沖縄よ! 群星むりぶし日記

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凡庸な首相の影に岸信介あり

青木理著『安倍三代』に描かれた安倍晋三

読み終えて、日頃から思い描いていた人物像とほとんど変わらないことに、ある意味驚いている。薄っぺらで言葉が軽く、教養に乏しい知性の感じられない人間、安倍晋三

著者は広範囲にわたる人物に直接取材し、彼らの言葉をそのまま記しているので、安倍晋三に対する偏見は少しも見られない。この著者の公平な姿勢が、安倍晋三という人間像を正確に浮かび上がらせている、と言えるだろう。

正直に告白すると、日頃思い描いていた人物像をこの本で再確認できたとはいえ、ぼくが殆ど知らなかった安倍一族三代記とも呼べる内容であり、作者のプロとしての筆力も手伝って、非常に面白く且つ興味深く読むことができた。

安倍晋三を語る時、祖父岸信介が影のようにつきまとうのはなぜか?

「昭和の妖怪」と呼ばれた岸信介の影響はどのような形で晋三に刻み込まれたのか?

安倍晋三という人間を政治家として考える時、岸信介の影響を理解することは極めて重要だ。そのことを頭の片隅で絶えず感じながら『安倍三代』を読み進めた。

岸信介は晋三にとっては、母方の祖父である。父方の祖父は安倍寛である。ぼくは安倍寛の存在をこの本で初めて知った。そして少なからず驚いた。

安倍晋三とは似ても似つかない、まるっきり反対の性格の持ち主が父方の祖父安倍寛だった。

成績は優秀で東京帝大の法学部卒業。性格は真っ直ぐで真面目。地元の人望が厚く、請われて村長を引き受ける。

翼賛会選挙と言われた第21回の衆議院選挙では、翼賛会の推薦を受けずに見事に当選する。翼賛会の非推薦で立候補すること自体が無謀で危険な時代、安倍寛は軍部に対する批判的態度を貫いて憲兵の執拗な妨害に遭いながら選挙戦を戦ったのである。

そんな勇気ある安倍寛を地元民が応援したのだ。そして間もなく敗戦。

安倍寛は病身ながらも、戦後すぐの衆議院選挙に立候補する準備をしていた。しかし、選挙運動のさなか1946年1月30日死去。享年51歳。

安倍晋三の出生が1954年9月21日だから生まれる約8年前ということになる。祖父の顔も知らず、言葉を交わすこともなかったのだ。

直接の接点がないから、祖父・安倍寛の影響は全くなかった。しかし仮に次のように想像してみるのはどうだろうか。

地元民から熱烈に支持される祖父の勇姿を目に焼き付け、その光景が幼心に刻まれたとしたら、安倍晋三は現在と違う人間になっていただろうか?

否、よそう、非情な現実はそんな想像さへ嘲笑うかのようだから。

父の死に直面した安倍晋太郎の悲しみは激しく深かった。一粒種だった。しかも生まれて間もなく夫婦は離婚したから、晋太郎は母親の顔も知らないで育ったのだ。

そして立派な父親の強い影響を受けた晋太郎にとって父との死別は、言いようのない寂寥をもたらしたのではないだろうか。

安倍晋太郎、この時21歳。天涯孤独の身となる。「天涯孤独の身ながら、父は私の中で生き続けていた」と後年語っている。

『安倍三代』は安倍寛同様、安倍晋太郎についても、多くの人々に取材して詳しく描写している。

地元民から深く慕われ尊敬された父親の影響を受けて育った晋太郎は、頭も良くスポーツ万能であった。父親譲りの人の良さは、やはり地元民から慕われた。

父親と同じ東大法学部卒。

安倍晋太郎に訪れた決定的な転機を考えると、人の運命とは実に摩訶不思議のように思えて仕方がない。

岸信介の娘・洋子との結婚は安倍晋太郎の将来を大きく方向付けた。二人の見合い結婚は偶然とはいえ、必然性の糸を感じざるを得ない。

というのは、終戦直前に一度だけ、安倍寛岸信介が会っているのである。この時、安倍寛は地元・日置村で療養生活を送っていた。

そこに岸信介が見舞いに訪れたのである。二人は政敵同士である。安倍寛は徹底した反翼賛体制派であり、岸信介は翼賛会の推薦を得て東条内閣の商工大臣となった人物である。

しかし、岸は東条に反旗を翻して東条内閣を瓦解させて下野した。それから安倍寛を見舞ったのである。その真意は明らかにされていない。大秀才・岸信介は単純な人間ではない。

