沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

勇馬氏からのコメント

勇馬氏から、一昨日に続いて、ありがたいコメントを頂いた。全文掲載して、ぼくの考えを述べてみたい。

「 既に西尾日録で初見参したときに傾蓋如故の懐かしい念を覚えましたが、此処で又、沖縄と本土の、殊域同嗜の人を獲た思いです。ネットの有効性を痛感します。話せば分かる相手なら立場の相違を乗り越えて議論を発展させ収斂させ、世論となって拡大し、政治を動かすことにつながりますが、それがネット空間で可能な時代です。あまり時間をかけられない事情があるため短くコメントすることをお許しください。
① 私も軍事の専門家ではないので、果たして沖縄は嘉手納空軍基地と第7艦隊自衛隊だけで守れるのか、辺野古の意義が果たして米軍の御意向のみなのかは判断出来ません。優れて専門的判断が必要と考えます。
② 翁長知事の福建省との深い関係、日本政府を軽んずる言動から直感的に彼のいかがわしさを感じ取りましたが、伝えられる情報を検証していませんので自信はありません。現地でよく観察して頂きたいと思います。もし一県知事が日本政府の頭越しに米国に直接辺野古問題をアピールできるなら、中国の首相に対しても、係争中の領土問題に対してアピールできたのではないでしょうか
③ 私も「一般の中国人は敵でなく、その中には必ず良識派がいる」と思っています。言論抑圧、弾圧、拷問にも拘わらず活動を続ける人々には心から声援を送ります。人民が共産党支配から解放される暁には真の日中友好が実現することが期待されます。
④ 薩摩や佐藤栄作以後の政権が、沖縄に対して差別、非礼や軽視があったとすればそれは担当者個人の人間性の問題で、本土人一般の通弊ではないと信じます。
琉球王国以来の独自な文化と伝統は、私の嘗て倣った唐手を含め、とても大切なもので本土の人間も尊重しています。それは江戸文化や津軽文化、出雲文化などの地方文化と本質的に同じで皆仲間です。
沖縄戦では、本土防衛のためもありましたが、沖縄を防衛するため多くの将兵が本土から駆け付けたことはご存じと思います。特攻機が攻撃する間は島への艦砲射撃が止んでいたとも聞いています。義烈空挺部隊の出撃シーンはユーチューブの動画で見られます。」

勇馬様、誠意に満ちたご感想に感謝します。良い機会ですので、昨日言い足りなかったところを補足させてください。ここ数年来、よく使われる抑止力という言葉の概念ですが、いったいどの程度の軍事力を持てば、他国の侵略を食い止めることができるのか、という問いに対して、納得のいく回答が得られない限り、抑止力という言葉を使ってみたところで、国家防衛の真の解答にはならないと思います。しかし、他国の侵略を食い止める、と言っても、他国の軍事力の規模がどの程度のものか、考慮する必要はあるでしょう。

