沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

「タイタニック」再び

十数年前「タイタニック」を観たのは、確かメインプレイスのシネマQだったと思う。不思議なことに何故か急にまた観たくなり、一週間ほど前購入してそのままにしてあったDVDを取り出した。
以前、映画館で観た「タイタニック」とは別物と思いたくなるほど、見落とした箇所の多さに驚き呆れてしまった。最近、度々似たような経験をしている。映画館で見る大画面の迫力と大音響にいささか緊張し、そのために細かい部分を見落としがちになるのではないかと考え始めている。それに比べると、狭い部屋で29インチの小型テレビで見る場合は、迫力に圧倒されるというようなことはないので、落ち着いて見ることができ、想像力の中に割とうまく収まる感じがして、細かいところも見逃すことがないように思う。
それともうひとつ、映画館と大きく違うのは、好きな時にいつでも一時停止できることだ。早送り、早戻しも可能だ。そういうわけで、狭い部屋で久しぶりに観たDVD版「タイタニック」は新鮮で大変面白く、台風22号の鬱陶しさを忘れさせてくれた。
当時世界最大級と言われた豪華客船タイタニックの処女航海は1912年4月10日。しかし、そのわずか5日後に氷山に接触して沈没してしまう。絶対に沈むことはないと思われた巨大客船が、あっという間に大西洋に呑み込まれて消えてしまったのだ。
映画はそのあまりにも短い間に芽生えた若い男女の恋を描いていた。ローズ(ケイト・ウィンスレット)は上流階級の令嬢だが、父親亡き後の莫大な借財のために、好きでもない大富豪家の息子と婚約させられた。家のためとはいえ、上流階級の日常生活は、社交パーティーと決まり切った自慢話ばかりで、絵の好きなローズにとっては退屈極まりない日々の繰り返しだった。欺瞞に満ちた上流階級の生活に失望し、自らの将来に夢が持てなくなったローズは、思いつめた挙句、船の後尾から飛び降りようとする。それを目にしたジャック(レオナルド・ディカプリオ)は説得を試み、なんとかローズが身投げするのを思いとどまらせる。それが縁となり、二人は会話を交わすようになる。
ジャックは画家志望の自由気ままな流れ者である。ある日彼のスケッチブックを見たローズはその巧さに感激し、次第にジャックの自由奔放な生き方に惹かれていく。そんな二人の姿を目にした婚約者キャルドン(ビリー・ゼイン)は激しい嫉妬心を抱くようになる。
豪華客船の中で繰り広げられる、貧乏人と富裕層の葛藤。タイタニックの旅客定員数は一等客室が329人。二等客室が285人。そして三等客室は710人。乗組員は899人であった。
しかし、救命ボートの数は乗客総数の半分を乗せることしかできない。何故かというと、タイタニックは不沈船だという自惚れよりも、いざとなったときは、上流階級だけ助かるように設計されていたのだ。
金持ちになりたい人間は多いだろうが、全ての人間がそうだとは限らない。金銭よりも自由に価値をおく人間だって少なくはない。ジャックとローズがまさにそうだった。「 人間の魂の中で自由が一度爆発すると、神はもはやどうすることもできない」とジャン・ポール・サルトルは『蠅』の主人公に言わせている。
