沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

寅次郎とリリーに癒される

2017年に自公連立売国安倍政権が辺野古工事に着手して以来、現在に至るまで心の憂鬱状態が晴れたことはない。

理不尽な強権に抵抗すべく毎週一回、県庁前広場から出る島ぐるみ会議がチャーターしたバスに乗り、辺野古の工事ゲート前での座り込みに参加したことがあった。

政治運動に直接参加するのは、この歳になるまで生まれて初めての経験だった。毎回2、3度、機動隊員に多くの参加者同様ゴボウ抜きにされた。

その度に心が折れた。国家権力に対する無力なる抵抗。言いようのない非力と無念を約3ヶ月間味わされることになった。

工事現場に入っていくダンプの運転手も機動隊員も、ぼくと同じウチナーンチュだ。その同胞達が、米軍(占領軍)基地を新たに作る工事で争っている。あまりにもあり得ない現実。中央政府による地元民の分断策。

この不条理にぼくは耐えることができなかった。そして脱落した。早いもので、あれから2年半が過ぎた。

県民の民意は新基地建設反対であるにも関わらず、売国安倍政権は現在も工事を強行している。しかし、それでも工事現場では座り込みが続いている。彼らの忍耐と不屈の精神には、本当に頭がさがる思いだ。

座り込みは2千日を超えたというから凄い。あまりにも凄すぎる!現場を経験した人間として、素直にそう思う。

ぼくは現場に行かなくなったが、気持ちは今も彼らと全く変わらない。戦後最悪の売国安倍政権に対する憎しみの感情は、日々増強するばかりだ。

日本の空を覆う陰鬱な雲。安倍晋三という総理になってはいけない空虚なる器によって発生した灰色の雲が、日本列島を覆い尽くしている。

久しく心は晴れないままだ。どうすれば良いか?

鬱陶しい正月気分を少しでも晴れやかにするにはどうすれば良いのだろうか?

ふと思いついたのは、寅さんだった。『男はつらいよ』のフーテンの寅次郎。底抜けに明るい喜劇を観て今年の正月を過ごそう。憂鬱な気分も少しは薄らぐに違いない。

何とは無しにそう考えたのである。49話あるシリーズの中からどれを選ぶか、これにはちょっとしたエピソードがある。

実は以前にも当ブログで書いたことのある、或るスナックのママさんが言った言葉、浅丘ルリ子が演じるリリーがとっても好き、という言葉が心の片隅に残っていたのだ。

そのスナックのママさんは、山本太郎のポスター貼りを快く引き受けてくれたペギー葉山似の大変魅力的な女性で、酒代の安さも手伝って、何度か通ったお店だ。

ただ残念なことに、家主とのトラブルで去年の10月に閉店になってしまった。その後、ママさんの音沙汰を聞くことはない。

そんな事情もあって、新都心のツタヤに行き、リリーが出演するDVDだけを抜き出した。『男はつらいよ』シリーズの半分以上が貸し出されていて、ちょっと心配だったが、なんとか3枚見つけることができた。

忘れな草」「相合い傘」「ハイビスカスの花」の3枚で「紅の花」と「ハイビスカスの花特別編」は貸し出されていた。

一日一本ずつ観た。数ある中からリリーを選んで正解だったと思う。掛け値無しに面白かった。笑いの中にも、色々と考えさせられる人間ドラマの網目が縫込まれている。

社会のしきたり、常識と非常識、家族愛と思いやり、邂逅と離別、旅、庶民性、働くことの意味。欲と無欲。

色々考えてしまうが、これらすべてを結びつけるものは、一言で言えば人間関係である。そして社会で生きていく上で、人間関係は何よりも最も重要なものだ。

人間関係が良ければ全てはうまくいく。共に働く人々の関係が良ければ、どんなにきつい労働にも人は耐えられる。人々は幸せになる。

人間関係がこじれると地獄だ。働くことも嫌になり、身の回り全てが鬱陶しくてやりきれなくなる。ある人は暴力に走り、ある人は自殺へと追い込まれる。

我々の社会は人間関係で成り立っていると言っても過言ではない。自分と他者との関係性。

サルトルは『存在と無』の3分冊の内、まるまる一冊分使って、他者との関係性を記述しているくらいだ。人間関係というものは、人間を考える上で根本的命題なのである。

さて、寅次郎とリリーの関係。

二人の間に愛の感情が存在するのは間違いない。しかし、奇妙な愛だ。地上から浮いて地に足のつかない愛。それには理由がある。

二人の生活の基本は旅だ。寅次郎はテキ屋。リリーは場末のバーの歌手。二人とも一ヶ所に定着しない旅鴉だ。二人の愛が普通の意味で成就しないのは、このような背景があるからだ。しかし、勿論それだけでもなさそうだ。

寅次郎は馬鹿正直で大変な照れ屋だ。自分から所帯を持とうとは言えない性格である。一方のリリーは、気の強いさっぱりとした性格の持ち主だ。

だから本当は、リリーの方から寅次郎を説得して所帯を持つこともできたはずである。そうならなかったのは、相手の気持ちを大事にしたからで、強引に引っ張るほど強い女性ではなかったのだ。

この二人の性格の違いのすれ違いこそが、二人を結婚にまで至らしめなかった大きな原因と言えるかもしれない。

とは言うものの、結婚しなかったからこそ、二人は俗的男女関係を超えた友情を結ぶことができたとも言えるはずで、それを証明するような感動的な場面が『ハイビスカスの花』の最後のシーンだ。

この素晴らしいシーンについては解説したくない。是非見ていただきたいと思う。男女関係はこうありたいものだ、と思わせる名場面である。

スナックのママさんがリリーのことを大好きと言ったのは、きっとこの最後の場面を観たからに違いないと推測するが、感動的な場面は他にもたくさんある。

その中のひとつは、沖縄から帰ってきたリリー(浅丘ルリ子)が寅屋で沖縄民謡『白浜節』を歌う場面だ。

わんや(私は)白浜ぬ 枯松(かりまち)がやゆら 春風(はるかじ)や吹ちん 花や咲かん たいや(二人は)ままならん枯木心(かりきぐくる)

浅丘ルリ子はよく歌ったと思う。哀しい歌を情感たっぷりで唄ってくれた。

この作品から沖縄に対する偏見は少しも感じ取れない。その意味で山田洋次監督は素晴らしいと思う。山田監督にはそのほかにも見ごたえのある作品が多い。

高倉健主演の『幸福の黄色いハンカチ』『遥かなる山の呼び声』は、ぼくの大好きな作品で、両方ともDVDを持っていて、何度も繰り返し観ている。

さて、ぼくの憂鬱は消えただろうか?

残念ながらまだしぶとく残っている。辺野古の埋め立て工事はまだ続いている。政治的社会的大状況の暗雲を取り除くほどの力は映画にはない。

しかしながら、それでも正月三が日を楽しく過ごすことができたのは、寅次郎とリリーのおかげである。いつか近いうちに『紅の花』と『ハイビスカスの花特別編』も観たいと思う。

最近の報道によると、50作目の上映が予定されているらしい。そして老人になったリリーが喫茶店を経営しているという。沖縄に来たら必ず映画館に足を運ぶとしよう。

沖縄の人よ、そんなに深刻に悩まないで。寅次郎とリリーに少し救われた気になったのは確かだ。そしてぼくが強い影響を受けた知識人も自伝『言葉』の終わり近くにこう書いている。

軽やかに滑れ、命ある人よ、強く踏みしめることなかれ。

 

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