沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

新しい御代の「れいわ新選組」は国民を守るために体を張る


れいわ新選組代表 山本太郎街頭演説 2019年5月5日 福岡・小倉駅 小倉城口(南口)前デッキ

山本太郎議員が一人で立ち上げた「れいわ新選組の決意と諸政策に共鳴して、今日、郵便振替で寄付金(少額)を送金した。

10万人が1万円寄付すれば、10億円になる。山本議員の「れいわ新選組に精一杯戦ってもらうために、頑張って1万円になるまで寄付を続けるつもりだ。今日はその第一弾。

上の動画は3時間を超える長いものだが、質問者に対して誠実に、そして情熱的に答える山本議員の姿を見て欲しい。

全国各地を回って有権者と直接向き合い、質疑応答する。こんな政治家が今まで一人でもいただろうか?

「選挙の時は土下座までするが、選挙が終わると何処に行ったかわからない政治家たち」

これが有権者の一般的な感覚だろう。だから年々投票率が下がっていくのだ。山本議員は「れいわ新選組を立ち上げる以前から、質疑応答形式の街頭演説をこなしてきた。

質疑に応えながらの演説は、政治家にとってリスクが大きいはずだが、敢えて実行するのは、山本議員が「本気」だからである。

動画を見ると彼の「本気」度がひしひしと伝わってくる。彼の「本気」が、のんびり屋のぼくを突き動かしたのだ。

これまで様々な政党が離散集合を繰り返してきた。新党が現れては消えていった。政治は長い間漂流を続け、国民は政治に絶望しシラケ、無関心になっている。

このような状況の中での「れいわ新選組の登場である。山本議員の精力的な活動は、間違いなく有権者の一大勢力、無党派層(ぼくもその一人)を動かし始めるだろう。

そして「れいわ新選組が掲げる政策は、与野党全体を敵に回すことになるだろう。何故ならば、新規国債発行を抑制してプライマリーバランス政策に固執する財務省に、ほぼ全ての国会議員が取り込まれているのに対し、山本議員だけが新規国債発行による国民に対する投資を主張しているからだ。

全政党対「れいわ新選組

この図式に血が騒がない日本人はいないだろう。幕末の新選組は幕府を守るために働いたが「新しい御世の「れいわ新選組は国民を守るために体を張る」と山本組長は宣言した。

腐りきった永田町に切り込む「れいわ新選組を応援しよう!

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一人で立ち上がった山本太郎を応援しよう!

山本太郎参議院議員が孤軍奮闘している。「れいわ新撰組という政治集団を立ち上げて、全国各地で問答形式の街宣活動を精力的にこなしている。

その様子を伝える動画をずっと見てきて、応援したい気になった。月一度楽しみにしているヒレカツ定食を我慢して寄付にまわすことにしよう。一万円に達するまで、毎月続けるつもりだ。

貧乏人にはそのくらいのことしかできない。山本議員の掲げる政策がいかに斬新で庶民の方に目が向いているか、まずは見て欲しい。

政策 | れいわ新選組

 その中で特に重要な政策は、財政出動によるデフレ状態からの脱却を取り上げていることだ。バブル崩壊後、橋本政権はあろうことか消費税を3%から5%へ引き上げた。

この間違った政策が直接の引き金となり、日本経済はデフレスパイラルに落ち込む。消費は冷え込んで物価は下がりはじめ、設備投資は縮小して給料は減少するという悪循環が 20年以上続いた。いわゆる失われた20年!

状況をさらに悪化させたのは財務省の緊縮策である。いわゆる基礎的財政収支プライマリーバランス)に囚われた積極的財政出動の抑制。

財政法4条を根拠とするこの財務省の頑なな抑制策にほとんどの国会議員が洗脳されているという信じられないような現実!

ちなみに財政法4条が制定された経緯について「赤旗」がネットで簡潔に説明しているので参照されたい。

公債発行を禁じた財政法の規定はなぜできたの?

