沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

「主権回復の日」と「屈辱の日」

4月28日。

六十七年前のこの日、日本は7年に及ぶ連合国(実質は米国)の占領に終止符を打ち、主権を回復した。

がしかし、完全な形での主権回復ではなかった。不平等な日米安全保障条約と日米行政協定(後の地位協定)の締結が強制されたからである。敗戦国ゆえの悲劇、屈辱。

悲劇と屈辱はそれだけではなかった。この日沖縄は本土から切り離されて米軍の統治下に置かれ、72年に本土復帰するまで27年間に渡って無国籍状態だった。

そのため沖縄ではこの日を「屈辱の日」と呼ぶようになったのである。

国家として祝すべき「主権回復の日」を「屈辱の日」と呼ぶのは、沖縄の一部の左翼だけに過ぎない、と強調する沖縄の原理主義的保守活動家(我那覇真子)がいるが、明らかに間違っている。

無国籍状態に置かれた沖縄の人々が、屈辱的感情に苛まれたのは、人間として至極当たり前のことであり自然である。我那覇真子が言うように、一部の左翼だけがそう感じたわけではない。

それとも7年間の占領期間の間、屈辱を感じなかった日本人が一人でもいたというのか?

沖縄の人々を特別な人種のように宣伝する我那覇真子の罪は大きいと言わなければならない。偏見に満ちた自身の小賢しい思想を速やかに修正すべきだろう。

27年間の米軍統治下において、沖縄の人々の人権が蹂躙された事件・事故のほとんどは記録として残されているので、関係資料を調べれば誰でも知ることができる。

ところで、沖縄の人々が4月28日を「屈辱の日」と呼ぶからといって、特別なものとして考える必要などさらさらない。「主権回復の日」と「屈辱の日」は歴史的事実として厳然と存在する以上、両日を並列させて統合的視点に立つべきである。

本土の人々は、何ら臆することなく「主権回復の日」を祝うと良い。但し、沖縄の人々はこの日を「屈辱の日」としていることを理解しつつ。

そのくらいの国家統合の意思と度量がなければ、「令和」という新しい御世にやってくるであろう未曾有の政治的経済的危機を乗り越えることなど、到底無理であろう。

国政を担う政治家諸氏にその胆力がなければ、我々一般庶民がその心意気を示せば良い。本土の「主権回復の日」と沖縄の「屈辱の日」を、お互いの立場を理解しつつ、同等に棲み分ける。

そして長い時間をかけて、戦後の日本人が失ったナショナリズム(郷土愛・祖国愛)を取り戻し、真の主権回復を成し遂げる。

その日は必ず来ると信じたい。

そしてこの時こそ沖縄の「屈辱の日」は自然消滅して歴史博物館に記録だけが残ることになる。

逆説的に言うと、真の主権回復がなければ、沖縄から「屈辱の日」が消えることはない。では真の主権回復とは何か?

我が国から米軍(占領軍)が完全撤退すること。自衛隊を国軍となし、自主防衛路線を国是とする。これを成し遂げた時が「真の主権回復」であり、その日こそ「主権回復の日」と呼ぶに相応しい日である。

にも関わらず、安倍内閣は4月28日を「主権回復の日」と定めて、2013年同日に天皇皇后両陛下を招いて政府主催の式典を開催したのである。

ぼくはこの式典の模様をテレビの生放送で見たが、安倍内閣による両陛下の政治利用だとの疑念を強く感じた。天皇陛下のお言葉もなく、式典の雰囲気全体が不自然であった。

式典はその年だけであとは続かなかった。なぜか?深く真面目に想像力を働かせてみる。そもそも天皇陛下は乗り気ではなかったのだ。内閣に促されてやむなく承諾したが、その年だけであとは拒否されたに違いない。