今までカゴの中で大事に育てられた若いローズの魂の中で、自由が爆発した後に神はもはや彼女とジャックの間を引き裂く力を失くしていた。キャルドンがローズに贈った54カラットの宝石でできた首飾りも単なる石ころにしか見えなくなった。豪華なシャンデリアも衣装も、超一流の食事も、お互いの価値を認め合った自由だけが支配する男女の自然な恋に比べると、なんと退屈で欺瞞的で無意味だろうか。
この映画の出だしは、ルイ16世が所有したこともあるという54カラットの首飾りを探し当てるべく、調査船から降ろされた潜水艇が、海底に沈むタイタニックの船内を調査するところから始まる。そして探していた金庫を発見して船上に引き上げるが、その中にダイヤはなく、代わりにジャックが描いたローズの絵が入っていたのだ。
それがニュースで流されると、それを見た一人の老婦人が調査船の担当者に電話をして連絡を取る。ヘリコプターで調査船に降りた老婦人は、実は自分がローズ本人であることを告げる。そして、映画は彼女が語る記憶を辿るようにして展開していくのである。
豪華客船タイタニックが氷山に接触した後、怒涛のように浸水する場面、どうしていいか分からず慌てふためく旅客と乗組員たち。救命ボートを争う人間たちの醜さ、哀しさ。船首から沈むと途中で重さに耐えきれず、真っ二つに割れて後ろ半分は一瞬水平に戻るが、次第に垂直になり、船尾がタワーの頂点のような形になるタイタニック。その頂点にローズとジャックの姿があった。身体を支えきれずに垂直に海へ落ちていく無数の乗客たち。ついに船尾も沈むと、ローズとジャックも海中に引きずり込まれるが、二人はなんとか海面に顔を出すことができた。しかし、上流階級を乗せた救命ボートが彼らのところに来ることはない。やっとのことで一人が乗ることのできる木片にローズを乗せると、ジャックはその木片の端に自分の両手をかけて身を支えるが、胸から下は海の中だ。海水の温度は2度前後しかない。寒さに耐えるのもつかの間、ついにジャックは死に、救命具を着けていない死体はそのまま海の底へと沈んでいく。周りは救命具を着けた無数の死体が浮いている。その過酷な状況下でローズは奇跡的に一命を取り留めることができた。救命ボートが来たのだ。見応えのある、そして印象的な場面は数多くあるが、ぼくが一番感動したのは、やはり最後の場面である。
今や100歳を越す老婦人になったローズが夜、調査船の後尾のガードレールに一段登って立ち、ポケットから何かを取り出す。このシーンは彼女が若い頃、身投げしようとした場面を思い起こさせる。老いた小さい手を広げると、なんとあの54カラットの首飾りが手からこぼれ落ちそうに輝いているではないか。それを彼女は「はっ!」と弱々しい小さな声で叫んでタイタニックが眠る海へ投げたのだ。
売却すれば途方もない財産になるであろう54カラットの首飾りを、なんの未練もなく投げ捨てる老婦人の健気で可愛らしい姿に深く感動した。ローズはジャックとの思い出を、今まで長い間ずっと大事に胸にしまっていたのだ。そして、ついにその時がきたと思って、ジャックと供に海底に眠るタイタニックの真上に54カラットのダイアモンドの首飾りを投げたのだ。

