沖縄よ! 群星むりぶし日記

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ひろゆき(西村博之)氏よ、掲示板の制作者と「腹を割って話す」勇気はあるか?

今朝の沖縄タイムスWEB版はひろゆき氏に「汚い字」と言われた掲示板作った住民、母を殺された過去「腹を割って話してみたい」」というタイトルの記事を配信した。大変考えさせられる内容の記事なので全文掲載する。

ひろゆき西村博之)氏が「0日に」とやゆして有名になったゲート前の掲示板は名護市辺野古の住民、金城武政さん(65)が作った物だ。母を米兵に殺害された。生活のため、新基地建設事業の警備員になった時期もある。本土の基地押し付けに人生を翻(ほん)弄(ろう)され、それでも現場で反対の声を上げ続ける金城さん自身、そして多くの人々の思いが、掲示板には込められている。(編集委員・阿部岳)

ひろゆき氏にやゆされた掲示板と、作者の金城武政さん=11日、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前ひろゆき氏にやゆされた掲示板と、作者の金城武政さん=11日、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前

インターネット掲示板2ちゃんねる」解説者のひろゆき氏は3日、米軍キャンプ・シュワブゲート前を訪れた。2014年7月の座り込み抗議開始から「3011日」を刻んだ掲示板の横で写真を撮り、「0日にした方がよくない?」とSNSに投稿した。

「普通はそんな心情にならないと思うんだけど」と、金城さんは不思議そうだ。「この日数は、基地押し付けと抵抗がこれだけ続いていることを示している。本土の人が見れば、放置してきた恥ずかしさが出てくるはずだと思う」

犠牲の押し付けは戦後ずっと続いている。「辺野古でバーを経営していた金城さんの母富子さんは1974年、強盗に入った米兵にブロック片で頭を殴られ、頭蓋骨骨折による脳内出血で亡くなった。金城さんは当時高校3年生。2階で勉強していたが、気付かなかった無念を抱える。

高校卒業後は本土で働き、体を壊して2004年に辺野古へ戻った。地元に仕事は少なく、ちょうど始まった新基地建設の調査のため、辺野古漁港で夜勤の警備員を1年余り務めた。「生きるため」にと割り切った。

生活に追われても、命を脅かす新基地に反対する気持ちは変わらなかった。14年に座り込みが始まると、地元住民としてテントの設営から手伝った。今も日々、現場に通い、デザインを学んだ知識を生かして看板書きも引き受ける。

掲示板は当初、政府が千日以内に断念することを願い、あえて3桁の日数で作った。その後、右翼団体の襲撃で破壊されるなどし、そのたびに金城さんが作り直してきた。

ひろゆき氏は出演番組の中で掲示板を「汚い字」と中傷したが、金城さんは「そう言うなら、もっときれいに作り直してもいい」と、いたって平静だ。「もう一度彼が来たら、なぜ私たちが反対しているのか、彼がなにを考えているのか、腹を割って話してみたい。こちらからは批判しようとは思わない」と語った。」

どうだ、ひろゆき氏よ、君が「汚い字」と罵った掲示板の由来は記事にある通りだ。製作者の金城武政さんは、君が「なにを考えているのか、腹を割って話してみたい。こちらからは批判しようとは思わない」と言っている。

この際勇気を振り絞り、頭の中を空っぽにして素直な気持ちで金城氏と話してみてはどうだろうか。是非そうしてもらいたい。君の発言の誤解を解くために、そして何よりも君がただのあぶく(泡)コメンテーターでないことを証明するためにも勇気ある決断をお願いしたい。