沖縄よ! 群星むりぶし日記

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那覇市長選挙が分裂した最大の責任は城間那覇市長にある

23日投開票予定の那覇市長選挙が15日に告示された。立候補者は以下の2名。

翁長雄治(35)立憲・共産・れいわ・社民・社大推薦

知念覚 (59)自民・公明推薦

告示前から両陣営による激しい選挙運動が展開されているが、何故か今回は誰に投票して良いやら判断がつかず、まだ態度を決められないでいる。

その最大の原因は、候補者選定の不透明さ、杜撰さにあるとぼくはみている。翁長氏の立候補表明は早かったが、その時点でオール沖縄側が誰を推薦するかはまだ未定だった。知念氏の名前が出たり消えたりしていたのは、オール沖縄側が翁長氏にするか知念氏にするか、まだ検討中の段階だったからである。

これはなにを意味するかというと、城間幹子市長としては知念氏を推薦したかったので、オール沖縄側との調整が必要になり、そのために時間的に手間取ったことが考えられる。ではなぜ城間市長は知念氏を推薦したかったのかというと、知念氏は副市長としての8年間、城間市長と二人三脚で行政に携わってきた実績があり、知念氏の行政手腕を城間市長が高く評価したからだ。

知念氏は行政経験が豊富で、当時那覇市長だった翁長前知事は知念氏を副市長に起用するよう城間次期市長に推薦した。知念氏は純粋な意味での行政マンであり、党派性はほとんどない。翁長雄志市長の後継者に選出されてオール沖縄陣営の一員として活動してきた城間市長としては、知念氏をあくまでもオール沖縄推薦としたかったに違いない。そう考えることで、城間市長の変節(彼女自身は認めていない)の意味が理解できる。

城間市長の変節とは、知念氏をオール沖縄としてではなく城間市長個人で推薦したということである。何故そうなったのか、彼女の言い分としては、自分が変説したのではなく、オール沖縄が翁長前知事の考えと乖離したためだという。

その詳しい説明を、ぼくはまだ目にしていないので何とも言えないが、城間市長の主張には大きな矛盾を感じてしまう。何故なら、知念氏を自民党公明党が推薦する形になったからである。これではオール沖縄陣営からすれば、立派な裏切り行為になる。

保守の一部と革新勢力が合流してオール沖縄という政治勢力を結集した1番の功労者は翁長雄志前知事である。翁長氏は、県内の大きな選挙がある度に、基地反対を主張する勢力と経済を重視する勢力が相争う事態に心を痛め、基地反対と経済重視を両立させる理念を打ち出した。それが「誇りある豊かな沖縄」という言葉に集約されている。

外国の軍隊の駐留を認めない革新勢力の「誇り」。経済に力点を置いて県民生活を向上させる自民党の「豊かさ」の追求。翁長知事は、この両方の理念を対立するものとしてではなく、統合できるものと考えた。ウチナーンチュのアイデンティティーを接着剤にすれば、「誇り」と「豊かさ」は両立させることができる、翁長知事はそう考えた。

イデオロギーよりもアイデンティティー」

翁長知事のこの言葉は、ウチナーンチュの琴線に響く。狭い沖縄でイデオロギー闘争は無意味だ。それよりはアイデンティティーを重視して県民生活を安定させ向上させる。それには「誇り」と「豊かさ」は同じ比重で重要であり、合体させる必要がある。

「誇りある豊かな沖縄」

翁長知事が掲げたこの理念は、戦後沖縄の政治の集大成と言っても過言ではない。この理念に反対する県民は一人もいないはずである。いるとすればモグリか天邪鬼だろう。

全ての県民が自らのアイデンティティーを自覚することができれば、外からやってくる理不尽な力に対して、結集して対抗することができる。

玉城県政は翁長知事の理念を引き継ぐことでスタートした。だから玉城知事は、今も事あるごとに「誇りある豊かな沖縄」という言葉を口にするのだ。

城間幹子市長も事情は同じである。翁長知事の理念を継承する形でオール沖縄の支持を取り付けたはずである。しかし、ここに至って豹変してしまった。なぜ県民の民意を踏み躙ってまで辺野古新基地工事を強行する自民党公明党が推薦する知念候補を応援することになったのだ?

