沖縄よ! 群星むりぶし日記

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初討論会は玉城デニー候補の勝利!しかし、油断は禁物だ

昨日、佐喜真淳候補と玉城デニー候補の初めての公開討論会が行われた。主催者は日本青年会議所沖縄ブロック協議会。場所は南風原町立中央公民館。

今朝の新報の報道で知り、早速動画はないか調べたらあった。しかし残念なことに音声が悪い。映像の写りも良くない。それでも時間の経過とともに聴覚が慣れてきて、何とか聞き取ることができた。

時間は約2時間。最後まで聞いた。感想を一言でいうと、玉城デニー候補の圧勝である。

その落ち着きぶり、弁舌の爽やかさ、明快な論理性。思考の柔軟性。ソフトなイメージだが、ブレない強さ。そして政治的課題についてよく勉強している。決定的なのは彼の郷土を愛する気持ちは本物だということである。

討論の最後で、両候補に与えられた5分間で有権者に訴える場面。玉城候補は、一番大事にしたいことは「沖縄はイデオロギーよりもアイデンティティ」と言った翁長知事の言葉であると述べ、その重要性を強調してスピーチの最後で「にふぇーでーびぃーたん(ありがとうございました)」と言って聴衆に向かって深々と頭を下げたのである。

一方の佐喜真候補は、声こそ大きいが論理に緻密さがなく大雑把であり、先日発表した大風呂敷の政策を裏付けするような内容であった。グローバルにダイナミックに、という言葉を連発するが、少しも聞き手の心に響くものがない。

政治家にとって言葉は一番大事なものだ。特に「語る言葉」は政治家の命と言っても過言ではない。文章化された政策や、新聞に載る政治家の発言では知ることのできない本音が、ぽろっと出たりするのを見ることができるのは、はやはり生の討論会ならではである。

昨日の公開討論会を見て、多くの聴衆は玉城候補に軍配をあげたのではないか。ぼくの判定は玉城候補の圧勝であった。

当初、佐喜真候補の選挙事務所は、地元メディアによる討論会を拒否し、青年会議所主催の討論会なら出る旨の発言をしていた。佐喜真候補の希望が実現したのだから、今後は是非地元メディア主催の討論会も快諾して欲しいものだ。

正々堂々と有権者の前で議論を闘わせる。そして誰の主張が正しいか、有権者に判断してもらう。民主主義社会では当然のことである。昨日の討論で劣勢に立たされたのを苦にせずに、佐喜真候補は勇気を持って、次回の討論会を受けて立つべきである。

さて、討論で圧倒したとはいえ、玉城陣営は決して油断してはならないだろう。各種世論調査で玉城候補有利と出ているらしいが、少しの気の緩み楽観視が逆転を許してしまうのは、選挙では良くあることだからだ。

今年2月の名護市長選がそうだった。大方の予想は現職の稲嶺市長有利だった。しかし蓋を開けたら大差の逆転負けだった。選挙戦術に長けた自民党はあらゆる手を使って襲ってくる。自公連立を侮ってはならない。前回自主投票だった公明党は佐喜真候補を推薦する。下地幹郎の維新の会も佐喜真陣営に加わった。

そして滑稽にも希望の党が支援することになった。希望の党?まだ存在していたんだ!中山恭子さんもよほど政治運のないお方だ。日本のこころという奇妙な政党がなくなったと思ったらゾンビのように希望の党に在籍しているとは。

少し脇道にそれるが、中山恭子さんが日本のこころの党首だった時、あのデマ常習犯・ボギー手登根が参議院選挙で、日本のこころから九州・沖縄ブロックの比例代表で出馬したことがあった。

当然落選したが、あの出来事は中山恭子さんという方がいかに人を見る目がないか、如実に証明することになったのである。いくらなんでもデマ常習犯・ボギー手登根を参議院選挙に担ぎ出すとは。

余計なことかもしれませんが、中山恭子さん、政界を引退なさったらいかがでしょうか。ぼくはあなたの人柄をどうこう言うつもりはありませんが、蚊のように小さいお声は有権者の耳に届きません。

「語る言葉」は政治家の命です。蚊のような小さい声は政治家に向いておりません。この人何か悪いことでも隠しているんじゃないかしら、と勘ぐってしまうのです。はやく引退なさって日本の文化の向上のために力を尽くしてもらいたいものです。これからはゆめゆめ、ボギー手登根のような精神の薄汚い男を相手にしてはいけません。

話を元に戻すと、独裁体質の強い安倍政権を決して侮ってはならない。しかし勿論、少しも恐れる必要はないが、トップが米国追従の頭の悪いお坊ちゃんだから、下々の連中が何をしでかすか最大限警戒する必要があるだろう。

今回の知事選を落としたら、安倍・菅コンビのプライドに深い傷がつく。ただそれだけの理由で、我が国の安全保障上の確たる信念もない安倍・菅コンビはなりふり構わず牙を剥いて襲いかかってくる。

彼らに対抗するための手段は、辺野古新基地がいかに理念なき不条理の論理に立っているか、怯まずブレずに正論を主張し訴え続けることである。そして針の穴ほども楽観ムードがあってはならない。