「タイタニック」再び
十数年前「タイタニック」を観たのは、確かメインプレイスのシネマQだったと思う。不思議なことに何故か急にまた観たくなり、一週間ほど前購入してそのままにしてあったDVDを取り出した。
以前、映画館で観た「タイタニック」とは別物と思いたくなるほど、見落とした箇所の多さに驚き呆れてしまった。最近、度々似たような経験をしている。映画館で見る大画面の迫力と大音響にいささか緊張し、そのために細かい部分を見落としがちになるのではないかと考え始めている。それに比べると、狭い部屋で29インチの小型テレビで見る場合は、迫力に圧倒されるというようなことはないので、落ち着いて見ることができ、想像力の中に割とうまく収まる感じがして、細かいところも見逃すことがないように思う。
それともうひとつ、映画館と大きく違うのは、好きな時にいつでも一時停止できることだ。早送り、早戻しも可能だ。そういうわけで、狭い部屋で久しぶりに観たDVD版「タイタニック」は新鮮で大変面白く、台風22号の鬱陶しさを忘れさせてくれた。
当時世界最大級と言われた豪華客船タイタニックの処女航海は1912年4月10日。しかし、そのわずか5日後に氷山に接触して沈没してしまう。絶対に沈むことはないと思われた巨大客船が、あっという間に大西洋に呑み込まれて消えてしまったのだ。
映画はそのあまりにも短い間に芽生えた若い男女の恋を描いていた。ローズ(ケイト・ウィンスレット)は上流階級の令嬢だが、父親亡き後の莫大な借財のために、好きでもない大富豪家の息子と婚約させられた。家のためとはいえ、上流階級の日常生活は、社交パーティーと決まり切った自慢話ばかりで、絵の好きなローズにとっては退屈極まりない日々の繰り返しだった。欺瞞に満ちた上流階級の生活に失望し、自らの将来に夢が持てなくなったローズは、思いつめた挙句、船の後尾から飛び降りようとする。それを目にしたジャック(レオナルド・ディカプリオ)は説得を試み、なんとかローズが身投げするのを思いとどまらせる。それが縁となり、二人は会話を交わすようになる。
ジャックは画家志望の自由気ままな流れ者である。ある日彼のスケッチブックを見たローズはその巧さに感激し、次第にジャックの自由奔放な生き方に惹かれていく。そんな二人の姿を目にした婚約者キャルドン(ビリー・ゼイン)は激しい嫉妬心を抱くようになる。
豪華客船の中で繰り広げられる、貧乏人と富裕層の葛藤。タイタニックの旅客定員数は一等客室が329人。二等客室が285人。そして三等客室は710人。乗組員は899人であった。
しかし、救命ボートの数は乗客総数の半分を乗せることしかできない。何故かというと、タイタニックは不沈船だという自惚れよりも、いざとなったときは、上流階級だけ助かるように設計されていたのだ。
金持ちになりたい人間は多いだろうが、全ての人間がそうだとは限らない。金銭よりも自由に価値をおく人間だって少なくはない。ジャックとローズがまさにそうだった。「 人間の魂の中で自由が一度爆発すると、神はもはやどうすることもできない」とジャン・ポール・サルトルは『蠅』の主人公に言わせている。
今までカゴの中で大事に育てられた若いローズの魂の中で、自由が爆発した後に神はもはや彼女とジャックの間を引き裂く力を失くしていた。キャルドンがローズに贈った54カラットの宝石でできた首飾りも単なる石ころにしか見えなくなった。豪華なシャンデリアも衣装も、超一流の食事も、お互いの価値を認め合った自由だけが支配する男女の自然な恋に比べると、なんと退屈で欺瞞的で無意味だろうか。
この映画の出だしは、ルイ16世が所有したこともあるという54カラットの首飾りを探し当てるべく、調査船から降ろされた潜水艇が、海底に沈むタイタニックの船内を調査するところから始まる。そして探していた金庫を発見して船上に引き上げるが、その中にダイヤはなく、代わりにジャックが描いたローズの絵が入っていたのだ。
それがニュースで流されると、それを見た一人の老婦人が調査船の担当者に電話をして連絡を取る。ヘリコプターで調査船に降りた老婦人は、実は自分がローズ本人であることを告げる。そして、映画は彼女が語る記憶を辿るようにして展開していくのである。
豪華客船タイタニックが氷山に接触した後、怒涛のように浸水する場面、どうしていいか分からず慌てふためく旅客と乗組員たち。救命ボートを争う人間たちの醜さ、哀しさ。船首から沈むと途中で重さに耐えきれず、真っ二つに割れて後ろ半分は一瞬水平に戻るが、次第に垂直になり、船尾がタワーの頂点のような形になるタイタニック。その頂点にローズとジャックの姿があった。身体を支えきれずに垂直に海へ落ちていく無数の乗客たち。ついに船尾も沈むと、ローズとジャックも海中に引きずり込まれるが、二人はなんとか海面に顔を出すことができた。しかし、上流階級を乗せた救命ボートが彼らのところに来ることはない。やっとのことで一人が乗ることのできる木片にローズを乗せると、ジャックはその木片の端に自分の両手をかけて身を支えるが、胸から下は海の中だ。海水の温度は2度前後しかない。寒さに耐えるのもつかの間、ついにジャックは死に、救命具を着けていない死体はそのまま海の底へと沈んでいく。周りは救命具を着けた無数の死体が浮いている。その過酷な状況下でローズは奇跡的に一命を取り留めることができた。救命ボートが来たのだ。見応えのある、そして印象的な場面は数多くあるが、ぼくが一番感動したのは、やはり最後の場面である。
今や100歳を越す老婦人になったローズが夜、調査船の後尾のガードレールに一段登って立ち、ポケットから何かを取り出す。このシーンは彼女が若い頃、身投げしようとした場面を思い起こさせる。老いた小さい手を広げると、なんとあの54カラットの首飾りが手からこぼれ落ちそうに輝いているではないか。それを彼女は「はっ!」と弱々しい小さな声で叫んでタイタニックが眠る海へ投げたのだ。
売却すれば途方もない財産になるであろう54カラットの首飾りを、なんの未練もなく投げ捨てる老婦人の健気で可愛らしい姿に深く感動した。ローズはジャックとの思い出を、今まで長い間ずっと大事に胸にしまっていたのだ。そして、ついにその時がきたと思って、ジャックと供に海底に眠るタイタニックの真上に54カラットのダイアモンドの首飾りを投げたのだ。
「タイタニック」はあくまでも映画であり、史実にない、あるいはそれとはかけ離れた描写が多くあるらしい。そのひとつにジャックは架空の人物とされる。だから観客はこの事実をわきまえた上で鑑賞しなければならないことになる。タイタニックの悲劇という史実を元に創り上げた人間劇の架空の物語だと言えるが、我々観客は、その中に人間ドラマの真実の姿を見るのだ。
54カラットのダイアモンドがサバンナで生活する種族にとっては、一杯の牛乳ほどの価値もないのと同様、人間の莫大な労働力を吸い上げて築いた巨大な富が、一瞬のうちに消える可能性を誰も否定できないはずである。人類が構築した高度な文明が、核爆弾で消失するかもしれない時代に生きる現代人にとって、「タイタニック」は人類の未来を暗示しているようで、興味が尽きることはない。