そこで、検討されるべき最大の問題は、核兵器の存在です。いまの国際情勢を見ると、核兵器保有した国は、どの国からの侵略も食い止められる、という方程式が成立しているようにみえます。カシミール地方をめぐるインドと中国の紛争が、全面戦争に至らないのは、この方程式が機能している証左だと思います。
となると、国家防衛の抑止力の上限は、通常兵器の規模を問わず、核兵器を所有することで達成される、という定理が成立します。愚かな人類は、ついにここまで来たか、と絶望感に打ちひしがれますが、だからといって、国家防衛を考えないわけにもいきません。さて、私は昨日、嘉手納空軍基地と、横須賀の第7艦隊、そして我が自衛隊だけで十分な抑止力になる、と言いました。そして、後方には数千発の米軍の核兵器が控えている、と付け加えました。ここでお気づきだと思いますが、嘉手納空軍基地が存在するだけで、人民解放軍が沖縄侵略を決断できない最大の理由は、嘉手納空軍基地を叩けば、米国との全面戦争の引き金を引くことになることを、中国共産党は認識しているということです。そうであるなら日本としては、これを最大限利用すれば良いのです。在沖米軍の存在を担保にして、米国の核兵器使用の可能性を政治的宣伝として使う。そうすれば米国との全面戦争を覚悟してまで、中国が沖縄を取りにくるとは考えられません。この論理が成り立つと思い、私は、海兵隊不要論を主張したのです。
通常兵器による抑止力ではなく、あくまでも核兵器による抑止力を考えるべきです。通常兵器による抑止力には歯止めがかかりません。際限なき軍拡競争が続くだけです。
北朝鮮が、核兵器保有固執して、一歩も引かないのは、この理屈を知悉しているからで、敵ながらあっぱれというべきでしょう。さて、そこでさらに考えなければならないことは、米国の核の傘を我が国の抑止力として宣伝する以上、米国に対する絶対的信頼は揺るぎないものでなければなりません。しかし、これは大きな危険を伴う賭けとも言えます。 国家間の信頼関係ほど当てにならないものはないからです。日ソ中立条約のソ連による一方的破棄がその良い例です。それによって我々日本人が味わった怨恨の感情は、未だ完全に消え去ったわけではありません。勇馬さんが「 西尾幹二のインターネット日録」で紹介された『 プリンス近衛殺人事件』は今ちょうど半分ほど読了したところですが、スターリン体制がいかに残虐で恐怖に満ちた体制であったか、鬼気迫る描写に胸打たれる思いがします。無論、ソ連と米国は、多くの面で異なる国家です。しかも米国は、世界の模範的な民主主義国家です。しかし、だからと言って、盲目的に信頼して良い訳がありません。米国は自国の国益になると判断したら、日本から軍隊を撤退させるでしょう。米国人は、合理的精神の持ち主です。日本的情緒なる不合理性は彼らには通用しません。そこで、私が言いたいことは、米国の核の傘に頼る抑止論には、それなりのリスクが付随する以上、日本は急ぎその国策を自主防衛路線に転換して、核保有を目指すべきなのです。インドやパキスタンにできて、我が国にできないはずはありません。いづれにせよ、沖縄に海兵隊を置く必然性がないことを強調したくて長々と述べてしまいました。
<もし一県知事が日本政府の頭越しに米国に直接辺野古問題をアピールできるなら、中国の首相に対しても、係争中の領土問題に対してアピールできたのではないでしょうか。>
との勇馬氏の意見に対しては、同意できるところとできないところがあります。知事が米国まで行って辺野古問題を直接訴えるのを評価する基準は、あくまでもそれによって得られる効果があるかないか、だと思います。私は正直のところ、さほど効果があるとは思いません。ですからこの件については否定的です。しかし、尖閣問題を中国の首相に訴えることができたのではないか、となると反論しなければなりません。米国は民主主義国家です。辺野古問題を直接訴えても、賛成反対は別にして、一応言い分を聞く耳は持っています。そしてそのこと自体なんの問題もありません。しかしもし、中国の首相が米国のように知事の訴えを、一応は聞くとしても、その後必ず何らかの方法で、どの程度の規模になるかはわかりませんが、報復の手段を取るはずです。まず考えられるのは、沖縄への観光を完全にストップすること。これは大いにあり得ます。韓国がサードを受け入れた途端、今までの友好関係から一転して、韓国製品の不買運動、韓国への旅行取りやめ等、中国の報復は凄まじいばかりでした。そのような中国の首相に対して、尖閣問題を一県知事が訴えるべきとは、勇馬氏の神経が信じられません。翁長知事は現実的対応をしているのです。共産党独裁国家に対しては、一県知事としては、限られた現実的対応しかできない、と言うほうが正確かもしれません。むしろ尖閣問題で知事を責めるよりも、武力発動の権限を有する政府こそ、その不甲斐なさを責めるべきではありませんか。今尖閣周辺で起きていることは、海上保安庁の公船が地元の漁船を、尖閣諸島に近づけないよう追い払い、領海内に入る中国の公船に対して、警告を発するだけです。一体この現状に対して、翁長知事に責任があるとでも言うのでしょうか?責任が日本政府にあるのは、明白ではないですか。ここまで記述して、少し疲れました。勇馬氏の鋭いご指摘にたじろぎつつも、真摯なご意見に感謝します。


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勇馬氏への返信

勇馬氏から貴重なコメントを頂いた。沖縄が直面する種々の問題に対して、本質的な疑問を提起しておられる。できるだけ誠実に対応したいので氏のコメントを全文掲載させて頂く。

<「ここはアメリカじゃない、日本国の沖縄だ。なぜ独立国の日本に70年以上も外国の軍隊が駐留し続けるのだ。」というのは全くの正論で全面的に賛成です。沖縄だけでなく、私の育った東京の都内にある広大な横田基地も、日本国内の全ての米軍基地も廃して、核武装した日本人自身の国軍で置き換えるべきと私も思いますので、貴兄の辺野古への思いも分からないでもありません。しかし日本は本当に独立国でしょうか?更に、敵を見誤っていませんか?もし「沖縄を愛するだけでなく、日本国をも愛する」ならば、沖縄だけでなく日本全体の危うい国際環境をも斟酌すべきではないでしょうか?現在、日本と沖縄の主敵は米国ではなく中国であり、沖縄独立を唆し奪おうとしているのは中国であり、福建と密接な現知事はその手先ではないでしょうか?現在の日本には残念ながら独りで沖縄を防衛する実力がなく米軍に依存せざるを得ない以上、独立した日本軍による完全防衛体制が整うまでは、米軍を盾にする以外守るすべはなく、辺野古移転反対は本当の敵を利し喜ばせるだけではないでしょうか。反対闘争に中国や韓国の工作員が混じっていませんか?沖縄が中国の支配下に入ればチベットウイグル、モンゴルで起きていることが間違いなく沖縄県民の上に降りかかり、貴兄も逮捕、拷問、虐殺の目に合うでしょう。沖縄主要2紙も直接検証はしていませんが内地で報道される限りでは尖閣に関する報道は八重山日報のみが正しいと思われます。沖縄は観光客として一度訪れただけで実情を知りませんので貴兄の記事は興味深く拝読しています。間違いがあれば訂正ください。>

