沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

嗚呼悲しいかなマスク無料配布の顛末

善意が仇になると言うお話。

18日午後、県民広場でマスク1万枚が無料配布された。とは言っても、県や那覇市が行なったのではない。琉球独立党を率いる屋良朝助氏が企画したものだ。まずは琉球新報WEB版による記事をどうぞ。

  ぼくは知らなかったが、配布するという情報は事前にタイムス紙上に掲載されたらしい。入手困難なマスクが無料配布されるなら、人が殺到するのはある程度予測できたはずである。

しかし悲劇が起きてしまった。人々は十分な距離を取らずに密集状態でマスクを受け取ったのである。そのため、記事にもあるように、通りかかった人から「クラスター(感染者集団)になる」「3蜜で危ない」と不安視する声が聞こえたと言う。

屋良氏とそのスタッフは、集まった人々に十分な距離を取るよう指示しなかったのだろうか。実は、この時の様子を撮った動画がある。それを見ると、屋良氏とある男性が言い争っていて、男性は、2メーターもあけたら国際通りの安里まで並ばなければならなくなるんだよ、と暴言を吐いて屋良氏を激しく非難しているのだ。

と言うことは、つまり、屋良氏とスタッフは、2メーターの間隔を取るよう指示したが、群衆は聞き入れなかったらしいことが推測される。挙げ句の果てに、暴言を吐いて屋良氏に詰め寄る男性がいたという考えられないような現実。

短い動画なので詳細な経過を知る由もないが、なんとも後味の悪い動画である。暴言男は訛りからしてウチナーンチュであることに間違いはない。

理由がなんであれ、無料配布される側の人間が支給する側の人間に対して暴言を吐くなんてもっての外で、同じウチナーンチュとして、ただただ恥ずかしい。第一に非難されるべきは、勿論、暴言男だが、しかし、屋良氏の企画のまずさも指摘する必要があるだろう。

何故、不特定多数の人々に1万枚もの貴重なマスクを県民広場で配布するという派手な企画を思いついたのか?

それよりも、医療従事者に寄付した方が何倍もよかったのではないか。ぼくならそうしただろう。屋良氏の戦略の不手際が目立って仕方がないのだ。何を隠そう、ぼくは屋良氏のことをよく知っている。

今から約15、6年前のことになるだろうか。その頃、ぼくは東京で働いていて、年2回、正月と旧盆は沖縄に帰ることにしていた。あの時は多分、正月休みで帰郷した頃だったと思う。

友人に誘われて、那覇市のあるホテルで開催された集会に参加したことがあった。琉球独立に関する集会だった。食事を兼ねた14、5名前後の小さな集まりだったが、その主役が屋良朝助氏だった。『沖縄独立の系譜』の著者・比嘉康文氏も同席していた。

もちろん両人とはその時が初対面である。食事をしながら、一人ずつ自己紹介を兼ねて短い感想を述べることになった。ぼくが何を喋ったか、正確に思い出すことはできないが、最後の言葉だけは今でも覚えている。

「たとえ50年先でも、琉球独立を果たそうではありませんか」

ぼくは、どちらかというと話し下手である。しかし話終わって全員が拍手したのは、気迫を感じ取ったからだと思う。会費は確か2千円だったと記憶するが、ちょっとした料理とビールが出た。ビールを飲みつつ、屋良氏に質問した。

「独立したときの安全保障をどのように考えているか」屋良氏は、この中に全て書かれているからと小冊子をくれた。『新沖縄独立論』著者屋良朝助。

これが縁となり、東京に帰った後も、屋良氏との付き合いは続いた。屋良氏が主催した会合にぼくが参加したのには理由がある。それは1995年まで遡る。屈強な海兵隊員3名による小学生暴行事件。生涯忘れることのない、あの忌まわしい事件。ぼくは事件を伝えるニュースを東京で知った。

あの時の米軍と日本政府の沖縄に対する対応は、実に冷酷で理不尽であり、ぼくは怒りに震え「独立するしか他に道はないのだろう」と呟いていた。その日以来、ぼくは家族、友人、親戚、知人に独立派であることを公言するようになった。

ホテルの集会に連れて行ってくれた友人も、当然そのことを知っていたからぼくを誘ったのである。屋良氏は千葉県でTシャツの工場を持ち、会社を経営していた関係上、東京にいるぼくと何度か会い、個人的な頼み事を快く引き受けてくれたこともある。

そういう意味で決して悪い人間ではない。むしろ彼に対しては良い感情を抱いている。しかし、沖縄独立に対する考え方には大きな隔たりを感じるのだ。理念が軽い。理屈が先行しすぎている。独立を甘く見ている。彼の独立論に同意できないところが数多くある。

時の経過とともに、一定の距離を置いた付き合いしかできないだろうと考えるようになった。そして彼との距離を決定的にしたのが2010に起きた中国漁船の海保艦船への衝突事件だ。

あの事件が直接のきっかけとなり、民主党政権の不手際もあって、日中関係が一気に険悪状態になった。それに乗じて、中国共産党は沖縄を自国の領土だと主張し始めた。なんの根拠もない高慢で身勝手な主張である。そして尖閣諸島領海侵入を繰り返すようになった。

中国は今や軍事大国であり、中国共産党は否定してはいるが、彼らがやっていることは明らかに覇権主義そのものだ。この危険性を考えた時、沖縄独立を唱えることは、中国共産党の主張を利することになる。

そう考えたぼくは、それ以来、自らの沖縄独立論を封印することにした。中国が民主主義国家に生まれ変わる日がいつ来るか想像すらできないが、とにかくその日まで独立論を封印する。

その間、時間はたっぷりあるから、理論武装の強化に使うことにしよう。ぼくの立場は決まった。それで、独立運動を展開する屋良氏と連絡を取るのは完全に断念した。

その後、何度か屋良氏から協力を求める電話を受けたが、いずれも断った。あれから10年が経過した。その間、屋良氏は県知事選、県議会選に何度か挑戦したが、全敗した。琉球独立という困難極まる大事業を牽引する実力と資質は、彼には悪いが、はっきり言って無い。

彼は目立ちたがり屋だ。情熱はあっても理論は未熟だ。戦術も地に足がついていない。この10年近く、外部から彼の行動を観察してきたぼくの感想である。

中国共産党があからさまに覇権主義を行使している時期に、琉球独立の旗を掲げるなんて、戦略が危なっかしすぎる。今回のマスク事件は、屋良氏の戦略意識の脆弱さゆえだと言いたい。

さて沖縄独立について語るとなると、小冊子1冊分くらい語らないと語り尽くせないという思いが、ぼくにはある。ブログでは無理だ、というよりもやりたくない。と言うのも、電子媒体で長文を綴るのは良い趣味とは思わないからだ。ぼく自身、電子媒体で大量の文章を読むのは苦手だし、嫌いだ。目に優しい紙媒体ならいくらでも読めるのだが。

見果てぬ夢、沖縄独立、琉球独立。しかし、沖縄の地下水脈で、独立論は今なお人々の間で渾々と流れている事実だけを指摘して、ユンタク(お喋り)を閉じることにしよう。

 

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