面白いことに共産党も財政法4条の足枷に囚われているのである。

≪ こうした、財政法での国債発行の原則禁止と憲法戦争放棄との関連は、年間5兆円近い軍事費をもつ「軍事大国」となり、その財源に赤字国債があてられている今日、戦後の原点としてあらためてふまえなければなりません。≫

まさに、佐藤健志氏の言う『平和主義は貧困への道』を文字通り証明しているようなものではないか。

そしてあろうことか、異次元の金融政策で当初うまくいくと思われたアベノミクスが見事な足払いを食らった原因も、この財務省プライマリーバランス政策を突き崩すことができなかったことにある。

それどころか、安倍内閣は消費税を5%から8%へ引き上げたのだ!

さらに10月には10%への引き上げが予定されている!これは民主党政権の野田内閣が、自民党公明党による3党合意で決定したことだ。

つまるところ、与野党問わず国会議員のほとんどが財務省プライマリーバランス政策と一体となって、国民を貧困へ落とし込んでいるのが今の日本の政治である。この状況が続けば、失われた20年は30年、40年と続いていくことだろう。

この救いようのない政治状況に山本太郎議員が一人で叛旗を翻した。消費税を8%から5%へ引き下げるか、あるいは廃止する。そして新規国債を発行して、国民所得の底上げとなる政策に投資して、消費者物価指数を2%まで持っていく。

「れいわ新撰組」のこの方向性は、実行に移されれば、停滞する日本経済を救済する処方箋となることは間違いない。

注目すべきことは、あるいは嬉しいことに、三橋貴明氏が「れいわ新撰組」と同じ方向性をもつ『令和の政策ピボット』を立ち上げたのである。

反緊縮財政・反グローバリズム・反構造改革を3本柱に掲げている。多くの人がメンバーに入っているようだ。新規国債発行による財政出動を国会議員に訴えるという。

ここ当分の間、『れいわ新撰組』と『令和の政策ピボット』の動向から目が離せなくなった。今のぼくにできることは、『れいわ新撰組』を応援することだ。1万円に達するまで毎月小金を寄付すること。

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「主権回復の日」と「屈辱の日」

4月28日。

六十七年前のこの日、日本は7年に及ぶ連合国(実質は米国)の占領に終止符を打ち、主権を回復した。

がしかし、完全な形での主権回復ではなかった。不平等な日米安全保障条約と日米行政協定(後の地位協定)の締結が強制されたからである。敗戦国ゆえの悲劇、屈辱。

悲劇と屈辱はそれだけではなかった。この日沖縄は本土から切り離されて米軍の統治下に置かれ、72年に本土復帰するまで27年間に渡って無国籍状態だった。

そのため沖縄ではこの日を「屈辱の日」と呼ぶようになったのである。

国家として祝すべき「主権回復の日」を「屈辱の日」と呼ぶのは、沖縄の一部の左翼だけに過ぎない、と強調する沖縄の原理主義的保守活動家(我那覇真子)がいるが、明らかに間違っている。

無国籍状態に置かれた沖縄の人々が、屈辱的感情に苛まれたのは、人間として至極当たり前のことであり自然である。我那覇真子が言うように、一部の左翼だけがそう感じたわけではない。

それとも7年間の占領期間の間、屈辱を感じなかった日本人が一人でもいたというのか?

沖縄の人々を特別な人種のように宣伝する我那覇真子の罪は大きいと言わなければならない。偏見に満ちた自身の小賢しい思想を速やかに修正すべきだろう。

27年間の米軍統治下において、沖縄の人々の人権が蹂躙された事件・事故のほとんどは記録として残されているので、関係資料を調べれば誰でも知ることができる。

ところで、沖縄の人々が4月28日を「屈辱の日」と呼ぶからといって、特別なものとして考える必要などさらさらない。「主権回復の日」と「屈辱の日」は歴史的事実として厳然と存在する以上、両日を並列させて統合的視点に立つべきである。

