沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

衆議院予算委員会で下地幹郎が吼えた

今日の衆議院予算委員会で最後に登板した下地議員の質問は、多くの県民の鬱憤を晴らすような素晴らしいものだった。名護市長選挙では、渡具知武豊を応援したので、失望させられたのだが、今日の下地議員は違った。郷土愛がほとばしるような迫力で政府を追及した。米軍の占領下で、これまでに発生した米軍による事件・事故の件数を表示したパネルを示しながら、政府、特に小野寺防衛大臣の責任のあり方を問い質した。米軍による事件・事故が起きる度に、防衛大臣は米軍に抗議するが、なんの効果もないまま事件・事故が繰り返されてきた。沖縄はもう限界にきている。このような状況を打開するためには、日本側の責任者である防衛大臣が責任を取って、辞任すべきである。

そのくらいの覚悟と緊張感がない限り、同じことが繰り返される。このような内容の質問をぶつけた。しかし、小野寺防衛大臣の答弁は、やはり予想に違わないような、これまで何度も繰り返された千年一日の気の抜けた答弁であった。テレビを見た県民は、防衛大臣のあまりにも不甲斐ない態度に落胆したのではないだろうか。

下地議員は又、24年、25年における自衛隊員の自殺者数を知っているかどうか、小野寺防衛大臣に質問した。なんと、事前通告がなかったという理由で、知らないと答えたのだ。これでよく防衛大臣が務まるものだ。しかも彼は今回2度目の防衛大臣である。正確でなくても、近似的数字ぐらいは知っていて当然だろう。下地議員がこのような質問をしたのは、敢えて防衛大臣の責任感、能力を問いたかったからに違いないと思われるが、下地議員が示した数字は驚くべきものだった。

平成24年が83人、同25年が82人。これだけの自衛隊員が自殺しているのだ。想像以上に多い。

事故ではなく、自殺による数字である。気になりネットで調べて見た。すると、平成27年に阿部知子議員の質問主意書に対する答弁書があることがわかった。それを見ると、平成15年度から同22年度までの数字が記載されている。陸上自衛官海上自衛官、航空自衛官、事務官別に示されているが、合計すると、15年度81人、16年度100人、17年度101人、18年度101人、19年度89人、20年度83人、21年度86人、22年度83人。

やはり多い。国防という重責を担う自衛隊員に何が起こっているのだろうか。日本の自衛隊は規律が正しく、優秀だという評論家は多いが、果たして真実はどうなんだろうか。米軍に従属する宿痾が自衛官としての誇りに関係しているのかどうか、調べて見る価値がありそうだ。

横道に逸れたが、下地議員に話を戻すと、強い調子で防衛大臣を問いただす下地議員に対して、与党席から野次が飛んだ。「それは違う」。野次の主は石破議員だ。下地議員は後ろを振り向いて、石破議員に向き合い、反論した。堂々とした下地議員に喝采を送りたい。地元の声を代表する議員が当たり前の質問をして何が悪い。下地幹郎、偉いぞ!

1月30日の赤嶺政賢議員の質問も素晴らしいものだった。「航空特例法」の廃止を求めて政府に迫る姿は、誠実で頼もしく立派なものだった。下地議員も赤嶺議員も沖縄をよくしたい気持ちに代わりはない。本土の人間には理解が難しいウチナーンチュのアイデンティティの証である。沖縄が不当に扱われて沖縄人が立ち上がるのは当然ではないか。

しかし、郷土を想う両者の情熱も声もヤマトンチュには届かない。声は聞こえど反応は鈍い。反応はしても魂は空虚だ。国防も外交も米国に依存・追従してきた歴代政権の無能・無責任は想像することが困難なほど深刻であることがわかる。弱者に強く、強者に弱い安倍売国奴政権。一日も早くこの政権を倒さない限り亡国の危機を回避する術はない。

 

