沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

第三次世界大戦を描いた1960年公開の邦画『四十一時間の恐怖』

半年ほど前から、寝る前にベッドの枕上に吊るしたipadで映画を楽しむ習慣が身についてしまった。見るのは主に日本映画である。YouTubeで「日本映画」と入力すると、無料で見れるサイトに繋がる。このサイトでは、戦前のものから最近のものまで数多い作品が揃っている。その中で1950年代の作品が特に好きだ。というのは、戦争が終わって、人々も社会もどうにか落ち着きを取り戻した時代背景の中で、希望と不安と葛藤に揉まれながらも、戦前と変わらぬ日本人の精神のあり方を感じることができるからである。根底には人間肯定の思想が横たわっているためと思われるが、見終わった後の心の平安、心地良さをうまく説明するのはとても難しい。昨夜も数ある作品群の中から50年代の作品を物色した。

そして『妻』という題名の作品を見つけた。主演は上原謙高峰三枝子。監督は成瀬巳喜男。1950年代の黒白映画である。夫婦のあり方を描いた作品だが、問われる内容は深刻でも落ち着いて見ることができたのは、やはり根底に人間を信じる監督の姿勢が感じられるからだと思う。お互い不信感に引き裂かれる夫婦の家に、画家を目指して間借りする三国連太郎のひょうきんな演技もよかった。

これで寝るつもりだったが、画面がすぐ次の作品へと続いたので消すのに手間取り、そのまま見続けようかどうしようかと迷いながら、主演次第で決めることにした。

動画を示す文句は The Final War(1960)。英語圏からの配信に違いない。英語の字幕付きである。最初の画面が現れると『四十一時間の恐怖』第三次世界大戦のタイトル。これを見てすぐに脳裏を掠めたのは、第三次世界大戦の引き金になりかねない、今進行中のウクライナ危機だ。奇妙な予感に少し震えた。

さて、肝心の主演は梅宮辰夫(まさき)と三田佳子(ともこ)で監督は日高繁明だとわかった。これでは見ないわけにはいかない。三田佳子は若い頃から大好きな女優の一人。監督の日高繁明は初めて目にする名前だ。

登場人物は多いが、まさきとともこの二人だけにスポットを絞って簡単に内容を説明するとしよう。

まさきは新聞記者で、ともこは看護婦。二人は恋人同士だが、ともこは今の仕事が大変気に入っていて、まさきとの結婚にあまり積極的ではない。2年間も待たされたまさきは、再三結婚を迫るが、ともこは今の仕事をしながら結婚すると、家庭のことが疎かになり、まさきに迷惑をかけるのが心配だと打ち明ける。

ある日の午後、ゴルフ練習場の休憩室で二人が話し込んでいると、ラジオから、これから重大ニュースを放送するので、そのままスイッチを切らないようにとのアナウンスが流れる。二人は深刻な表情になり、ラジオに耳を傾ける。同じように、全国至る所で多くの国民が、何事かとどよめきつつ、ラジオに向かって注意を凝らしている。

放送の内容は、韓国の上空で米軍機が大爆発を起こし、多数の死傷者が発生した模様、事故は米軍と韓国軍が合同軍事演習をしていた際に起きたもので、爆発した米軍機は核爆弾を搭載していた可能性があり、民間人にも多数の死傷者が出た模様である、というようなものだった。

ニュースを聞いたまさきは、ともこに向かって、君は病院に行くように、と言い残して会社へと急いだ。ニュースの後、日本中が騒ぎ始めた。ラジオ放送は、米国とソ連が戦争に至る危険性を指摘して報道を続けていたが、時間が経つにつれて報道は現実となり、ついに第三次世界大戦が勃発する。そしてついに、米ソの核戦争へとエスカレートした。

東京から避難していく大群衆。着の身着のままで避難する者、車で逃れる者、東京の喧騒が映し出される。ともこが務める病院では、医者、看護婦、患者全員が退避した。しかし、一人だけ残された女の子を発見して、ともこは女の子と共に病院に残ることを決心する。