本土の人々は、何ら臆することなく「主権回復の日」を祝うと良い。但し、沖縄の人々はこの日を「屈辱の日」としていることを理解しつつ。

そのくらいの国家統合の意思と度量がなければ、「令和」という新しい御世にやってくるであろう未曾有の政治的経済的危機を乗り越えることなど、到底無理であろう。

国政を担う政治家諸氏にその胆力がなければ、我々一般庶民がその心意気を示せば良い。本土の「主権回復の日」と沖縄の「屈辱の日」を、お互いの立場を理解しつつ、同等に棲み分ける。

そして長い時間をかけて、戦後の日本人が失ったナショナリズム(郷土愛・祖国愛)を取り戻し、真の主権回復を成し遂げる。

その日は必ず来ると信じたい。

そしてこの時こそ沖縄の「屈辱の日」は自然消滅して歴史博物館に記録だけが残ることになる。

逆説的に言うと、真の主権回復がなければ、沖縄から「屈辱の日」が消えることはない。では真の主権回復とは何か?

我が国から米軍(占領軍)が完全撤退すること。自衛隊を国軍となし、自主防衛路線を国是とする。これを成し遂げた時が「真の主権回復」であり、その日こそ「主権回復の日」と呼ぶに相応しい日である。

にも関わらず、安倍内閣は4月28日を「主権回復の日」と定めて、2013年同日に天皇皇后両陛下を招いて政府主催の式典を開催したのである。

ぼくはこの式典の模様をテレビの生放送で見たが、安倍内閣による両陛下の政治利用だとの疑念を強く感じた。天皇陛下のお言葉もなく、式典の雰囲気全体が不自然であった。

式典はその年だけであとは続かなかった。なぜか?深く真面目に想像力を働かせてみる。そもそも天皇陛下は乗り気ではなかったのだ。内閣に促されてやむなく承諾したが、その年だけであとは拒否されたに違いない。

沖縄がこの日を「屈辱の日」と定めている事実は、天皇陛下は当然ご承知だ。だから六年前乗り気ではなかったが、内閣の顔を立てるため初回だけはと承諾した。

天皇陛下が沖縄の歴史・文化を深く理解され沖縄の人々に寄り添うお姿を見てきた一人の人間として、どうしてもそのように考えざるを得ないのである。

頭が悪い上に人情の薄い安倍晋三こそは、天皇皇后両陛下を平気で政治利用する国賊だ。あれから六年経った現在、安倍晋三こそは、新自由主義経済信奉者にしてグローバリストとの烙印を押されて、保守層からさへ敵視されている有様ではないか。

ところで今朝の琉球新報に興味深い記事が載っているで少しだけ触れたい。

沖縄民謡歌手の大工哲弘氏が、天皇陛下の古希の祝賀会で沖縄民謡を披露したという記事。

なんと天皇・皇后両陛下から大工氏に曲のリクエストがあったという。その曲はこれまたなんとあの「だんじゅかりゆし」である。

ご存知のように、天皇陛下御在位三十年記念式典で沖縄出身の歌手・三浦大知氏が歌った「歌声の響」が作詞(天皇陛下)作曲(皇后陛下)されるきっかけとなったあの「だんじゅかりゆし」。

その経緯について2月24日の当ブログでも取り上げたことがあるので興味のある方は読んでいただきたい。

再度簡単に説明すると、1975年、天皇・皇后両陛下は皇太子・皇太后の時、沖縄のひめゆりの塔に御献花なされた際、極左過激活動家から火炎瓶を投げつけられて目前で炎上するという事件に巻き込まれた。

幸いにも事なきを得たが、その後予定を変える事なく、名護市にあるハンセン病療養所「愛楽園」に行き、入所者たちと交流なされた。

そして帰る際に入所者たちが歌った歌が船出歌「だんじゅかりゆし」だった。皇太子ご夫妻が、ご無事に帰られることを願いつつ、歌って見送ったのである。この時の情景を思い浮かべると目頭が熱くなり、胸の震えを抑えることができない。