勇馬様、真摯なコンメントを頂き恐縮しています。貴方の問いかけは、現在進行中の沖縄の問題の核心をつくもので、それに対してできるだけ誠実に、私の考えを述べたいと思います。日本は本当に独立国でしょうか?と言うことですが、独立国であると同時に、軍事の面では米国の従属国だと思います。大東亜戦争に我が国が敗北して以来、米国の我が国に対する姿勢は一貫しています。日本の本格的再軍備を許さない、米軍を駐留させることで、日本列島を米国の最西部の国境線とする、つまり軍事的支配下に置く、等です。無論、これらのことは全て、米国の利益のためです。米軍は日本を防衛する目的で駐留しているのではありません。全ては第一に、米国自身の国益のためです。さて、現在、日本と沖縄の主敵は米国ではなく中国ではないか、と言うことですが、全くその通りだと思います。中国共産党の傍若無人ぶりは許容できるものではありません。私は米国を主敵だと考えたことは一度もありません。政策の変更を訴えているのです。沖縄の基地負担が大きすぎる理不尽な現状をなんとかしてくれ、と訴えているだけです。そのために辺野古の反対闘争に参加しているのです。安全保障の観点からいうと、在沖海兵隊はなんら抑止力になりません。その海兵隊基地が沖縄の米軍基地に占める割合は膨大なものです。嘉手納飛行場を除けば、残りのほとんどが海兵隊基地関連の施設です。その無用な海兵隊基地を撤去してくれと言っているのです。東洋で最大かつ最強を誇る嘉手納空軍基地と、横須賀の第7艦隊、そして我が自衛隊で充分な抑止力になるのではないでしょうか。後方には米国の核兵器数千発が控えています。もしも尖閣戦争が勃発したら、海軍と空軍の戦闘が中心になると思われます。海兵隊の出る幕はありません。戦闘の最中に、小さな無人島に兵隊を送り込むなど、想像もできません。単なる輸送機に過ぎないオスプレイなど、なんの役にも立たない。私は軍事専門家ではないので、知り得た情報を元に、自分の見解を述べているにすぎないことをご理解ください。防衛省の幹部が検討しているであろうシミュレーションを覗くことができれば良いのですが、当然そんなことはできるはずはありません。繰り返しになりますが、沖縄の嘉手納空軍基地と横須賀の第7艦隊、そして自衛隊で我が国の抑止力は十分だと信じます。全面戦争になれば、中国の核兵器と米国の核兵器の撃ち合いになるので、両国ともそれは避けざるを得ないと思いますが、はっきりしたことはなんとも言えません。愚かな人間のやることですから、その可能性を完全に否定することはできないでしょう。米国は日本の敵でも沖縄の敵でもありません。しかし、間違った政策に対しては、たとえ米国であろうとはっきりと物申すべきだと思います。貴方が指摘するように、主敵は中国共産党であることは間違いありません。中国共産党人民解放軍は我々の敵です。少しも臆することなく、そう断言します。しかし、当然のことですが、一般の中国人は敵ではありません。その中には必ず良識派がいるはずですから。翁長知事は中国の手先ではないか、と心配されているようですが、そんなことはありません。似非保守の連中がためにするデマにしか過ぎないと思います。李克強首相と会った時、翁長知事は航空便の増設をお願いしただけで、尖閣の話をしなかった、と言って似非保守の連中は騒ぎますが、少し考えてみて下さい。一県知事が果たして一国の首相に対して、係争中の領土問題に対して問い質すことなどできるものでしょうか?しかも、相手は中国共産党のナンバーツウです。
仮に、翁長知事が勇気を振り絞って、李克強首相に尖閣諸島は歴史的に沖縄県に所属すると発言したとしましょう。現在、沖縄に来ている中国人の観光客は、直ちに総引き上げの処置が取られるでしょう。現在の中国のやり方を見ていると、十分考えられることです。しかし、彼らが落とすお金は、多少なりとも県経済を潤しています。本土各地でも、中国人の観光客が使ってくれるお金で、かつての爆買いはなくなりましたが、多少なりとも地元の経済に貢献しているのではありませんか?大阪の松井知事は、ホテルの客室が不足していると言って、嬉しい悲鳴をあげています。
ところで、現在の尖閣問題は、一触即発の危機的状況を呈しています。いざとなった時、翁長知事に武力発動の権限はありません。尖閣問題は政府が解決すべき政府の専権事項だからです。翁長知事としては、政治家として、沖縄県にとって利益になることを現実的に考えて行動しているに過ぎません。
仮に、翁長知事が中国共産党と手を結び、沖縄独立を画策しているならば、私は、反翁長知事の陣営に加わり、知事を徹底糾弾します。大多数の県民はそんな知事を許すはずがありません。中国共産党の残忍さを考えると、当然のことです。辺野古の反対闘争に中国や韓国の工作員が混在していないか、ということですが、4回現地に行った体験からいうと、彼らの存在はまだ確認していません。工作員としては、そうやすやすと表に出ることはないと思いますが、ただ、次のことだけは断言できます。外国勢力工作員らしきものが、反対闘争の核にいて、反対闘争を指導しているというようなことは、絶対にありません。あくまでも、沖縄人の自発性からくる沖縄人が中心の反対闘争です。沖縄人を軽く見ないでもらいたい。