産經新聞に続き八重山日報も謝罪

昨年12月1日に沖縄自動車道で発生した多重衝突事故での救出をめぐる記事が誤りであった事を認めて、産經新聞に続き八重山日報が9日付紙面で謝罪した。

12月9日高木記者がフェイク記事を産經新聞に掲載した後の11日に八重山日報もそれを踏襲するようにして、独自のフェイク記事を掲載したのだから驚きである。八重山日報は次のように書いている。

<「感謝している」救われた医師、北部で勤務                        

 沖縄市の自動車事故で、米海兵隊員のベクトル・トルヒーヨさんに救出された日本人は北部地区の病院に勤務する50代の男性医師で、現在、自宅で療養している。関係者によると、トルヒーヨさんに対し「感謝している」と話しているという。医師は宜野湾市在住で、この日は出勤のため車を運転しており、突然衝突されたという。命に別状はない。関係者は「北部地区では医師不足で、彼の身に何かあれば、多くの住民も困ることになっただろう。トルヒーヨさんのことは多くの県民に知ってほしい」と話している。>

この記事は、産経ニュースを読んだ読者から提供された情報をもとにまとめたもの、と仲新城誠編集長は説明しているが、伝聞だけで記事にするとは呆れるばかりである。しかし、産經新聞同様、謝罪したことは評価されて良い。さらに精進してタイムス、新報に次ぐ新聞に育って欲しいところだが、ただやはり気になることは、八重山日報チャンネル桜「沖縄の声」と関係が深く、その報道姿勢に似非保守(親米保守)の傾向が強いということだ。沖縄2紙はじめ、ほとんどの新聞は独自の編集方針を持っているはずで、そのため完全に中立的立場に立つことは不可能であるとすれば、八重山日報の読者も提供された記事が、果たして真実か否かを自分の頭で判断するほかないのは当たり前のことであり、今回の産經新聞八重山日報のフェイク記事は、その意味で読者に対して読者自身の判断力を問う良いきっかけになったのではないか。

(1) 12月3日、ネトウヨ手登根安則が拡散開始

(2) 12月9日、産経新聞、高木佳一が記事にする
(3) 12月11日、あの八重山日報もさらなる壮大な世界を繰り広げる
(4) 12月17日、米軍美談イベントで佐喜眞市長が「我々は常にあなたがたの餌食」Tシャツを掲げる
(5) 12月19日、在日米海兵隊が美談をデマと認めた日
(6) 12月21日、陸上自衛隊まで日本人救助デマにかつがれて千羽鶴儀式

これは『Osprey Fuan Club うようよ対策課』より拝借した、今回のフェイク記事が拡散していく様子を時系列化したものだが、手登根安則が生みの親であることははっきりしている。

このフェイク記事は、海兵隊員トルヒーヨ、佐喜真宜野湾市長、在日米海兵隊陸上自衛隊、その他多くの人を混乱に陥れ迷惑をかけた大掛かりな事件である。ボギー手登根(手登根安則)が犯した罪はあまりにも大きすぎると言わなければならない。しかし、何故か産經新聞八重山日報もそのことについて言及していない。そうであるなら真実に気づいた人間が声をあげなければならないのだろう。

 ボギー手登根(手登根安則)よ、君も日本男子なら、犯した罪を悔いて潔く謝罪せよ。産經新聞八重山日報も謝罪した。これで君がだんまりを決め込むなら、君の未来は破滅に至る道と覚悟せよ。

ボギー手登根(手登根安則)のような卑劣な人間を、「沖縄の声」のキャスターとして置き続けるなら、チャンネル桜社長・水島総氏の責任は重大である、と言わなければならない。

 

 

鬼才・佐藤健志が見逃したものは何か?

