沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

又吉康隆を斬る!12

昨日のブログで、又吉(ヒジャイ)が性懲りもなく原理主義的民主主義論を展開して得意がっている。

彼の言説を批判する前に少しだけ横道にそれるのを許してもらいたい。彼の名前を括弧でヒジャイとしたのは、彼が個人で運営しているヒジャイ出版に因んだだけ。ヒジャイは琉球語で左利きという意味。彼自身が左利きだから、自分の身体的特徴を表す意図でヒジャイ出版の名称にしたと思うが、詳しい事情は知らない。本名は又吉康隆だが、これまでのように又吉(ヒジャイ)で通すことにする。

深い意味はないが、本名を使う事にある種戸惑いの感情を覚えるからである。彼は大学の先輩だから、ぼくは彼のことをよく知っている。一昨年の或る日、偶然、彼がチャンネル桜「沖縄の声」に出演しているのを知って驚き、自分の目を疑った。彼と話がしたいと思い、十何年ぶりに連絡を取り、待ち合わせの場所、中の町のファーストフード店で色々聞いてみた。「沖縄の声」に出演する動機が知りたかった。

ところが話が進む中でぼくが感じたのは、彼は以前の又吉とは全く違う人間になってしまっている、ということだった。学生時代、そして社会人となってからも、ぼくは彼に人間的魅力を感じていた。

しかし、彼に対する認識は一変した。一人の人間に対する認識が、これほど深く根本的に変わる経験は、生まれて初めてと言って良い。米政府のイラク戦争を、彼は正当化した。フセインは独裁者で米国は民主主義国家という単純な理由だった。

ぼくが反論すると、議論しても無駄だ、と彼は言い、居酒屋談義だと言って、ぼくを小馬鹿にするような態度をとった。???反論を許さない人間が民主主義を語る資格があるのだろうか?

ぼくも彼が乗ってこない議論は意味がないと思い、これまでの誼もあり、なんとか喧嘩別れにならずに済んだ。それでもバス停で待機している間、腑に落ちないわだかまりの気持ちが続いた。その日彼から購入した『沖縄内なる民主主義7』を車中で読んで、心臓が高鳴るのを感じた。

又吉は、ぼくが思い描いていた人間ではない。明らかに別人だ。彼の文章から聞こえてくるのは、戦後駐留し続ける米軍基地のあまりの不条理・理不尽さに抵抗してきた沖縄の人々を攻撃し非難する姿勢である。信じ難い。これが琉大時代、革マル派に所属していた、あの又吉康隆か?

一体彼は学生運動で何を学んだのだろうか?勿論、過激な学生運動から転向した人間は数多い。武装共産党の書記長を務めた田中清玄も獄中で転向した一人だ。しかし革命思想を捨てたとは言え、彼はもともと国士である。強烈な信念の持主だから、米軍占領などという屈辱に耐えられる筈がない。これからは日本再生のために力を尽くす。終生、日本が米軍に屈服する現状と闘い続けたのである。

田中清玄という大物と比較したくはないが、又吉(ヒジャイ)は過激革命思想を捨てた後は、米軍占領を容認するどころか称賛する売国奴言論人に変貌したのである。信念のあるなしで人間はこれほども違うという良い証明だろう。

又吉(ヒジャイ)は学生運動を徹底しなかった。彼にとって、学生運動は子供の遊び程度に過ぎなかったのだ。革マル派という過激セクトに属したのも、単なるポーズにしか過ぎなかったことが、今となっては理解できる。この不徹底さが、彼の思想傾向を特徴付けているとも言える。

彼の思想に納得できないぼくは、メールで議論を仕掛けた。何度かやり取りするうちに、これ以上議論したくないとの彼のメールで打ち切りになった。

しかしこれで終わったわけではない。ネットを検索していると又吉(ヒジャイ)のブログ「沖縄に内なる民主主義はあるか」を見つけた。この中に掲示板が設定されている。これを活用しよう。

皮肉なことに、彼のブログは彼の思想傾向を知るための材料を提供している。早速掲示板に批判文を書いて議論を再開した。お互いに丁々発止応酬しあって半年程続いたであろうか、例の如く彼の方から痺れを切らして、掲示板そのものを廃止したのである。

批判するだけ批判したからこれで良かろう、とぼくは思い、普段通りのんびりした生活を送っていた。しかし、チャンネル桜「沖縄の声」の沖縄に対する偏見があまりにも酷い。彼らの偏見がネットで拡散されて本土の言論人たちが沖縄を攻撃する材料にしている。

この状況を見て、ぼくの心の中で何かが動いた。彼らの沖縄に対する攻撃は沖縄人であるぼくに対する攻撃でもある。黙っているわけにはいかないだろう。ネットの時代だ、彼らがネットを武器にするなら、逆にこちらもネットを使って反撃してやろうじゃないか。

自分のブログを開設しようと思いついたのは、去年の1月である。幸いなことに、無料で開設できるサイトがたくさんある。その中からhatenaを選んだ。光陰矢の如しで一年七ヶ月があっという間に過ぎた。思いつくままに、関心のあることだけを書くことにしてきたが、ネット世界の恐ろしさを実感させられたことがあった。

去年、『西尾幹二のインターネット日録』に寄稿された勇馬眞次郎氏の文章を紹介したところ、本人からコメントを頂いたのである。これには正直驚いた。ネットの世界には距離感がない!

