沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

左翼を批判する他に能のない親米保守派は日本のためにならない

今やチャンネル桜「沖縄の声」の左翼バッシングは、本土の言論人にも悪影響を及ぼすほどの状況に立ち至っている。ただでさえ本土の言論人の多くが、沖縄を語る時、知識の乏しさから誤解と偏見に陥るのが常であるが、「沖縄の声」が流す情報が、さらにその誤解・偏見を助長しているように思われてならない。

辺野古の問題は、第一義的に我が国の安全保障の本質に関わる問題であるはずなのに、その議論は一切なされず、辺野古米軍基地建設に反対する人々を左翼勢力だと一括りにして、彼らがやっていることは暴力行為で違法であるとか、日当が支払われているとか、金の出所は中国らしいとか、その黒幕は辛淑玉だとか、有る事無い事織り交ぜて、非難を繰り返している。
本質から外れた議論だけしていると、攻撃を仕掛けた側も、仕掛けられた側も無益な傷を負うだけで、遠くでほくそ笑む人影が蜃気楼となって消えていくのに気付かない。
反対派賛成派が言い争うことで、1番得をするのは誰だ?問題の本質が見えなくなったら、「金の流れを追え」という格言がある。
その格言を踏まえれば、いちばん得をするのは、在沖米軍と政府に巣食う親米保守派たちであるのがはっきり見えてくる。
米軍としては、1兆円も近い金をかけて、ピカピカの新基地を提供してくれる日本政府に感謝したいところだろう。さすがおもてなしの国だ、ありがたい。おまけに、当分の間、日本の再武装を抑え込むにも睨みが効くというものだ。一石二鳥とはこのことである。
おっとまだあるぞ。日本政府はオスプレイを17機も購入するらしい。しかも1機あたり200億円の高額で。何と日本の政治家は気前がいいんだ。お礼に、新基地が完成した暁には、高江のヘリパッドから折り返し、びんびん飛び回ってあげよう。これで、一石三鳥。いやいや、この先四鳥目があるかもしれないぞ・・。
ぼくは冗談で言っているのではない。戦後71年、サンフランシスコ講和条約で独立してから65年、なぜかつての敵国の軍隊が堂々と今も我が国に居座っているのか。
靖国神社に祀られた英霊たちは、我が国のこのだらしない現状を見て、悔し涙を流しているに違いない。
辺野古の問題の本質は、占領軍と日本人の闘争であると断言したい。辺野古米軍基地建設に反対する人々は、自ら意識するにせよ、そうでないにせよ、結果として真の日本を取り戻すために体を張って、最前線で占領軍と戦っているのだ。
確か、日本を取り戻す、と言ったのは安倍晋三ではなかったか?
それとも安倍氏にとって、取り戻すべき日本とは、占領軍が居座り続ける国家のことを言うのか?
そうであるなら、ぼくは安倍晋三に大反対である。辺野古米軍基地建設に反対する人々と共に戦い続けるつもりだ。反対する人々が左翼だろうが右翼だろうが関係ない。そんな小さな問題ではない。

国体を失うか否か、瀬戸際に立つ大問題である。
安倍総理は勇気を持って次のように明言してもらいたい。「辺野古米軍基地建設は中止する。そして、在沖海兵隊は撤退してもらう。我が国はこれより、国策を自主防衛路線に舵を切る。日米安保は当面堅持する。」
日本国の総理が、このくらいのことが言えないでどうする。勇気を持て、日本男児安倍晋三

弱い立場にある沖縄を抑圧するのではなく、強大なアメリカにはっきり物を言うのが日本男児の本懐ではないか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大いに軽蔑してあげましょう!