タイタニック」はあくまでも映画であり、史実にない、あるいはそれとはかけ離れた描写が多くあるらしい。そのひとつにジャックは架空の人物とされる。だから観客はこの事実をわきまえた上で鑑賞しなければならないことになる。タイタニックの悲劇という史実を元に創り上げた人間劇の架空の物語だと言えるが、我々観客は、その中に人間ドラマの真実の姿を見るのだ。

54カラットのダイアモンドがサバンナで生活する種族にとっては、一杯の牛乳ほどの価値もないのと同様、人間の莫大な労働力を吸い上げて築いた巨大な富が、一瞬のうちに消える可能性を誰も否定できないはずである。人類が構築した高度な文明が、核爆弾で消失するかもしれない時代に生きる現代人にとって、「タイタニック」は人類の未来を暗示しているようで、興味が尽きることはない。

それでも県民の意志はビクともしない

安倍の卑怯な奇襲作戦のおかげで野党はカオス状態に叩き込まれたが、一ヶ所だけ例外的と呼ぶべき地域がある。わが沖縄県だ。各候補者の最終得票数は以下の通り。
第一選挙区:赤嶺政賢(共産)60、605票    国場幸之助(自民)54、468票    下地幹郎(維新)34、215票    下地玲子(幸福)2、594票
第二選挙区:照屋寛徳(社民)92、143票    宮崎正久(自民)64、193票
第三選挙区:玉城デニー(無所属)95、517票    比嘉奈津美(自民)66、527票    金城竜郎(幸福)3、031票
第四選挙区:西銘恒三郎(自民)82、199票    仲里利信(無所属)75、887票    富川泰全(幸福)4、650票
辺野古新基地反対派は今回、第四選挙区を落としたとはいえ、仲里利信氏は80歳の高齢で、今回の選挙に出馬することは考えていなかった。しかし、奇襲解散で不意を突かれ、引き継ぐ人が決まっていない中でのやむなき出馬だった。そのための準備不足が原因で落選したと言えるのではないか。それでも得票数を見ると、大健闘したと讃えるべきだろう。
前回比例復活した宮崎正久と比嘉奈津美が比例で救われなかったのは素晴らしいことだ。前回は比例に救われたが、今回、選挙区で敗れ比例復活もないとなると潔く政治家を辞めるべきだろう。この二人は4年前、当時の石破幹事長の恫喝で辺野古新基地反対から賛成へ寝返った信念の薄い政治家だ。早々に表舞台から消えるのが筋だろう。逆に維新の下地幹郎が比例復活したのは良かった。
彼は郷土愛の強い男だから、持ち前の行動力を発揮して今まで以上に、必ず沖縄県のために活躍してくれるものと信じる。
中央政界のドタバタ劇にも関わらず、沖縄県の選挙結果は賞賛されてしかるべきだろう。辺野古新基地は絶対に許さない、という県民の強い意志が表れた中身の濃い数字だといえる。
与党は310議席を獲得したが、内容は決して自民党に対する積極的指示とは言えない。野党のオウンゴールを誘った安倍晋三の狡猾な計算が偶々当たっただけに過ぎない。圧倒的議席の与党だが、問題は山積している。戦時内閣としての責任をどう果たすことができるか、前途多難である。立ち往生する場面が何度も繰り広げられることであろう。売国政党自民党国難をどう乗り切るか、とくと拝見させてもらおうじゃないか。

感動した!山尾志桜里の当選と比嘉大吾の初防衛成功

昨日は衆議院選の開票速報とボクシング世界タイトルマッチ放映が重なった。それに大型台風が華を添えて祭りのような賑やかな1日となった。台風は遠ざかりつつあるが強風は続いている。そんな状況下での比嘉大吾の初防衛戦。祭りとスポーツ好きの県民には堪えられない秋夜となったのではないだろうか。
比嘉大吾は予想以上に強かった。フランスのトマ・マソン選手を7回TKOで下した。ガードの固いマソンのボディーを連打しアッパーを放つ。少しガードが緩むとストレートを打つ。大吾は天才的な試合巧者だ。パンチ力も強い。大吾の完全試合だった。
このまま順調に行けば、師匠の具志堅用高の13防衛の記録を塗り替えるに違いない。そして全試合KO勝利で進む可能性もある。沖縄のカンムリワシが世界に羽ばたく姿に県民は惜しみない拍手を送る。
続くミドル級タイトルマッチの村田諒太も、同じく7回TKOで前回判定で負けたチャンピオン、フランスのアッサン・エンダムを下した。日本初の世界ミドル級王者である。凄い。
