沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

ネットを炎上させて収益を目論む沖縄フェイクの闇

琉球新報が数日前から興味深い記事の連載を始めた。タイトルは『沖縄フェイクを追う』。

第1回目から注目して読んでいるが、4回目となる今日は、驚くべき真実を明らかにしている。「netgeek(ネットギーク)」というウエブサイトの「社外秘編集ルール」という手引書を、新報のファクトチェック取材班が入手し、情報拡散のカラクリを明らかにしているのだ。

netgeekは、米軍北部訓練場のヘリパッド建設や辺野古新基地に反対する人々を貶める記事を発信し、ネットで拡散させたサイトである。

新報はその時の写真を掲載しているが、ぼくもネットで見たことのある写真で、沖デマゴン(手登根安則)がフェイスブックで流したものだ。

しかし、あの写真の出処がnetgeekだったとは知らなかった。デマ常習犯沖デマゴンもnetgeekのネタを拡散した側のひとりに過ぎなかったのだ。とは言え、やはり類は類を呼ぶのである。

さて、netgeekの手引書には何が書かれているか。記事の拡散量に対する報酬の規定。netgeekで記事にした執筆者に対して、<その記事が2日間にフェイスブック上でどれだけ共有(シェア)され、どれだけ多くの人々に届いたかが基準となる。>

執筆者は「能力」に応じて、「アナリスト」「アソシエイト」「ディレクター」に三分類されて報酬額が決められる。

「シェア500未満」だといずれも0円、「シェア500〜」だとアナリストが700円、アソシエイトが1000円、ディレクターが1500円、というふうに「1000〜」「5000〜」「10000〜」の4段階に分かれていて、それに伴って報酬額が増える仕組みだ。

ちなみに、「10000〜」を達成したディレクターだと、6700円にもなる。

この金額が多いか少ないかを問うつもりはないが、扇動的なデマ情報を流して報酬を得るというその根性が気に入らない。その浅ましい精神が多くの人々を傷つけるのだ。

ところでその報酬は何処から出てくるのか。言わずもがな、広告収入である。サイトの運営者は広告から収入を得て、それから記事の執筆者に対し、シェアに見合った報酬額を支払う、というシステムである。

執筆者も浅ましいが、運営者はそれ以上に浅ましい。そして彼らが流す扇動的デマを面白がって拡散させる教養ゼロの連中は、さらに浅ましい。

何故なら、この教養ゼロの連中のおかげでnetgeekの面々は金を稼いでいるのだから。ちなみにnetgeekgeekの意味をご存知かな?

geek :(生きたヘビや鶏の首を食いちぎってみせる)奇態な見世物師;(俗)変態、異常者 (リーダーズ英和辞典より)

変態、異常者には、くれぐれも要注意! 彼らに付き合ったおかげで、貴方も闇の世界へと紛れ込み、気が付いたら変態、異常者になっていた、かも知れませんゾ?!

 

『いざなぎ景気超えの経済成長という嘘』:三橋TVより

新年最初の三橋TVが配信された。第35回のタイトルは『いざなぎ景気超えの経済成長という嘘』である。

大本営(政府)発表がいかにデタラメかを、正確なデータを示して明らかにしているので、三橋氏の指摘は非常に説得力がある。

ぼくの下手な解説抜きで、まずは三橋氏の目が醒めるような分析をご覧頂きたい。


三橋TV第35回【『いざなぎ景気超えの経済成長』という嘘】

如何であろうか。三橋TVは初めてという人にとっては、まさに目の醒めるような話ではなかっただろうか。経済評論家と称される人間が掃いて捨てるほどいる中で、三橋氏の歯に着せぬ語口は非常に分かりやすく、経済学に素人のぼくのような人間にとってはありがたい限りで、毎回勉強させてもらっている。

美人キャスター高家さんとのやり取りも微笑ましく、番組に華を添えていることも付け加えておこう。

三橋氏はまた、『新世紀のビッグブラザーへ』https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/というブログも開設しているので、興味のある方は是非こちらもご覧頂きたいと思う。

特に同氏の横軸のナショナリズムと縦軸のナショナリズムという発想には深く感銘させられた。佐藤健志と並んで、今ぼくが最も注目する言論人のひとりである。

佐藤氏のオフィシャルサイト(https://kenjisato1966.com)も是非ご覧いただきたいと思う。


 

歌を詠む日本人、自然を破壊する欧米人(白人)初夢はやはり悪夢だった

山路来て何やらゆかしすみれ草

松尾芭蕉のこの有名な俳句を初めて目にしたのは、確か中学校の授業だったと思う。以来、最も好きな俳句のひとつになった。

昨日、暇潰しにテレビをつけると、タレントが俳句の優劣を競う番組が流れていた。俳句の先生がタレントの作品を評価して、順位を決めるというものだが、先生は年配の女性で、批評眼の鋭さと明快な解釈に深く感心させられた。

