「沖縄に内なる民主主義はあるか」批判 8
アメリカのポチ、又吉(ヒジャイ)が相変わらず在沖米軍を持ち上げている。昨日のブログで、糸数慶子を批判しつつ、在沖米軍の存在を正当化している。
この男の思想傾向はどんなに批判しても批判したりないが、沖縄、ひいては日本のためにならない言動が続く限り、批判し続けるつもりだ。
< 沖縄を統治した民政府は正式には米民政府という。なぜか米を抜いて民政府と呼んでいる。共産党など革新は米軍が支配しているイメージを持たすために故意に復帰前は軍政府が統治していたように言うがそれは間違っている。軍政府ではなく民政府である。民政府を軍の組織であるように言う政治家や識者がいるがそれも間違いである。米国は議会制民主主義国家であり、米軍は大統領のシビリアンコントロール下にある。米国では米軍が政治に携わることは禁じられている。沖縄の政治的な統治は米国政府が行ったのであり米軍が統治してはいなかった。私たちはこのことを認識するべきである。>
又吉(ヒジャイ)は何も分かっていない。あるいは占領軍を正当化したいために、知らないふりをしているのか。
民政府というのは名前だけで判断すれば、文官中心の政府だと思いがちだが、そうではない。真実を理解するためには、当時の歴史を簡単に振り返る必要がある。
1945年4月1日に沖縄本島に上陸した米軍は、ニミッツ米海軍元帥の名前で、軍政府布告(ニミッツ布告)を公布する。
日本政府の全ての行政権を停止し、南西諸島の居住民に関する全ての最高行政責任が、ニミッツに帰属するという内容の布告である。これでもって、琉球列島米国軍政府が成立したのである。その後、1950年12月15日に琉球列島米国民政府に改組されるが、最高責任者の民政長官は、全員軍人であった。
1957年に民政長官制は廃止されて、高等弁務官が最高責任者となる。6代続く歴代の高等弁務官は全員、中将の肩書きを持つ軍人であった。
3代目のキャラウェイ中将の時の民政官は、キューン氏という文官で、以下祖国復帰まで、4代の文官の民政官が続くが、あくまでも、琉球列島米国民政府の最高権力者は、軍人である高等弁務官だったのである。
又吉(ヒジャイ)は、民政府という言葉にとらわれて、恰も文官による政治が遂行されたような言い分だが、下手な冗談はやめてもらいたい。
占領期間中、文官による民政ではなく、軍人による軍政が行われたのは明らかである。議会制民主主義がどうあろうと、シヴィリアンコントロールがなんだろうと、アメリカ政府は、27年間沖縄で軍政が実行されることを承認したのである。
議会制民主主義を口にするやいなや、思考停止に陥る又吉(ヒジャイ)は、いい加減な言論活動をやめて、隠遁生活を送ったらどうだ。
< 65年の事故は、演習中の米軍輸送機Cー130から投下されたトレーラーが、落下地点の読谷飛行場からはずれて住宅地に落ち、自宅の近くにいた同村字親志の棚原隆子ちゃん(当時喜友名小学校5年生)の上に落ち、圧しつぶして死亡させた。私はトレーラーのパラシュート降下訓練をしていたことに驚いたが、隆子ちゃんの死は事故であり、このような事故が起こらないように米軍はやるべきであると考えたが米軍非難する気持ちはなかった。だから抗議集会に参加したい気持ちはなかったが、読谷高校の生徒は全員参加するように学校から指示があり、回りの生徒も参加に積極的だったので私も参加した。米軍基地非難だけに徹している演説に、世界情勢を知らない、心の狭い大人たちだと思い、あきれた。>
又吉(ヒジャイ)は現在も、読谷に住んでいる。その読谷で痛ましい事故が起きた。小学校5年生の女の子が、米軍輸送機から投下されたトレーラーの下敷きになって、圧死したむごたらしい事故である。
この時、又吉(ヒジャイ)は読谷高校生であった。上に引用した、その時の彼の感想文を読んで、全身が凍りつくような感覚に襲われるのは、ぼくだけだろうか?
抗議集会に嫌々ながら参加した又吉少年は、米軍を非難する気持ちがなかっただけでなく、基地非難の演説をする大人たちを、「世界情勢を知らない、心の狭い大人たち」と見下しているのだ。俺は世界情勢を知っている、諸君は何も知らないだろう?
