英霊を二度殺した我那覇真子
「西尾幹二のインターネット日録」に池田俊二氏の9月11日付のコメントが掲載されている。
池田氏は、淡々塾の大先輩・粕谷氏の情報によると、どこかの週刊誌に次のような記事が載ったそうだ、とあらかじめ断った上で、8月15日に靖国神社で行われた集会に登壇した我那覇真子の発言についての感想を綴っている。
「日本滅亡グローバリズム政策を強力に推し進めてゐるのが、なんと眞生保守を謳われる安倍政権といふのはどういうわけでせう。政権一代で、これほど日本を壊した例はほかにはありません。空前絶後のことでせう」
入管法改正で、安倍礼讃から一転して安倍批判に転向したのは知っていたが、まさかこれほどまでに先鋭化するとは予想できなかった。正直なところ非常に驚いている。
週刊誌の記事には次のような記述も見られるという。
「また『日本人の精神が戦後レジームにはめこまれてゐて、安倍政権はここから脱却するどころか、その『完成』を進めてゐるとし、『グローバリズム化が進めば、英霊の方々は二度死ぬ』と主張」(池田氏のコメントから引用)
ここでぼくは神妙な気持ちに襲われる。
我那覇真子の安倍批判は、ぼくがこれまで繰り返し表明してきた安倍批判と完璧に一致しているのだ!
にもかかわらず、我那覇真子の主張に対して素直に喜べないのはなぜか?
鍵は「英霊の方々は二度死ぬ」という言葉にある。確か彼女は、去年の靖国神社集会でも同じ言葉を使ったはずだ。
彼女はこの言葉が意味するところを真に理解しているのだろうか?
理解しているとするならば、なぜ彼女は、辺野古の海を埋め立てて米軍基地を建設することに賛成するのだろうか?
太平洋戦争において、日本はいったいどこの国と戦ったのだろうか?
世界一豊かな国、米国と戦ったのではなかったのか。世界最強の米軍と戦ったのではなかったのか。そして敗戦の結果、米軍は日本を占領し、今日に至るまで駐留し続けているのではないのか。
戦後の我が国が米国の従属国にすぎない現状は、世界の主要国が認識するところだ。外交も安全保障も米国の傘から抜け出ることが許されない。
こんな哀れな我が国の姿を見て、英霊の方々はどのような気持ちでいるのだろうか?
ぼくには彼らの声が聞こえてきそうだ。我々はいったい誰のために、そして何のために米軍と戦ったのだ、日本よ、独立せよ!
辺野古の周辺にも英霊の方々は眠っておられる。しかし、我那覇真子の眼は彼らの姿を見ることができない。
だから辺野古のかけがえのない美しい海を埋めて、米軍基地(占領軍)が造られることにも平気でいられるのだ。
それだけではない。辺野古の工事現場で反対活動を続ける人々を小馬鹿にして、批判し続ける。靖国神社では軍人顔負けの強弁を吐き、地元沖縄では占領軍の肩を持つ。
我那覇真子の精神の核心部には、明らかに欺瞞的要素が張り付いている。いつの日か彼女に、英霊を二度殺しているのは自分だと悟る時は来るのだろうか?
あり得ないとは思うが、万が一にも彼女が自己の矛盾に気づいて、辺野古埋め立て反対の側に転向したらどうなるだろうか?
その時は、安倍批判と重なって、立ち位置がぼくとかなり接近する。しかし、仮にそうなったとしても、嬉しい反面、複雑な気持ちが消えることはないだろう。
何故なら、ぼくは我那覇真子のような性格の人間とは、生理的に合わないのだ。これだけはどうしようもない。
西尾幹二全集19巻「日本の根本問題」目次 – 西尾幹二のインターネット日録