沖縄よ! 群星むりぶし日記

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改憲より経済を優先するれいわ新選組を支持する

1947年5月3日、日本国憲法は施行された。その日を記念して国民の祝日に指定された。本日は5月3日だから憲法記念日である。

しかし、ぼくにこの日を祝う気はさらさらない。その理由は単純明快である。今の日本国憲法GHQの職員がマッカーサー憲法草案をもとにわずか1週間で書き上げた英文を和訳しただけのものだからだ。不幸なことに、この事実は国民には知らされなかった。極秘案件だから国会議員の中でも事実を知っている人間は吉田茂ほか数える程しかいなかった。ゆえに国会審議は形式だけの茶番劇で終わった。当然と言えば当然だろう。

占領軍によって書き上げられた日本国憲法。当時、天皇の上位に位置した最高司令官マッカーサーの圧力に屈して制定された憲法。こんなもの恥ずかしくて受け入れられるか。

だから、ぼくは現憲法GHQ憲法)廃止論者である。英国のように日本は不文憲法で十分やっていけると信じている。占領軍の手垢で汚れた憲法なんかすぐにでも捨てちまえ!

さて、日本の不幸は、GHQ憲法に国民がすっかり馴染んでしまったことだろう。実におめでたい国民である。出生の秘密を知ったらどうなるのだろうか。それでも平和憲法だと言ってありがたがるのだろうか。

護憲左翼はさておいて、保守を自称する側から憲法改正の声が強まってきた。岸田政権になって憲法審査会が活発に開かれるようになった。改憲の急先鋒であったはずの安倍政権と比べておとなしいと見られた岸田政権の方が積極的なのは摩訶不思議である。

安倍元首相と違い、国会審議における岸田首相は、答弁の内容を問わずその姿勢だけを見ると、感心するほど真面目で紳士的である。質問の趣旨をはぐらかし、関係のないことをベラベラ喋る安倍元首相の不誠実な態度は、今の岸田首相にはない。

しかし外見と中身は大きく違う。議論もなく5年で防衛費をポンと43兆円に増額したり、国際政治の知識もなく、ウクライナに乗り込んで必勝しゃもじをゼレンスキー大統領に贈呈したり、軽はずみな強行策を実行する良からぬ能力が岸田首相にはあるようだ。にもかかわらず、国民の間から非難の声が高まらない。もし同じことを安倍元首相がやったら、間違いなく非難の大合唱が沸き起こったことだろう。首相の外見が違うだけで国民の反応がこうも違うとは驚きである。

その意味で岸田首相は安倍元首相より悪質で危険と言えるだろう。決断と実行力があるように振る舞う最高権力者の中身が空っぽなら、出てくる結果は悲惨この上ない。だからぼくは、岸田政権下での改憲には反対である。親米保守が中心となる改憲に何も期待できない。親米保守の枠内で自立した主権国家の健全な憲法が生まれるはずがない。下手すると、現憲法より劣化した属国憲法が姿を見せるかもしれない。

議論は必要だろう。国会は言論の府だから、大いに改憲議論をしたらいい。しかし、米国の属国である現状に甘んじる国会議員が大多数を占める中で、国民が感服するような憲法草案が出るはずがない。今の国会議員には健全で自立した憲法を書き上げる実力などないのだ。

一方で、改憲より経済を優先させるべきだと主張する山本太郎れいわ新選組代表の見解には大いに考えさせられる点がある。山本代表は憲法記念日にあたって代表談話をホームページで公表した。実に見事なもので是非一読をお勧めしたい。

憲法9条をめぐって、れいわ新選組とぼくの間には見解の相違がある。しかし、にも関わらず、ぼくは山本代表の次の発言を支持する。

「れいわ新選組改憲より経済。

30年に渡る不況に、コロナ、物価高で苦しむ日本社会を、徹底した積極財政で建て直し、物作り大国日本の再興と人間の尊厳を守れる社会の再構築を目指す。」

安全保障も大事、国防も大事、そのための改憲議論も大事だろう。しかし、先も言ったように、今の国会議員に国民がワクワクし得心するような立派な憲法条文を作る実力はない。

だから、30年以上も経済が成長せず、他国に追い越される衰退国家となった日本の経済を再構築することが、改憲議論よりも優先されるべきなのだ。国の経済が衰退していく中で、多くの国民が貧困のまま改憲議論を優先すれば、進むべき道を誤り取り返しのつかない事態になりかねない。

改憲議論は国民の生活が安定してからでも決して遅くはない。安全保障に強い関心を持つぼくでも、今は経済を優先すべきとする山本代表の言葉に心が動く。