こんな恐ろしい高校生が、よくこの沖縄にいたものだ、と考えるとただただ愕然とするのみである。悲しみと怒りに包まれる村人たちの中で、一人だけ白ける高校生、又吉康隆。彼にとっては、感性、感情、心よりも理屈、理論の方が大事らしい。薄情な感性と頭でっかちの高校生。想像するだけで、嫌な気分になる。
彼にとって、圧殺された女の子に寄り添うことよりも大事な「世界情勢」とは一体いかなるものであろうか?
彼の言論を調べていくと、どうやら、米軍は共産主義と戦っているのだから、在沖米軍の行動は全て正当化される、ということらしい。そして、米国は議会制民主主義国家であり、米軍はシヴィリアンコントロールの下にあるから、米軍が間違いを犯すはずがない、と言っているのだろう。
あまりにも歴史認識が軽薄で、幼稚すぎる。確かに、コミンテルンの総本山であったソ連という国家は、世界を恐怖せしめ、気の弱い政治家たちを震え上がらせた。
しかし、米国の産軍複合体も、世界中で戦争を仕掛けて、無辜の民を無数に殺戮して、世界の嫌われ者となったのも事実だ。
東京を無差別攻撃して、無辜の日本人を一夜にして10万人も焼き殺すことが、議会制民主主義国家というだけで許されるのか。果たしてこの東京大空襲をシヴィリアンコントロールしたのは一体誰だ?
この他にも議会制民主主義国家米国が犯した国家的犯罪は無数にある。ソ連のコミンテルンと同等である、とまでは言わないが、その悪どさに於いて、いい勝負である。
ソ連の崩壊とともに、コミンテルンは消滅した。コミンテルン亡き後の共産党なんて、牙の抜けたライオンみたいなものだ。しかし、米国の産軍複合体はまだ健在である。資本主義経済の最終形態である金融資本家たちを中心とする、いわゆるグローバリストの目的は、ひたすら利潤の追求であり、そのためには手段を選ばずなんでもやる連中だ。
貧乏国のヒトラーに資金を提供したのは、自動車産業のフォードであり、モルガン銀行であった。おかげで目覚しい経済復興を成し遂げたヒトラーは、ベルサイユ条約で煮え湯を飲まされた復讐を遂げるべく、第二次世界大戦へと突っ走った。
議会制民主主義には真の力はない。世界を現実に動かしているのは、金融資本家達であり、それとつるんだ産軍複合体であって、議会制民主主義は、彼らにとって大衆を騙す都合の良い、カムフラージュのための制度にしか過ぎない。
又吉(ヒジャイ)は、左翼共産党勢力を批判して、議会制民主主義を馬鹿の一つ覚えみたいに賞賛するが、あまりにも単純過ぎて、つい軽蔑したくなる。
高校生の時に大人を見下した彼の世界情勢とは、今では誰も相手にしない図柄だが、驚くべきは、現在もその世界情勢観のままでいることだ。
彼のように、左翼共産党勢力を批判するだけで世界情勢を判断するのは、あまりにも視野の狭いやり方で、ますます複雑化する現代を読み解くことは不可能だ。
< 私は米軍の沖縄駐留に賛成だった。だから、トレーラー圧殺事故で,抗議を受けたアメリカ民政府のフライマス渉外局長は、交通事故と同じだと言い、沖縄紙はそれを開き直りであり、県民の怒りはさらに増大したと書いてあったが、私はフライマス渉外局長と同じ考えだった。米軍は同じ事故を起こさないように訓練のやり方を変更し、事故が起こらないように努力するべきであるとは思ったが米軍に対する怒りも米軍基地は撤去するべきであるという考えも私にはなかった。>
米軍輸送機から投下されたトレーラーに圧殺される事故が、交通事故と同じだとする神経がぼくにはどうしても理解できないのだ。これは基地の中で起きた事故ではない。民間区域で起きた事故である。これに怒りの感情もわかない人間は、もはや人間ではない。
又吉(ヒジャイ)は自分のブログの指針に、「私はウチナーンチュである前に人間でありたい。」と書いている。
彼に言いたい。人間である前にウチナーンチュでありなさい、と。その方が、しっかり地に足がつき、迷い無く安心できて、世界が具体的に良く見えるようになるよ、と言いたい。
「花の美しさというものはない。美しい花があるだけだ。」
という小林秀雄の有名な言葉を持ち出すまでもないとは思うが、次のように言い換えることもできそうだ。「人間という抽象的概念は存在しない。ウチナーンチュという具体的存在があるだけだ。」
身近にある具体性から出発しない限り、普遍性に至ることはない。ウチナーンチュから出発して初めて、普遍的人間性を獲得できるのだ。又吉(ヒジャイ)は哀れな根なし草である。