勝利の余韻がまだ抜けない。外を歩くと、気のせいとは思うが、人々の顔が晴れ晴れとした表情で明るく見える。大きな嵐が過ぎ去った後の安堵感のようにも感じられる。
人間の心というものは不思議なものだ。悲しい時は自分の周りの人々も景色も悲しく見えるが、嬉しい時は、周りの全てが明るく輝いて見える。何故そうなのか、心に問いかけても、答えは返ってこない。
玉城デニー候補の大勝利から四日目、勝敗の原因を自分なりにいろいろ考え、分析してみた。
玉城デニー候補
①故翁長前知事の辺野古新基地はどんなことがあっても阻止するという公約を、玉城デニー候補が継承すると明言したこと。
②玉城デニー候補の演説の巧みさ素晴らしさ、県民目線に立った遊説行動、陽気な性格など、デニー自身から来る個人的魅力。
③行動を共にしたのは、呉屋会長、富川、謝花両副知事、翁長青年局長の現地スタッフ。
④創価学会から造反者が出て、積極的に玉城デニー候補を応援した。
佐喜真候補
①佐喜真陣営の露骨な政権寄り。菅義偉三回、小泉進次郎三回、小池百合子、石破茂の来沖は、逆効果をもたらしただけ。とりわけ多くの県民が嫌悪し憎む菅義偉の応援演説は、県民の神経を逆撫ですることが予想できたにも関わらず強行するという、信じられないような戦術の大人げなさ、無神経ぶり。
②辺野古新基地の是非を問わないという、知事候補として無責任な態度に終始した。
③振興策の交付金を増額して、経済発展を図るという、古い政治手法に対する反発。
等々、勝敗を決定づけたと思われる主な要素を並べたが、これらの因子が複雑に絡み合って有権者の意識にどのような形で浸透し、投票するに到ったか、ということだと思う。
特に強調したいのは、ぼくもその一人である無党派層の七割が玉城デニー候補に投票した、という事実だろう。
有権者全体の五割近くは無党派層が占める。どの政党にも特定の組織にも属さない無党派層がどの候補に入れるかで勝敗は決まる、と言っても決して大げさではない。
佐喜真候補を自民党、公明党、維新の会、希望の党が一緒になって推薦した。組織票だけを考えると、佐喜真候補の有利は動かないだろう。自民党、公明党、維新の会が一体になった形を「勝利の方程式」と菅義偉は自慢したほどだ。
しかし結果は無党派層が「勝利の方程式」を、物の見事に打ち砕いたのだ。無党派層は決して政治に無関心ではない。既成政党に不満で、彼らから一定の距離を置いているだけだ。たいした争点のない小さな選挙には関心を示さないが、大きな問題を抱えた争点で争われる選挙になると積極的に投票行動に出る。
それを象徴するような例がある。橋下徹が大阪府知事を辞職して大阪市長になるために戦った選挙である。あの時、橋下氏の政治基盤は大阪維新の会だけだった。相手は全国政政党。自民党、公明党、民主党、共産党、社民党、全ての国政政党を敵に回して選挙戦を挑んだのである。
組織票だけを見れば、誰が見ても象と蟻だろう。しかし、橋下氏は見事に勝利して、大阪市長になった。原因は、無党派層が動いて橋下徹に投票したからである。恐るべし無党派層!
