沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

ドキュメンタリー映画『DONBAS』の日本語字幕付き動画

22日にドキュメンタリー映画『DONBAS』を当ブログで紹介し、そのURLを貼りつけておいたが、残念なことに、字幕はフランス語だった。そのためフランス語を読めない人にとっては、内容を完全に理解するのは困難だったに違いない。ところが偶然にも昨日、日本語字幕付きの動画に出会ったのである。ありがたいので早速、今日のブログに貼り付けることにした。ウクライナ危機の背景と真相を知る上で、大変参考になると思われるので、できるだけ多くの人に観てもらいたい。フランス語がある程度読めるぼくにとっても、日本語字幕付きは、内容を完全に理解する上で非常に助かる。配信された方に心から感謝したい。


www.youtube.com

冒頭のポロシェンコ大統領の演説

Nous aurons du travail  et eux non!Nous aurons les retraites et eux non ! 

Nous aurons des avantages pour les retraités et les enfants ,eux non ! 

Nos enfants iront à l’école et à la garderie, leurs enfants resteront dans les caves ! 

Parce qu’ils ne savent rien faire. Et c’est comme ça, précisément comme ça, que nous gagnerons cette guerre ! 

「私たちは仕事にありつけるが、彼らはそうはいかなくなる!私たちは年金が受けられるが、彼らはそうならなくなる!私たちの年金受給者と子供たちは様々な恩恵を受けられるが、彼らはそうはいかなくなる!私たちの子供たちは、学校や保育園に通うが、彼らの子供たちは洞窟で暮らすことになる!つまり、彼らは何もできなくなるのだ。これこそが、まさしくこれこそが、我々がこの戦争に勝つ理由なのだ!」

ポロシェンコ大統領が「彼ら」と呼んでいるのは、ウクライナの東部地域、ドンバスで暮らすロシア語を話す住民たちのことを指している。彼らは当然、ウクライナに国籍を有するウクライナ国民である。その自国民からあらゆる権利を奪うとポロシェンコ大統領は宣言したのだ。

国民の生命と財産を守るのが、国の最高指導者の使命であるはずなのに、その真逆、国民の生命と財産を奪うと言うのだから、当時すでにウクライナ国内の政治情勢は、一般人の理解をはるかに超えるほどの混迷を極めていたことが分かる。

ペトロ・ポロシェンコの略歴

第9代ウクライナ外務大臣:2009年10月9日〜2010年3月11日

第2代ウクライナ経済発展・貿易大臣:2012年3月23日〜2012年12月24日

第5代ウクライナ大統領:2014年6月7日〜2019年5月20日

2014年2月、ヤヌコーヴィチ大統領の時、ウクライナの騒乱と呼ばれる事件が起きる。EU加盟は時期早々だとして署名を拒否したヤヌコーヴィチ大統領に対して、親西欧派が反発し大規模なデモを起こした。デモは激しさを増して収拾がつかなくなり、親露派のヤヌコーヴィチ大統領は失脚。ウクライナ軍によるドンバス地域住民の虐殺が始まる。

その後5月に行われた大統領選挙でポロシェンコ氏が当選して6月7日、第5代ウクライナ大統領に就任。5月2日に起きたオデッサの悲劇の約1ヶ月後ということになる。

映画のインタビューで分かるが、ドンバスの住民はポロシェンコ新大統領に、一縷の望みを託していた。新大統領なら紛争を解決して平和な時代に戻してくれるに違いない、と。

しかし、冒頭のポロシェンコ大統領の演説に見られるように、期待は無惨にも裏切られた。ウクライナ軍の攻撃は激しさを増し、ドンバス地方の住民たちは虐殺され、地下生活を強いられた。

2015年『DONBAS』の取材班が紛争地域のドンバスに入る。アンヌ監督の言葉。

Je quitte Paris le 15 janvier 2015 pour rencontrer les habitants du Donbass et recueillir leur parole .

「ドンバスの住民たちに会い、彼らの声を拾い集めるために、私は2015年1月15日にパリを離れた。」

映画の中で語られた住民たちの声のうちの幾つかを抜粋する。

Hôpital de Donetsk 

Et là je vois poussette mais je ne vois plus mes enfants . Je m’approche et je découvre leurs corps gisant au sol.Comme des petits soldats.Dimitri n’avait pas de tête.Et là je vois ce trou…Je regarde ce trou béant sur le visage de ma fille.

Elle ne pouvait plus respirer …Dimitri on ne pouvait plus le sauver. Les médecins ont essayé de sauver ma fille Olga. L’opération était trop compliquée. Les reins, la rate et un poumon étaient touchés. Elle n’a jamais repris connaissance. Elle a perdu trop de sang. Beaucoup de gens sont venus pour donner leurs sang. Mais c’était trop tard. Ma fille était morte. 

Sofia est miraculeusement restée en vie… Elle était dans la poussette, et la poussette était complètement déchiquetée. Elle pleurait, elle agitait sa main et ses petits doigts  pendaient. 

