沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

永遠の石原裕次郎

石原慎太郎の『弟』を読むまで、ぼくは裕次郎という人間について、ほとんど知らなかったと言って良い。

勿論、俳優であり歌手であることは知っていたが、ただそれだけのことであり、特別興味を持つということはなかった。

しかし、『弟』に描かれた裕次郎には不思議な魅力があり、その魅力に惹かれて裕次郎という人間をもっと知りたいと思うようになったのである。

CDを買い集めて、何度も繰り返し聴き、多くの曲を覚えるまでになった。世の中に素晴らしい歌謡曲は数多いが、ぼくにとって裕次郎の曲は特別なものになった。

以来、カラオケは裕次郎オンリーになった。40曲くらいは歌えるだろうか。15年ほど前に読んだ『弟』のお陰で、ぼくの裕次郎熱は長く続くことになる。

東京で働いていた頃、一人カラオケ店に入り、裕次郎の歌だけを何曲も歌ったことがある。一度ならず何度も通った池袋の大きなカラオケ店。

しかし、裕次郎熱は突然終わる。東北大震災!

以前もブログに書いたが、東北大震災が発生してひと月後、ぼくは故郷沖縄に帰ってきた。以来約8年もの間、禁欲生活を続けてきた。

あんなに好きだった居酒屋に一度も入ったこともなく、お酒は1週間に350mlの缶ビール一個を家で飲むくらいである。勿論カラオケ店に入ることもない。

新都心に向かう途中にある「裕次郎の部屋」という名のカラオケ店をバスの中から見る度に、いつか寄ってみようかなと思いつつも果たさなかった。

 そんな折、「れいわ新選組」のポスター貼りを手伝うことになった。夕方、あるスナックに入って、ボランティア活動をやっている者で「れいわ新選組」の山本太郎のポスターを外側の壁に貼らせていただきたいのですが、とお願いすると、50代位のママさんは「いいですよ」と感じの良い笑顔で気安く返事してくれた。

嬉しかった。その店から坂を下った2軒のスナックも気軽に引き受けてくれた。みんな台所事情は苦しいはずなのに、気軽に引き受けるママさんの心意気に胸が熱くなった。

貼り付けたポスター山本太郎の笑顔がひときわ輝いて見えた。ポスターには「みんなに忖度」の大きな文字。7ヶ所引き受けてくれた内の3ヶ所はスナックである。そして不思議なことに、最初のスナックのママさんがなぜか印象に残ったのだ。

その内、お礼を兼ねて一杯飲むというのはどうだろう。ずっと気になって何週間か過ぎた頃、何かを吹っ切るようにして、ふらっとその店に入った。

すると不思議な現象に遭遇したのである。歌う客はいないのに、裕次郎のカラオケを流しているのだ。ビールを注文して話を聞くと、裕次郎が好きだという。

しかしカラオケの機械は古く調子があまり良くないらしい。確かに途中何度もノイズが入ったりする。ママさんは気さくで明るくおっとりして魅力的だ。その魅力は初印象を超えていた。

嬉しくなって、マイクを通さずに地声でカラオケに合わせて裕次郎を歌い続けた。ポスターのお礼が主目的だから、ビール2本で抑えるつもりでいた。

しかし、8年ぶりにお店で飲む酒だ、本数が増えていくのは自然の勢いだろう。馴染みらしい客も2人入ってきた。

マイクを握って歌う客はいない。その雰囲気を読んだぼくは、そのまま裕次郎を歌い続ける。ママは魅力的だ。客筋も良さそうだ。

帰るときには5本の大瓶がカウンターに並んだ。料金はというと、3千円だという。安すぎる!これで当面のぼくの運命は決まった!

「***」通いが始まることだろう。お礼の気持も込めて5千円渡したら、ママは軽く愛想の良いお辞儀をした。帰り際深々とお辞儀を返したら、「そんなに丁寧にしなくてもいいのに」という返事が返ってきた。

昨日も「***」で飲んだ。4回目。馴染みの客とも気心が通い始め、ママの魅力は増すばかりだ。ママに貸した裕次郎のCDをかけてもらい、それに合わせて歌う。3回目に行った時は、客はぼくだけで、裕次郎三昧の極楽を満喫した。

「れいわ新選組」のポスターがとりなしてくれた裕次郎との再会。そして「***」のママさんとの運命の出会い。

嗚呼、永遠の石原裕次郎

特に好きな曲は「それぞれの旅」と「ロンリーナイトロンリーウエイ」等があるが、その中の「それぞれの旅」をどうぞお聞きください。


それぞれの旅 石原裕次郎 リニューアル

ちなみに、「***」の名前も場所も当分の間、秘密です。