ぼくは知念覚を批判する気はさらさらない。先にも書いたように、彼は経験豊富で有能な行政マンであり、党派性は薄い。ぼくが知り得た情報からすると、那覇市長にふさわしい人物だ。

残念なのは、党派性の薄い彼を自民党公明党が推薦したことにある。その前に翁長雄治はオール沖縄の推薦を取り付けていた。調整が上手くいけば、オール沖縄が知念氏を推薦する可能性も大いにあり得た。しかし、時すでに遅し。敵に塩を送るような最悪の分裂劇になってしまった。

全ては調整の不手際にあったのではないか、とぼくは思っている。翁長雄治はまだ35歳と若い。政治経験も短くまだ十分とは言えない。いくら翁長知事の息子だからといって、それだけで県都那覇市の首長を任せるには時期尚早の感が強い。

2期8年、知念氏に任せても翁長氏は43歳。それでもまだ若いが、政治家として十分経験を積み脂が乗り切った年頃でもある。その時に那覇市長を目指すのもよし、国会議員を目指すのも良し。むしろこの方が最善策ではなかったか、とぼくは思う。

オール沖縄の内部で政治力学がどう動いたか、詳しい内実を知る術はないが、表に出てきた情報だけで判断すると、オール沖縄は翁長雄治の推薦を急ぎすぎたのではないかという懸念が残る。その背景には彼が辺野古新基地工事に反対を表明していることが考えられる。その点、知念氏は反対も賛成も明確にはしていない。

それでも城間市長は知念氏を推薦した。つまり、オール沖縄内部で辺野古基地問題が翁長氏を推すか、知念氏を推すかのリトマス試験紙となった可能性がある。そこで翁長知事の息子で辺野古に反対する翁長雄治を推薦する方向にベクトルが大きく傾いた。それでも城間市長の態度は変わらなかった。よほど知念氏の行政手腕に惚れたようである。

この場合の最善策は先に述べた通り、知念氏をオール沖縄が推薦し、翁長氏を説得して降りてもらうことだが、ついでに次善策も考えてみたい。

それは最善策とちょうど逆で、翁長氏をオール沖縄が推薦して知念氏に降りてもらう。そして引き続き副市長として翁長氏を支えてもらう。この場合は、当然のことながら、城間市長と知念氏を説得して同意してもらう必要がある。

最善策、次善策のいずれに転んでも、ぼくは受け入れることができるが、問題は、そこに至る話し合いが果たしてどの程度行われたか、である。各人、各政党の欲望、信念、思惑、計算が入り乱れる中で、調整機能がうまく作用し、妥協点をどこに置くか、というところまで突っ込んだ話し合いがもたれたかどうか、である。

ぼくにはこの点がなかなか見えてこないのだが、結果を見れば、失敗に終わったことだけははっきりしている。しかも最悪の結果になってしまった。

選挙公報を見ると、知念氏の枠には、「副市長を那覇市のトップへ!」の文句で知念氏と城間市長のツーショット写真が掲載されている。そして城間市長の右側には、「城間市長も応援しています!」とある。これだけなら何の問題もない。問題は、自由民主党公明党推薦という悍ましい文字が刻印されていることだ!

城間幹子市長よ、よくぞやってくれたな。いくら知念氏の行政手腕に惚れたからといって、これではやりすぎというものだろう。今までの8年間は一体なんだったのだ? 完全な裏切り行為である。彼女に対する信頼が完全に失墜した瞬間だ。

知念氏は党派性が薄いといっても、自由民主党公明党推薦ということになると、当然のことながら、彼らとの間で政策合意を取り結ぶ義務がある。直接的間接的に彼らの意見を採用しなければならない場面が出てくる。公認じゃないからそんなことにはならない、という考えは甘い。下手すると自公政権に完全に取り込まれる危険さえある。そう考える方が現実的だ。

そうなると沖縄の政治は大きく後退するだろう。なぜなら、自公政権になってから、日本はOECD諸国の中で唯一経済成長しない国になってしまったからだ。しかも近年の自公政権の腐敗ぶりは目に余るものがある。中央政府とのパイプを活かすんだと? 冗談じゃない。誤った経済政策と腐敗を呼び込むだけだ。

城間幹子よ、よくぞやってくれた。貴方の罪はあまりにも大きすぎて、その償いはこの先何十年も消えることはないだろう。