十名の作品の中で最も評価が高く、一位に選ばれたのは、東国原英夫の次の句だった。

凍蝿よ生産性の我にあるや

芭蕉の句と比べると、雰囲気が全く異る。何かしら刺々しい感じがする。東国原氏による作意の説明と、先生の見事な解説がなければ、俳句に素人のぼくは、恐らくこの作品の良さを見逃したに違いない。

生産性、という言葉は、LGBTには生産性がない、と言った或る議員の話題になった言葉を指しているらしい。そう考えると、この俳句の意味が次第に明瞭となり、意外にもその凄さに唸ってしまったのである。

生産性が自分にあるだろうか、と真剣に自問自答する姿は、苦悩する東国原氏自身の姿そのものだ。その苦悩は、或る議員(杉田水脈)に向けられた強烈な批判とも言える。散文で批判するのではなく、歌で刺したことが鮮烈な印象を与える。

東国原氏のこの奇作は、ぼくの記憶の中に強く刻まれることになりそうだ。

しかしながら、やはりぼくは、個人の好みで言うと、芭蕉の句のほうが好きだ。中世と現代という時代背景によるのは確かだとしても、否、現代に生きる人間だからこそ、芭蕉の句の静寂に心が打たれるのである。

とは言っても、東国原氏の才能に驚かされたのも事実だ。恐らく、東国原氏と同等かそれ以上の才能を持つ人は、全国至る所で見られるに違いない。

随分前の話、確か日下公人が出演するネット番組だったと記憶するが、次のような句が壁にかけられていて、その素晴らしさに心躍り、メモを取ったことがあった。

幼子の人差し指にかかる虹

この句に対する日下氏の言及はなかったので、未だに詠み人知らずだが、ひょっとして日下氏本人の作なのだろうか。

スタジオ風の狭い部屋に、さりげなく掛かる見事な俳句。日本人独自の感性を、欧米人はどう理解するだろうか。日本文学を研究する欧米人を例外とすれば、恐らく多くの欧米人は、なかなか理解できないに違いない。真に理解するためには、体験することが必要だからだ。

彼らにとって、俳句は不合理な感性が生み出すもので、科学的合理的精神を基盤とする欧米人(白人)には、意味のない余計な物でしかないのだろう。

歴史を振り返ると、欧米人は世界的規模で自然の破壊と人間の殺戮に明け暮れてきたのは自明で、戦争に次ぐ戦争、破壊に次ぐ破壊、殺戮に次ぐ殺戮、これでもかと恐ろしくなるくらい、暴力に訴えてきたのである。

物事を認識する際に感性を重視する日本人と、合理性を中心に置く白人との違いは、文化においても顕在化しているが、その優劣を判断するのは極めて困難であり、ほとんど意味を成さないように思われる。

但し次のように考えることはできないか。白人の合理的精神が一神教に立脚する以上、神の意志に添いさえすれば、たとえ地球を破壊しようとも許される。何故なら宇宙を支配するのは全知全能の神だからだ。

そして、困ったことに、地球を破壊する手段を、白人は先の大戦で手にしている。彼らによって世界中に拡散された核兵器は、今や地球を滅ぼしてなお余るほどの数に達しているのだ。

彼らの合理的精神と彼らの唯一神の意志が一致しさえすれば、その時、全核兵器が宇宙の花火となり、地球が消滅する可能性は大いにあり得る。

その時、われわれ日本人は、それでも俳句を楽しむことが出来るだろうか?

 

 

「米国は世界の警察官を続けることは出来ない」発言は本物か?

公約を実行するトランプ大統領

トランプ大統領は、考えれば考えるほど不思議な人物である。予測不能だが、どこかしら憎めないところがある。

大統領になる前は、政治的経験がなく、世界の超大国を率いるのはとても無理で、いずれ政権を投げ出すに違いない、と多くの人が予想し、現在もその可能性が消えたわけではないが、とにかく二年間、何とか持ちこたえたのだから、驚きといえば驚きである。

しかも、もっと驚かされることは、この政治的には素人の大統領が、就任時に公約した事を健気にも全て実行に移している、という事実だろう。

TPP離脱、オバマケアの廃止、移民の受け入れ停止、外国に駐留する米軍の撤退ないしは縮小、メキシコとの国境に壁を張り巡らすこと、等々すべて実現済みか、実行中なのだ。

どこかの小さな島の元知事(仲井眞何某)と違い、公約したことは、何がなんでも守るという理想的な政治家の鏡のように思われるのである。

在日米軍の撤退はありえるか?