慰安婦問題について卓越した見解を示した後で、佐藤氏は産經新聞の記事に対する謝罪の正当性について言及した。昨年12月1日沖縄自動車道で発生した多重衝突事故について書かれた記事の内容に誤りがあった事を認めて産經新聞が謝罪した件であるが、実は佐藤氏はある事を見逃していたのだ。

どういうことかと言うと、まず産經新聞の記事について要約すると、事故に巻き込まれた海兵隊員が自らの危険を顧みずに同じ事故に遭遇した日本人を救出した。が、その海兵隊員は運悪く後続の車に撥ねられて重傷を負った。この海兵隊員の勇気ある行動を、沖縄2紙は報道しなかった。ざっとこのような内容の記事だが、産経ニュースと産經新聞が同時に流したか、産経ニュースが先で産經新聞が後に続いたのか、その辺の事情はよく分からないが、ぼくがこの記事を読んだのは産経ニュースである。

ところが、批判された沖縄2紙が、1月30日に反論文を掲載した。在沖海兵隊と県警に取材した結果、海兵隊員が日本人を救出した事実はないことが判明した、と報道したのである。つまり沖縄2紙は、ありもしない事を書かなかっただけである。

この問題の全体像を佐藤氏は正確に描いてみせた。そして産經新聞が潔く謝罪した事を評価しつつ、もっと早く対処するべきであったと苦言を述べたのである。ところが、佐藤氏はこの問題の最も深刻な部分を、実は見逃していたのだ。それは何かと言うと、このフェイク記事の震源地はどこか、と言う事である。フェイク記事には必ずそれを最初に流した人物がいて、それが拡散していくという性質がある。

高木桂一那覇支局長が産経ニュースに書いたこのフェイク記事の源泉を辿っていくと、居た!沖縄のお化け!

あのデマ製造マシーン手登根安則(沖ウヨデマゴン)が、実は多重衝突事故をネタにして作り上げた嘘話であり、彼と連絡を取りながらこの嘘話を膨らませて嘘記事に仕上げて、高木記者が産経ニュースに掲載したのである。これが真相である。

さて佐藤氏はこの事実を知っていただろうか?実は佐藤氏がこの事実を知っていたか否かで、問題は複雑になってくる。何故ならば佐藤氏が出演したFront Japanという番組はチャンネル桜のもので、手登根安則(ボギー手登根)はチャンネル桜沖縄支局のキャスターだからだ。

佐藤氏がこの事件の犯人はボギー手登根(手登根安則)だと知っていたなら、当然会社から圧力がかかったことが予想される。しかし、ぼくは佐藤氏はそんな卑劣な圧力に屈するようなヤワな人間ではないと信じる。だから佐藤氏は、おそらくこの事件の真犯人がボギー手登根である事実を知らなかったのだろう。知らないことは、いくら佐藤氏と雖も言及することは不可能である。そうだとすれば至極残念であるが、佐藤氏にはもう少し深く追求して沖縄のお化けを発見して欲しかった。

そうすれば他の追随を許さない独自の分析力で時代を斬り裂く稀代の評論家佐藤健志氏のチャンネル桜を揺るがす見事な解説が聞けたはずである。

ボギー手登根(手登根安則)の数々の悪行について知りたい方は、『Osprey Fuan Club うようよ対策課』を是非ご覧いただきたい。みんなで沖縄のお化けを退治しよう。

 

鬼才・佐藤健志の慰安婦についての提言

Front Japanという番組で、佐藤健志が語った慰安婦についての見解を聞いて、眼から鱗が落ちた。

佐藤氏によると、政府がやるべきことは、慰安婦の方々に感謝することから始めるべきである。戦時下において、我が国の兵隊を慰める役割を担ってくれたことに、まず感謝するべきである。その次にやるべきことは、我が国が戦争に負けたことによって、慰安婦の方々に多大な苦労をかけてしまったことを謝罪すること。要約するとこのような内容だったと思うが、これまで聞かされてきた慰安婦についての言説にはない、鋭い視点からの分析であり、まさにこれこそ正論と言えるのではないだろうか。

最終的かつ不可逆的合意を交わしたはずの慰安婦問題が、政権が変わることで見直しを求められる。このイタチごっこから抜け出ることができない原因は、謝罪から入る我が国の政府の戦略の拙さにある。

