沖縄よ! 群星むりぶし日記

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公開討論から逃げる佐喜真淳県知事候補

佐喜真県知事候補は、マスコミ各社が個別に主催する討論会や対論番組に一切出席・出演しないことに決めたらしい。その理由がいかにもこの人の節操のない性格を表している。

「異例の超短期のため日程がつかない」

ということらしいが、こんな理由で候補者が討論会を拒否することが、はたして正当化されるのだろうか? 明らかにノーである。なぜならば、選挙は各立候補者がどのような政策を掲げているかを見極めた上で、誰に投票するかを有権者は判断するのであり、そのために各立候補者が自らの政策を有権者に訴えるのは当然のことだからだ。

政策を表明するだけなら、文書で十分だという主張もあるが、文書に書かれた公約が本物かどうか、有権者が判断するのはなかなか困難である。大概、政策・公約を羅列した文書・チラシ類は、歯の浮くようないいことばかりが書かれているからだ。

そのように考えると、政策・公約が本物かどうか判断するための手段として、候補者同士が有権者の前で、直接議論をぶつけ合う姿を見せるのが最良の手段と言えるだろう。

政治家は文学者とは違う。言葉を操る点で同類と呼べるほど似通っているが、言葉に与える価値観が大きく異なる。政治家の言葉は実用的・実際的なものであるのに対して、文学者の言葉は芸術的であり非日常的である。

文学者は一人書斎で言葉を紡ぐ。良い作品を生産するために孤独になる必要がある。しかし、政治家は全く異なる。彼は大衆に直接語らなければならない。自分の考えを多くの有権者に訴えて理解してもらう必要がある。

政治家の言葉は本質的に「語る言葉」なのだ。だから政治家の本領は語る技術を駆使して聴衆を魅了することにある。語る側と聞く側の真剣勝負がそこで展開される。聴衆は政治家の口から語られる言葉が偽物か本物か独自に判断する。偽物と判定されたら政治家の負けだ。

公開討論会は、立候補者同士が議論を闘わせることで、語られる言葉が本物か偽物かが浮き彫りにされる舞台である。自身の政策・公約に自信があれば、進んで公開討論会に臨むだろう。

しかし、佐喜真候補は拒否した。自信のない証拠だ。今回の知事選の日程が超短期なのは、玉城デニー候補にとっても同じことである。同じ条件であるにもかかわらず、超短期日程を理由に公開討論を拒否するのは卑怯である。これだけでも佐喜真候補は知事にふさわしくない人間であることがわかる