トランプ大統領が公約したなかで、とりわけ我々うちなあんちゅにとって関心が高いのは、在日米軍(在沖海兵隊)の撤退をトランプ大統領がどう考えているか、である。

今のところ情報が少なく、雲をつかむような状況だが、しかし注目すべき予兆がある。今月26日、トランプ大統領イラクを電撃訪問し、シリアからの米軍撤収の正当性を強調したのだ。

マティス国防長官の反対を押し切って決断したシリアからの撤退。マティス国防長官といえば、トランプ大統領就任以来、閣僚に残った唯ひとりの長官である。

その信頼篤きマティス国防長官の忠告を無視してまで、自らの信念を貫く強烈な意志。素人大統領恐るべし!

そして、同時に就任以来の次のような発言もしている。「米国は世界の警察官を続けることは出来ない」

トランプ大統領の強い意志と、公約実現のための実行力を考えると、在日米軍の撤退ないし大幅縮小は、大いに期待できるのではないか。

しかし、属国に甘んじる安倍政権

しかし、安倍晋三菅義偉麻生太郎岩屋毅二階俊博、これらの売国奴政治家の面々(他にも掃いて捨てるほど居る)を見ると、トランプ大統領在日米軍撤退ないし大幅縮小をいくら迫ったとしても、絶望的にならざるをえないのだ。

日本の安全保障政策を真剣に考えたこともない政治家どもの言うことは決まっている。「抑止力」のために米軍は必要であり、撤退ないし縮小はありえない。

この思考停止の決まり文句が、トランプ大統領のまたとない攻撃材料となる。ならば、駐留経費をもっと負担しろ、米国の軍事兵器をもっと買え!

「我が国は米国と100%共にある」と言ってのけた我が国の総理である。米国大統領の要望に逆らうことはできない。ライオンに睨まれたウサギたち。

米国は今、天文学的借金で首が回らない状態だ。だから、ビジネス感覚に優れたトランプ大統領は、莫大な経費がかかる世界の駐留米軍の撤退を真剣に考えている。トランプ大統領の計算をうまく利用して交渉すれば、属国を脱し真の独立を成し遂げる千載一遇のチャンスであるが、あゝ安倍売国奴政権が両手をひろげて立ちはだかる。

そして、さらに駐留経費を増額し、米国製軍事兵器をさらに買い増して、日本の真の独立は宇宙の遥か彼方へと消えていくのである。我々の貴重な税金と共に。

売国奴政治家どものおかげで、初夢は悪夢となりそうだ。

 

うちなーありんくりんTVが百田尚樹のウソを軽く撃退


【FILE001】また沖縄デマ!百田氏の議論する力は永遠のゼロ

 

Yuzoさんの説明は、実に明快でわかりやすい。思い込みではなく、資料と事実に基づいて論理を組み立てているので、説得力に富む。

引っ込み思案の多いうちなあんちゅにとって、何とも頼もしい人が現れてくれた。

小さな島に生きるうちなあんちゅに対する本土の言論人たちの的外れの攻撃が目に余る中、それにいちいち反撃するのは大変なことだ。

しかし、郷土沖縄の誇りと名誉のためにどうしてもやらなければならないことがある。一人一人が力を結集すれば、巨大な敵に対抗することができる。手段はその他にない。

偏見に依らず、うちなあんちゅのアイデンティティに根ざす良識派が、各自の持ち場持ち場で、辺野古の現場で座り込みを続ける人々と連帯している事を発信する。

この地味でたゆまない努力が本土の良識派、世界の知識人達を動かす力になる。そう信じてこの細やかなブログを綴っている。

「うちなーありんくりんTV」は、辺野古の現場に行けない良識派を連帯させる大きなツールになる。ぜひ多くの方に「うちなーありんくりんTV」をご覧いただきたい。

今年の年末は、Yuzoさんのしなやかで爽やか、そして沖縄史の勉強にも役立つTVを、愉しみの一つに加えて頂いて、過ごしてみてはいかがだろうか。

松川宜野湾市長は民主主義の本質を理解していない

宮古島市に続いて、宜野湾市が県民投票の実施を断念した。

これだけ大きな決断をした。一朝一夕で変わるような決断ではない」と、松川市長は記者の質問に答えている。今後、県から勧告や是正の要求があっても、決断が翻ることはないとの強い意思表明である。

又、次のようにも述べている。「県民からの執行依頼で、県議会で条例化されたことから言えば、条例を執行できないことは非常につらい。苦言になるが、県議会には宜野湾市民に配慮してほしかった。条例に普天間飛行場の(危険性除去という)原点が全く見えない

 赤い箇所が松川市長のホンネだろう。「普天間飛行場の危険性除去」が条例に記載されず、辺野古移設に賛成か反対かの二択だけでは、宜野湾市民の民意が反映されない、と言っているのだ。