世間から偏見の目で見られ、社会から隔離された入所者たちはどんなに感激したことだろうか。皇太子・皇太后の分け隔てのない自然な行動に、入所者たちはどんなに驚いたことだろうか。入所者たちの喜びは皇太子・皇太后の喜びでもあった。

日本の良き伝統を見る思いがして言葉にならない。

そしてこの日から皇太子・皇太后にとって「だんじゅかりゆし」は特別な歌として胸の奥深く刻まれたに違いない。

天皇陛下となられ古希を迎えた祝賀会で、沖縄出身の民謡歌手・大工哲弘氏に「だんじゅかりゆし」をリクエストする。

このあまりにもでき過ぎた物語を、我々はどう理解すれば良いのだろうか。屁理屈は要らない。努めて自然体になることだ。一切の打算を捨てて、直接心に触れることだ。

沖縄には大変ご苦労を掛けています

お祝いの後、大工氏は天皇陛下からこのように声をかけられたという。政治的発言はなさらない天皇陛下の言葉は重い。この言葉に政治的意味を持たせようとすれば収拾がつかなくなるのは必然だろう。

しかし、陛下が言わんとしていることは、我々はすでに暗黙の内に理解している。我々はこの言葉の重さを噛みしめるべきだ。そうすることで辺野古埋め立てを強行する安倍政権と闘うエネルギーが湧いてくるのだ。

天皇陛下は明日ご退位なされる。その前の日にこんな素晴らしい記事に接することができたのは幸いである。

天皇・皇后両陛下の新しい船出を「だんじゅかりゆし」でお送りしたい。大工哲弘の歌を探したのだが、残念なことに見つけることができなかった。

でいご娘の歌も素晴らしいので多くの方に是非聞いてもらいたい。


だんじゅかりゆし 〜 でいご娘

天皇陛下皇后陛下、長い間のお勤めほんとうにご苦労様でした。これからもご健康でご長寿を全うしてください。

 

 

桜と梯梧、遠ざかる祖国

那覇で暮らすようになって八年になる。東北大震災を東京で経験したことが帰郷を決断する直接の動機になった。

東京は地震が多い。しかし、あの時の揺れの大きさと時間の長さは、初めて経験するものだった。東京に居てさへそうだから、東北の人々の衝撃は計り知れないものだっただろう。そして想像を絶する巨大津波原子力発電所の爆発!

現実とは思われぬ自然の猛威!

東北大震災が発生しなかったら、おそらくぼくは東京に居続けただろう。年に一度か二度沖縄に帰る習慣を維持しながら。会社を辞めると告げた時、親しかった同僚の言った言葉が忘れられない。

帰る古里のある人は羨ましい

あれ以来、東京へはまだ一度も行っていない。あれほど好きだった桜を見ることもなくなった。今頃は復興が進む東北あたりで満開を迎えているのだろうか。

この八年の間に、ぼくの内部で何かが少しづつ静かに変化していくのを感じている。東京での暮らしの実感が薄れ、故郷沖縄でのそれが比重を増して内部で蓄積していく感覚。うまく表現できないが、やはりぼくは髪の毛一本から足の爪先に至るまで、ウチナーンチュだという不思議な感覚

この感覚をどう説明したらいいだろうか。言葉で定義するよりも最近の経験を語るほうがうまく説明できるかも知れない。

今月から健康増進を目的に、県立図書館まで歩くことを習慣にしているのだが、偶然にもその道順が大変気に入ってしまったのである。

国場りぅぼう店が面する県道46号線を楚辺交差点方向へ歩き、そのまま真っ直ぐ県庁南口交差点を目指す。そこを左折すると県議会棟と那覇市庁舎に挟まれた一方通行の狭い道路があり、そこを抜けて左折すれば図書館へ行き着く。

地図であらかじめ確認しておいたこのルートが、意外にも多彩な並木道になっていることに気づいて感動し、この道順を歩くのが楽しくなったのである。

違う種類の植物が、百メートルから二百メートルくらいの間隔で次から次へと展開する。トックリキワタから始まり、赤木、松、ホウオウボク、花水木、等々が次々に現れてくる。