沖縄主要2紙に比べると、八重山日報の記事の方が真実を伝えているのではないか、ということですが、私はこの3紙を契約購読していないので、気が向く時だけコンビニで買って読むくらいですから、独断的評価になることを、ご了承願います。東京で働いていた頃、日経新聞を5年間、産経新聞を4年間、契約購読していました。両紙とも記事の内容は深く読み応えがありました。特に産経新聞は面白く、隅から隅まで読んでいました。それに比べると、新報もタイムスもちっとも面白くありません。地方紙と全国紙の力量の差のようなものがあるのでしょうか。新聞社の内情に詳しくないので、なんとも言えませんが。八重山日報チャンネル桜「沖縄の声」が盛んに購読を促しています。私の郵便受けにも一部入っていましたが、確か8ページだけだったと思います。こんなに記事の量が少なくては、読者の購買欲は湧かないのでは、といささか心配しています。新報とタイムスの編集方針ですが、確かに偏向しているきらいはあります。しかし、どの新聞もそれぞれ社独自の編集方針を持っているはずで、本土の保守論客が騒ぐほどのものではないと思います。嫌なら購読しなければ良いだけの話です。その点、県民は割と覚めているのではないでしょうか。新報とタイムスの間に八重山日報が参入して来たのは、歓迎すべきでしょう。多くの視点があってしかるべきだし、お互いに切磋琢磨してこそ、読者により良い記事を提供できるのではないでしょうか。八重山日報には是非頑張って欲しいところです。最後に、沖縄の歴史について触れさせて下さい。沖縄独立に関することと、中国と琉球の歴史的関係についてです。
勇馬さんもご存知のように、沖縄は、かつて琉球王国という国際的に認知された独立国家でした。マラッカ海峡まで航海して交易した時期もありました。当時の地図には、台湾を小琉球、沖縄を大琉球と表示されています。そのくらい、当時の琉球人は覇気に富んでいた証だと思われます。中国とは冊封関係にあり、中国との貿易は琉球に莫大な利益をもたらしたようです。また、大国中国の影響は、琉球の文化の隅々にまで及んでいます。しかし、その影響はあくまでも外見にとどまり、琉球人の精神の最深部まで達することはありませんでした。琉球語が日本語の一支流であることは明らかです。伊波普猷がP音考という学説を残していますが、現在使っている沖縄語も、韻の規則的な変化を追えば日本語そのものだということがわかります。この決定的事実があるからこそ、私は祖国は日本だと言って迷わないのです。但し、勇馬さんが日本を祖国と呼ぶのとは、大分ニュアンスが異なることも指摘しなければなりません。廃藩置県で日本国に組み込まれるまで、気が遠くなるほど長期間にわたって、琉球天皇の、あるいは皇室の文化の影響が及ぶことはなかったのです。この断絶こそ、本土人の祖国感と沖縄人の祖国感の決定的な違いを表すものです。さて、ここまでくるとやっと沖縄になぜ独立を唱える人々が存在するのか、朧げながらその土壌が見えて来たと言えるのではないでしょうか。もう少し付け加えさせてください。1609年の島津侵略と260年に及ぶ島津の支配、廃藩置県に於ける琉球処分。歴史を振り返ると、琉球沖縄人の本土人に対する不信感は根強いものがあります。逆に、当時の中国人に対しては、琉球沖縄人は大変な好意を抱いていました。冊封体制とはいえ、中国が直接琉球の政治に口を挟むことはなく、貿易では恩恵を受けています。そして、中国人が琉球人を虐殺したという歴史事例は存在しません。中国と琉球は兄弟のような関係だったと言えるでしょう。この事実は、現在の中国が民主化された時、きっと良い方向に生かされるに違いありません。しかし、中国共産党の支配が続く限りはダメでしょう。さて沖縄独立論ですが、かつて琉球王国であったという誇りがあるとはいえ、日本政府の沖縄に対する姿勢に誠意があれば、独立論が出て来くることはないと思います。島津侵略、琉球処分、米軍占領。そして現在の安倍政権の強引なやり方。これだけの材料が揃えば、沖縄独立を主張してなぜ悪い、となるのです。かつて独立国家であったことも正当性の根拠となります。独立を唱える人たちの心情を、同じ沖縄人として私はよく理解できます。1995年に起きた米兵3人による小学生暴行事件の時、私は東京で働いていたのですが、一時的ではあるが独立論者になりました。あの時の政府の対応は本当にひどかった。しかし、今は独立運動には、彼らの心情は理解できるにしても、反対の立場です。勇馬さんも心配しているように、中国共産党の沖縄侵略に口実を与える危険性があるからです。しかし、中国が民主化されて、その脅威が失せた時、政府の対応が相変わらず我々沖縄人に対して、侮蔑的なものであれば、独立論の声が消えることはないでしょう。それよりも何よりも、自主防衛論を声高に主張し続けることが大事ではないでしょうか。まだまだ論じたいところですが、いくら論じても論じ足りません。とりあえずこれで筆を置くことにします。