感謝しないで謝罪から入れば、韓国政府も韓国人も謝り方が誠実ではない、もっと心から謝罪せよ、と要求を強めてくるのは、韓国の国民性を考慮すれば、容易に見て取れることだ。しかし、佐藤氏が言うように、まず慰安婦の方々に感謝の意を表明し、我が方の至らなかったところを謝罪する。

この順番を踏まえれば、韓国政府も韓国人も、そして今生きておられる元慰安婦の方々も口が重くなり、最終的に日本政府の姿勢を受け入れざるを得なくなるはずである。そして、佐藤氏は次のようなことも述べた。仮に感謝することに対して、韓国側が感謝が足りない、もっと心のこもった感謝をしろ、と反撃してきたら、それはもやは、韓国人はまるで子供のようだと、世界の嘲笑を浴びるだけだろう。人から感謝されて、それを非難する人間なんか世界にいるはずがないからだ。

感謝をして、それから謝罪する。今まで誰も言ったことのない、時代を突き抜ける発想である。頭の悪い安倍首相にできることではない。何しろこの男は、南北統一を夢見る文在寅大統領に対して、平昌オリンピックが終わったら最大限の圧力を北朝鮮にかけるとしか言わない、能無し売国奴だからだ。

安倍に代わる次の総理大臣に期待したい。まず感謝をして、それから謝罪する、この佐藤氏の提言を是非実行してもらうことを。そうすれば慰安婦問題は、良い形で自然に終息するであろう。

 

手登根は腹を切れ!産經新聞は高木桂一・那覇支局長を更迭せよ

産經新聞が自社記事の誤りを認め、記事を削除する謝罪文を掲載した。

どのような記事かと言うと、昨年12月9日に産経ニュースが、12月1日沖縄自動車道で発生した多重衝突事故で、事故に巻き込まれた海兵隊曹長が自らの危険を顧みずに、同じく事故に遭った日本人を車から救出したが、不運にも後続車にはねられて、意識不明の重体になった、という内容の記事である。

最初この記事を読んだ時、海兵隊曹長の勇気ある行動に感動し、1日も早い回復を祈ったものだ。

但し、記事全体に少々疑問を感じたのも事実だ。と言うのも、この記事を書いたのは高木桂一・那覇支局長だったからだ。この記者は沖縄ヘイトまがいの記事を書く人間として、ぼくは認識し用心していた。高木記者は記事の最後を次のような文章で締めている。

「遅ればせながらここで初めて伝えている記者自身も決して大きなことは言えないが、トルヒーヨさん(日本人を救出したとされる海兵隊曹長)の勇気ある行動は沖縄で報道に携わる人間なら決して看過できない事実である。「報道しない自由」を盾にこれからも無視を続けるようなら、メディア、報道機関を名乗る資格はない。日本人として恥だ。とまれ、トルヒーヨさんの一日も早い生還を祈りたい。」

この最後の文章は、海兵隊曹長の勇気ある行動を報道しない沖縄大手2紙を非難している。この文章を読んだ時、ぼくの心の中に疑念が生じた。タイムスも新報も事実を知りながら、敢えて報道しないのだろうか? あるいは高木記者の記事に誇張はないのだろうか?

気分が晴れないまま、日にちが過ぎていったが、1月30日、高木記者の記事を否定する琉球新報の記事がでた。在沖海兵隊を取材した結果、そのような事実はないとの回答を得たと言う。そして県警もそのような事実は確認できていない、と断定したと言う。

高木記者の報道から約2ヶ月弱、真実を明らかにする為にこれだけの日数をかけたのは、新報側としては、慎重の上にも慎重にならざるを得なかった事情があったに違いない、と読み取れる。それから1週間後、昨日の朝刊で遂に産經新聞は自社の非を認めて謝罪した。

しかし果たして、これで海兵隊曹長の日本人救出問題は、最終かつ不可逆的に終止符が打たれたのだろうか? そうだ、とは言えないだろう。大きな問題が残っているのだ。このデマ記事製造に関わった人物達と、このデマ記事が起こした社会現象の異常さを指摘し、沖縄バッシングの震源地を炙り出さない限り、同じようなデマ記事が止む保証はないからだ。

ネット世界だけでなく、産經新聞、沖縄2紙を巻き込み、大きく社会的波紋を引き起こした今回のデマ記事の震源地はどこだ?