根っからの反東条、反軍部である安倍寛となら共闘できる?東京帝大出の同郷の秀才同士としてのシンパシー?翼賛会の非推薦で当選した安倍寛に対する深い興味と敬意?

岸信介の鵺的性格を思わせるような見舞いの場面である。憶測には何の意味もない。

日時は下って戦後、安倍晋太郎毎日新聞政治部記者として働いていた。娘の結婚相手を新聞記者と決めていた岸信介は、安倍寛の息子・晋太郎に白羽の矢を立てた。

この時から安倍晋太郎の運命の歯車は大きな音をたてて回り始める。と同時に安倍晋三の未来の景色が少しずつ見えてくる。

1956年12月、安倍晋太郎毎日新聞を退社して、石橋内閣の外務大臣岸信介の秘書官になった。

以降の安倍晋太郎の詳細な歩みについては『安倍三代』を是非読んで頂きたい。ただひとつふたつ、ここで指摘しておきたいのは、義理の父親・岸信介の影響は強いものがあったにせよ、晋太郎に決定的な影響を与え、人格形成に強い力を及ぼしたのは、やはり実の父親・安倍寛だったということである。

多くの人が語っているように、晋太郎はよく次のように言っていたらしい。

オレは岸の女婿ではない」「オレが(洋子)をもらってやったんだ、向こうに目をつけられたなんて、とんでもない話だ

安倍寛の息子だという揺るぎない自信を彷彿とさせるような強い語調ではないか。

晋太郎の懐の深い性格は周りの人々から好かれ、地元では父親と同じように、絶大な信頼を得ていた。

しかし地元の信頼が厚いとはいえ、選挙は地元の票だけで勝つことはできない。下関市の票田を新しく開拓する必要があった。

下関市在日コリアンが大勢住んでいる地域である。晋太郎に在日コリアンに対する差別意識は全くなかったことが幸いした。

他の日本人同様、普通の当たり前の姿勢で接した。その真摯な態度が在日コリアンから絶大な信頼を得ることに繋がったのである。

義父・岸信介の威光があったとはいえ、晋太郎は自ら這いつくばって新しい票田を開拓したのだ。自民党に籍をおいても、リベラル的性格が強いのは安倍寛譲りである。

さて、安倍晋三

凡庸な「いい子」

著者・青木理氏が取材したほとんどの人から返ってくる安倍晋三の印象に対する言葉は「凡庸ないい子」である。これは幼少期の印象だが、凡庸という言葉は、学業を終えて社会に出た後も、晋三につきまとって離れない言葉だ。

お行儀が良く、優しく、いい子だったという晋三を最も溺愛したのは母方の祖父・岸信介だった」(同書220頁)

晋太郎と洋子の間には3人の子供が生まれている。長男・寛信、次男・晋三、三男・信夫の3人の男子。

岸信介の孫はこの3人だけだった。溺愛したのも無理はないだろう。余程寂しかったに違いない、三男の信夫を養子に迎えている。

幼少期の晋三を考える際に見落としていけないのは、父・晋太郎は選挙戦や政治活動で自宅を留守にしがちで、そのため溺愛した祖父・岸信介に敬慕の情を抱いたという点だ。

そしてさらに注意すべきは、幼少期に抱いた敬慕の情が、成長した安倍晋三岸信介の政治思想を理解し、その影響を受けるところまで媒介としての役割を果たしたかどうかである。

本書を読んだ限りでは、その影響の痕跡を見ることはできなかった。はっきり言うと、凡庸な頭脳の持ち主である安倍晋三に、超学歴エリートであり、複雑怪奇な頭脳を持つ岸信介の政治思想を理解することは不可能だということ。