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彫刻家・金城実氏の想い出

一昨日の辺野古からの帰りのバスで、NHKEテレに出演した金城実の特集番組が女性達の間で話題になった。彼女達は、氏が番組の最後に語った次の言葉に感動した、という。
” 泣くな沖縄。抵抗の遺伝子は進化している。”
その番組は、今夜再放送されるらしい、とある女性が言ったので、帰宅して番組表を見ると、午前零時に組まれている。早速録画登録した。ところが、翌日(昨日)見始めてから7、8分くらい経った頃だろうか、突然中断してしまったのだ。機器の故障か?と思ったが、原因がわからないのでどうすることもできない。何度操作してもダメなので、残念ではあるが残りの部分を見るのを諦めるしかなかった。それでも夜、ニュース番組を見ながら、ひょっとしてと思い、録画リストに切り替えてみたら、録画用機器の青ランプが点滅しているではないか。機器を触わると熱い。そこで一旦、機器の電源を切ってから、再度入れ直してみた。そして、録画リストを再生してみる。7、8分くらい経って、本土から修学旅行で訪れた高校生達の前に、金城実氏が姿を現わす場面が流れてきた。この場面は見ていなかったので、正常に録画されていることが分かり、ひとまず安堵した。当然、金城実氏のことは以前から知ってはいた。しかし、特に関心を引くような人物ではなかった。氏の彫刻は、芸術の一歩手前のものだ、くらいにしかぼくは評価していなかったのだ。しかし、この番組を見て、自分の鑑賞力の弱さを改めて思い知らされたような気がする。
氏の作品からほとばしる、抑圧される人間の怒り、苦悩を前にして、言葉が見つからない。その怒り、苦悩と同量の深みを持つ言葉が出てこない。恐らく、氏の作品と直接、真摯な態度で向き合わなければ何を言ったって意味をなさないだろう。映像に映し出された作品群を見ただけだが、そう感じた。怒り、苦悩を金城氏と共有すること。理解ではない。共有である。
ところで、ぼくは金城実さんに一度あったことがある。17、8年ほど前、沖縄市で古本屋を営んでいた頃、商品の在庫リストを沖縄在住の多くの文化人宛に郵送したことがあった。幸い、数人から注文を受けることが出来たが、その中に、英和大辞典を注文した女性がいて、住所を見ると読谷村とある。配達で訪れると、一階のアトリエらしきところに金城氏が一人座っていた。あの有名な彫刻家の家だったのか、と一瞬驚いたが、配達にきた旨を告げると、二階だよと言う。注文主は氏の娘さんらしい。それから氏は、休んでいきなさい、と言ったように思うが、はっきり思い出せない。ただ、氏の気さくな人柄が印象に残っている。
辺野古へ参加するようになったことで、氏の作品に対する視点が変容してくるような奇妙な感覚。この世界、学ぶことが実に多すぎる、とつくづく思う。身の回り全てを師と仰ぐ謙虚さを失ってはならないとも思う。
「 泣くなよ沖縄、と言うんだよ俺はいつも。抵抗の遺伝子は進化する。だから泣くなと。抵抗の遺伝子はね、必ず進化する。」(金城実談)

 