それは、手登根安則(沖ウヨ・デマゴン)、お前だよ‼︎

デマ製造常習犯・ボギー手登根(沖ウヨ・デマゴン)、お前が最初にデマを製造し、それをネタに反沖記者・高木桂一が手の込んだ記事を仕立てあげて産経ニュースで流した。産経ニュースはネット界ではメジャー媒体だから、たちまち社会現象となり、佐喜真宜野湾市長はじめ、多くの人間を動かして波紋を広げるという、メディアの恐ろしさを世間に見せつけた。

手登根安則(沖ウヨ・デマゴン)は、12月3日のフェイスブックに次のように書いている。

≪事故現場に遭遇した時、彼はそのまま素通り出来ただろう。しかし彼は車から降り、クラッシュした車の中にいた日本人を助け出した。その直後、後続車に轢かれ意識不明の重体になっている。その事故のことを沖縄の新聞がどう書いたか。危険極まる高速道路上で怪我人を救助しようとしたことは一言も書いてありません。彼がアメリカ海兵隊員だからか?沖縄はいつからこんなに冷たい島になった?≫

このフェイスブックには、事故現場の写真と、トルヒーヨさんと思われる顔写真と、彼がベッドに横たわって治療を受ける痛々しい写真が添付されている。実に手の込んだデマ作品だ。これだけでは飽き足らずデマゴンは、6日さらに次のような文を追加する。

≪アメリカ本国では身を挺して他人の命を救った者はヒーローとして称賛されます。先日の事故のアメリカでの報道。しかし、命を助けられた沖縄側の報道はどうだっただろうか。まるでアメリカ人が加害者のような書き方をしてやいなかったか?記事を書いたタイムス社の記者よ、あなたに心はあるのか?わが身を挺してけが人を救ったヒーローにあなたの行なった仕打ちはもう全世界へと拡散される。反基地という薄汚い思想を県民に広めるためにヒーローをヒールに仕立て上げたことが最低だよ。≫

そしてこのフェイスブックにも写真が添付されている。トルヒーヨさんらしき人物が軍服に身を包み女性が寄り添う写真だが、英文が付いている。Marine in coma after crash victim in Japan.(日本での自動車事故後意識不明の海兵隊員)これまた実に手の込んだデマ作品だ。

このデマ作品に高木記者が早速飛びついた。高木と手登根は同じ穴の狢、ツーカーの間柄である。高木は手登根宛次のようにツイートしている。≪ネットの産経ニュースには本日18時の掲載でした。失礼しました。紙の産経新聞にも後日、コンパクト版が掲載される見通しです。≫

沖ウヨデマゴン(手登根安則)がまず事実をネタにデマ作品に仕上げ、高木記者が現場の取材を省略して、デマゴンのデマ作品を参考にした手の込んだデマ記事をこしらえて、産経ニュースに流し込む。

なんと見事な両者の連携プレーだろうか。しかし、スポーツと違いこの二人の連携プレーは社会に害悪を撒き散らすだけだ。

このデマ記事は各方面に拡散して、滑稽にも佐喜真宜野湾市長がコロリと騙された。市長がこのような悪質なデマ記事に騙されるなんて、市長としての適性があるかどうか問題だが、佐喜真氏は同市在住の富原夕貴なる女性の呼びかけに応じて、トルヒーヨさんの回復を祈るメッセージをTシャツに書くイベントに出席したのである。もはや笑うしかないが、これだけではない。

チャンネル桜が盛んに購読を喧伝する八重山日報が、救助されたとされる男性がトルヒーヨさんに感謝しているという記事を掲載したのだ! しかし、この男性は救助されてはいないと証言している!