普天間飛行場のある宜野湾市長の立場から考えるならば、確かにその主張には一理あると思うし、松川氏の心情を理解できないわけでもない。

がしかし、あえて反論したい。まず、なぜ県議会は条例を「辺野古移設に賛成か反対かの二択」に限定したか、その理由を考える必要がある。

さきの知事選で、辺野古移設に反対する玉城デニー候補が当選したのを受けて「知事選の争点は辺野古移設問題だけではなかった」と述べた菅官房長官の発言に対し、多くの県民が反発した。

官房長官の発言は、明らかに、何度も辺野古移設反対の意思を選挙で表明したのにも関わらず、県民の意思を無視する不誠実極まりないものだ。

その不誠実さに対して、県民の間から県民投票にかけて移設の是非を示そう、との声があがったのは自然の勢いというものだろう。確かに、知事選の前から、県民投票を主張する人々がいたのは事実だ。

しかし、菅義偉の心無い発言が直接の引き金になったことは間違いない。沖縄県民に対する政府の不誠実な態度が県民投票へと走らせたのだ。

この経緯を振り返ると、辺野古移設に賛成か反対かの二択を問う県の条例に正当性がある、と考えるのは当然のことだろう。

普天間飛行場の危険性除去に触れていない、と松川市長は不満を述べているが、それはあくまでも市議会と市長の見解にすぎない。勿論、宜野湾市民の間に同じ思いをいだく人々がいることも承知している。

しかし、県民投票で意思表明したいと考えている宜野湾市民が存在するのも事実だ。そうなると当然のこととして、これらの市民の投票権を、市議会と市長が奪って良いのかと問われることになる。

ここで指摘しておきたいのは、市議会選挙と市長選挙、このふたつと県民投票は性格が違うということだ。いずれも市民県民の有権者によって物事の賛否が決定されるが、投票の対象が異なるということである。

市議会議員と市長は市民の代理として政治に携わる人間だ。その代理人を市民は投票によって選択する。選ばれた代理人は市民に代わって宜野湾市の諸問題を解決するために働く。その場合、種々の案件に対して、いちいち市民の賛否を問う必要はない。

議員も市長も、各々の政治信条に従って職務を遂行するからである。この時、政治家と住民との間に距離が生まれる。その距離が間接的民主主義と呼ばれる所以だ。

では、県民投票はどうかと言えば、これは人間(政治家)を選ぶのではない。ひとつの案件、県民が重大事案と考える課題に対して、直接賛否を表明するのである。つまり、間接的手法と違って、県民が課題の解決に向けて直接意思表明するのである。

すなわち直接的民主主義。この直接的民主主義形態こそが市民県民(住民)が政治に直接関与するための最後の砦である。その意味で、民主主義的社会において、住民投票は重い意味を持つのである。

憲法主権在民を謳っている。政治家は国民の代理人にすぎず、国家の主役は国民だと規定しているのである。

すなわち、直接的民主主義は間接的民主主義の上位に位置するということ。だから時の政権は住民投票を重く受け止めるべきだし、民主主義の発達した国家はそうしてきた。

このように考えると、松川宜野湾市長の今回の判断は、民主主義の本質を理解していないからだといえる。市議会が反対表明するのは自由である。しかし、あくまでも参考意見として止めるべきだ。

何故なら、市民の代理人にすぎない市議会議員も市長も市民の投票権を奪う権限は付託されていないからだ。許されるとなると、これはもう発展途上国並みの民主主義でしかない、ということになる。

では、普天間飛行場の危険性除去についてどうするか?

住民投票をすればよい。つまり、普天間飛行場の危険性除去に関する方法論を宜野湾市民に直接問えばよいのだ。市議会も市長も、この課題が宜野湾市にとって死活問題というなら、躊躇なく住民投票をすればよいだけの話だ。

そして、経費節約のために県民投票と同日と決めるとよい。県民投票と市民投票を2月24日に同時に行う。こう提案したいが、どうかね松川市長。宜野湾市の主役はあなたではなく、市民だと理解すれば、ぼくの提案を拒否できないはずだと思うが、如何だろうか?

中山義隆石垣市長にも同じ事を提案したい。今、石垣市陸上自衛隊配備計画の賛否を問う住民投票を巡ってもめている。仮に住民投票が決まれば、県民投票と抱き合わせて実行する。

市議会も中山市長も県民投票に反対しているが、これまで述べてきたように、市議会にも市長にも市民の投票権を奪う権限は付託されていないはずだ。とすれば、2月24日に、県民投票と市民投票を同時に行う。どうかね、中山市長。

同じ事を宮古島市長にも言いたい。宮古島市の主役は、あなたではなく市民なのだから、あなたに市民の貴重な投票権を奪う資格はないのだ、と。

最後に県民投票を実施するかどうか態度表明をしていない首長諸君に訴えたい。住民の代理人にすぎないあなた方に、住民の投票権を奪う権限も資格もないにも関わらず、県民投票をしないとなれば、民度の低さを自ら証明するようなものだ、と。