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心は折れても立ち上がる

辺野古へ行って来た。今回で4回目になる。9時ちょうどに県庁前広場を出発。ダグラス・ラミス氏も同乗している。挨拶を交わして、氏の『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』を今ここまで読み終えたところですと言って、本を広げてその箇所を見せると、喜んでくれた。総勢24名。その中で参加は初めてという人が5名いた。
世話役の女性は話がうまい。ソフトでユーモアがあり、車内が和む。ラミス氏がマイクを握った。VFP(ヴェテランズ フォー ピース)の東京支部を近く開設すると言う。その際、氏も東京へ行くらしい。高齢にもかかわらず、その行動力と使命感には感服する。
ぼくも初めてマイクを握った。話し下手なので、ちょっと緊張したが、政治運動をしたことのないぼくのような人間が、なぜ辺野古へ行く決心をしたか、その理由を述べたつもりだったが、果たしてうまく伝わったかどうか、自信はない。そのうち回数を重ねることで舌の動きも滑らかになるだろう。
伊芸エリアで15分の休憩時間を入れて、1時間半で現地到着。今日の陽射しは強烈で暑い。暑さには強い方だが、体調には気をつけなければならない。今日は多分機動隊はこないだろう、と先にきている人がいう。少し拍子抜けしたが、しかし、昼食を終えてからしばらく時間が経過して後、14時頃、機動隊が来るという情報が入った。急いで、工事用ゲート前の中央に陣取る。来た、来た、機動隊。一人排除され、また一人と次々に排除されていく。先週の木曜日と同じ光景が繰り広げられる。排除された人たちは、歩道の一角に囲まれて、身動きが取れない状態だ。我々を取り囲んでいる機動隊員に向かって、「ここはアメリカじゃないぞ。日本国の沖縄だ。なぜ独立国の日本に70年以上も外国の軍隊が駐留し続ける必要があるのだ。おかしいと思はないのか。機動隊員諸君、我々は同じ日本人だ、同じ沖縄人だ、それなのになぜ日本人同士争わなければならない?君たちの向いている方向は逆じゃないのか?我々と一緒に、米軍新基地建設に反対しようじゃないか。」というような内容のことを、大声で呼びかけると、若い機動隊員の中には、明らかに顔の表情が変化する者がいる。心が動揺しているのだ。このおっさんの言っている事は、案外正論かもしれない、と内心思っているに違いない。しかし、彼らも職務上、上からの命令に従わざるを得ない立場にあるのは確かだ。もし、ぼくの投げた言葉が、彼らの琴線に少しでも触れて内心涙が流れたとしたら、彼らも沖縄が置かれた状況の犠牲者と言えないだろうか。帰りのバスの中で、世話役の女性も機動隊員とかわした会話について次のように語った。「ある体格の良いハンサムな若い機動隊員が、実はいまの仕事をやめたいと考えている、しかし職を失うなうのが怖い、と言ったんです。そしたら私は、仕事なら私が探してあげてやるから、と言いました。」車内は爆笑に包まれた。
沖縄の不幸は、ウチナーンチュ同士が争わなければならないことにある。この酷い現実をどうしても変えなければならない。そのためには、辺野古に参加する人達が安倍内閣に絶対に屈しないことだ。今日も機動隊に排除されて悔しい思いをしたが、しかし、ぼく自身少しずつ逞しくなっているのが感じられるのも確かだ。そして何よりも大きな収穫は、仲間が大勢出来たことだ。何度倒されようとも、立ち上がってみせる。

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水島総・今そこにある危機

チャンネル桜の最近の討論番組で、佐藤健志氏の見事な保守と左翼の分析に対して、水島氏が激しく反発する場面があった。要領を得ない水島氏の反発に対し、佐藤氏は少しも臆することなく、正論を展開した。佐藤氏の論述とその姿勢は、水島氏を圧倒的に凌駕していた。
水島氏の思想的弱さは、常々感じていたが、気の毒なことに最近、氏の周辺に異変が生じているらしい。田母神俊雄氏の裁判から明らかになったのは、実は、田母神氏が立候補した都知事選で集めた選挙資金は、チャンネル桜の赤字を穴埋めするための、水島氏の策謀であった、というのだ。それを田母神氏から断られた水島氏は激怒し、以来二人の関係は険悪になった。水島氏は自分の番組を使って執拗に田母神批判を繰り返し、横領罪で告訴すると宣言して実行した事は、多くの視聴者の知るところである。
ところが、田母神裁判の判決は、横領罪に対しては無罪、選挙違反で懲役一年10ヶ月執行猶予5年、というものだった。どう考えても何か変だ。横領罪が無罪という事は、水島氏の田母神批判は間違っていたことになる。
さあ、自由の身となった田母神氏と彼を支持する保守派の反撃が始まる。田母神対水島の合戦やいかに。どうせやるからには、視聴者から大きな拍手が湧き上がるほど壮絶なバトルを展開してもらいたいものだ。こちらは高みの見物と行こう。間も無く、戦後保守の正体が明らかになる。


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沖縄の敵、又吉(ヒジャイ)「沖縄に内なる民主主義はあるか」批判 10