まさきは、同僚と二人、車で退避する途中、病院に立ち寄り、ともこの名前を大声で呼びながら探すが、見つけることができず、そのまま車に乗り込んで東京を離れた。

東京の郊外を歩く大群衆。その上を核ミサイルが飛んでいく。モスクワに核爆弾が投下される。サンフランシスコが核爆弾で破壊される。米国、ソ連の各都市が核爆弾で攻撃される。そして東京も核爆弾の攻撃を受けて、巨大なキノコ雲が立ち登るのを、東京から逃れて杉林付近で休む人々が目撃した。

まさきはともこを救うために東京へ引き返す。そして、壊滅した東京で女の子を庇うようにうつ伏せになって死んでいるともこを見つける。

以上が簡単な素描だが、正直に言うと、映画としての出来はあまり良くない。若くて美しい三田佳子を見れたのは幸運だったし、若い梅宮辰夫の演技も良かった。しかし、ともこを見つける最後の場面は、現実味がなく、この作品の価値を大きく損なっているのではないか。核爆発で壊滅した東京は濃い濃度の放射能で覆われているはずだ。そこに、はるきがひとり生きているのはあまりにも非現実的で説得力に欠ける。ただし、この最後の場面を除けば、一見の価値ある作品だと思う。特にウクライナ危機の今、核戦争の可能性について、いろいろと考えさせられた。

プーチン大統領ウクライナを核攻撃するだろうか?

バイデン政権に停戦を促す動きは全くない。それどころか、さらに高性能の武器を供与し、資金援助を増やしている。これは戦争を長引かせるだけだ。NATO加盟諸国の動きを見ても、金魚の糞のようにバイデン政権にピッタリ寄り添っている。

バイデン大統領が言っているように、彼らの本心はロシアの弱体化、ロシア潰しだ。ウクライナはどうでもよく、最終目的のロシア潰しにウクライナを利用しているだけである。ロシアに経済制裁を課し、あらゆる国際機関からロシアを締め出す。こうしてロシアの首を真綿で絞めるようにして弱らせていく。バイデン政権とNATO加盟諸国がやっていることは、自由と民主主義を守るという美辞麗句の裏側で、国際金融家とグローバリストの言うことを聞かないプーチンという手強い指導者を政権から引き摺り落とし、ロシアの資源を奪うことである。

問題は、どの段階に達したらプーチンは核使用を決断するかだが、その時期は誰にも予測できないだろう。しかし、その時が来たと判断したら、プーチンは確実に核ボタンを押すに違いない。なぜなら、プーチン大統領ほど現実的にもの事を考える政治家は少ないからである。

ある日ある時、ウクライナに小型の核爆弾が投下される。これを口実にバイデンがロシアに向けて核ミサイルを発射する。第三次世界大戦、核戦争の勃発。今のウクライナ危機を冷静に見ていると、このシナリオは決して非現実的ではない。

勿論、核戦争など起きないことを祈るしかないが、ぼくの予感は、それでもいつか必ず核戦争は起こるに違いない、である。そして仮に起きてしまったら、米軍基地がある地域は全て攻撃目標になる。そうなると沖縄は一瞬にして消え去る。日本も完全に破壊し尽くされるだろう。米国、NATO加盟諸国も致命的打撃を受けることだろう。ロシアの各都市も全滅する。

核弾頭の数を比較すると、ロシアが米国を少し上回る。相互に撃ち合えば両国ともほぼ全滅は免れない。

世界で生き残るのは、米軍基地のない、あるいは米国かロシアと軍事同盟を結んでいない国々だけだろう。しかし、たとえ生き残ったとしても、放射能が地球を覆いつくすため、それらの国々もゆっくりと死滅していくことだろう。人類は滅亡する。人類以外の多くの生物も死滅する。完全に生き残るのは、放射能に強い微細な生命体だけかも知れない。

以上が『四十一時間の恐怖』を見終わっての感想だが、映画はフィクションでもウクライナ危機は現実だ。プーチンが核ボタンを押したら、マスメディアはこれまでの報道通り、プーチンを一斉に非難するのだろうか。そこまでプーチンを追い詰めたバイデンをどのメディアも非難しないのだろうか?

核戦争が起きるとすれば、悪魔バイデン以上にマスメディアの責任は極めて重いと思うのだが。