沖縄がこの日を「屈辱の日」と定めている事実は、天皇陛下は当然ご承知だ。だから六年前乗り気ではなかったが、内閣の顔を立てるため初回だけはと承諾した。

天皇陛下が沖縄の歴史・文化を深く理解され沖縄の人々に寄り添うお姿を見てきた一人の人間として、どうしてもそのように考えざるを得ないのである。

頭が悪い上に人情の薄い安倍晋三こそは、天皇皇后両陛下を平気で政治利用する国賊だ。あれから六年経った現在、安倍晋三こそは、新自由主義経済信奉者にしてグローバリストとの烙印を押されて、保守層からさへ敵視されている有様ではないか。

ところで今朝の琉球新報に興味深い記事が載っているで少しだけ触れたい。

沖縄民謡歌手の大工哲弘氏が、天皇陛下の古希の祝賀会で沖縄民謡を披露したという記事。

なんと天皇・皇后両陛下から大工氏に曲のリクエストがあったという。その曲はこれまたなんとあの「だんじゅかりゆし」である。

ご存知のように、天皇陛下御在位三十年記念式典で沖縄出身の歌手・三浦大知氏が歌った「歌声の響」が作詞(天皇陛下)作曲(皇后陛下)されるきっかけとなったあの「だんじゅかりゆし」。

その経緯について2月24日の当ブログでも取り上げたことがあるので興味のある方は読んでいただきたい。

再度簡単に説明すると、1975年、天皇・皇后両陛下は皇太子・皇太后の時、沖縄のひめゆりの塔に御献花なされた際、極左過激活動家から火炎瓶を投げつけられて目前で炎上するという事件に巻き込まれた。

幸いにも事なきを得たが、その後予定を変える事なく、名護市にあるハンセン病療養所「愛楽園」に行き、入所者たちと交流なされた。

そして帰る際に入所者たちが歌った歌が船出歌「だんじゅかりゆし」だった。皇太子ご夫妻が、ご無事に帰られることを願いつつ、歌って見送ったのである。この時の情景を思い浮かべると目頭が熱くなり、胸の震えを抑えることができない。

世間から偏見の目で見られ、社会から隔離された入所者たちはどんなに感激したことだろうか。皇太子・皇太后の分け隔てのない自然な行動に、入所者たちはどんなに驚いたことだろうか。入所者たちの喜びは皇太子・皇太后の喜びでもあった。

日本の良き伝統を見る思いがして言葉にならない。

そしてこの日から皇太子・皇太后にとって「だんじゅかりゆし」は特別な歌として胸の奥深く刻まれたに違いない。

天皇陛下となられ古希を迎えた祝賀会で、沖縄出身の民謡歌手・大工哲弘氏に「だんじゅかりゆし」をリクエストする。

このあまりにもでき過ぎた物語を、我々はどう理解すれば良いのだろうか。屁理屈は要らない。努めて自然体になることだ。一切の打算を捨てて、直接心に触れることだ。

沖縄には大変ご苦労を掛けています

お祝いの後、大工氏は天皇陛下からこのように声をかけられたという。政治的発言はなさらない天皇陛下の言葉は重い。この言葉に政治的意味を持たせようとすれば収拾がつかなくなるのは必然だろう。

しかし、陛下が言わんとしていることは、我々はすでに暗黙の内に理解している。我々はこの言葉の重さを噛みしめるべきだ。そうすることで辺野古埋め立てを強行する安倍政権と闘うエネルギーが湧いてくるのだ。

天皇陛下は明日ご退位なされる。その前の日にこんな素晴らしい記事に接することができたのは幸いである。

天皇・皇后両陛下の新しい船出を「だんじゅかりゆし」でお送りしたい。大工哲弘の歌を探したのだが、残念なことに見つけることができなかった。

でいご娘の歌も素晴らしいので多くの方に是非聞いてもらいたい。


だんじゅかりゆし 〜 でいご娘

天皇陛下皇后陛下、長い間のお勤めほんとうにご苦労様でした。これからもご健康でご長寿を全うしてください。