沖縄の敵、又吉(ヒジャイ)が昨日のブログで「 でっかい広告。でもデモ隊は増えず、東京の女性が頭蓋骨骨折しただけ。」という題名で、相変わらず下手なデマを書いて沖縄人を挑発している。
2日頭蓋骨骨折した女性は、現場で機動隊に排除された男が突き飛ばしたと、又吉(ヒジャイ)は推測で物を言っているが、新基地建設に反対する同じ立場にある人間が、故意に仲間を突き飛ばす筈がない。
機動隊ともみ合っているうちに、男が女性にぶつかったか、機動隊員がぶつかったか、現場にいた人間にしかわからないことだ。はっきりしているのは、反対派と機動隊員がもみ合っているさなかに事故が起きた、という事実だけである。
それをあたかも男が故意に女性を突き倒したかのような物言いは、止めたほうが良い。そして、辺野古新基地建設反対運動参加者は、県民より本土の人間が多いようである、と推測しているが、見て来たようなことを言うな。
ぼくは辺野古に今までに3回参加した。その実際の体験から言うと、参加者は圧倒的に県民が多い。
本土からの参加者は、マイクを握って意見を述べたりして、積極的な姿勢が目立つため、非常に多いように思われるが、そうではない。県民が大多数である。
そして、左翼を批判する他に能のない又吉(ヒジャイ)は、本土からの参加者は日教組系に違いないと批判しているが、それがどうした?
ぼくは共産党社民党も、そしてもちろん自民党も支持しない、無党派層の一人だが、辺野古新基地建設に反対する人間は、左翼だろうが右翼だろうが大歓迎する。本土の人間だろうが、外国人だろうが、そんな事は関係ない。できるだけ世界中の良識派が辺野古へ集まって、理不尽な新基地建設反対に参加してもらいたいと願っている。
辺野古飛行場建設は普天間飛行場を移設するためであって、移設の目的は宜野湾市民の安全を守ることである。新基地をつくっているのではない。>
これは又吉(ヒジャイ)の持論だが、幼稚な論理のすり替えにしか過ぎないのは、県民の多くが知っている。宜野湾市民の安全を守ることが移設の目的なら、オスプレイを分散配備して、直ちに普天間飛行場を閉鎖するべきだ。小川和久氏他多くの軍事評論家がその可能性を指摘してきた。
にもかかわらず、そうしないのは辺野古基地は米軍が以前から計画していた戦略の一つで、日本政府は、その戦略の手のひらで踊らされているに過ぎないからだ。
又吉(ヒジャイ)よ、安っぽいヒューマニズムで嘘を取り繕うなんて悪ふざけは、真面目な県民には通用しないよ。
この男が県民を愚弄するのは、彼の傲慢な性格からきている。辺野古移設を阻止するためには、反対派は国会で過半数議席を獲得しなければ不可能であり< 国民に選ばれた政府の政策を許さないといっても所詮は国民に選ばれていない者たちの愚痴でしかない。>と書いていることからそれがわかる。
彼の主張の意味するところは、政府の政策に反対する人間は愚か者である、と言っているに等しい。つまり、選挙で選ばれた政府には絶対服従せよ、と言っているのだ。なんたる傲慢ぶり、かつ低能であることか。
これは彼の議会制民主主義に対する軽薄な盲目的信仰から来ている。西部邁氏が指摘したように、議会制民主主義なるものが、いかに欠陥に満ちた制度か、又吉(ヒジャイ)は一度も深く考えたことがないようだ。
民主主義の真実は、少数派の意見に耳を傾け、できるだけ尊重し、良いところは取り入れることにある。そうすることで民主主義の質は高まるのであり、多数派の主張が全て正しいとすることが、いかに危険であるか、歴史を振り返るまでもないだろう。
沖縄県民は、三年前の県知事選始め、国政選挙の全てで、辺野古新基地建設反対派を当選させた。いまでも、6割以上の県民が反対している。しかし国会においては圧倒的少数派だ。県内では多数を占めても、全国では少数だからと言う理由だけで、政府の意思を強制することが果たして許されて良いものかどうか、多くの県民は疑問に感じている。
たとえ政府の政策であっても、それが県民にとって理不尽・不条理であれば、政府の姿勢を正すべく、闘うのは人間として当然のことで、多数派の命令に従えと言うのは、民主主義の堕落に他ならないと言うべきだろう。
又吉(ヒジャイ)は自身のブログの指針に、私は民主主義思想家になりたい、と書いている。しかし、彼が唱える民主主義は民主主義的ファシズムと呼ばれてしかるべきだ。
ファシズムと民主主義は状況次第で紙一重になり得るものだ。民主主義が多数派の絶対的正当性を強調する時、人知れずファシズムが誕生する土壌ができる。そのような状況の下で、カリスマ的指導者が現れて、多数派が彼の主張になびいて特定の方向へと社会全体が流れ始めたら、もはや少数派の意見など誰も相手にしなくなる。そして次第に、権力によって片隅に追いやられて、潰されていく。
辺野古新基地建設に関する限り、安倍内閣の姿勢は、まさにこのような状況を作っている。安倍首相がカリスマ的指導者とはちっとも思はないが、本土の多数派が沖縄の多数派を押し潰そうとしている、これが今の状況だ。ネットを見ると、チャンネル桜「沖縄の声」が垂れ流したデマを検証することなく、そのまま信じ込んだ自称保守の評論家たち、彼らの影響を受けた、沖縄の実情を知らない多くのにわか保守層の連中が、沖縄バッシングを展開している。彼らに共通するのは、日本の安全保障を長期的展望に立って、真剣に深く考えたこともなく、ただ左翼を批判することが目的化ていることである。
つまりは、外国の軍隊が日本に駐留したままで良いのか、米軍の海兵隊は本当に我が国の抑止力になるのか、嘉手納空軍基地と第七艦隊だけで十分な抑止力になるのではないか、と言うような議論をまともに闘わしたことがないのだ。結局、彼らは親米保守派としての自らの思想の限界に気づいていないだけだ。
ではなぜ保守でも左翼でもないぼくのような人間が辺野古新基地建設に反対するのか?理由ははっきりしている。一つ、日本に嘗ての敵国米国の軍隊の駐留をこれ以上許してはならない。世界第三位のGDPを誇る大国日本は、真の独立を確立するために自主防衛路線に国策を切り替えるべきである。韓国よりもGDPが少ないロシアでさえ、あの広大な国土を自国の軍隊で守っているのだ。そしてもう一つの理由は、琉球民族としての誇りである。この沖縄は、先祖代々琉球王朝ができる遥か以前から、そこで暮らして来た人々のものである。その狭い沖縄に広大な外国の軍隊をおくこと自体が異常であり、許されるものではない。
誇りを亡くした民族は必ず滅びるのだ。以上の理由から、ぼくは辺野古新基地建設に反対する。決してイデオロギーからではない。ぼくは左翼勢力憲法9条を守る立場には立たない。
自衛隊を国軍に格上げして、自主防衛を国策とすべきだと考える。しかし、イデオロギーがどうあろうと、辺野古新基地建設に反対ならば、たとえ悪魔とでも手を握る。
又吉(ヒジャイ)のように、左翼だけ批判し、在沖米軍を擁護し、政府の政策に盲従する立場とは正反対の立場に立つ。