ボクシングの世界戦を堪能したあと、開票状況に目を転じると、自民党の圧勝が報じられている。ある程度予想はしていたが、これほどまでとは思わなかった。しかし、自民党の圧勝は偶然が幾重にも重なり合った結果にすぎない。野党が選挙協力する態勢が整っていたら、獲得投票数は野党の方が多いのだから、政権交代までいかなくとも、自公政権過半数スレスレのところまで追い詰めることはできたはずである。
しかし、民進党がバラバラになったおかげで結果は自民党の圧勝に終わった。このような調子では、日本に二大政党制が訪れるなどとは努々考えない方が良い。それよりも自民党という政党は実は売国政党だという事実に、国民ができるだけ早く目覚めることが大切だ。
戦後72年、外国の軍隊の駐留を許し、自国の安全保障政策も外交政策も米国に依存追従する自民党。これを売国政党と呼ばずに何と呼ぶ。今の日本の政治停滞と軍事面での危機的状況は自民党政権売国的政策が、戦後長きにわたって続いたことが原因だ。
誇りと独立心をなくした国家は亡国の道を歩む。今の日本がまさにそうではないか。自民党を保守政権と信じてはならない。自民党は国民・国家を第一に考えたことのない似非保守の、米国に魂を売り渡した売国政党である。
ぼくは今後、当ブログで売国政党自民党を糾弾する論陣を張る覚悟でいる。さて、今回のデタラメ解散劇の中で、ぼくが最も気になった人物がいる。山尾志桜里である。不倫スキャンダルで民進党を離党した山尾志桜里。その彼女を左翼の佐高信と保守の小林よしのり両氏が応援している映像が動画で流された。小林よしのりは「 山尾志桜里氏は国の至宝だ」とまで激賞しているくらいだ。左翼と保守の両方から認められる山尾志桜里とはいったいどのような女性だろう? 興味が湧いてきた。
不倫スキャンダルが初めて報じられた後、週刊誌やネット上での山尾志桜里バッシングは物凄いものがあった。これでもかこれでもか、と目を背けたくなるような悪辣な言葉が、無防備な一女性に対して浴びせられたのである。マスコミ、週刊誌、ネットからこれだけ酷い攻撃を受け続けたら、普通の人なら身を隠して騒ぎが収まるまで、表に出ることはない。
しかし、山尾志桜里さんは違った。無所属で立候補した。比例復活のない一発勝負。頼るべき政党も資金もない。あるのはこれまで彼女を支えてくれた地元の後援会の人々だけだ。しかも、その後援会の人々もスキャンダル報道の後は、さすがに腰が引けていたのである。
その後援会の人々の気持ちを変えさせて彼女を支援する方向に持って行ったのは、彼女の変わらないひたむきな姿勢だった。なんども頭を下げる彼女の痛ましいほどの姿があった。
強い意志と信念。本物の政治家に必要とされる最低限度の必須条件である。彼女の信念には両親の教えがあった。「社会のために働きなさい」。この言葉を実行するのに左翼も保守も関係ない。だから佐高信小林よしのり山尾志桜里さんを援護射撃したのだ。
ドブ板選挙。面白い言葉だ。路地を回って一軒一軒訪ね歩く選挙活動を指すらしい。ぼくが尊敬する田中角栄はそれを徹底して実践した。時間が許す限り有権者一人一人と直に接して彼らの声を聞く。民衆の中に入り声なき声に耳を傾ける。民主主義の原点はここにある。山尾志桜里さんも徹底して、有権者の手を握り声を聞き、自分の考えを訴えた。
田中角栄顔負けの行動力の持ち主だ。政策立案能力も並外れたものがあるらしい。種々の政策議論を交わした小林よしのりが、彼女の能力を高く評価している。だから「 国の至宝だ」と言ったのだ。しかし、現実はなかなか思うようにはいかない。彼女にとって全く不利な状況で果たして勝てるのか。開票結果を見ながら、山尾志桜里の名前がなかなか出てこない。落選か、あるいは接戦が続いているのか、気になっていたが、時計の針が午前2時を指した頃眠りについた。
そして今朝、山尾志桜里の当選をネットで知った。急いで動画を調べる。あった、当選祝いの動画だ。わずか800余票差である。凄い。山尾志桜里さん、おめでとう。そして、感動をありがとう。
左翼だ保守だと人間を狭い枠にはめて論じる時代はもう古い。ひとりの人間が時に左翼的、時に保守的になることだってあるのだ。ぼくはその間を、常に行ったり来たりしている。人間の前に左翼や保守があるのではない。左翼と保守の前に必ず人間の生きた顔があるのである。