いやはやなんとも、これだけの劣悪低級芝居を見せられると、さすがに厭世気分に満たされて、身の処し方に困惑するのみだが、言いたい結論はただひとつ。

手登根安則と高木桂一が起こした今回のデマ事件は、社会に大きな悪影響を及ぼしたことを考えると、その罪は深刻なものがある。デマを最初に流した手登根安則は、その責任を取って直ちに腹を切れ!

彼のデマを悪用し、手の込んだデマ記事に仕立てあげて産経ニュースに掲載した高木桂一に対しては、産經新聞は責任をとって、高木を那覇支局長から解任し、沖縄以外の地方へ更迭せよ!

『Osprey Fuan Club うようよ対策課』を是非ご覧いただきたい。今回のデマ事件の顛末が、時系列で詳細に分かりやすく解析されていて、非常に読み応えがある。

 

秘境に生きるセンチネル族、永遠なれ!

 ふと空想にふける時がある。はるか何千年前、縄文時代と呼ばれた時期、琉球諸島に住んでいた我々の祖先は、いったいどんな暮らし方をしていただろうか?
農耕文化が伝わるはるか以前、厳しかったはずの食環境をどのように凌いだのだろうか? 人口の数、話し言葉の種類、集団における序列形態、死者の処遇、宗教の存在・・。考え始めるときりがないが、今のところすべては謎で深い闇の中に封印されている。
しかし、はっきり想像できることがある。それは、海も空も、現在と比較にならないほど、澄み切って美しかったに違いない、ということだ。
沖縄の海は美しいと言われ、それが多くの観光客を引きつける誘因の一つになっているが、それでもぼくが幼少の頃と比べると、今の沖縄の海は汚れてしまった。少年の頃泳いだ海は、東シナ海側も太平洋側も澄み切っていて、20メートル下の海底をはっきり見ることができるほどだった。離島の海は今も美しいと思うが、本島の海は、長年に渡る開発の影響で透明度がかなり落ちた。
文明に汚染される前の我々の祖先は、太陽の光に反射して眩しい砂浜を歩いて海に入り、魚介類、モズク、アーサなどの海藻を採って食糧にしたのだろう。海の幸は豊かだったに違いない。Time Machineに乗って原始時代の沖縄に行く。ユートピアの世界に浸る。文字も電気もない世界で、野生のままの生活を送る。大陸と違い、肉食獣がいない琉球列島は、全てがのんびりして、時間がゆっくり流れる。そんなことをとりとめもなく想像しながら、つい夢心地になる時がある。ところが、当時の沖縄を彷彿とさせるような世界が、現実に存在することがわかった。
インドのベンガル湾にあるアンダマン・ニコバル諸島の南西部に位置する北センチネル島がそれだ。サンゴ礁に囲まれた密林の島で、面積は約60平方キロだから、久米島とほぼ同じくらいの孤島である。
写真で見る北センチネル島の様子は、どこかしら沖縄と似ている。緑豊かな内陸部と、白い砂浜、澄み切った美しい海、そして温暖な気候。しかし、驚嘆すべきはそこで暮らすセンチネル族の激しい性格である。誰一人として島に近づこうとする人間を寄せ付けないばかりか、上陸しようとすると、弓矢でもって攻撃し、殺傷することを厭わないらしい。実際、近づいた漁民が殺害されている。この異常とも言える警戒心の原因はわからない。嘗て文明人がやって来て、酷いことをされて自衛のために警戒するようになったのか、全く謎である。領有権のあるインド政府は、何度も接触を試みたが弓矢で応戦されて、ついに断念せざるを得なくなったという。調査のため低空飛行で島の上を飛ぶと、弓矢で飛行機を射る姿勢を構えて威嚇する!その無謀とも言える激しくも愛すべき原始人の姿に驚かされるのだが、なぜか共感の感情が湧き出て、応援したくなるから不思議だ。
結局、インド政府は、センチネル族と接触することを断念した。観光客が興味本位で島に接近するのも禁じている。観光資源とならないよう遠方から島を監視するだけだと言う。島が、インド政府の管轄でよかったと思う。インド政府が下した結論は、センチネル族の意思を最大限尊重することになるからだ。もし白人の管轄下にあったなら、調査と称して強引に接触し、騙し騙し文明化を強制したことだろう。そして、彼らの精神をズタズタに辱め、誇りを失わせて、ついには滅亡させる。歴史を振り返れば、彼ら白人が先住民族にとってきた残虐さが、その可能性を示唆している。
イギリス人は、18世紀から19世紀にかけて、20万人のタスマニア原住民を絶滅させている。弄ぶように虐殺して絶滅させたのである。これは文明人・白人が犯した凶暴さのほんの一例にすぎない。長い間、イギリスの植民地にされ虐待された歴史を持つインド人は、イギリス人と違い、センチネル族を絶滅させるようなことはしないだろう。センチネル族は39人から400人くらいが生存しているとされるが、正確な数字ではないらしい。多くの人が実態を知りたいと思うのは、好奇心を考えると自然なこととしても、しかし、外部との接触を拒否するセンチネル族の立場になって考えるなら、そっとして置くほうが、真の意味での民族の共生であると思うし、その結果として、お互いを尊重することになるのではないだろうか。島が観光地化されて、センチネル族が、金銭のため観光客に媚びを売る姿を想像するのは、あまりにも残酷すぎる。
むしろ、珊瑚礁に囲まれた小さな島で暮らす原始人センチネル族の神秘的世界を想像する、そして我々の好奇心をできるだけ抑え込む。そのほうが、我々を真っ当な人間にするのではないだろうか。夢見心地に浸りつつ、そのような事を考えた。
心から祈りたい。秘境に生きるセンチネル族よ永遠なれ!

