沖縄よ! でぃぐぬ花日記

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沖縄の自立的経済発展を目指す玉城デニー候補

玉城デニー県知事候補は10日に政策を発表した。その翌日11日に県政記者クラブによる討論会が開かれた。録画されたものが同日の午後7時半にNHKで公開されたので、多くの人が見たと思う。

沖縄青年会議所主催で行われた5日に続く2回目の討論会である。やはり候補者自身の口から語られる言葉は、文章化された言葉よりも生々しい。それだけに、発言された言葉にどれだけ誠意が込められているか、真実があるか、 聞き手は発言者の人間性を見ながら、政策を判断評価することになる。

生の討論は真剣勝負である。政策が問われるということは、知性が問われるということでもある。自身が掲げた政策を本人がどれだけ正確に認識しているか、質疑応答で明らかにされる。

基地問題と経済政策で、玉城氏と佐喜真氏とでは大きな違いがある。辺野古基地問題で玉城氏は、先日県が埋め立て承認を撤回したことを支持し、いかなることがあっても辺野古新基地を阻止すると改めて言明した。

対する佐喜真氏は、辺野古新基地に関しては賛成か反対か明確にせず、これまでの主張通り、ただ普天間飛行場の早期返還を繰り返すだけだった。これは誰が考えても明らかにおかしい。確かに宜野湾市長としての立場からすれば、それでよかったかも知れない。しかし、県知事の立場になれば果たしてどうか?

市長と県知事では権限に大きな違いがある。辺野古は名護市にあるため名護市長と違い、宜野湾市長としては新基地建設に対して賛否を明らかにしないからと言って、必ずしも厳しく糾弾されるいわれはないだろう。

しかし、知事は沖縄県全体を所管する立場にある。各市町村の首長に比べてより大きな権限と責任を背負う立場にある。ということは、宜野湾市にある普天間飛行場移設問題と名護市の辺野古基地問題に対してどのような立場に立つか、明確にしなければならない責任がある。

しかし、討論会での佐喜真氏の発言は、宜野湾市長時代と全く同じで、これでは県知事としての自覚に欠けるのではないか。佐喜真氏の発言をよく吟味すると、普天間飛行場の1日も早い返還とは、代案がない以上は辺野古以外にない、と言っているに等しいことがわかる。

そうであるなら、なぜ辺野古新基地に賛成であるとハッキリ言わないのか、どう考えても腑に落ちない。このようなあやふやな態度を、世間一般では卑怯というのだ。

普天間飛行場の1日も早い返還を望むなら、安倍内閣が仲井真前知事と約束した来年2月までの『普天間飛行場の閉鎖・返還』を安倍内閣に確実に実行するよう申し入れるべきではないか。玉城デニー候補は強く申し入れると明言している。

しかし、佐喜真淳候補からはその件に関する言及は一言もなかった。これで佐喜真氏の本音は辺野古移設にあることは間違いないことがわかる。そしてこの方向に佐喜真氏の経済政策がそのまま直線で繋がるのが明瞭に見て取れる。

「対立から対話へ」というのが佐喜真氏のキャッチフレーズのひとつになっている。これは何を意味するかというと、翁長県政は政府と対立したことで県の振興予算が大幅に削減された、だから対立ではなく対話することで政府から必要な振興予算を獲得する、これが知事の仕事だ、と佐喜真氏は述べた。

それでは政府と対話をするとは、どのような内容の意味を持つのだろうか?

辺野古新基地を容認するから、県が必要とする振興予算を確保してもらいたい。安倍内閣にそう申し入れる。これが佐喜真氏の言う「対立から対話へ」の意味であるのは明らかだろう。どの角度から検討してもそう考えざるを得ないのだ。

そして佐喜真氏の対話路線とは、可能な限り政府の言うことを受け入れる、ということに他ならない。佐喜真氏が所属する自民党が政権党だから、当然といえば当然のことではある。では、県のお金の問題、沖縄関係予算について少し振り返ってみたい。

ぼくの手元に大田県政、稲嶺県政、仲井真県政、翁長県政に至る「沖縄関係予算の推移」に関するデータがある。これを見ると、時の政権と県政の対立乃至協調関係が、必ずしもそのまま予算に反映されたと判断するにはちょっと無理があるように思われるのだ。

大田県政=最少額3141億円(95年)最高額3524億円(94年)稲嶺県政=最少額2720億円(06年)最高額3490億円(01年)仲井真県政=最少額2298億円(10年)最高額3501億円(14年)翁長県政=最少額3010億円(18年)最高額3350億円(16年)

これらの数字から、政権と県政の関係の善し悪しのレベルで金額の増減を判断するのは非常に困難であることが分かる。

大田県政の時代、知事の代理署名拒否があり、村山内閣と大田県政は決して良好な関係とはいえなかった。しかし、94年から98年にかけて沖縄関係予算は3千億円台を維持していたのである。

稲嶺県政を見ると、05年から06年は2843億円と2720億円で、3000億円台を割り込んでいる。05年は小泉内閣の時で、06年は第1次安倍内閣であった。稲嶺県政は自民党が擁立した政権であり、稲嶺県政の8年間はずっと自民党政権だったから、政府と県政の関係が特別悪かったわけではない。それでも3000億円を割り込んだのである。

