胡散臭い三浦瑠璃の傲慢な言動
国際政治学者の肩書きを持つ三浦瑠璃という言論人には、以前から胡散臭いものを感じていたが、統一教会に言及したツイートを読んで、やはり胡散臭い人物であることが明確になった。
彼女のツイートを以下に引用する。
「相手を批判したいばかりに『反日』という言葉を使ってしまった影響は今後尾を引くことになる」「世間の統一教会への反発は、過度な献金強要や囲い込みだけではなく主張にも向けられています。『反日』という言葉はリベラルが従来使わなかった言葉ですが、統一教会に関してはメディアでもSNSでも多用されていますね。反応の年代差を説明する要素として、韓国への反発の強さは連関があると思いますよ。」
「そして、相手を批判したいがばかりに『反日』という言葉を使ってしまった影響は今後尾を引くことになるでしょう。この言葉がさまざまなところへバックファイヤーすることを予想できない人々の存在は、わたしの合理的思考の範囲を超えています」
「『統一教会との関係』問題が多数の政党に燃え広がって燃え尽きると(これも予想できたはずだがなぜか予想しなかったらしい)、安倍さんの存在も霞み、山上も存在感を失い、韓国へのバージョンアップした反感と、いつもの左右対立だけが残った。その焼け跡から何が生まれるかも予想していないらしい。」
以上が三浦氏のツイートだが、例の如く回りくどい言い回しであり、結局のところ何が言いたいのか、彼女の真意を見抜くためには、蜘蛛の巣に引っかからない細心の注意力が必要だ。
結論を先に言うと、要するに彼女は、『反日』という言葉を統一教会に対して使うな、と言っているにすぎないのである。ぼくは、そう受け止めた。強く断定すれば、読者の反発をかうだろうから、できるだけ遠回しな表現で包み込む。そんな意図で呟いたのが上のツイートだ。
反論する前に、彼女の傲慢な性格も指摘しておきたい。それは以下のツイートから窺い知ることができる。
「『統一教会との関係』問題が多数の政党に燃え広がって燃え尽きると(これも予想できたはずだがなぜか予想しなかったらしい)、安倍さんの存在も霞み、山上も存在感を失い、韓国へのバージョンアップした反感と、いつもの左右対立だけが残った。その焼け跡から何が生まれるかも予想していないらしい。」
キーワードは「予想していないらしい」だ。この言葉が含む意味合いはなんだろうか? 統一教会問題を明らかにして批判する君たちは、その後の社会変動を予想できなかったのか、と言う三浦氏の、なんとも理解し難い奇妙な言い回しだが、要するに彼女は、その後の社会変動を予想できない奴は、統一教会問題を議論するな、と言っているのである。
思い上がりの強い傲慢な彼女の性格がよく表れているのではないだろうか。
さて『反日』に対する反論に移る。
三浦氏は、相手を批判したいばかりにリベラルは『反日』と言う言葉を使っている、と言うがとんでもない言いがかりである。
決して批判が先にあるのではない。統一教会の教義に『反日』と呼ばざるを得ない証拠が確実に存在するから、統一教会を反日カルト教団と呼んでいるのだ。
その証拠は、何度もマスコミで報道されているように、教祖・文鮮明の言葉の中にある。彼は言う、日本はイヴの国だから、アダムの国韓国に奉仕する義務(献金)がある。日本は戦前、韓国を植民地にして、韓国人に対し散々悪いことをしてきた。従ってその罪を償う義務(献金)がある。
文鮮明のこれらの言動は、彼の死後も統一教会にそのまま受け継がれている。だからぼくは、統一教会は単なるカルトではなく、反日カルト教団だと批判しているのだ。
しかし、三浦瑠璃という国際政治学者の肩書きを持つ言論人は、統一教会に対して『反日』のレッテル貼りをするなと言う。そして「この言葉がさまざまなところへバックファイヤーすることを予想できない人々の存在は、わたしの合理的思考の範囲を超えています」と告白する。
これは自ら自分の合理的思考の範囲を狭めることを宣言するようなものだ。いや、待て。ここまで書いてきてふと疑問が湧いてきた。もしかすると、三浦瑠璃なる人物は、統一教会もしくはその関連団体と関係しているのではないか?
そのように疑うと、三浦氏のツイートの正当性の説明が可能になるのだ。いずれにしても不可思議で薄気味悪い女性である。