田原総一郎の爆弾発言

稀代のジャーナリスト田原総一郎氏は、13日の日本外国特派員協会における会見で注目すべき発言をした。安倍首相と1対1の会談をした時、「もう憲法改正の必要がなくなった」と安倍首相が言ったという。「なぜ?」と田原氏が問うと、「これまで米国は集団的自衛権を認めるよう、執拗に圧力をかけ続けてきたが、安保法案が成立したら急に静かになり、何も言わなくなった」と答えた、という。

田原氏が嘘をつくとは思われないので、会談内容は事実だろう。しかし、事実とすればこれは我が国の安全保障問題にとって大変な危険性を孕んでいる。安倍首相が日本会議でのビデオメッセージで、九条の1項、2項は変えず3項を設けて自衛隊を明記する、と言った背景がこれで明らかになった。

つまり、安倍首相は安保法制が成立して米国からの圧力がなくなった時点で、憲法改正の意欲を失くしていたのだ。だから自衛隊明記はほんの付け足し、改憲の姿勢だけアピールするという彼独特のお坊ちゃんポーズでしかなかったのだ。ここで問題なのは安倍晋三の下手な演技ではない。米国が何故、集団的自衛権を認めるよう、我が国に執拗に圧力をかけ続けてきたか、である。

実は、戦後体制における我が国の米国に対する不可解な姿勢は、全てがひとつの出口へと収斂して行くのがわかる。それは日米安全保障体制の最終目標達成の為に、日本政府に圧力をかけてくる米国の要求を何とか国民に分からないような形で実現させたという事実である。それでは米国の最終目標とは何だろうか? それは日本の周辺で戦争が勃発したら自衛隊を米軍の指揮権下に置くことである。つまり自衛隊の米軍への統合である。

この米国の野望を、米国立公文書館で機密指定解除された膨大な公文書資料を解読することで、手に取るようにわかりやすく解説した本が刊行された。末浪靖司著『日米指揮権密約の研究』がその本である。副題に「 自衛隊はなぜ、海外へ派兵されるのか」とある。興味のある人は、ぜひ購入して頂きたいと思うが、ここでは最初のところだけ要約したい。

その計画は1949年からすでに始まっていた。1949年11月2日、国務省の一室で平和条約締結後の米軍駐留を協議するメンバーの姿があった。マグルーダー陸軍少将、バブコック大佐、アリソン国務省北東アジア局長、バターワース極東担当国務次官補、ハワード国務長官特別補佐官、ワグスターフ陸軍大佐・国防総省計画作戦局員、フィアリー国務省北東アジア局員。

この会議で話し合われた内容は、日本を再軍備させてアメリカのアジア戦略に利用すべきだ、ということ。というのも、この年の9月にはソ連原子爆弾保有を宣言し、10月1日には中華人民共和国が建国されたという背景がある。著者の末浪氏は次のように書いている。「 マグルーダー陸軍少将は、この翌年の1950年10月に旧安保条約の原案を書いて、その中で「 戦争になったら、日本軍は米軍の指揮下に入る」という、いわゆる「指揮権条項」を書いた人物です。この指揮権についての条項が、その後の日米交渉のなかで正式な条文は消え、最後に「指揮権密約」として合意されることになるのです。」

この「指揮権密約」はその後の日米安全保障交渉において、半透明の毒を流し続けるのである。そして昨年の安保法制の成立で、米国の最終目標である自衛隊を米軍の従属部隊とすることが、ほぼ達成されたとみて良い。そこであのイラク戦争を思い起こしてもらいたい。安全保障問題に無知な小泉首相が米国の戦争に自衛隊を派遣した、あのイラク戦争である。末浪氏は次のように書いている。

「 第一次イラク派遣自衛隊の郡長だった番匠幸一郎氏は、同じ文書(イラク復興支援活動行動史)の巻頭で「イラク派遣は純然たる軍事作戦であった」と書いています。つまり日本では「人道復興支援」という名目でおこなわれたイラクへの自衛隊派遣は、その実態は自衛隊が米軍の主導する多国籍軍に加わり、その軍事作戦の一翼を担っていたということだったのです。死者がでなかったのは本当に幸いでしたが、それはたんなる偶然にすぎませんでした。自衛隊は2006年6月にサマワでの活動を終了し、撤退することになりましたが、その背景には「これ以上いたら、もう危ない」という現場の判断がありました。実際、現地で受けた強いストレスもあったのでしょう。帰国後に21人の自衛隊員が自殺しています。」

県民の大多数の民意を無視する安倍政権。米軍優先の航空路。改定されない日米地位協定。世界に類のない「思いやり予算」等々。これら全てが一点に集約されることが明らかとなった。すなわち「 日米指揮権密約」の存在である。ついに自衛隊は米軍の従属部隊になりさがった。日本は米国の従属国家にすぎないことが確定した。

実に自民党の正体とは、自衛隊を米軍の従属部隊とし、日本国を米国の従属国家にする目的で結党された売国政党であることが明らかになった。戦後72年、国民を騙し続けてきた売国政党自民党自民党の責任は重大である。立ち上がれ日本民族売国政党自民党を潰せ!