仲井真県政は07年の発足時から12年までずっと2000億円台が続いた。仲井真県政も自民党が擁立した政権だったことを考えると、大田県政時と比較して何故1000億円近く少なくなったのか理解に苦しむ。政府と県政の関係の善し悪しだけで判断できないことがよく分かる。

そして安倍内閣の時、公約を破棄して辺野古容認と引き換えに10年先まで3000億円台の予算を約束してもらい、13年度3001億円、14年度3501億円を計上した。

そして翁長県政。15年度3340億円、16年度3350億円、17年度3150億円、18年度3010億円、19年度3190億円(予定)。

以上、沖縄関係予算の推移を検証して考えられることは、政府と県政の関係の善し悪しだけで予算額が決まるとするのはあまりにも単純だと言えそうだが、ただし例外が存在する。それは安倍内閣である。

安倍内閣になってから、内閣の言うことを聞けば予算を増額する現象が見られるようになった。辺野古移設の容認と引き換えに10年先まで3000億円台を確保することを仲井真知事と約束したのである。

しかし、奇妙なことに、この約束の履行は、辺野古移設に反対した翁長県政にも引き継がれている。ただし毎年度減額されてきたが、一転して19年度は180億円増になっている。嫌がらせのために減額したのかどうかは判断が難しい。

安倍内閣の性格からして、そう考えて少しも不思議ではないが、はっきりしていることは3000億円台を割り込むところまで減額するのは不可能だろう、と言うことだ。

なぜなら安倍内閣は、10年先の24年度まで3000億円台を約束したからだ。勿論、内閣が約束を守ると仮定しての上だが。

このように考えてくると、県予算を獲得する目的で「対立から対話へ」と言う佐喜真氏の提言は、あまり意味をなさないのではないか。

意味をなさないばかりか、対話を拒否しているのは県政ではなく、実は内閣であるという事実は、今までの経過ではっきりしているので、「対立から対話へ」という提言自体矛盾しているのだ。むしろ「対立から対話へ」という言葉には、あたかも県政が一方的に悪いという響きがあり、危険でさへある。

佐喜真候補は馬力はありそうだが、どうも知性的ではない。自分が言っていることの矛盾に気がつかない。昨日の討論会を見て、強くそう感じた。

その点、玉城候補の考え方は健全であり正論である。彼はどう述べたか。県の振興予算を決めるのに、基地問題とリンクさせるやり方は明らかに地方自治の精神に反する。地方が伸びていくのを押さえつけるようにして、辺野古移設を容認しないなら予算を減額するというのは、政権にある者としてやってはならないことである。これでは民主主義が成り立たない。

佐喜真候補と玉城候補。どちらの主張が正しいか。誰が見ても玉城候補だろう。佐喜真候補と玉城候補とでは知的水準に大きな差がある。佐喜真候補は物の捉え方が大雑把であり、玉城候補は緻密で論理的だ。

これだけでも誰が県知事としてふさわしいか、歴然ではないか。

両者は発想力にも大きな差がある。佐喜真候補が県予算獲得を重視するのに対し、玉城候補は自立型経済を提言した。自立型経済とは、県予算を政府に頼るのではなく、アジアの成長を沖縄に呼び込み、自ら稼ぐ仕組みを構築して県を豊かにしていく。これが「誇りある豊かさ」となる。

翁長知事が「埋立承認撤回」の手続きを県職員に表明した時の記者会見で述べた「アジアが沖縄を離さない」という言葉に直結する発想である。

自立型経済!

県知事候補からこの言葉が力強く語られる時代が、我が沖縄にようやくやって来た。日本列島における我が沖縄の地政学的有利性が活かされる状況になっている。その大きな可能性に玉城候補は気づいている。沖縄の経済人で自立型経済に異を唱える人は一人もいない。

それほどこの言葉は我々の心に響き我々ウチナーンチュを奮い立たたせて止まないのだ。かつて琉球王国は中継貿易で繁栄した時代があった。自立型経済という言葉には、かつての黄金時代を彷彿とさせる響きがある。

全国民から集められた政府の予算に頼るのではなく、自立型経済を確立して沖縄を豊かにする。沖縄は現在、3000億円の国税を収めるまでの力を持つまでに至った。沖縄を日本経済の牽引役に引き上げる、と言った玉城候補の発言は決して大袈裟ではない。時代状況がそこまで来ているのだ。

政府の予算をあてにする、もうそんな時代ではないのだ。佐喜真候補は玉城候補より若いにもかかわらず、頭の中は旧態依然のままだ。政府からあてがわれる予算をあてにして、いくら大風呂敷を広げたところで行き着く先は奴隷根性に過ぎない。

発想力のない人間がいくら夢を語ろうが人々の心を動かすことはない。現実を見据えて新しい発想で現実を乗り越える構想が語られる時、人々の瞳が輝く。

佐喜真候補の旧態依然の政策に乗るか、玉城候補の新時代を告げる政策に乗るか。有権者が乗るべき政策は明らかだろう。