氏のコメントがきっかけとなり、在沖米軍基地をめぐる日本の安全保障について、勇馬氏と議論を交わすことになった。勇馬氏の真摯な問いかけに、自分の見解を述べるのが精一杯で、冷や汗のかきっぱなしであった。

抑止力について双方の見解は食い違ったままで終わったが、自分の認識を整理する良い契機になったと思う。抑止力とは何か、もっと幅広く深く探求する必要があると自戒もしている。その意味では勇馬氏に感謝しなければならない。

さて随分と横道に逸れてしまったが、本題に移りたい。又吉(ヒジャイ)は米中貿易戦争を、ネットのどのサイトから引っ張ってきたか知らないが、うんざりするほどの数字を羅列して論じているが、ぼくはそんなことには少しも興味がない。経済問題に詳しいフリをする又吉(ヒジャイ)の姿勢が鼻に付くだけだ。イラク戦争について論じた部分だけを俎上にあげて批判したい。

イラク戦争で米国による民主化を全然評価しなかったマスコミ、評論家
次の文章がマスコミや評論家の平均的なイラク戦争評価である。

アメリカのブッシュ政権イラク戦争開戦の理由について、大量破壊兵器を開発・保有する独裁国家イラクの脅威から国際社会を守るためだと説明した。しかし、フセイン政権が崩壊し戦闘が終結しても、開戦の理由だった大量破壊兵器は発見されなかった。アメリカ政府は独立委員会で経緯を調査し、大量破壊兵器の情報は虚偽だったと結論づけた。イラク戦争大義などなかった。

ほとんどのマスコミや評論家は核兵器や生物・化学兵器という大量破壊兵器がなかったのにイラクを攻撃したことを非難するだけで、フセイン独裁政権を崩壊させた後に選挙による議会制民主主義国家にイラクを変革させたことを全然評価しなかった。
米軍がフセイン独裁政権を倒した後に米国は指導してイラクを大統領と国会議員は国民の選挙で選ぶ議会制民主主義の体制をつくった。イラク軍事独裁国家から議会制民主主義になったのである。
米国によって議会制民主主義になったのだから内側からの民主主義革命ではない。外側からの民主主義革命である。外側からであろうが民主主義革命であることには間違いない。しかし、多くのマスコミがイラクの民主主義革命に拍手をしなかった。フセイン政権は核保有の証拠もなかったのに米国が進攻したことを非難した。ほとんどのマスコミはイラク民主化に興味がなかったのである。
米国が議会制民主主義国家にした理由は、戦後、内政干渉をして、普通選挙による議会制民主主義国家にした日本が平和であり続け。順調に経済も発展したことを重視して、日本を参考にして議会制民主主義国家体制をつくったのである。米国はそのことを公表したがそのことに関心を持つマスコミはいなかったようである。
米国がイラクのバアス党政権を打倒し、それに続く選挙の実施によってイラク民主化」の達成を目指していたことは報道したが、イラク民主化の困難性を指摘したり、民主化の壁となっている問題を指摘することはなく。その後のイラクの様子を淡々と報道するだけで民主化の進展に注目した報道はなかった。

イラク戦争後に米国には民主主義精神が存在しているがマスコミにはないことを知った。日本のマスコミ、評論家も同じであった。と書くとまずい。私は日本の全てのマスコミと評論家を調べたわけではない。ネットで調べただけだ。私がネットで調べた範囲ではイラクの政治を民主的な視点で分析している日本のマスコミと評論家はいなかったと言っておこう。≫


以上が又吉(ヒジャイ)のイラク戦争を題材にした民主主義論であるが、これを読むと彼がいかに幼稚な頭脳の持ち主か、よくわかる内容の文章ではないか。

イラク戦争は、米国の侵略戦争であることは明白であるが、又吉(ヒジャイ)の奇妙な思考回路を通ると、米国はイラクに侵略して民主主義革命をもたらしたことになるらしい。それだけではない。彼はそのことを賞賛し、それに触れないマスコミを一方的に非難するのである。