今朝の沖縄タイムス社説から。
自民党県連大会が8日、那覇市内のホテルで開かれ、辺野古移設を容認する方針を決定した。
辺野古新基地建設を巡り、県連は2013年から「辺野古を含めたあらゆる選択肢を排除しない」を方針として打ち出していた。辺野古移設を認めつつ県外移設を否定しない立場だ。
大会で決定した新しい政策には「普天間飛行場の危険性を除去するため、基地の機能移転並びに訓練の分散移転を図りつつ、辺野古移設を容認し、早期返還の実現を図る」と明記している。
このタイミングで政策変更した背景には、違法確認訴訟の最高裁判決で県の敗訴が確定し、翁長雄志知事が承認取り消しを取り消し、現に辺野古で新基地建設工事が進んでいることがある。
「あらゆる選択肢」を排除しない段階は、もう終わったとの認識なのであろう。結局、「辺野古が唯一」との方針を変えない政府の主張に合わせた格好だ。
支持者の間から辺野古移設を認める一方で、県外移設を否定しない立場はあいまいだとの批判も出ていたという。剣が峰となる名護市長選、知事選を来年に控え、対立軸を鮮明にするための覚悟をもった転換だとの受け止め方もある。
しかし、私たちの認識は異なっている。県連が当初の県外移設の方針を堅持し、「島ぐるみ」で反対を貫いていたのなら、現状は大きく変わっていたはずだ。
2009年の衆院選民主党が大勝し、政権交代を果たした。県内でも「最低でも県外」を掲げた民主党に風が吹き、自民党は全敗した。このため県連も県民世論に応える形で県外移設に舵(かじ)を切った。10年7月の参院選、12年12月の衆院選、13年7月の参院選で県外移設を公約に掲げた。県外移設を放棄した今となっては選挙を有利に運ぶための手段だったとしか思えない。
13年11月に県関係国会議員5人が党本部の圧力に屈し、公約に反し辺野古移設容認に転じた。その後、県連も「あらゆる選択肢を排除しない」と辺野古移設を容認した。
なぜ、14年の知事選で10万票近い大差をつけられて敗北し、その後の衆院選でも自民党候補が全敗したのか。分析が大会の報告ではなかった。
肝心の政策がころころと変わったことが政治不信を生み、選挙結果に表れたのは間違いない。方針転換に当たり、その説明責任が尽くされたとはいえない。
普天間飛行場の5年以内の運用停止の取り組みでも齟齬(そご)が生じている。安倍政権は前知事と「できることは何でもやる」と約束したが、今になって新基地建設が前提といい、県連も「全ては翁長知事の協力のなさから来る」と責任転嫁を図っている。
当時の県側の実務責任者は新基地建設と運用停止の議論は「リンクさせないことが前提だった」と証言する。運用停止を求める県議会の意見書は自民を含む全会一致だ。
県連は全会一致を県民総意として党本部に働き掛けるべきではないか。>
沖縄自民党は古い体質から未だに抜けきれないようだ。彼らの頭の中にあるのは、確たる政治信念では無く、次の選挙をいかに有利にするかという打算だけであり、それは取りも直さず、政治を職業とする保身術にしか過ぎない。失職しないためにはどうすべきか?彼らの関心はこの一点にしかない。こんな無責任な連中に政治を任せてはならない。その節操のなさに多くの県民は飽き飽きしているのだ。
沖縄選出の自民党国会議員全員が、党本部の圧力に屈して、公約を翻して辺野古移設を容認し、石破幹事長が演説するその隣で、五人全員揃って、親に怒られる子供よろしく、きまり悪そうに椅子に座っている姿がニュースで流された時は、全国の笑い者となった。
あの臆病そうなだらしない姿は、多くの人々の記憶に今も生々しく残っているはずである。
そして、今回の辺野古移設容認である。党本部から甘いお菓子をもらったか、匂いを嗅がされたか知らないが、あまりの情けなさに、ただただ呆れるばかりである。
県民の皆さん、そういう沖縄自民党の連中を大いに笑ってやりましょう。そして、大いに軽蔑してあげましょう。!