城岳小学校に面する松並木には、ふたつのガジュマル(榕樹)の大木があり、その勇姿を楽しむこともできる。

しかし何と言っても心が踊るのは、県議会棟と市庁舎に挟まれた一方通行の狭い道路に入った時である。梯梧の大木が、道路を挟んでずらっと並んでいるのだ

いずれの樹も直径が70センチから80センチくらいの大木である。手入れが行き届いていて、全ての樹木が生き生きしている。

鳳凰木と福木も散在しているが、いずれも梯梧の大木には見劣りがする。静かな環境で威風堂々としたその姿は圧巻であり、その魅力につい引き込まれてしまう。

象の肌のような硬くて粗い表皮をポンポンと叩いてみる。沈黙!ただ沈黙あるのみ!

人間の出る幕ではない。汚れて錆び付いた言葉になんの意味があるというのか。

言葉に翻弄される小さな人間であることの自省と、自然の偉大さを気づかせてくれる沈黙の広がりがぼくの心の汚れを浄化する。

この経験がぼくの中で水銀のように少しづつ沈殿していく。不思議なことに、ひとつの梯梧の樹だけが真っ赤な花を咲かせている。青空に向かって激しい恋心をぶつけるかの如く。

桜の花と梯梧の花は、性格がまるっきり違う。

桜の花は一気に咲き乱れ、一気に散っていく。このあまりにも見事な潔さに人々は狂喜する。ぼく自身、その狂喜を何度も味わい楽しんだ。

梯梧の花にそんな華々しさはない。花の形も、樹そのものの姿も、美しいとはお世辞にも言えない。むしろ醜いといった方が正しいのかも知れない。

桜の花の上品さに比べれば、梯梧の花は粗削りの南国の無骨者だ。

桜と梯梧、そして東京と沖縄。

振り子のように東京と沖縄を行ったり来たりした過去を振り返ってみると、桜と梯梧は、東京と沖縄を見事なまでに象徴しているように思われて仕方がないのだ。

そして八年の間に東京と桜は限りなく遠くなり、今、無骨な梯梧の大木と沈黙の言葉を交わしている。これが本来のぼくのあり方だったかのように。

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公約を破棄した島尻候補は負けるべくして負けた

沖縄3区の衆議院補欠選挙は予想通りの結果になった。

屋良朝博氏の得票数は7万7156票。相手候補に1万7728票差をつけての当選である。圧勝とは言えないまでも、大勝である。

島尻氏が敗北した原因をあげてみる。

  • 辺野古移設を容認
  • 10月に予定されている消費税増税に賛成
  • 6年前、普天間飛行場の県外移設公約を破棄した
  • 表看板の「子供の貧困問題解決」は屋良候補も掲げていて、効果薄
  • 政府とのパイプのつながりを自慢したのは有権者の反発を買い逆効果

以上振り返り検討してみると、島尻候補が敗北したのは至極当然なことなのである。特に6年前の公約破棄が県民に与えた不信感が消えることはないだろう。島尻安伊子は負けるべくして負けたのだ。

それでも本人は敗北の弁で「方向性は間違っていなかった」と述べたというのだから、いかに現場の状況判断の疎い御仁であるかがわかろうというものだ。あまりにも鈍感すぎる。

こんなどうしようもない人間を擁立した菅官房長官は、選挙の結果を受けた記者会見でなんと言ったか。

辺野古が唯一の解決策」。

この男も鈍感さにおいて島尻安伊子に少しも引けを取らないどころか二重三重に重症である。周りの状況がどれほど変化しようと、何度も繰り返される同じセリフ!

