世界を混乱に陥れる米国白人の「開拓魂」
今日の琉球新報の「島人(シマンチュ)の目」というコラムに、バージニア通信員の鈴木多美子氏がアメリカ・インディアンについて書いている。この中で彼女は『500 NATIONS』という本を紹介して次のように書いている。「この本には、先住民族が白人の民族浄化政策によって大量虐殺されたことにも触れている。彼らがたどった過酷な歴史には胸が痛み、残虐な白人には憤りを感じさせられる一冊だ。アメリカ大陸の先住民は、最初のヨーロッパからの開拓者が飢などの苦難にある時、食料を分け与え救いの手を差し伸べた。バージニアでは白人を友好的に受け入れ、トウモロコシやタバコ栽培を教えた。彼らは共存を模索したが、間もなくして白人は、土地争奪戦を始め、先住民のすべてを破壊していく。」と述べて鈴木氏は次のように続ける。「戦後沖縄の土地を銃剣とブルドーザーで奪い、家を焼き払った米軍の横暴さを彷彿させ、その野心のみの不当な開拓魂はあの頃から変わらず現在でも続いていると思ってしまう。」この文章の中の「開拓魂」という言葉に思わずアッと唸ってしまった。米国の歴史は、英国と独立戦争を戦い勝利して以降「開拓魂」が本格的に実践されていく歴史であり、それは現在も進行中であるという事実。米国史の真実を知るための鍵となる重要な言葉のひとつが「開拓魂」だということに、鈴木氏の指摘であらためて思い知らされたような気がする。では米国白人の「開拓魂」とはいったいどのように形造られてきたのだろうか?それを正確に説明する能力は、残念ながら今のぼくにはない。新大陸を発見する以前の欧米の歴史とキリスト教文明が果たした役割、米英独立戦争と確立されていく議会制民主主義の性格など、少なくともその全体像の輪郭を明確な形で把握する必要があるだろう。いまのところ、全体の輪郭は朧に過ぎない。納得できるほどに明確化するには、長い歳月と忍耐が必要になる。コツコツと知識を蓄えていく他に方法はない。鈴木氏は、さらに続けて次のように書いている。「コロンブスは今では奴隷商人、そして虐殺者であったと認識されているのに、なぜ「コロンブスデー」として米国の祝日になっているのかが不思議だ。コロンブスデーを祝うことは、先住民に対しての残忍な暴力による制服を容認することになる。コロンブスを英雄視する白人視点のこの祝日が抹消され、アメリカ・インディアンが主張する「先住民の日」に変更し、彼らの崇高な精神的伝統や文化を称賛する日であってほしいと願う。」個々の人間の力では如何ともし難い歴史の激流の中にあって、決して忘れてはならないものがあるとすれば、不当な扱いを受けて殺されていった人々の無念であり、正当化できない弾圧で滅亡に追いやられた民族の悲劇である。我々は嫌という程その無数の事例を、歴史の中に見いだすことができる。スペイン人によるアステカ文明、マヤ文明の殺戮と滅亡。 イギリス人によるタスマニア人の虐殺と絶滅。ナチスによるユダヤ人大虐殺。スターリンのラーゲリにおける大量殺戮。思いつくだけでも歴史にはこれだけの大量虐殺事件がある。いずれも残酷極まりないが、わけても通州事件は身の毛のよだつ、この世の出来事とは思われないような恐ろしい事件だった。10ヶ月ほど前に読んだ『通州事件・目撃者の証言』は衝撃的で刺激が強すぎたせいか、今なお軽いトラウマから抜けられないでいる。再読する勇気がない。人間より動物の方が生物として優れているのではないか、と思いたくなるほどだ。記録されないで歴史に埋もれたままの残虐な事件は、無数に昇るだろう。大事なことは、人類が犯した犯罪を決して忘れることがあってはならないということだ。死と破壊を好む勢力に対抗するためには、生を愛し、共生の思想を確立することが重要だと信じたい。民族の違い、文化の違い、宗教の違いを認め合い、共生社会を構築する世界的政策が求められる。人類が共生社会を達成しない限り、人間の人間による大量虐殺事件は繰り返される。鈴木多美子氏が提言するように、米国が「コロンブスデー」を「先住民の日」に変更して、アメリカ・インディアンの伝統・文化を尊敬する祝日にすることができるなら、世界は米国を見直し、その真摯な姿勢を歓迎することだろう。それを契機として、米国自らが「開拓魂」を見直し、本気で反省するなら、世界の安定に大きく寄与するのは間違いない。そんなことは夢の夢だと笑われそうだが、共生社会実現のために世界の多くの人が研究を重ねてくれることを願う。