沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

ソフィア・ローレンの自伝『Yesterday,Today,Tomorrow』から

ソフィア・ローレンは身に覚えのない脱税容疑で有罪を宣告されて、収監されたことがあった。すでに女優として世界的名声を得て、仕事に脂の乗り切った頃のことである。理不尽な司法に対し、彼女はとても悩み怒り苦しむが、所詮権力に対して個人はあまりにも無力だ。出所後、三十数年が経過して無罪であったことが判明するが、しかしそれにしても運命の悪戯は避けられないものなのか。辛い監獄の日々を送ることになった。絶望の中で彼女の苦しみを和らげたのは、その頃から書き始めた日記である。

外側の欺瞞的世界から自分を守ってくれるのは、唯一自分の内側から出てくる言葉だけだ。権力がこしらえた閉ざされた空間に真実などあるはずがない。これを機に出所後も彼女は日記を書き続けるようになった。

俳優業の世界は華やかで、高名な人々と交友関係を結び、素敵な思い出もいっぱいできた。しかし、本来の自分自身に帰ることができるのは、日記帳をめくり、自分の手で自分の言葉を綴るときだ。その中に安堵と慰めを見出し、我が家に帰ってきた気分になる。仕事に忙しい真面目な大女優はそう思った。だからこそ長い間その習慣を守り続けてきたのだ。ところが、春のある朝突然、鏡を見て恐ろしくなり、彼女は次のように問いかける。

" What's going to happen to my diary when I'm gone? "

この問いかけに多くの読者は戸惑うのではないだろうか。一体彼女の中で何が起きたのだろうか?説明は何もない。彼女は使用人たちに告げる。" If anyone asks for me, tell them I'm not here! "

そして寝室に入り、日記帳を親指で軽くめくりながら、感慨に耽る。その日の気分で書き方に違いがあり、時に鋭く、あるいは怒りに満ち、また静穏であったりする。彼女は決断する。

" Finally,I went into the bathroom with a box of matches,struck one,and burned the diary. All my words turned into fire,and then ashes. I never regretted it. Only now and again have I felt a bit of nostalgia. And I've never stopped writing. Since then, however, when the end of the year comes around, I take out another match, the magical instrument that lights a small ritual between me and myself. "

ぼくはこの文章を読んで、思わずアッと唸った。この文章はぼくの琴線に触れた。唯一の心の安らぎの場所、誰にも邪魔されず安心してくつろげる我が家。かけがえのない宝物。それを一本のマッチ棒で燃やして灰にする。紙とともに燃えて灰になり消えていく言葉たち!

彼女は悟ったのだ。そして悟りは諦めでもある。鏡の中に見た実在に比べると、言葉はあまりにも軽すぎる。圧倒的現実を前にして言葉にどれほどの価値があると言うのだろうか?私が死ぬ時、日記になんの意味があろう。

彼女の言葉にぼくの琴線が共振したのには理由がある。ぼくはかなり若い頃から言葉に対する不信感が強かった。言葉に何事か教えられることはあっても、感動は常に現実の方からやってくることがわかっていたからだ。言葉は本質的に嘘をつく性格を持っている。しかし、現実あるいは実在が嘘をつくことはない。

言葉は100%人工物である。しかし、実在は100%非人工物である。真実の重さは、言葉と実在では昆虫の羽と金の延べ棒ほどの差がある。だからぼくは、言葉に対する不信感が強かったし、それは基本的に今も変わらない。だから、ソフィア・ローレンの文章に偶然出会って驚いたのである。

人類が発明したもので言葉ほど厄介なものはないだろう。それは使い方によって、人間を幸せにするが、自殺に追いやることもある。言葉のやりとりで争いが起き、戦争に発展する場合もある。だから人間が使う言葉には、大いに警戒する必要がある。砂上の楼閣と心得るべし。

昨日の党首討論会を見て思ったのは、語られる言葉のほとんどは、嘘っぽく聞こえたということだ。実態をかけ離れた自己正当化のためだけの言葉。聞けば聞くほど虚しさだけが残る。政治家ほど嘘をつくのに習熟した人種もいないだろう、とつくづく思った。

明日は衆議院選挙の公示日である。また選挙カーのうるさい大音響に耐えなければならない日々が続くことになる。ウグイス嬢たちの聞きたくもない嘘っぽい言葉はなんとかならないものだろうか。

市民が権力を行使できるのは、一票を投じる瞬間だけである。その後はお決まりのように遠いところで覚悟も勇気もその気もない連中が下手な芝居を性懲りも無く永遠と演じるだけである。

いい加減嘘で固めた三文芝居を国民に見せびらかすのはやめてもらいたい。