いやはやなんとも空いた口が塞がらない。

又吉(ヒジャイ)は中東の複雑な歴史も知らなければ、イラク人の立場になって想像力を働かせる能力もない。民主主義でありさへすれば、何をやっても免罪符を与えてやる。こんなマヌケ野郎が、堂々と恥もなく沖縄で論陣を張っているのだ。

米国が大量破壊兵器の存在を口実にイラクを侵略し、フセインを裁判にかけ殺害した後、民主主義を導入したのは、後付けの政策であって本来の目的ではなかった。大量破壊兵器が存在しないことが判明して、イラク戦争大義なき侵略戦争であるとの烙印を押されるのを恐れて、低脳ブッシュ大統領は、日本を例に出してイラクに民主主義を植え付ける、と言い訳したのだ。

その言い訳も低脳ブッシュらしく、実に出鱈目である。日本とイラクは歴史が違うだけではない、物の考え方、宗教観が大きく異なる。戦前の日本は帝国主義体制を敷いた国家ではあったが、独国とは違い、世界征服の野心などなく、日本独自の民主主義が根付いた国家だった。

帝国主義体制を取らざるを得なかったのは、アジア全域を植民地化した欧米列強の帝国主義に対抗しなければ日本が植民地にされるという、真っ当で正確な国際情勢の判断が働いたからだ。

武士道精神で国防の鬼と化した日本軍人だが、負けた時は潔く敗北を認める。これにマッカーサーが驚いた。厚木飛行場に降り立った彼は、日本兵の蜂起を予想したらしいが、杞憂であった。

イスラム教を信仰するイラクと日本は国の成り立ちの根本が明らかに違う。米国式の民主主義は彼らの肌に合わないのだ。もしイラクに民主主義が根付くとすれば、イラク独自の歴史・風俗・文化・宗教を踏まえたものでなければならないだろう。

しかし、米国は強引に米国式民主主義を押し付けた。それが一つの原因となり、イラク人民の抵抗は激しくなって、ついにISというテロリスト集団を生んだのである。米国の手前勝手な侵略が強力なテロリスト集団を産み落としたのだ。

その意味で米国の罪は大きいと言わなければならない。罪という言葉は軽すぎる。イラク戦争は米国の国家犯罪に他ならない。国際社会は国際司法裁判を開いて米政府を裁くべきである。そして相応の国家賠償をイラク国民に支払うよう命じるべきである。

イラクの国土を破壊し、何十万ものイラク人民を殺害した責任をとって、米政府はイラク国民に謝罪し、国家賠償を執行すべきだろう。

米国は世界一の大量破壊兵器を所有する国である。自分の国は許されて、イラクは何故許されないのか?フセインは独裁者だから許されない?イラクにはイラクのやり方というものがある。フセイン大統領の時代、イラクは安定していた。政敵が抑圧されることがあっても、それなりに安定していたのだ。

イラク戦争後のイラクの惨状と、フセイン時代のイラクを比較すれば歴然だろう。

又吉(ヒジャイ)のように民主主義を盲信してはいけない。それぞれの国情に合わせた民主主義があってしかるべきだ。そしてお互いの違いを認め合う。これが大人の付き合い方というものだろう。

しかし、又吉(ヒジャイ)が唱える民主主義は米国式民主主義が唯一で犯すべからず神聖なものとなる。米国式民主主義には誰も逆らってはならない。米国式民主主義を受け入れない奴は武力で叩いてでも従わせる。

なんと傲慢で勝手で恐ろしい民主主義だろう。又吉(ヒジャイ)という人間は、沖縄だけでなく日本国内で極めて稀な原理主義的民主主義の提唱者である。

民主主義という言葉は聞こえはいいが、人間が作る制度である以上、限界があるし欠点もある。それを見極める努力を怠らないことが大事であり、決して又吉(ヒジャイ)のように盲信してはならないし、思考停止状態に陥ってはならない。

トランプ大統領の登場で今、米国が揺れに揺れている。引き摺られるように世界も大きく揺れている。どうやら戦後体制の見直しが始まっているようだ。米国はいまや世界の警察官の役割を終えようとしている。

金正恩委員長との会談、そしてプーチン大統領との会談を見ればそれとなく推測できる。今世界中が民主主義のあり方を問いかけている。米国式の民主主義を世界中に押し付けるか、それとも独自の歴史、文化、風俗、宗教に見合った独自の民主主義を容認するか。各国独自の個性をお互いに尊重する方向に向かうのか、世界中が模索する現在、ただ一人又吉(ヒジャイ)だけが米国式民主主義の旗を掲げて気炎を上げている。

なんと時代遅れでレベルの低い、浅ましい人間だろうか。又吉(ヒジャイ)批判は今回で12回目だが、機会あるごとに批判していくつもりだ。