沖縄よ! 群星むりぶし日記

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又吉康隆を斬る!13 負け犬の遠吠え「県民投票をしない宣言2」

いよいよ県民投票が告示された。できるだけ期日前投票に行くつもりでいるが、此の期に及んでもなお、文句をつけてゴネる男がいる。

チャンネル桜「沖縄の声」のキャスターのひとりである売国言論人・又吉康隆だ。

昨日、ぼくは彼の「県民投票をしない宣言」を批判した。

するとなんと同じ日に「県民投票をしない宣言2」なるものが、いつの間にか新たに追加されているではないか。

推測するに、最初の「宣言」は舌足らずで、真意が伝わらないかもしれないという不安に駆られたのだろう。それでもう少し詳しく説明したくなった、ということか。

しかし、言葉の数が増えただけで、結局のところ内容はほとんど同じである。民主主義を理解しない御仁が、必死に民主主義思想家を演じる姿を見るのは実に哀れである。

彼は次のように書いている。

<県民投票が辺野古埋め立ての賛否を問うということは、賛成が有権者の4分の1を超えれば辺野古埋め立てを推進し、反対が4分の1を超えれば埋め立てを中止するということである。であるならば、私は投票所に行き賛成票を投じる。

投票の結果、反対が多く埋め立てが中止になるなら県民が決めたことだし仕方がないと埋め立てをあきらめる。それが直接民主主義というものだ。しかし、私は投票しない。直接民主主義を装っているだけのまやかしの県民投票であるからだ。>

<新聞広告には重要なことを書いていない。県民投票の結果を玉城デニー知事が日米両首脳に通知するということである。通知する以外になにもしない県民投票なのだ。

通知する目的だけの県民投票である。辺野古埋め立てを左右させないことは最初から決まっているのが2月24日の県民投票であるのだ。

埋め立てに賛成が多くても反対が多くても埋め立て工事には全然影響しない。

バカらしい県民投票なのだ。5億円の県税をドブに捨てるに等しい。

民意を無力にするのが決まっている県民投票である。民主主義政治に唾をする県民投票をしないことを私は宣言する。>

又吉には短絡的思考癖がある。AとBには共通する部分がある、BとCにも共通する部分がある、よってAはCである、と結論づける思考パターンだ。

AとBとCの間に共通部分があるとしても、AとCが同じになるとは限らない。共通しない部分に大事な要素がある可能性を切り捨てて強引に同一とする、これが彼の短絡的思考癖である。

つまり、重層的に考察する労を省略して、自分の理念に合うように結論を急ぐ、という性格の思考方法。

彼の文章を読むと、その特徴的思考方法がよく理解できる。

有権者の4分の1を超える賛成なら埋め立て推進、反対なら中止、これが実行されるなら投票所に足を運び、賛成票を投じる。しかし、私は投票しない。なぜならまやかしの県民投票であるからだ。???

この論理を読者は理解できるだろうか。理解するためには後段も読む必要がある。彼がまやかしの県民投票と糾弾しているのは、投票結果を玉城デニー知事は日米両政府に通知するだけで、埋め立てには何ら影響しない、ということらしい。

つまり彼が言わんとすることは、 赤文字の二行に集約される。

通知する目的だけの県民投票である。

埋め立てに賛成が多くても反対が多くても埋め立て工事には全然影響しない。

だから県民投票はまやかしであり、私は投票しない、とこういう結論になるらしい。

あまりにもバカバカしい短絡的結論だ。

県民投票に法的拘束力がないことは、新聞紙上で何度も報道されたから、多くの県民は十分承知している。

仮に法的拘束力があれば、翁長前知事は、いやもっと遥か先に遡って、20年前に辺野古移設の話が持ち上がった時点で、沖縄県民の間から県民投票を実施せよとの声が沸き起こったことだろう。

県民投票に法的拘束力があれば、すでに沖縄県民は在沖海兵隊全面撤去の県民投票を実施していただろう。

このことからもわかるように、県民投票に法的拘束力があれば、それだけで強大な力となる。濫用されると政治は収拾がつかなくなり、社会は混乱に陥ることになる。

そうならないために民主主義の絶妙な知恵が働いた。県民(住民)投票に法的拘束力を持たせてはいけない、と。

それでは何故、法的拘束力を有しない県民投票をする必要があるのか?

それこそ又吉の短絡的結論から抜け落ちているところだ。民主主義の根幹は主権在民である。この理念のもとに三権分立がある。

国家の主役は国民であり、国民の声を聞くことは政治の最も重要な核心部であり、ここを外したら民主主義は成立しない。

県民投票は政治の代理人を選ぶ選挙ではない。県民の声を直接、政治案件に反映させるための県民の県民による権力行使である。

そこで表明された県民の声を政治の代理人たちは最大限尊重する義務がある。民主主義の原則が、県民投票の意義を保証しているからである。

辺野古埋め立ての反対票が賛成票を大きく上回れば、たとえ法的拘束力はなくても、それだけで政治の代理人たち(安倍内閣)には大きな圧力になる。

安倍内閣を構成する者は全員、国民の投票で政治の代理人に選ばれた連中だ。県民の直接の声を無視して許されるわけがない。

ボールは安倍内閣に投げられる。それをどう扱うかは安倍内閣次第だ。しかし、扱い方を誤ると、内閣が吹き飛ぶ可能性は大いにあり得る。

ボールは単なるボールではない。沖縄の人々の無念と怒りが詰まったボールである。法的拘束力がないからといって、粗末に扱うと取り返しのつかない火傷を負うことになる。果たして安倍内閣にその覚悟はあるのか。

又吉の視点に欠けるのは、この一点、県民投票は安倍内閣に大きな圧力をかける、ということである。

菅義偉は相変わらずポーカーフェースを決め込んでいるが、内心は穏やかではないのだ。国際世論も安倍内閣に不利に作用するだらう。

さて、又吉批判は今回で13回目となる。彼が売国的発言を続ける限り、折を見て批判を継続するつもりだが、興味のある方は過去のブログも読んでほしいと思い、11回目のものを選んでみた。

この中で彼は、中学の校長先生を選挙に選ばれたわけではない独裁者だと断じている。そして、現代の教育制度はシヴィリアンコントロール(?)で統制されているとも断じているありさまだ。

あまりにも酷い内容なので、勧めるのも気分が重くなるが、時間に余裕のある方はどうぞ。


推奨サイト 

チョイさんの沖縄日記https://blog.goo.ne.jp/chuy

海鳴りの島からhttps://blog.goo.ne.jp/awamori777

うちなーありんくりんTVhttps://www.youtube.com/channel/UC8Kxe-Wh3Baop2ui76xq5-Q

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 佐藤健志・DancingWriterhttps://kenjisato1966.com

三橋貴明・新世紀のビッグブラザーhttps://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/