沖縄よ! 群星むりぶし日記

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盟友・亀井静香が語る石原慎太郎

昨日、石原慎太郎が亡くなった。田原総一郎をはじめ、多くの人が様々にコメントしているが、中でもアエラドットに掲載された亀井静香の言葉が一番ぼくの心に響いた。

全文はこちら=https://dot.asahi.com/dot/2022020200015.html?page=1

2人の関係について問われた亀井氏は「彼とは『賢兄愚弟』だよ。彼が『賢兄』、私が『愚弟』」と答えている。おそらく亀井氏の本音だろう。石原氏とは長い間、盟友関係だったとも語っている。

安全保障や原発問題をはじめ、最重要の政治的課題について語り合い、見解の相違もありながらなお、石原氏の生命が終わる時まで盟友関係が続いたのは、二人が忌憚なく男としての腹の底を晒しあい、お互いの異なる人間的魅力を、互いに認め合った結果ではないだろうか。

亀井氏の言葉には、そのように思わせる香りがあるのだ。自立した大人が心を許しあい、死の時まで盟友関係が続く物語はそうザラにあるものではない。亀井氏は、また次のようにも語っている。

「太陽は沈んだけど、陽はまた昇る。石原慎太郎は日本人の心の中にいつまでも残り、彼は永遠に生きていくんだよ」

亀井静香の名言と言うべきだろう。生前の石原慎太郎には、差別発言、失言もあったが、それは米国の従属から脱して強い自律国家・日本を夢見たが故の勇足だったと理解したい。

石原慎太郎に右翼の烙印を押して嫌う人間もいるが、誰に遠慮することなく発言する石原氏をぼくはいつもカッコいいと思っていた。しかし、当然のことながら、ぼくの石原評は、亀井氏とは大きく異なる。付き合いがないから当然といえば当然ではあるが。

政治家としても小説家としても石原慎太郎は大成しなかった。極簡単に言えば、これがぼくの石原評だ。

政治家として考えた場合、確かに幾らかの功績を残したのは事実である。例えば、横田基地の管制空域の一部を返還させたこと、それに伴って羽田空港に国際線を導入したこと。

それから都知事時代に実感したことがある。ぼくはその頃、東京に住んでいたのだが、石原氏が都知事になってから、駅構内に設置された大きな灰皿筒が撤去された。それまでは、灰皿筒から出る大量のタバコの煙で駅構内は咽って大変だったのだ。

それから当時は電話ボックス内に、名刺サイズの大量のホテトル用カードが張られていたのだが、それを完全撤去した。そしてディーゼル車の排気ガスを都から閉め出した。おかげで東京の空気が綺麗になったのをぼくは実感した記憶がある。

思いついただけでも、石原氏にはこれだけの政治実績がある。その点は素直に評価したい。しかし、それでもやはり不満は残る。

高望みかも知れないが、石原氏には総理大臣まで上り詰めて、米国従属から脱する足掛かりを築いて欲しかった。石原氏にはそれだけの器量と蛮勇があると、ぼくは見込んでいたのだ。

しかし、永田町の魑魅魍魎な政治力学はそれを許さなかった。石原慎太郎総理大臣は幻と消えた。もっと大きな仕事がしたい、と石原氏自身、常に考えていたはずだ。彼が大阪維新ブームに乗って橋下徹と共同代表に就任したのは、愛想をつかした自民党に代わって、日本維新の会が天下を取り、自ら総理大臣になる野望があったからだ。

この国の最高権力者となり、日本を真の独立国家にするための一生一代の大仕事を成し遂げる。石原慎太郎は本気でそう考えた。だからこそ、当時人気絶頂の橋下徹にくっ付いたのだ。

しかし、政治の世界は一寸先は闇。石原氏の目論見は完全に狂った。日本維新の会は分裂し、同時に石原氏の夢も完全に消え去った。

石原慎太郎総理大臣が誕生したら、日本の政治は知的緊張感溢れる展開になっただろうに、と思うと残念である。石原氏も無念だったに違いない。

政界を去った石原氏は『天才』を上梓した。かつて文藝春秋田中角栄金権政治と非難した経緯がありながら、なぜか田中角栄を敬服する小説を書いたのだ。

その心はと問えば、石原氏は田中角栄の政治家としての力量に頭が上がらなかったのだ。羨望と自省の念が『天才』を書かしめたのである。

石原慎太郎は、政治家として大成しなかった。これがぼくの勝手な持論である。

続けて、石原慎太郎は小説家としても大成しなかった、と言えば、芥川賞作家に対して失礼じゃないか、生意気な、とお叱りを受けるかも知れないが、この持論には個人的な強い思い入れがある、とまず断っておく。

小説家としての石原慎太郎を考える時、ぼくはどうしても、と言うより必ず大江健三郎と対比してしまうのだ。なぜかと言うと、二人は同世代という単純な理由からである。

20代の頃、ぼくは大江健三郎の小説をよく読んでいた。日本の小説には見られない独特の文体と濃密な世界を堪能した。『我らの狂気を生き延びる道を教えよ』に至る小説は、面白さに引きつられてほとんど読んだと思う。それ以降の作品は読まなくなったが。

一方の石原慎太郎のほうは、その頃読んだ作品は『太陽の季節』と『亀裂』だけである。大江健三郎に比較すると、ちっとも面白くないのだ。小説家としての才能が全然比較にならないのである。勿論、ぼくの勝手な個人的嗜好が働いているのは間違いない。

あくまでも大江健三郎と比較した上で、石原慎太郎は小説家として大成しなかった、というのが、ぼくの正直な感想である。

しかし、人間として見た場合、石原慎太郎は憎めない人だった。むしろ好きな面が多かった。だから亀井氏の次の言葉に共鳴せざるを得ないのである。

「太陽は沈んだけど、陽はまた昇る。石原慎太郎は日本人の心の中にいつまでも残り、彼は永遠に生きていくんだよ」

ひとつだけ書きそびれてしまった。20年ほど前、『弟』を読んだことがある。その影響で石原裕次郎が好きになってしまった。『弟』は良い作品だ。文章は透明で読みやすいし、嘘がない。大酒飲みの弟に対する慈しみと愛が感じられた。

それ以来、カラオケは裕次郎オンリーになった。40曲は歌えるだろうか。今夜は、事情が許せば弔いの意味を込めて、久しぶりに馴染みのスナックで「錆びたナイフ」でも歌おうか。