「沖縄に内なる民主主義はあるか」批判 8

アメリカのポチ、又吉(ヒジャイ)が相変わらず在沖米軍を持ち上げている。昨日のブログで、糸数慶子を批判しつつ、在沖米軍の存在を正当化している。
この男の思想傾向はどんなに批判しても批判したりないが、沖縄、ひいては日本のためにならない言動が続く限り、批判し続けるつもりだ。
< 沖縄を統治した民政府は正式には米民政府という。なぜか米を抜いて民政府と呼んでいる。共産党など革新は米軍が支配しているイメージを持たすために故意に復帰前は軍政府が統治していたように言うがそれは間違っている。軍政府ではなく民政府である。民政府を軍の組織であるように言う政治家や識者がいるがそれも間違いである。米国は議会制民主主義国家であり、米軍は大統領のシビリアンコントロール下にある。米国では米軍が政治に携わることは禁じられている。沖縄の政治的な統治は米国政府が行ったのであり米軍が統治してはいなかった。私たちはこのことを認識するべきである。> 
又吉(ヒジャイ)は何も分かっていない。あるいは占領軍を正当化したいために、知らないふりをしているのか。
民政府というのは名前だけで判断すれば、文官中心の政府だと思いがちだが、そうではない。真実を理解するためには、当時の歴史を簡単に振り返る必要がある。
1945年4月1日に沖縄本島に上陸した米軍は、ニミッツ米海軍元帥の名前で、軍政府布告(ニミッツ布告)を公布する。
日本政府の全ての行政権を停止し、南西諸島の居住民に関する全ての最高行政責任が、ニミッツに帰属するという内容の布告である。これでもって、琉球列島米国軍政府が成立したのである。その後、1950年12月15日に琉球列島米国民政府に改組されるが、最高責任者の民政長官は、全員軍人であった。
1957年に民政長官制は廃止されて、高等弁務官が最高責任者となる。6代続く歴代の高等弁務官は全員、中将の肩書きを持つ軍人であった。
3代目のキャラウェイ中将の時の民政官は、キューン氏という文官で、以下祖国復帰まで、4代の文官の民政官が続くが、あくまでも、琉球列島米国民政府の最高権力者は、軍人である高等弁務官だったのである。
又吉(ヒジャイ)は、民政府という言葉にとらわれて、恰も文官による政治が遂行されたような言い分だが、下手な冗談はやめてもらいたい。
占領期間中、文官による民政ではなく、軍人による軍政が行われたのは明らかである。議会制民主主義がどうあろうと、シヴィリアンコントロールがなんだろうと、アメリカ政府は、27年間沖縄で軍政が実行されることを承認したのである。
議会制民主主義を口にするやいなや、思考停止に陥る又吉(ヒジャイ)は、いい加減な言論活動をやめて、隠遁生活を送ったらどうだ。
< 65年の事故は、演習中の米軍輸送機Cー130から投下されたトレーラーが、落下地点の読谷飛行場からはずれて住宅地に落ち、自宅の近くにいた同村字親志の棚原隆子ちゃん(当時喜友名小学校5年生)の上に落ち、圧しつぶして死亡させた。私はトレーラーのパラシュート降下訓練をしていたことに驚いたが、隆子ちゃんの死は事故であり、このような事故が起こらないように米軍はやるべきであると考えたが米軍非難する気持ちはなかった。だから抗議集会に参加したい気持ちはなかったが、読谷高校の生徒は全員参加するように学校から指示があり、回りの生徒も参加に積極的だったので私も参加した。米軍基地非難だけに徹している演説に、世界情勢を知らない、心の狭い大人たちだと思い、あきれた。>
又吉(ヒジャイ)は現在も、読谷に住んでいる。その読谷で痛ましい事故が起きた。小学校5年生の女の子が、米軍輸送機から投下されたトレーラーの下敷きになって、圧死したむごたらしい事故である。
この時、又吉(ヒジャイ)は読谷高校生であった。上に引用した、その時の彼の感想文を読んで、全身が凍りつくような感覚に襲われるのは、ぼくだけだろうか?
抗議集会に嫌々ながら参加した又吉少年は、米軍を非難する気持ちがなかっただけでなく、基地非難の演説をする大人たちを、「世界情勢を知らない、心の狭い大人たち」と見下しているのだ。俺は世界情勢を知っている、諸君は何も知らないだろう?
こんな恐ろしい高校生が、よくこの沖縄にいたものだ、と考えるとただただ愕然とするのみである。悲しみと怒りに包まれる村人たちの中で、一人だけ白ける高校生、又吉康隆。彼にとっては、感性、感情、心よりも理屈、理論の方が大事らしい。薄情な感性と頭でっかちの高校生。想像するだけで、嫌な気分になる。
彼にとって、圧殺された女の子に寄り添うことよりも大事な「世界情勢」とは一体いかなるものであろうか?
彼の言論を調べていくと、どうやら、米軍は共産主義と戦っているのだから、在沖米軍の行動は全て正当化される、ということらしい。そして、米国は議会制民主主義国家であり、米軍はシヴィリアンコントロールの下にあるから、米軍が間違いを犯すはずがない、と言っているのだろう。
あまりにも歴史認識が軽薄で、幼稚すぎる。確かに、コミンテルンの総本山であったソ連という国家は、世界を恐怖せしめ、気の弱い政治家たちを震え上がらせた。
しかし、米国の産軍複合体も、世界中で戦争を仕掛けて、無辜の民を無数に殺戮して、世界の嫌われ者となったのも事実だ。
東京を無差別攻撃して、無辜の日本人を一夜にして10万人も焼き殺すことが、議会制民主主義国家というだけで許されるのか。果たしてこの東京大空襲シヴィリアンコントロールしたのは一体誰だ?
この他にも議会制民主主義国家米国が犯した国家的犯罪は無数にある。ソ連コミンテルンと同等である、とまでは言わないが、その悪どさに於いて、いい勝負である。
ソ連の崩壊とともに、コミンテルンは消滅した。コミンテルン亡き後の共産党なんて、牙の抜けたライオンみたいなものだ。しかし、米国の産軍複合体はまだ健在である。資本主義経済の最終形態である金融資本家たちを中心とする、いわゆるグローバリストの目的は、ひたすら利潤の追求であり、そのためには手段を選ばずなんでもやる連中だ。
貧乏国のヒトラーに資金を提供したのは、自動車産業のフォードであり、モルガン銀行であった。おかげで目覚しい経済復興を成し遂げたヒトラーは、ベルサイユ条約で煮え湯を飲まされた復讐を遂げるべく、第二次世界大戦へと突っ走った。
議会制民主主義には真の力はない。世界を現実に動かしているのは、金融資本家達であり、それとつるんだ産軍複合体であって、議会制民主主義は、彼らにとって大衆を騙す都合の良い、カムフラージュのための制度にしか過ぎない。
又吉(ヒジャイ)は、左翼共産党勢力を批判して、議会制民主主義を馬鹿の一つ覚えみたいに賞賛するが、あまりにも単純過ぎて、つい軽蔑したくなる。
高校生の時に大人を見下した彼の世界情勢とは、今では誰も相手にしない図柄だが、驚くべきは、現在もその世界情勢観のままでいることだ。
彼のように、左翼共産党勢力を批判するだけで世界情勢を判断するのは、あまりにも視野の狭いやり方で、ますます複雑化する現代を読み解くことは不可能だ。
< 私は米軍の沖縄駐留に賛成だった。だから、トレーラー圧殺事故で,抗議を受けたアメリカ民政府のフライマス渉外局長は、交通事故と同じだと言い、沖縄紙はそれを開き直りであり、県民の怒りはさらに増大したと書いてあったが、私はフライマス渉外局長と同じ考えだった。米軍は同じ事故を起こさないように訓練のやり方を変更し、事故が起こらないように努力するべきであるとは思ったが米軍に対する怒りも米軍基地は撤去するべきであるという考えも私にはなかった。>
米軍輸送機から投下されたトレーラーに圧殺される事故が、交通事故と同じだとする神経がぼくにはどうしても理解できないのだ。これは基地の中で起きた事故ではない。民間区域で起きた事故である。これに怒りの感情もわかない人間は、もはや人間ではない。
又吉(ヒジャイ)は自分のブログの指針に、「私はウチナーンチュである前に人間でありたい。」と書いている。
彼に言いたい。人間である前にウチナーンチュでありなさい、と。その方が、しっかり地に足がつき、迷い無く安心できて、世界が具体的に良く見えるようになるよ、と言いたい。
「花の美しさというものはない。美しい花があるだけだ。」
という小林秀雄の有名な言葉を持ち出すまでもないとは思うが、次のように言い換えることもできそうだ。「人間という抽象的概念は存在しない。ウチナーンチュという具体的存在があるだけだ。」
身近にある具体性から出発しない限り、普遍性に至ることはない。ウチナーンチュから出発して初めて、普遍的人間性を獲得できるのだ。又吉(ヒジャイ)は哀れな根なし草である。