                                    

渡具知次期名護市長は苦難の道を歩むことになる

渡具知武豊氏が20,389票を獲得して、名護市長に当選した。稲嶺進現市長との票差は3,458票である。

予想以上の大差と言える。正直のところ、ぼくは僅差で稲嶺氏が勝つと思っていた。はっきり言って残念である。敗北の原因はいろいろあるだろうが、名護市民ではないぼくがその原因を、表面的に分析したところで、なんの説得力も持たないだろうし、やろうとも思わない。名護市民でない人間に名護市民の生活上の苦悩は分かるはずがない。

ただ次のような感想を持ったのは事実だ。渡具知氏は、敢えて新基地問題を争点にしないで、終始名護市の経済の活性化を訴えた。投票の結果だけから判断すれば、渡具知氏の戦術はズバリ的中したと言える。名護市民は、新基地問題よりも経済活性化を選択したことになる。つまり、渡具知氏が繰り返し訴えた経済振興を支持したのである。それだけ名護市民は経済的に困窮していた、ということだろう。しかし、このような生活実感は部外者には分かりようがない。だから現実をありのままに受け止めなければならないのだろう。しかし、果たして名護市民の今回の選択は正しかったと言えるだろうか?

渡具知氏は、「海兵隊の県外・国外移転」を政策に掲げているが、いずれ海兵隊の基地である辺野古新基地建設を容認することになる。何故なら、彼は再編交付金を貰えるなら貰いたいと言明しているからだ。だから容認するに決まっている。そして、それを元手に経済振興を図るつもりなのだろう。

