「沖縄に内なる民主主義はあるか」批判 4
アメリカのポチ、又吉(ヒジャイ)の言論には矛盾する箇所が多数あるが、その中の一つを取り上げてみたい。普天間基地の周りに、民間の住宅が密集している現状は、全国的に知られるようになったが、なぜ危険な米軍基地の飛行場の周りに、多くの住宅が建つようになったのか、その原因について又吉(ヒジャイ)は、次のような意味合いの言及をしている。すなわち、米軍基地が及ぼす経済波及効果、軍雇用、米兵の遊交費等、が地元住民を引き寄せたのであり、その結果、基地の周囲は住宅密集地になったのだと。
彼の説がその原因の全体像とは思わない(終戦後、荒廃した街の復興は、普天間基地周辺に限らず、全国的に見られる現象である)が、部分的に真実であると仮に認めるとしよう。
そうすると、住民は経済的理由により、自らの意思で積極的に基地の周りに住むようになったことになり(これが彼の意図するところであるが)、現在の普天間基地の危険な状態の責任の一端は、住民側にあることになる。
問題はここからである。辺野古移設賛成派の又吉(ヒジャイ)は、普天間基地移設問題は基地問題ではなく、宜野湾市民の人権問題であると主張しているのだ。つまり、世界一危険とされる普天間基地は早急に返還されるべきであり、それは宜野湾市民の人権問題であるから、辺野古移設反対派の主張は人権問題の立場からすると完全に間違っているというわけだ。
基地周辺に自らの意思で暮らしながら、人権問題だといって、辺野古へ早急に移設せよと主張する又吉(ヒジャイ)の主張は論理的矛盾がはなはだしく、ある意味宜野湾市民を馬鹿にしている。
ぼくは、人権を訴える宜野湾市民がエゴイストで固まった人々だとは思いたくない。佐喜真市長も1日も早い普天間基地返還を訴えながらも、辺野古への移設を公言しないのは、この問題が人権問題だけで割り切ることはできなと考えているからだ。つまり、現在の普天間基地問題は、人権問題であると同時に基地問題そのものでもあると、深く認識しているのだ。
沖縄の首長の大多数は、基地問題が絡むと、賛成するにしろ反対するにしろ、常に苦渋の選択を迫られる。日米両政府の重圧の下、弱い立場の県民に許される手段は非常に限られているからだ。
又吉(ヒジャイ)が主張するように、普天間基地を人権問題に単純化して、基地問題の本質を覆い隠してはならない。外国の軍隊が常駐する沖縄の基地問題は県内だけで議論できるものではなく、我が国に果たして、国家としての確たる理念が存在するのかという、国家のあり方が根本から問われている深刻な問題でもある。