ドネツクの病院

(小さな子供を乗せたベビーカーを揺すりながら啜り泣く声で話す女性)「...そしてベビーカーを見ると、私の子供たちはもうそこにはいない。近づいてみると、子供たちの身体が地面に横たわっている。まるで小さな兵士みたい。息子のディミトリは頭がなかった。次に、あの穴が見えた...娘の顔にポッカリと穴が開いているのが見える。娘は息をしていなかった...ディミトリはもう助からない。医者は娘のオルガを助けようとしたけれど...手術はあまりにも難しすぎたんです。腎臓と脾臓と肺が潰れていたから。オルガはもう目を開くことはなかった。出血多量でした...。多くの人が献血に来てくれました。でも、もう手遅れだった。娘は死んでしまった。このソフィアは奇跡的に生きていた...この子はベビーカーに乗っていて、ベビーカーは完全にズタズタになっていた。泣きながら手を振っていて、でも、小さな指は今にもちぎれそうに、ぶら下がったままだった。

Pervomaisk 

Depuis combien de temps vous vivez ici ? 

Depuis sept mois ! Avec les bombes ils tremblent tous ! Ces enfants sont enfermés depuis cet été avec leurs familles. Et maintenant on ne peut plus sortir de la région !  Partis, revenus, on ne sait plus où vivre. Les enfants n’ont pas vu le soleil de tout l’été. Il n’y a pas de  soleil ici. Regardez ces enfants. 

Ce sont des terroristes ? .

C’est quoi ce pays… où le peuple s’entretue ? Les enfants, les vieillards… C’est quoi ce pays ! C’est quoi un président qui fait la différence entre les enfants d’une même nation ? 

Les enfants ne sont pas coupables ! Porochenko dit: “Les enfants de l’Ouest iront à l’école, ceux de l’Est dans les caves.“ Encore si c’était un ennemi de l’extérieur. Mais là c’est frère contre frère. Depuis le début de cette guerre , des familles sont divisée, ils bombardent, des enfants sont tués. Les maisons sont détruites. Comment on va reconstruire tout ça ? 

ペルヴォメスク

(ある建物の地下室に多くの老人や子供が避難している)

「ーここに住んでどのくらいになるの?

(女の子)7ヶ月です。

(年配の女性)爆弾でみんな震えているんだよ!この子たちは、夏から家族と一緒に閉じ込められているのよ。今、私たちはこの地域を離れることができないのよ!出ていくのか残るのか、どこに住んだらいいのか分からない。子供たちは、夏の間、一度も太陽を見ていないのよ。ここには太陽がないの。この子供達を見てちょうだい。この子達がテロリストだって、誰が思う?

この国は一体どうなっているの?どうして、みんなお互いに殺し合っているわけ?子供たち、年長者たち...この国はなんなのよ、一体?同じ国の子供たちを区別する今の大統領は、いったい何者なの?子供たちに罪なんかないじゃない!

ポロシェンコは「西側の子は学校に行き、東側の子供は洞窟に行く」って言ったのよ!よその国が敵なら分かるわよ。でも、ここでは兄弟と兄弟が戦っているのよ。この戦争が始まってから家族はバラバラにされ、爆弾が落とされ、子供たちが殺された。そして私たちの家も破壊されてしまった。いったい誰がこの全てを取り戻してくれるっていうの?」

Kommunar 

“Tu vas nous dire où tu as été.“ Puis ils l’ont battu et torturé. Ils lui ont coupé les oreilles et ils l’ont jeté dans un puit de mine. On en trouvé du monde dans les puits: Une femme enceinte décapitée, des cadavres avec les mains liées et la bouche bâillonnée… Ce sont des sadiques. On peut comprendre beaucoup de choses, mais pas la torture. Eux ils se partagent les terres et nous on paye. 

コミュナル

若い女性)「「あの晩、お前は彼らとどこにいたのか?」ウクライナ兵は彼を殴り、拷問を始めました。最後には彼の両耳を切り落とし、そのまま彼を外に連れ出して、炭鉱の坑道に放り投げたんです。そのあと、私たちはみんなで坑道に行き、中に入って恐ろしいものを目にしました。首を刎ねられた妊婦や、手を縛られ口を塞がれた死体や...。あいつらは本物のサディストよ。

大抵のことなら仕方がないって我慢できるけど、拷問だけは違う。彼らは自分たちの間だけで土地を共有して、私たちはお金を払わされた。」

Je m’appelle André. Je servais l’armée ukrainienne. J’ai été appelé en 2013, à l’époque il n’y avait pas de guerre. Je faisais mon service à Odessa, dans les troupes internes de l’armée. 

Racontez-nous ce que vous avez vu à Odessa le 2 mai 2014.

