沖縄よ! 群星むりぶし日記

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難問安楽死は是か否か

ALS(筋萎縮性側索硬化症)を患った女性の依頼を受けた2人の医師が、薬物投与で女性を死に至らしめたとのことで逮捕されるという事件があった。

この報道に接した時、まず感じたことは、安楽死に対する日本の法整備の幼稚さである。女性は自分の将来に絶望して死を望んだ。全身が動かないから自殺する力はない。だから第三者に頼んだ。

主治医に依頼しなかったのは、日本の法律だと安楽死は嘱託殺人になるから迷惑をかけたくないとの認識があったからと思われる。SNSで知り合った医師と、第三者に知られることのないダイレクトメッセージ機能を使ってメールのやり取りをしたのもその理由からだと思われる。

さて一体何が問題なのだろうか?

人間が生死の岐路に立たされた時、その是非なり善悪の判断はその時の状況に大きく左右されるだろう。様々な状況が考えられるが、今回の事件を手がかりにして安楽死について考えてみたい。 

自分がALS患者になったと仮定する。その時、生きたいと思うか、死にたいと願うかは、恐らくその時の状況次第だろう。やりたい事がまだある、人間を世界をもっと観察したい、等積極的意欲があれば、まだ生きたいと思うだろう。

ただしこの場合は、24時間介護が制度上も社会的認知度においても自分に負担がかからないという条件が付く。

生ではなく死を願う場合はどうか。知りたい事はまだまだいっぱいあるが、全身が動かない絶望に比べると、そんなものは小さな欲望に過ぎない。死にたい。死を認めてもらいたい。

れいわ新選組船後靖彦参議院議員は、ALS患者になった当初は絶望の淵に立たされ、死を願ったという。しかし、ある時を境に生きたいという気持ちが強くなった。

船後氏の選択は最大限尊重されるべきだろう。そして船後氏のような人を社会全体で支えていく、そのような社会であって欲しいと思う。

そして同時に、ALS患者となったぼく(仮)の死の選択も認めて欲しいのだ。患者の意思を最大限に尊重することが求められる。この点を外したら議論は成り立たないはずだ。

今回の事件で残念なのは、女性の意思を汲み取った医師2人(一人は医師免許の疑惑あり)が逮捕された事である。そうならざるを得なかった原因は、安楽死に対する法整備がなされていないことにある。

1995年の横浜地方裁判所判決に、例外的に安楽死が認められる4要件というものがある。① 耐えがたい肉体的苦痛 ② 死期が迫っている ③ 肉体的苦痛を除去する他の方法がない④ 患者の明らかな意思表示

もっともらしい要件だが、何かがおかしい気がする。極論すれば、1、2、3はどうでもいいのだ。要は患者の意思を最大限に尊重するということ。そして家族がいれば時間をかけて検討を重ねること。その場合でも、やはり患者の意思が、最大限尊重されるべきだろう。

それにしても安楽死という問題は難問である。しかし、だからといってこの難問から逃げる事は許されない。

安楽死を容認している国々。オーストリア、ベルギー、スイス、ルクセンブルク、カナダ、オーストラリア、アメリカ(各州によって異なる)。

羨ましい限りである。成熟した民主主義。政治家は責任を持って、安楽死についてもっと議論を進めるべきである。