これからは、鸚鵡には申し訳ないが、菅義偉オウム菅と呼ぶことに決めた。安倍晋三同様、多くの県民から嫌われ憎まれるオウム菅。

屋良朝博氏の勝利の言葉を引用して、溜飲を下げたい。

屋良氏「民主主義の形を問う」

辺野古普天間問題の解決策にならない、別のアプローチを考え周辺住民の負担軽減を具体的に進める、という訴えが受け入れられた。県知事選、県民投票と移設反対の意思が示されたが工事が進んでいる。この国の民主主義が問われている。このままでいいのかということを議論していく。

沖縄の振興計画はあと2年半で半世紀を迎える。振興計画はかなり進んだ。これからは人に対する投資や製造業、農業などに力を入れる。沖縄で作ったものを売る制度を整備し、県民所得が上がる具体的な計画を策定していきたい。

 玉城県政は「誇りある豊かさ」を県政の理念として掲げている。これは今まで米軍基地から派生する人権を守るために沖縄人の「誇り」を追求してきた革新勢力の理念と、経済を主眼に置いて県民の「豊かさ」を希求してきた保守勢力の理念を統合した画期的な政治哲学である。

そして玉城県政は、自立型経済を目指す方向性を打ち出している。

屋良氏の「これからは人に対する投資や製造業、農業などに力を入れる。沖縄で作ったものを売る制度を整備し、県民所得が上がる具体的な計画を策定していきたい。

という発言は、玉城県政が目指す「自立型経済」と一致する。

日米両政府の強権と抗いながら、沖縄県は少しづつ実力を蓄えてきた。特に若い人たちが自信をつけてきている。

沖縄の未来は決して暗くはない。郷土を愛する心がある限り、理不尽・不条理な強権に決して屈することはない。

辺野古埋め立て工事が頓挫するまで、全国に向けて世界に向けて連帯して発信し続けることだ。屋良朝博氏には国会のど真ん中で、是非頑張ってもらいたい。

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消費税増税に賛成の島尻候補を落選させよう!

衆議院沖縄3区補欠選挙に関連して、琉球新報が両候補者の「政策点検」を連載している。

今朝の点検課題で10月に引き上げが予定されている消費税に対する両候補の見解が「賛成(島尻候補)」「反対(屋良候補)」と明確に分かれた。

「10月に予定する消費増税の是非」に対する両候補の見解は以下の通り。

島尻安伊子:「賛成」。右肩上がりで増え続ける社会保障関係費、特に高齢者に関わる部分について、財源の裏付けをし、持続可能性を担保する必要がある。

屋良朝博 :「反対」。所得の低い人ほど負担が重く、10%では、逆進性の問題が表面化する。県経済も大打撃となる。これ以上の引き上げは日本経済に悪影響を及ぼす。

消費税が日本経済にどれほど悪影響を及ぼしているか、多くの識者が警告している。

評論家の三橋貴明藤井聡の各氏、そして参議院議員山本太郎氏、など。特に三橋氏の消費税についての解説は多くの経済データを駆使しているので、強い説得力に富む。氏のブログをぜひ参考にしていただきたい。

消費税こそは、バブル崩壊以降の日本経済を停滞させている張本人、ガン細胞である。バブル崩壊後の橋本政権が3%から5%に引き上げてから日本経済は、死のデフレスパイラルへ突入した。

さらに追い打ちをかけるように安倍内閣は、14年4月に5%から8%に引き上げた。その結果はご承知の通りである。経済浮揚を目指したアベノミクスは消費税増税で見事に足払いをくらったのである。

日本経済の長期停滞の犯人が消費税であるのは今や自明の理なのだ。にもかかわらず、さらに増税すると言うのだから狂気の沙汰としか言いようがない。

島尻安伊子は国会に議席はない(落選中)が、安倍内閣で沖縄担当大臣の補佐官を務めた人物だ。だからその政策は安倍内閣と完全に一致する。

辺野古埋め立て「容認」消費税10%への引き上げ「賛成」❗️

こんな沖縄のためにも日本のためにも全く役立たない島尻安伊子を国会議員にしてはならない。まさに「島売り安伊子」だ。

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アメリカの袋を突き抜けろ

海兵隊所属の海軍兵ガブリエル・オリヴェロという男が北谷町に住む日本人女性を殺害した後、自殺した事件について地元紙が連日報道している。

女性(44)の名前は地元紙では報道されていないが、『Stars & Stripes』にはタマエ・ヒンドゥマン(?)(Tamae Hindman)とあり写真も載っている。