 

 

 

 

 

大田元知事がノーベル平和賞候補に

今日はシーミーの日である。沖縄の大きな伝統行事の日に吉報が入ってきた。大田昌秀元知事がノーベル平和賞候補になった、と沖縄タイムスが報じている。「平和の礎」の創設に尽力されたことが、大きな理由らしい。ぜひ受賞してもらいたいが、個人215人、103団体が候補として登録されているということで、受賞には厳しいものがあるかもしれない。
どのような手続きが踏まれるのか、具体的内容は知る由もないが、もし大田さんに決まれば、沖縄にとって良い意味で、対外的に大きなインパクトを持つだろう。
我が国で唯一、住民を巻き込む地上戦が戦われ、その時地獄を味わった人々は、現在、皆ご高齢で、大田さんも今年91歳になられる。人一倍沖縄の平和を願い、そのために闘ってきた人だけに、辺野古米軍基地建設が、日米両政府の強権で進められていく現状を見て、忸怩たる思いをお持ちだろう。
しかしそれでも、沖縄の未来のために、あえて困難な道を歩む。日米両政府の権力がどれほど巨大だとしても、それを突き崩すためには、その不条理性を指摘し続ける他に、方法はないことも確かだ。
しかし、大事なことは、持続する志を持ち続けることである。我に理があれば、敵がどれほど多数だろうと、一歩も引かない。世界の良識派は、きっと沖縄の闘いを理解するだろう。
大田さんに是非、ノーベル平和賞が授与されますように!

