約を解消して自立した主権国家としての道を歩む時だ。そしてついでに、平等で対等な日米平和友好条約を新たに結ぶのもよい。