< 広告とは関係がなく東京から来た定年退職の女性が頭がい骨骨折をやっただけである。>

などとほざくような権力べったりの冷酷な人間が、沖縄を挑発するような欺瞞的言論を続ける限り、徹底的にその思想を打ち砕いてやる。

 お知らせ(保守も革新も日本人なら辺野古へ行こう!NO MARINE !)
月曜日 午前9時発 平和市民連絡会(往復カンパのみ)
火曜日 午前9時発 オール沖縄那覇の会
水曜日 午前6時発 平和市民連絡会  
               午前9時発 島ぐるみ会議(往復千円のみ)
木曜日 午前9時発 平和市民連絡会
金曜日 午前9時発 平和市民連絡会
土曜日 午前6時発 平和市民連絡会  
               午前9時発 島ぐるみ会議
 (いずれも大型バス貸切、県庁前広場発)

 

 

 

仲代達矢の思い出

順番待ちしていた前の車が客を乗せて走り去る。それに続いて1番前の方に車を動かす。時計の針は23時を指している。暫くすると、男女一組の客が近づいてきたので、後ろのドアを開けた。男に何か話しかけながら、先に男を中に入れると、女は車から離れた。そして男に手を振って去って行った。「無名塾まで」と男が言う。

無名塾?聞き覚えのある声だ。ひょっとして、と思い後部座席を振り向くと、やはりその人だった。” 仲代さんですね?” ” はい、そうです。” 独特のねちっこくて低い声が返って来た。胸が高鳴る。大俳優仲代達矢、間違いなくその人だった。近くのスナックで飲んだのだろうか、少し酔っているようだ。先ほどの女性が少し気になった。「リア王 」を演じていた頃なので、あご髭を長く伸ばしている。無名塾は、先日乗せた女性のお客さんから、ここが無名塾よ、と教えてもらっていたので、場所は知っていた。用賀駅から環八通りを渡って、玉川病院の先にある。周りに大きな建物はなく、暗い車道をヘッドライトを頼りに走った。何を話して良いかわからずに、” 沖縄へはいかれたことはありますか?”と突飛に質問してしまった。”昔あります。”と言って、少し間を置いてから、” 沖縄へは昔行ったことがあります。”と繰り返した。それからどんな会話を交わしたか、覚えていない。映画の話はしなかったように思う。仲代さんの映画はそれほど観ていないことに気がついたからかもしれない。やがて無名塾に到着した。2キロ圏内なので、料金は710円である。仲代さんは ” 釣りはいらないから”と言って千円札を差し出した。内心、料金はもらわないことにしよう、と考えていたので、焦ってしまった。” ありがとうございます”。恩を着せるつもりが、逆に着せられてしまった。無名塾の中はまだ明かりがついていて、若い人が数人いた。ガラス窓を下ろして、もう一度 ” ありがとうございました。”と言ったら、入口の手前で軽く頷いてくれた。黒っぽいトレーナーのラフな格好をしていた。10年ほど前、荏原交通という会社で、タクシーの運転手をしていた頃の思い出である。短い時間の出会いだったが、車の中という狭い空間は濃密な雰囲気を作り出す。以来、仲代さんは他人のような感じがしない。と、ここまで書き進めたところで、全く偶然だが、今日のNHKのしぶ5時というニュース番組に仲代達矢が生出演するという。実に不思議である。テレビをつけっぱなしにして、時間が来るのを待つ。みると、新作の紹介も兼ねた内容だ。84歳だが、年齢を感じさせない。

カッコいい、と正直思う。新作『海辺のリア』。観に行くとしよう。

 

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 (いずれも県庁前広場発)