悪口コラムニスト高山正之

高山氏が変見自在というコラムで、「韓国人翁長」のタイトルで、沖縄を侮辱している。タイトルだけで氏の人間性が疑われるのに十分だ。韓国の悪口を散々述べたうえで、次のように綴っている。

< 沖縄は朝鮮に似る。 琉球王朝北朝鮮と同じで、共産主義独裁を敷き、民を苦しめ、農地を荒廃させた。 見かねた島津藩が悪政を廃し、民は喜んだ。 明治維新後、鍋島公が県知事で赴任すると、琉球王は清に救援を乞い、英国にも直訴した。 ハーグ万国平和会議に直訴した李氏朝鮮と同じことを30年前にやっていた。
先の戦争で米軍は沖縄を太平洋戦略拠点として総力を挙げて占領した。 アマーコストはその重要性を「宝石」に譬えた。 日本は懸命に守った。 特攻を繰り出し、戦艦大和も出した。 それを「捨石にされた」と恨み言を言う。 被害者意識は朝鮮の言う「七奪」より酷い。
第3代の沖縄高等弁務官ポール・キャラウェーは沖縄を「日本も羨む高所得地域にする」と金融を支援し、医療環境も改善した。 しかし融資先は銀行の身内や顔役だけ。 いい医薬品は本土にみな横流しした。 米国の善意は特権と腐敗しか生み出さなかった
無能で見栄っ張りで努力もしない。 そのくせ口では自治拡大を叫ぶ。 キャラウェーは切れて「沖縄の自治など神話だ」と言った。気付けば日本は五輪を開くほど復活していた。 「驚異の再来」を見た米国はふとルーズベルトを思い出した。 そうだ。 荷厄介は日本に押し付けよう。 日本は困惑し、疲弊するだろう。 翁長は朴槿恵に似て、期待によく応えている。’15.8.13・20の週刊新潮より>

この人の論述方法に特徴的なのは、事実と嘘を混合させて、歴史の真実を歪な形にすることである。

<沖縄は朝鮮に似る。琉球王朝北朝鮮と同じで、共産主義独裁を敷き、民を苦しめ、農地を荒廃させた。見かねた島津藩が悪政を廃し、民は喜んだ。>

どのような史料に基づいてこんなデタラメなことを平気で言えるのだろうか?同じようなことを言う沖縄の言論人もいるが、嘘である。1609年に琉球を侵略した島津藩のおかげで、今まで王朝に収めていた租税の他に、藩に納める分が増えて民は苦しんだのである。以来、ウチナーンチュのヤマトゥンチュに対する不信感が醸成されることになる。これが歴史の真実だ。

キャラウェイの沖縄自治神話発言については、1月26日の当ブログで高山氏を批判した通りで、ここで繰り返すつもりはない。興味のある方は、同日付の当ブログを参照されたい。

< 無能で見栄っ張りで努力もしない。 そのくせ口では自治拡大を叫ぶ。 >

などとは、同じ日本人のくせして、時の支配者キャラウェイに同調する高山正之という人間は、いったい自分を何様だと思っているのだろうか?

< 荷厄介は日本に押し付けよう。 日本は困惑し、疲弊するだろう。 翁長は朴槿恵に似て、期待によく応えている。>

氏は思い込みで事実を歪曲している。氏の人間性を疑わざるを得ない。悪意しか感じられない。韓国人だけでなく沖縄人も侮辱した差別発言だ。氏の罪は大きすぎる。こんな男を許すわけにはいかない。

 

 

