沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

マッカサーの亡霊

岸田政権は、ロシア軍のウクライナ侵攻を受けて、いち早くウクライナ支持を表明し、ヘルメット、自衛隊仕様の防弾チョッキ、市販のドローン、そして資金供与を決めた。そして欧米諸国に追随する形で各種経済制裁も次々と打ち出した。

NATO加盟国ではないという中立的立場を活かして、1日も早い停戦に向けた外交努力を最優先すべきだったのに、これは対米従属が慣習化した自民党には所詮無理な淡い期待でしかなかったのかも知れない。

自民党だけではない。ゼレンスキー大統領が3月23日、オンライン形式の国会演説を行った時、れいわ新選組を除く全国会議員がスタンディングオペレーションしたのだった。その光景は、戦前の大政翼賛会を彷彿とさせるような異様な雰囲気だった。

日本の政治はなぜかくも主体性を失い弱体化してしまったのか? 

プーチン大統領は、9日の戦勝記念演説で、米国を批判しつつ日本について間接的に触れていた。プーチン大統領は、次のように述べている。

アメリカ合衆国は、特にソビエト崩壊後、自分たちは特別だと言い始めた。
その結果、全世界のみならず、何も気付かないふりをして従順に従わざるを得なかった衛星国にも、屈辱を与えた。
しかし、われわれは違う。
ロシアはそのような国ではない。」

その衛星国の一つは日本である。何も気付かないふりをして従順に従わざるを得なかった衛星国。屈辱を屈辱と感じきれなくなった哀れな国、日本!

プーチン大統領は、さらに続けて次のように述べた。

「われわれは、祖国への愛、信仰と伝統的価値観、先祖代々の慣習、すべての民族と文化への敬意を決して捨てない。
欧米は、この千年来の価値観を捨て去ろうとしているようだ。
この道徳的な劣化が、第2次世界大戦の歴史を冷笑的に改ざんし、ロシア嫌悪症をあおり、売国奴を美化し、犠牲者の記憶をあざ笑い、勝利を苦労して勝ち取った人々の勇気を消し去るもととなっている。」

このわずか6行の文章の中に、深く考えさせられる意味合いが込められている。今の日本人に祖国への愛があるだろうか? 今の日本の政治家に信仰と伝統的価値観、先祖代々の慣習、全ての民族と文化への敬意があるだろうか? はっきり言って無い、と言うより無くしてしまったのだ。今の日本人の精神は、よく言って果汁2%に希釈されたジュースでしかない。

祖国への愛、信仰と伝統的価値観、先祖代々の慣習、全ての民族と文化への敬意を公の場で、誇りを持って堂々と述べる国家のリーダーを持つロシア国民が羨ましい。

なぜ日本はかくも主体性なき惨めな国家に堕落してしまったのだろうか?

今では、その答えははっきりしている。敗戦後、日本は7年もの長きにわたって米国のGHQ支配下に置かれた。その最高権力者に就いたのが連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーだ。彼の日本占領政策の基本をなすものは、日本民族の完全なる弱体化だった。その目的を達成するために、彼は様々な政策を次々と打ち出し実行に移した。東京裁判憲法改正、戦争協力者の公職追放、検閲による言論統制、等数々あるが、中でも彼が特に力を入れたのは、国体の根幹をなす憲法の改正である。

憲法改正の経緯については、フーヴァー研究所の西鋭夫教授が『国破れてマッカーサー』に詳しく書いているので参考にしていただくことにして、ここでは、この力作から要点だけを拾いたい。

マッカーサー指令に従って幣原内閣は、国務相の松本烝治を「憲法問題調査委員会」の委員長に任命。松本は新たな憲法草案(松本案)を作成する。しかし、マッカーサーは松本案を完全に否定。マッカーサーは自分の直筆のノートを民政局長ホイットニーに手渡して、これを基に憲法草案を仕上げるよう指示。民政局のスタッフが分担してわずか1週間で書き上げたのが、現在の日本国憲法そのものである。日本国憲法は、英文を日本語に訳しただけのものである。

原文を見せられた松本烝治と外務大臣吉田茂は青ざめて言葉もなかったという。ホイットニーは、さらに追い討ちをかける。

「ホイットニー准将は私に、GHQが松本草案に満足していないので、このモデル草案を持ってきた。この草案(民政局草案)に基づいて、できるだけ早く、改正案を作成せよと命令した。草案はアメリカ政府並びに極東委員会の承認を得るであろうと言い、もし日本側が即刻改正案を提出しなければ、天皇に何が起こってもGHQは知らないぞ、とまで言った。(吉田茂)」

ここまで恐喝されたら、どれほど胆力のある人間でも、膝を屈するしかないだろう。泣く泣く受け入れる代わりに、この草案をGHQ案としてではなく、政府草案とするようマッカーサーとの間で約束を取り交わす。素直にGHQ案として国民の前に提示すれば、大暴動が起きることは必然と吉田茂は考えたからである。

こうして成立過程が国民の目から完全に隠蔽される形で、現在の日本国憲法は、政府の手になる憲法として1946年11月3日に交付され、翌47年5月3日に施行されたのである。あの日から今年で75年、一体どれくらいの日本人が、今の憲法は紛れのないGHQ憲法である事実を知っているだろうか? 少数の識者がその事実を指摘することはあっても、マスコミが報道することはほとんどない。

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

殺したければ殺せ。第九条はそう言っている。国体の根幹をなす憲法がそう宣言しているのである。GHQが日本国民にそう言わせているのである。第九条は日本国の癌そのものだ。75年の間に、この癌細胞は日本人の精神まで蝕み、今や日本そのものが身動きの取れない状態に陥っている。

岸田政権の今回のウクライナ危機の対応の仕方を見れば、この癌細胞が政権の脳髄まで侵していることが明らかではないか。しかも、その内閣支持率が5割を超えると言うのだから、いよいよ日本は末期症状に至っているのかも知れない。

マッカーサーが亡くなって今年で58年が経過したと言うのに、マッカーサーの亡霊は、今も「無機質な、空っぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る極東の国」でしっかりと生き続けているのだ。その亡霊から、我々は、いまだに抜けきれないでいる。