岸信介は、可愛い孫を溺愛しただけであり、自らの政治思想を薫陶として孫に授けることはなかった。

これはあくまでもぼくの推測に過ぎないが、本書で描かれた安倍晋三の経歴を追っていくと自然に導き出される結論である。

安倍晋三は、祖父・安倍寛と父・安倍晋太郎と異なり、東京生まれの東京育ちだ。彼は小学校から大学まで一貫校の成蹊学園に籍を置いた。そして一度の受験勉強を経験することもなく成蹊大学を卒業するのである。

彼の成蹊学園時代の同級生・先輩が述べる印象はビックリするぐらい一致している。

勉強がすごくできたっていう印象はないけれど、すごくできなかったっていう印象もない。スポーツでも際立った印象がほとんどなくて、決して活躍するタイプではなかった。つまり、特別な印象がないんです。将たる器っていう感じを彼(晋三)から受けたことは一度もないので、(首相になっているのが)非常に不思議だと思っています

(小学校から高校までの同級生の証言)(同書225頁)

ひとことで言って、(晋三は)強い印象の人じゃありませんでした。勉強が突出してできたわけではなく、でも決して落ちこぼれでもない。ものすごくスポーツで活躍したわけでもなく、かといって運動神経が悪くてみんなの足を引っ張っていたわけでもない。要するに、勉強もスポーツもほどほどで、ごく普通のいいヤツです

(小学校から高校までの同級生の証言)(同書同頁)

他にも多くの証言があるが、ほとんどは似たり寄ったりである。ごく普通で何の変哲もない良家の子、つまりは、ごく凡庸なおぼっちゃまの姿だ。

大学に進んでも凡庸さは変わらない。彼と政治談義を交わした同級生はほとんどいない。学生時代に物事を深く考える習性を養わず、ゼミで積極的に発言することもない。

彼を教えたことがある教授陣で彼のことを覚えている人は非常に少ない。それこそ極め付けの凡庸なるおぼっちゃま、安倍晋三

彼は選挙区を父親から受け継ぎ、祖父と父が苦労して築き上げた地盤をそのまま何の苦労もなく譲り受けた。典型的な世襲3世議員だ。

青木氏は、選挙区の人々も広範に取材して、安倍晋三について聞いている。帰ってくる答えはほとんど一致している。

東京育ちのおぼっちゃま。

政界に入るまで、政治の話をほとんどしなかった凡庸な彼が、岸信介のことを口にするようになったのは、右寄りの自民党議員達の影響を受けたからにすぎない。

彼は戦後の我が国の政治史も世界の政治史もあまり知らない。根詰めて勉強するのが苦手なのだ。だから母方の祖父・岸信介の夢である憲法改正を主張しながら、その態度はいつも中途半端で、出したり引っ込めたりするのは自信がない証拠だ。

憲法も政治も深く理解しないから、確たる自信が持てないのだ。彼の憲法改正は幼少期に抱いた祖父・岸信介に対する敬慕の情から出てきたものにすぎず、決して深い憲法理念から導かれたものではない。

だから、9条の第2項をそのままにして、3項を新しく設けて自衛隊を書き込むなどという今時の中学生でも思いつかないような異常なことを平気で主張できるのだ。

世の不平等や不正義に疑問を覚え、憤り、その是正を求めて政治家になる。安倍寛にはその志があった。安倍晋太郎にもあった。

しかし安倍晋三にはない。彼に確たる政治理念があるわけではなく、なんとなく政治をやっているだけである。そしてたまたま総理大臣になってなんと7年が過ぎた。

お陰でこの国は奈落に向かって突き進んでいる。安倍政権によって失われた未来を取り戻すのにこの先一体何年かかるのだろうか。

近い将来政権交代が起きたとしても、新政権はその尻拭いに想像もできないほど苦労するに違いない。

凡庸な人間を総理大臣に奉ることほど恐ろしいことはない。安倍晋三の本性を知りたい方にお勧めの一冊である。是非ご一読を。

 

安倍三代 (朝日文庫)

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