新基地建設と引き換えの経済振興。過去何度も我々県民が見せられてきた精神が堕落していく姿だ。今回名護市民は、記憶消失症になったのか、20年前と同じような三文オペラを見事に演じてくれた。20年前、当時の比嘉市長は、10年で1000億円という巨額の振興策に頭の中が真っ白になり、辺野古新基地建設を容認したのだった。しかし、それで名護市は良くなったのか?良くなっていれば、渡具知氏が今回の選挙で経済活性化を訴える必要はなかっただろう。あの時造った箱物が、現在はその維持費負担で苦労している、とういのが実態ではないのか。渡具知氏が目当てにする再編交付金は、10年間支給という期限付きだ。10年後交付金は切れるが辺野古新基地は残る。新基地建設に投入される何千億円もの巨額の殆どは本土の大手ゼネコンに還元される。地元建設業者に落ちる金はおこぼれ程度だ。そして100機のオスプレーが沖縄全域を飛行訓練と称して自由に飛び回る。特に高江のヘリパッドを抱える北部地域は、更に危険度が増して住民は無力感に苛まれて呻吟するだろう。「あの時、容認するべきではなかった」と、後悔する時が必ずやって来る。しかし、その時やすでに遅し。安倍売国奴政権は、日米地位協定を抜本的に変える意思が更々ない。売国奴政党・自民党政権が続く限り、日米地位協定は頑として動かないだろう。

更に危惧されるのは、辺野古新基地が完成しても、普天間飛行場が返還されない可能性さへあることだ。何故なら米軍は、故意に8条件を付けてきたからだ。その中には、緊急時において、那覇空港を米軍が使用できること、とある。この条件を呑まなければ、普天間飛行場が返還されない恐れがある。県民の苦悩など、彼らの関心事ではない。占領意識丸出しの身勝手な要求を平気で突きつけてくる。正義は武力にあり、これが米軍の政治哲学だ。

ボールは稲嶺市長から渡具知次期市長に渡された。沖縄の政治には大きな困難が伴う。常に米軍基地問題が絡んでくるからだ。政治家が真剣になればなるほど、必然的に日本政府と米政府に対峙しなければならなくなる、という宿命を沖縄の首長は背負わされている。ある時は妥協しつつも、しかし、我々の先人達は勇気を持って言うべき事は言ってきた。少しづつではあるが、歴史を前に進めて社会を良い方向へ変えてきた。民族の誇りを失ってはならない一念で家族を、地域共同体を、そして沖縄を我々の手で守ってきたのだ。「沖縄の風土も、海も山も、空気も風も、全て政府のものではない。沖縄に住んでいる我々のものである」以上、当然のことである。

稲嶺市長も我々の先人同様、在任期間中、言うべきことをはっきり言ってくれた。苦悩の8年間であったにしても、安倍売国奴政権と堂々と渡り合った態度は立派だった。その意味では、今回選挙で負けたとはいえ、少しも悲観する必要はない。欲を言えば、設計変更許可申請を拒否する稲嶺市長の姿を見たかったのだが、選挙の結果が出た以上潔く諦めるしかない。

決して負け惜しみではない。我々沖縄県民は、稲嶺市政8年間を誇って良い。稲嶺進さん、ありがとう。これからは、ボールを受け取った渡具知氏が、どのような政治をするか、とくと拝見することにしようではないか。「海兵隊の県外・海外移転」と再編交付金を受取る整合性をどうするのか、拝見させてもらおうではないか。基本が卑怯な政治がうまくいくわけがない。「輝く名護市!」は短期間で化けの皮が剥がれるに決まっている。そもそも市長になる動機が不純である以上、早番市民の心が離れていくのは間違いない。勿論、全てぼくの杞憂であって欲しいのだが。渡具知氏には名護市を立派な街にしてもらいたいが、残念ながら無理だろう。苦難の道を歩く姿が、今から目に見えるようだ。

その苦難の質が、稲嶺市長と渡具知次期市長では異なる。稲嶺市長の苦難は正義の苦難であり、終われば心が晴れやかになる性質のものである。そして、渡具知次期市長が今から歩むであろう苦難は、任期を全うした後も残る堕落した性質のものである。

「有るからといって、喜んではいけない。失ったからといって悲しんでもいけない。人が歩いた道は後で知られる。」

これは、母が生前ぼくによく語った沖縄の諺のひとつである。稲嶺市長に捧げたいと思う。稲嶺市長、8年間ご苦労様でした。本当にありがとうございました。心晴れやかに余生を楽しんでください。