La maison des syndicats a été brulée. Des manifestants s’étaient réfugiés à l’intérieur. À côté du bâtiment se trouvait un campement de russophones, qui contestaient l’interdiction de la langue russe en Ukraine. Les nationalistes ukrainiens sont venus en bus pour faire arrêter la manifestation des russophones. Les russophones se sont réfugiés dans le bâtiment. Il y avait des femmes et des enfants. Personne ne s’attendait à ce que les pro-ukrainiens mettent le feu au bâtiment. Les gens sautaient par les fenêtres pour ne pas brûler. Certains les battaient, leur tiraient dessus, où les trainaient par terre. C’est aussi arrivé que d’autres les aident. Mais les gens masqués les battaient à mort. 

Qui sont ces gens masqués ? 

Sûrement le Secteur Droit. 

Pourquoi la Police n’a pas empêché le Secteur Droit d’agir ? Nous sommes de simples soldats, et personne ne nous a donné d’ordre. 

Pourquoi faisaient-ils ça ? 

Je pense qu’ils voulaient exterminer les manifestants russophone. Ils n’ont pas apprécié le fait que les russophones se réunissent. 

Il y a eu combien de morts ? Environ 50 morts. 

Est-ce que les coupables ont été arrêtés ? 

Les ordres venaient de Kiev, et personne n’a été arrêté. Comme si personne n’avait rien fait. Voilà comment les choses se sont passées. J’ai vécu toute ma vie à Donetsk, dans cette région. C’est ma patrie ici. Alors quand la guerre a commencé, je ne pouvais pas venir tirer sur mes frères et soeurs. Donetsk c’est chez moi, ses habitants sont mes proches. Alors j’ai décidé de faire le pas… Je préférais mourir parmi les miens, plutôt que les tuer. Je ne pouvais pas. C’est pour ça que j’ai déserté… De l’armée ukrainienne. 

(元ウクライナ兵の証言)「私の名前はアンドレです。以前はウクライナ軍に所属していました。2013年に召集されましたが、当時は、まだ戦争などありませんでした。そして、オデッサの陸軍部隊で任務にあたっていました。

−2014年5月2日、オデッサで見たことを教えてくれますか。

ロシア語話者の抗議者たちが避難した建物が放火されていました。抗議者たちは中に避難していたんです。建物の前には、彼らロシア語話者たちの野営テントがあり、彼らは、ウクライナ政府のロシア語使用禁止令に抗議していました。

そこへ、バスでやってきたウクライナ国粋主義者たちが、その抗議運動を阻止しようとしていました。ロシア語話者たちのグループは建物の中に避難しました。その中には女性や子供もいました。

でもまさか、国粋主義者たちが建物に火をつけるとは、誰も想像していなかったんです。そのうち、燃え広がる炎に耐えられなくなった人たちは、窓から飛び降り始めました。国粋主義者たちの中には、地面に叩きつけられた人たちを棍棒で殴ったり、拳銃で撃ち殺したり、そのまま引き摺り回して、なぶり殺す連中もいました。中には彼らを助けようとする人々もいましたけれど、黒い覆面を被った男たちが、彼らを殴り殺していたんです。

ーこの覆面姿の男たちはいったい何者ですか?

おそらく右翼組織の連中でしょう。

ーでもなぜ、警察はこの右翼組織たちの行動を阻止しようとしなかったんですか?

私たちは単なる兵士で、私たちの誰も上官からそう言った指示を受けてませんでしたから。

ーいったいなぜこの連中はこんなことをしたんでしょう?

ロシア語話者の人たちをただ殺したかったんだと思います。ロシア語話者たちが抗議のために集まったこと自体が許せなかったんでしょう。

ーいったい、どれくらいの人が亡くなったんでしょう?

おそらく、約50人です。

ーその後、犯人たちは逮捕されたのですか?

キエフから命令が届きましたが、誰ひとり逮捕されませんでした。まるで何事もなかったかみたいに。これが一連の出来事の経過です。私は生まれてこの方、このドネツクという地域で過ごしてきました。ここは私の故郷です。だから、戦争が始まったとき、兄弟姉妹同然の仲間に向かって銃を向けることなどとてもできませんでした。ドネツク自体が私の家であり、そこに住む人々は私の家族親類同然なんです。だから脱走を決断しました...。自分の家族や仲間を殺すくらいなら、彼らと一緒に死んだ方がましだからです。だから、脱走したんです...。ウクライナ軍から。」

以上、抜粋はこれくらいでいいだろう。これだけでも、ドンバス地域でどんなに酷いことが起きていたかを知るには十分すぎると思う。しかも、この内戦状態は2022年に至る8年間ずっと続くのだ。

今、大手マスメディアの報道では、ロシア軍によるウクライナ市民の虐殺が大々的に報じられているが、ドンバス地域では、ウクライナ軍によるウクライナ市民(ロシア系住民)の虐殺が、2014年以来続いてきたのである。

しかし、大手マスメディアがこの事実を報道することはない。大手マスメディアが垂れ流す情報だけに頼るのは非常に危険である。