こう見てくると、菅義偉の「勝利の方程式」とは、実は軟弱地盤の上に立つ、状況次第でいつ崩壊してもおかしくない脆い建造物に過ぎないことがわかろうというものだ。真の「勝利の方程式」は誰が無党派層の心を掴むかにかかっている。
これは簡単なことではない。正確な状況判断と、有権者(特に無党派層)の本音はどこにあるのか、深く認識できる能力が試されるからだ。菅義偉は、その能力に欠けていた。名護市長選で勝利して、「勝利の方程式」が存在すると信じ込んでしまったのだ。方程式に納まるような人間なんてどこにも存在するはずはないのに。
そしてもうひとつ大事な点を指摘したい。人間を理解するうえで情念を軽く見てはいけない、ということである。人間は理性的動物ではあるが、理性ではどうしても説明できない感情・情念がある。
赤ちゃんの誕生を理性で喜ぶ人はいない。喜びは内部から自然に沸き起こってくる。この喜びはコミュニオン、共鳴だ。理性はコミュニケーション、便宜的道具に過ぎない。理性が高じると屁理屈になることもあるが、感情が屁理屈になることはないし、あり得ない。なぜならそれは直接自然そのものを反映するからである。
何が言いたいかというと、菅義偉の言う「勝利の方程式」なるものは所詮、軽薄な理性の産物に過ぎず、自然と繋がる人間の感情・情念とは相容れないということである。
菅義偉は、ウチナーンチュの情念がいかなるものか、深く考えたことがないのだろう。だから「勝利の方程式」などというふざけたオモチャを、こどものように振り回して自慢して見せたのだ。
先に今回の選挙の勝敗を決めた諸要因を述べたが、実はこのウチナーンチュの情念をどれだけ感じ取ることができたか、共鳴することができたかが、決定的な因子になったのではないかと強調したい。
22日に新都心公園で行われた「うまんちゅ大集会」で、故翁長知事の奥さん翁長樹子さんが演壇に立った。玉城デニー候補の名演説に続いての最後の登壇。樹子さんの言葉は、体全体からほとばしる魂の叫び、ウチナーンチュの情念そのものだった。聴衆は全員、樹子さんの言葉を理性で理解しようとしたのではない。心で感じ取り共鳴したのだ。
樹子さんの言葉に現れたウチナーンチュの情念を、冷酷な菅義偉は到底理解できないだろう。彼が敗北した主たる原因の一つがここにある。
翁長樹子(みきこ)
『泣かずにしゃべれる自信がありません。
翁長雄志の家内の樹子でございます。本当にたくさんの方に支えていただいて必死に頑張ったんですけど、8月8日に急逝いたしました。ひと月半になります。
正直、翁長が亡くなって、頭の中では理解しているつもりなのに、心がなかなか追いつきません。洗濯物をたたんでいる時だとか、ご飯を出しているときに突然、「あっ、そうだパパ」って顔をあげちゃうんですよね。
そしたら遺影の翁長がいつも笑っているの。「ばかだなあ君は」って言って。
翁長が恋しいです。あの笑顔がもう一度見たい。あの笑い声がもう一度聞きたい。でも、かなわないから。私は今回、本当は静かに皆さん県民一人ひとりの方が出す結論を待とうと思っていました。
ところが、日本政府の方のなさることが、あまりにもひどいから。たった140万の沖縄県民に、オールジャパンと称して政府の権力を全て行使して、私たち沖縄県民をまるで愚弄するように押しつぶそうとする。民意を押しつぶそうとする。何なんですか、これは。
こんなふうに出てくるというのは正直、とても躊躇はありました。でも、もう、何だか翁長が「もうみんなで頑張らないといけないから君も一緒になって頑張ってよ」と言ってくれたような気がして、今日はこの場に立っております。
この沖縄は、翁長が心の底から愛して、140万県民を本当に命がけで守ろうとした沖縄です。県民の心に1ミリも寄り添おうとしない相手の方には悪いけど、申し訳ないけど、私は譲りたくはありません。
うちの人の心を「オール沖縄の候補者」が継いでくれるんだと思ったら涙がとまりません。
残り1週間です。簡単には勝てない、それでも簡単には負けない。翁長が信じていた私たちウチナーンチュの心の中をすべてさらけ出してでも、マグマを噴き出させてでも、必ず勝利を勝ち取りましょう。
みなさん。頑張りましょうね。命(ぬち)かじり。命(ぬち)かじりですよ。頑張りましょうね。』