内閣人事局を悪用する安倍内閣
桜を見る会を追求する野党側の質疑に応答する官僚達のあまりにも煮え切らない、不誠実な態度を見ると、我が国の政治の病弊を見る思いがして、どうにもやりきれない。
5月9日に共産党の宮本議員が招待者名簿の提出を要求すると、官僚側は既に廃棄処分されているため提出できないと拒否した。
ところが後日、大塚内閣官房長は、宮本議員が要求した同日にシュレッダーにかけて廃棄した、と述べたのである。とても偶然とは思えない。
常識的に考えても、証拠隠滅のためにやったに違いないのだ。招待客の中には公表されるとまずい人達が複数含まれていた可能性が強い。だからこその証拠隠滅だろう。
幼児性症候群と呼んでも不思議ではない、あまりにもあり得ない官僚達の行動である。
11人で発足した追及チームは、追及本部に格上げして70人規模に膨らんだ。野党の追及に対して、安倍内閣はじめ官僚達が揃って全面拒否する以上、真実を明らかにするために、徹底的に追及する体制を構築するのは当然のことだろう。
ところがである。今朝のニュースによると、追及本部による廃棄処分に使った大型シュレッダーの確認要求に対して、ずっと稼働中であるとの理由で拒否したというではないか。
ここまでくると現在の官僚達のレベルは幼児性症候群そのものと断定しても許されるのではないか。
かつては、日本の官僚は世界的に見ても優秀だとの高い評価を得ていた。当時と今を比較すると雲泥の差である。大人と子供ほどの違いがあると言わざるを得ない。
なぜ優秀だった官僚達はこれほどまでに落ちぶれたのか?
原因はいろいろあるだろうが、一番大きな要因は、2014年5月30日に設置された内閣人事局にあると言って間違いないだろう。
内閣人事局の弊害は、森友・加計学園問題をきっかけに注目されるようになった。安倍内閣に対する官僚達の忖度が指摘され始めたのだ。
政権に不利となる資料・統計の廃棄・改竄など、民主主義に汚点を残す官僚達の行動が次々と展開されたのである。
国民全体の奉仕者であるべきはずの公務員である官僚達が、何故にかくも臆病になり萎縮して安倍内閣を守ろうとするのか?
官僚達の職業的良心の要諦は、出世にあるとされる。出世を左右する最大の事案は人事である。人事権は、官僚達のアキレス腱だ。
安倍内閣は、その人事権を握る目的で5年前に内閣人事局を発足させた。それまでは、政治家が官僚の人事権を握るのは至難の技と言われた。官僚の力は巨大で抵抗が激しかったからである。
それを安倍内閣は、いかなる政治的駆け引きがあったのか、あるいはどのような政治的案件が絡み合ったのか知らないが、拍子抜けするような勢いで、まんまと成し遂げたのだ。
日本の政治の実態は官僚が仕切っていると、長い間言われ続けてきた。選挙の洗礼を受けた政治家達は表の顔、実務を担当する官僚達は裏の顔。
この棲み分けのシステムは、世界が冷戦構造の間はうまく機能したと言える。安全保障分野は米国に依存し、外交は自由主義陣営の立場で展開すれば良い。非常に分かりやすい既定路線の枠内で、我が国は経済に邁進することができたのだ。
しかし、1991年にソ連の崩壊を受けて冷戦が消滅すると世界の構造が大きく変化した。不思議なことに同時期に日本はバブル経済が崩壊している。
外部と内部の激震に対して政治家達はなす術を知らなかった。失われた30年と言われる平成の世の始まりである。
それなりにうまく機能していた表の顔と裏の顔の連携が大きな音を立てて軋み始める。新しい世界構造に対応しきれない政治家達。進むべき指針を政治家が示さなければ、いくら優秀な官僚でも十分に腕を発揮できるはずがない。
バブル崩壊後の我が国の経済は惨憺たるものだ。かつてはジャパン・アズ・ナンバーワンと呼ばれて世界中から賛嘆の視線を浴びた在りし日の日本。
振向くとまるで夢か幻のようだ。