ソフィアローレンの「あゝ結婚」Matrimono all'italiana

粗筋。菓子店経営の事業で成功した資産家のドメニコ(マルチェロマストロヤンニ)は、大変な好色家である。或る日、売春宿に居る時、空襲警報が鳴り、売春婦も客たちも避難のため、急いで外に出て行くが、女がひとり居残っているのに気づいたドメニコは、ここにいると危険だから早く避難するようにと声をかける。しかし、女は街の人に見られるのが恥ずかしくて怖い、と言って拒否する。
ドメニコは、女の態度を訝り、名前を聞くと、フィルメーナ(ソフィアローレン)だと答える。未だ17歳ということも分かった。その間も、爆弾が建物に落ちて爆発するが、部屋の窓が吹き飛ぶほどの激しさである。
そのような状況の中、二人は不安そうに見つめ合う。これが二人の最初の出会いであった。それから数年が過ぎ、二人は偶然、再会する。フィルメーナはすぐ彼を認識したのに、遊び人のドメニコは彼女を思い出すのにちょっと時間がかかる。
フィルメーナはもう立派な大人になっている。そして二人の付き合いが始まり、二人は愛し合う仲になるが、フィルメーナは自分が売春婦であることに引け目を感じている。しかしドメニコはそんなことに動じる様子はない。
愛が深まるにつれ、フィルメーナは正式に結婚を願うようになるが、遊び人のドメニコとしてはフィルメーナをつなぎとめるため、靴、洋服、家を買い与えたり、母親の面倒も見させるが、正式に結婚する意思はない。
さて、このあと物語がどう展開して行くか、映画を未だ見ていない人に怒られそうなので、下手な解説はこのくらいとしよう。
とにかく文句なしに面白い映画である。ソフィアローレンが美しい。まばゆいほどの美しさである。その野生の香り、母性本能、その健康的快活さ、ソフィアローレンこそ人類の女神である!
ぼくはソフィアローレン教信者であ〜る。
マストロヤンニの演技も素晴らしい。だらしないが、どこかしら優しい、どこにでもいそうな平凡な男を、見事に演じきっている。「ひまわり」の別れのシーンで、発車して遠ざかる汽車の窓からジョヴァンニを見つめる、あのアントニオの哀しい表情は、マストロヤンニ以外の俳優では出せない、完璧な演技であった。
何はともあれ、世の男性諸君、人類の女神に会いに行こう!

 

 

 

 

「西尾幹二のインターネット日録」を読もう

昨日のブログで、北方領土交渉についての感想を述べたが、「西尾幹二のインターネット日録」を覗いたら、ゲストエッセイとして勇馬眞次郎氏が「北方領土について」と題する本日付の論文を掲載されていることがわかった。

読んでみると、内容の深さに驚くと同時に、自分の浅学を思い知らされたのだが、アルハンゲルスキーという名前の人物の存在もこの論文で初めて知った。

勇馬氏はアルハンゲルスキーを次のように紹介している。「4島返還がロシアの神聖な義務である、と主張したV.A.アルハンゲルスキー(Valentin Akimovich Arkhangelsky)は何故かウイキペディアに登場せず生存しているかどうかも知れませんが、1928年生まれで作家、ジャーナリスト、イズベスチャ紙副編集長、イズベスチヤ紙別冊週刊ニェジェーリャ誌編集長、ウズベキスタン国会議員タシケント市長を歴任したソ連中枢の人物です。ロシア人としての良心に根差したこの勇気ある発言はかつてのソルジェニーツィンと共通します。ソルジェニーツインは、今では忘れられた作家ですが、20世紀ロシア文学の最高峰としてロシア文学史上トルストイドストエフスキーに匹敵する存在で、北方領土はずっと日本領だったと公言していました。」

昔、ソルジェニーツインの本を何冊か読んだことはあるが、彼が北方領土は日本領だったと公言していたとは、正直知らなかった。

ぼくはロシア文学は大好きで、ドストエフスキーの「罪と罰」、トルストイの「アンナカレリーナ」は英訳版で読むくらいに好きで、今は「War and Peace」を4分の一ほど読み終えたところである。ロシア文学はロシア語で味わいたいと思い、独学で着手したのだが、ロシア語は想像以上に難しく、さじを投げたままになっている。

そんなことはどうでも良いが、勇馬氏のこの論文は長いので、ぼくが下手に解説するよりも、多くの人に「西尾幹二のインターネット日録」に投稿されたこの素晴らしい論文を是非、読んでもらいたい。

そして勇馬氏が言及した本、アルハンゲルスキー著『プリンス近衛殺人事件』を先ほど早速amazonに注文した。日を改めて、この本の内容を紹介できればと思う。