心は折れても立ち上がる
辺野古へ行って来た。今回で4回目になる。9時ちょうどに県庁前広場を出発。ダグラス・ラミス氏も同乗している。挨拶を交わして、氏の『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』を今ここまで読み終えたところですと言って、本を広げてその箇所を見せると、喜んでくれた。総勢24名。その中で参加は初めてという人が5名いた。
世話役の女性は話がうまい。ソフトでユーモアがあり、車内が和む。ラミス氏がマイクを握った。VFP(ヴェテランズ フォー ピース)の東京支部を近く開設すると言う。その際、氏も東京へ行くらしい。高齢にもかかわらず、その行動力と使命感には感服する。
ぼくも初めてマイクを握った。話し下手なので、ちょっと緊張したが、政治運動をしたことのないぼくのような人間が、なぜ辺野古へ行く決心をしたか、その理由を述べたつもりだったが、果たしてうまく伝わったかどうか、自信はない。そのうち回数を重ねることで舌の動きも滑らかになるだろう。
伊芸エリアで15分の休憩時間を入れて、1時間半で現地到着。今日の陽射しは強烈で暑い。暑さには強い方だが、体調には気をつけなければならない。今日は多分機動隊はこないだろう、と先にきている人がいう。少し拍子抜けしたが、しかし、昼食を終えてからしばらく時間が経過して後、14時頃、機動隊が来るという情報が入った。急いで、工事用ゲート前の中央に陣取る。来た、来た、機動隊。一人排除され、また一人と次々に排除されていく。先週の木曜日と同じ光景が繰り広げられる。排除された人たちは、歩道の一角に囲まれて、身動きが取れない状態だ。我々を取り囲んでいる機動隊員に向かって、「ここはアメリカじゃないぞ。日本国の沖縄だ。なぜ独立国の日本に70年以上も外国の軍隊が駐留し続ける必要があるのだ。おかしいと思はないのか。機動隊員諸君、我々は同じ日本人だ、同じ沖縄人だ、それなのになぜ日本人同士争わなければならない?君たちの向いている方向は逆じゃないのか?我々と一緒に、米軍新基地建設に反対しようじゃないか。」というような内容のことを、大声で呼びかけると、若い機動隊員の中には、明らかに顔の表情が変化する者がいる。心が動揺しているのだ。このおっさんの言っている事は、案外正論かもしれない、と内心思っているに違いない。しかし、彼らも職務上、上からの命令に従わざるを得ない立場にあるのは確かだ。もし、ぼくの投げた言葉が、彼らの琴線に少しでも触れて内心涙が流れたとしたら、彼らも沖縄が置かれた状況の犠牲者と言えないだろうか。帰りのバスの中で、世話役の女性も機動隊員とかわした会話について次のように語った。「ある体格の良いハンサムな若い機動隊員が、実はいまの仕事をやめたいと考えている、しかし職を失うなうのが怖い、と言ったんです。そしたら私は、仕事なら私が探してあげてやるから、と言いました。」車内は爆笑に包まれた。
沖縄の不幸は、ウチナーンチュ同士が争わなければならないことにある。この酷い現実をどうしても変えなければならない。そのためには、辺野古に参加する人達が安倍内閣に絶対に屈しないことだ。今日も機動隊に排除されて悔しい思いをしたが、しかし、ぼく自身少しずつ逞しくなっているのが感じられるのも確かだ。そして何よりも大きな収穫は、仲間が大勢出来たことだ。何度倒されようとも、立ち上がってみせる。
お知らせ(保守も革新も無党派層の人も辺野古へ行こう!No Marine !)
月曜日 午前9時発 平和市民連絡会(往復カンパのみ)
火曜日 午前9時発 オール沖縄那覇の会
水曜日 午前6時発 平和市民連絡会
午前9時発 島ぐるみ会議(往復千円のみ)
木曜日 午前9時発 平和市民連絡会
金曜日 午前9時発 平和市民連絡会
土曜日 午前6時発 平和市民連絡会
午前9時発 島ぐるみ会議
(いずれも県庁前広場発)