ギクシャクする政治家と官僚達の30年。政治家にとって官僚の壁は厚く、思い切った政策を実現することができない。自らの無能を脇に置き、官僚の壁が厚すぎるから思うような政治ができないのだ、と責任転嫁する政治家達が現れてきた。
いわゆる「脱官僚」。バブル崩壊以前、経済がうまく回っていた時期に「脱官僚」という言葉は存在しなかった。
冷戦が消滅して大きく変化する世界に的確に対応することができなくなった無能政治家達のひがみ根性から生まれた言葉「脱官僚」。
思い通りの政策を実現させるためには、官僚をうまくコントロールする必要がある。その為には人事権を掌握することだ。このことが志のある一部の政治家達の悲願となった証拠がある。
それが二度の政権交代だ。細川政権と民主党政権。いずれも「脱官僚」を掲げて誕生した政権だった。
しかし、ご存知の通り、いずれも「脱官僚」どころか、霞が関の厚い壁に跳ね返されて崩壊したのである。はっきり言う、その原因は、政治家の無能である。
有能な政治家なら「脱官僚」などと責任転嫁はしない。それを証明した天才政治家がいた。田中角栄だ。
戦後日本の高度成長を数々の議員立法で推し進めた政治家、田中角栄。彼の辞書に「脱官僚」と言う言葉はない。
優秀な官僚群をうまく使いこなす才能と力量が田中角栄には備わっていた。六法全書を丸暗記したと評されるくらい、法律に精通していた。30を超える法律を議員立法で成立させている。この法律群が日本の高度経済成長を促した。
法律を縦横に論じる田中角栄に、超エリートの官僚たちは舌を巻いたと言う。田中角栄は人間学にも精通していた。官僚達の入所年月日、家族構成を諳んじる田中角栄に官僚たちは痺れたらしい。
官僚に対する面倒見も良かった。官僚が失敗したことに対して官僚を責めることをしないで、自ら責任を取る姿勢で臨んだ。そんな政治家に官僚たちは惚れて協力を惜しまなかったのだ。
娘の田中真紀子が外務大臣を務めた時、失態を繰り返したのは親父の政治哲学を少しも理解していなかったからである。田中真紀子は官僚を敵にまわした。官僚に対して威張り散らした。親父の手法と真逆である。
これでは官僚の反発をくらい、人心が離れていくのは目に見えている。外務大臣として何の業績も残せなかったのは当然なことなのだ。優秀な官僚を敵に回して政治家として大成するはずがない。
「脱官僚」を言う前に、政治家自身がもっと研鑽を積み、六法全書を丸暗記して法律を縦横に論じられるくらいの能力を備えよ、と言いたい。このくらいのことは、官僚をうまく使いこなすための最低条件だろう。
官僚に舐められないための基本条件を身につけること。「脱官僚」ではなく「脱無能政治家」である。
さて、結論を急ぎたい。内閣人事局を設置して、官僚の人事権を握った安倍内閣の目的は何か?
「脱官僚」と見て良い。無能内閣だからだ。しかし、その意図は薄汚くて醜悪だ。思い通りの政治をやると必ず都合の悪いことが起きる。そこから派生する情報は何がなんでも隠蔽しなければならない。
そのためには官僚の人事権を握る必要がある。人事権を盾にして官僚を脅しさへすれば官僚を黙らせることができる。自ら進んで内閣に忖度する奴も出てくるだろう。
あくまでもぼくの想像だが、そのように分析しなければ、森友・加計学園問題から今回の桜を見る会における、内閣と官僚が一丸となった情報完全遮断工作は理解できないのだ。
内閣人事局を設置した安倍晋三と菅義偉の本心は、官僚をコントロールして国民のための良い政治を行うことではなくて、自分たちの保身と利権を守るために他ならない。
内閣人事局を悪用しているために、この国の政治は極端に歪められ、回復不能の瀬戸際まで転げ落ちる恐れがある。
桜を見る会の追及本部は少しの妥協も許さない徹底した追及を継続してもらいたい。ぼくの直感は、安倍晋三の公職選挙法違反を嗅ぎ取っている。