沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

嗚呼・・・奈落へ落ちていく日本

国難突破解散」安倍首相の昨日の言葉である。総理大臣の職務は激務だ。分刻みのスケジュールをこなさなければならない。そして重責ゆえに総理大臣は孤独だとも言われる。歴代の総理大臣は例外なくその激務と孤独に耐えてきた。

それが直接の原因となったのかどうか知らないが、明らかに安倍首相の言動が日々変調をきたし、人相も日を追う毎に悪くなっていくように感じられるのは、1人ぼくだけだろうか。昨日の記者会見を見て、つくづくそう思った。

挙国一致内閣を組閣してくれるものと期待したのだが、所詮叶わぬ夢であった。戦後最大の国難に直面する今、首相の胸深く眠っているであろう真の愛国心が目醒め、我が国が直面する危機的状況を、国民に正直に訴えて、各党の党首と真剣な議論を交わし、共に国難に立ち向かうよう協力を仰ぐ安倍首相の姿を想像したのだが、今となっては、己の凡庸な認識力を嗤うのみである。

さて、安倍首相の言う国難とは、待った無しの少子高齢化だという。北朝鮮危機はその次らしい。そして、驚くなかれ解散する目的は、19年に2%引き上げられる予定の消費税の使い道を変更する正当性を、国民に問うためだと言う。

これらの案件を総合して「 国難突破解散」と呼びたいようだが、実におかしな理屈だ。

あまりにも可笑しすぎて、もはや狂人は金正恩よりも安倍晋三自身ではないか、とつい訝りたくなる。いやいや、考えれば考えるほど、ぼく自身の頭が完全に狂ってしまいそうだ。首相の言っていることは支離滅裂、非論理的すぎて、全ては病理学的領域の出来事のようだ。明らかに安倍首相の精神状態は異常かつ異様だ。

少子高齢化問題はなにも今に始まった事ではない。10数年前からずっと言われ続けてきた問題ではないか。消費税の引き上げは2年先のことだ。にもかかわらず、これらの問題を国民に問うために解散するのだと言う。しかし、いづれも解散などしなくても、今の国会で審議して少しも差し障りのない案件に過ぎないはずだ。国民は誰でも、そのくらいのことは分かっている。

そうなると、当然今回の解散の本質が見えてくる。それは100パーセント安倍首相自身の保身の為だ。議席数を減らすリスクを負ってまで、わざわざ解散に踏み切ったのは、国難突破のためなどではなく、森友・加計学園問題で追及される危険を逃れるためだけの私利私欲の為だ。

なんと浅ましい、小心者よ!

安倍晋三の心の中にあるのは、国家・国民ではない。安倍晋三自身の個人的利益だけだ。これまでの彼の行動を振り返ってみるとはっきりする。巧言令色。数々の虚言。憲法改正拉致被害者救出も北方四島返還も全ては、その気もないくせに自分で解決して見せると見栄を切って見せただけの、空手形に過ぎないことが、今回の解散宣言で確定した、と見るべきだろう。

国家・国民を第一に考える本物の政治家なら、米朝戦争が勃発した今、やらなければならないことは、来年の任期満了まで、各党の党首と頻繁に会談を重ねて、北朝鮮からのミサイル攻撃から国民をどう守るか最善の策を講じることではないのか。命を天に預けて、真剣に真摯に、誠実な姿勢で迫力を持ってあたれば、各党党首も森友・加計学園問題の追及を一時棚上げするにやぶさかではないはずだ。

しかし、安倍首相が採った手段は戦時下の衆議院解散である。安倍首相の政治家としての軽薄な性格を各国の指導者達は見抜いている。指導者だけではない。世界中の人々が見抜いている。先日、安倍首相が国連で演説したときの様子がその証拠だ。会場はほとんど空席だった。日本の首相が米国の操り人形に過ぎないことは、世界の人々はよく知っているのだ。操り人形の空虚な言葉など、誰が聞くものか。

安倍晋三の政治家としての正体が、今回の解散宣言でいよいよ明確になった。目立ちたがり屋。実力も勇気もないくせにやると言って空手形を切るぺてん師。弱者に強く、強者に弱いお坊ちゃん的性格。

他人の政策を横取りして恥じない厚顔無恥。頭の悪さは、戦後の歴代総理の中で随一である。

ハル・ノートが日本に提示されたのは1941年11月27日。真珠湾攻撃が同年12月8日。その間、僅か11日。北朝鮮に対する米国の大統領令が発令されたのが4日前。大統領令が北朝鮮に対する実質的な宣戦布告と解釈すれば、北朝鮮から在日米軍基地へミサイルがいつ飛んできても不思議ではなくなった。

それを食い止める覚悟も用意も力もない我が国の政治家達。恐らくクーデターを起こす気力さへ、今の自衛隊にはないだろう。鋭い感性を持つ国民は、眠れぬ夜を過ごすことになる。選挙で一票を投じることはできても、戦争になれば国民は全くの無力である。地獄絵を見る日々が続くことになるが、今ぼくに出来ることは、我が想像力よ空想であれ、と念じることだけだ。