ハーフなのだろうか、現時点ではよくわからない。地元紙の報道を読むと、男は自分勝手で粗暴な性格だったことが想像できる。

そしてタマエさんと非常に親しかった友人の話によれば、彼女は芯が強く前向きな性格で、美容関係の現在の仕事に誇りを持ち、娘をとても愛していたらしい。

その日、娘は犯行現場にいたという。恐ろしいことだ。娘の身になって考えると胸がかきむしられる思いがする。関係者は時間をかけて、彼女が完全に立ち直るまでしっかりと面倒をみるべきだろう。

沖縄では米軍人による地元女性の殺害・暴行事件が多い。しかし、今回の事件は犯人が自殺しているので、これまでの事件とは様相が異なる。

自ら命を絶っていることを考慮すると、たとえ犯人が粗暴で自分勝手な性格だったとしても、このような状況に追い込まれたことを後悔したに違いないとも言える。

平気で人を殺して反省すらしない悪人が多い今の世の中で、犯人には僅かではあるが同情の念を禁じ得ないのだ。とは言っても勿論、自分の欲望のために女性を殺害することなど、決して許されるものではない。

しかし、とは言ってもやはり、犯人が在沖米軍人であるという事実が、この事件を考えるうえで除外できない重要因子であると認識する必要があるのではないだろうか。

タマエさんは、憲兵隊に頼んだから警察の助けは要らないと言ったらしい。しかし憲兵隊の判断は適確だったのか、あるいは警察の対応に落ち度はなかったのか、と地元紙は疑問を呈している。

地元紙の疑問は当然と思われるがしかし、問題の本質はそこにはない。犯人が自殺したとはいえ、途方もない巨大な壁が我々の前面に立ちふさがっている感覚を拭い去ることができないのだ。

在沖駐留米軍(占領軍)と我々の間に横たわる厚くて高い壁。その壁には日米地位協定の条文が刻まれている。その条文は誰が読んでも、明らかに不平等条約そのものだ。

しかし、歴代自民党政権は今に至るまで、この不平等条約を改定する意志を示したことがない。それどころか、沖縄県が独自で実施したイタリアやドイツの対米地位協定の調査結果が、日本より遥かに有利な内容になっている事実を、岩屋防衛大臣と河野外務大臣に示したところ、イタリアもドイツも置かれている状況が日本とは異なるので、対米地位協定が違っても不思議ではない旨の返答であったと、今朝の琉球新報が報じている。

沖縄県日米地位協定の抜本的改定を主張している。米軍基地の過重負担がその主張の根拠にある。しかし、安倍政権は全く動じようとしない。日米地位協定の話になると、見猿・言わ猿・聞か猿の名役者となる面々ばかりだ。

二人の死者を想う時、ぼくの内部でどうしても不平等感が付きまとって仕方がない。死者に優劣などあってたまるか、と信じたいところだが、死者にさへ差別は歴然と存在するのだ。

二人の死体の背後で殺された側に、殺した側にの刻印を押す力が存在する。

その力は日米地位協定と呼ばれる不平等条約だ。日本民族は欧米民族よりも劣等である。琉球民族日本民族よりも劣等である。

これを真理として定義したのが日米地位協定であり、その運用を司る日米合同委員会の地位は日本国憲法の上位に位置する。

ここまで考察を深めてくると、思想に一定の方向性が見えてくる。在日米軍完全撤退!

日米安全保障条約解消!

横須賀の第七艦隊と沖縄の嘉手納空軍基地、そして自衛隊、これだけで我が国の抑止力は充分だというのが持論であったが、見解が変わった。

これからは、日米安全保障条約解消がぼくの持論となる。自衛隊だけで日本を防衛する。その方向で論理を組み立てる。

二人の死者に優劣は存在しないなどとは誰にも言わせない

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