「辺野古新基地を許すな!」ブローチ

サンエーメインプレイスの5階で期日前投票ができることがわかり、バスに乗り出かけた。台風が近づいているためだ。先日印鑑屋さんに注文しておいたブローチを、いつも着用する帽子の両側にピン留めして出かけたら、バス停で年配の女性がそのブローチに視線を送って関心を示す気配が感じられた。実は狙い通りで、少し恥ずかしい気もしたが、内心得意でもあった。
そのブローチというのは、縦2.5センチ横7センチの長方形の青色のプラスチック板で、白文字で「辺野古新基地を許すな!」と彫り込んである。辺野古新基地に反対する人間がここにいるんだよ、と自己宣伝する目的で作らせたのだ。
実は、9月に入ってから体調が思わしくなく、それまで週に一度参加していた辺野古行きが叶わなくなった。体調が回復したらまた参加しよう、と思っていたのだが、生来の怠け癖が祟り、体調が回復しても行くのが億劫になってしまったのである。その代償として考えたのが宣伝用ブローチである。
辺野古へ通っていた頃、辺野古行きを呼びかける手作りのポスターを、数ヶ所の電信柱に貼り付けることもやったのだが、通行人を観察していると、そのポスターを見る気配が全くないことがわかった。それで帽子にブローチを付けたら多くの人に見てもらえるのではないか、というアイデアが偶然浮かんできて、方針を切り替えたのである。
その読みは的中した。バスに乗り込むと乗客の視線がブローチに注がれるのを感じ取ったからだ。これで腹は決まった。外出するときは必ず「辺野古新基地を許すな!」ブローチを付けた帽子をかぶって出かけることにしよう。これで辺野古行きのバスに同乗した仲間たちに言い訳が立つし、現場のゲート前で一緒に座り込んだ大勢の仲間たちの応援にもなる。
小さな応援だが、勘弁してほしい、そして理解してほしい。辺野古新基地を絶対に阻止する気持ちは変わらないし、想いは完全に一致しているのだから。機動隊に排除される屈辱に耐えて、命を削りながら今も座り込みを続ける多くの仲間たちを、ぼくは心の底から尊敬している。我々は精神的にはすでに勝利していると信じよう。
投票所に着くと、列ができるほど人が多い。やはり台風が接近しているからだろう。選挙区は、あかみね政賢、比例は日本維新の会と書いてそれぞれ投票箱へ入れた。数年に一度やってくる我々庶民が権利を行使できる瞬間だ。あとは政治家が国会で具体的にどう動くか我々庶民が知ることはない。これが議会制民主主義という制度の限界であり現実である。
書店兼営のコーヒーショップで本日のコーヒーとチョコ菓子を注文した。書店の本三冊まで試読できるので、辺見庸目取真俊の対談『沖縄と国家』をまず手に取り、本棚を物色していると、『日米指揮権密約の研究』という衝撃的なタイトルの本が目に入った。副題に「自衛隊はなぜ、海外へ派兵されるのか」とある。10日に発売された新刊書だ。直感が働く。購入しよう。もう一冊。『検証・安保法案ーどこが憲法違反か』を抜き出す。これで三冊。チョコ菓子を食べ、コーヒーを飲みながら一冊づつ要所だけ目を通す。『沖縄と国家』と『日米指揮権密約の研究』はその場で購入することにした。『検証・安保法案ーどこが憲法違反か』の奥付を見ると、初版日が2年前だ。スマホAmazonで調べた。送料込みで500円のがあった。コンビニ支払いで注文した。定価は税別で1400円だ。
三冊も買ってしまって大変な予算オーバーだが、未だに治らない病気だから仕方がない。部屋には未読の本が山積みになっている。おそらく一生かかっても読みきれないだろう。日暮れて道遠し、か。
帰りのバスの中でも、乗客の視線が「辺野古新基地を許すな!」ブローチに注がれている。その中に帰宅途中の女子高校生も数人いた。

共産党を支持しないぼくが何故、赤嶺政賢氏に投票するのか

ぼくは那覇市に住んでいるから選挙区割りは沖縄1区になる。今回の衆議院選では3名が立候補している。維新の下地幹郎氏、共産党赤嶺政賢氏、自民党国場幸之助氏の3名である。当然のことながら、三氏とも故郷沖縄を思う心は強い。しかし、政策の違いで所属する政党が異なるという厳しい現実がある。
誰に投票するかをいう前に、とりあえず三氏の政治姿勢に対するぼくの見解を述べたい。まず、国場幸之助氏。
彼についてまず思い起こすのは、4年前、辺野古移設反対の立場から容認する立場に変ったあの歴史的事件である。当時の石破幹事長が記者会見しているその斜め後ろで、県選出の自民党国会議員全員が雁首を揃えて簡易椅子に横並びに腰掛けさせられ、全員がうなだれた表情で、子供をたしなめる親のような石破幹事長の説教を聞いているあの場面である。石破幹事長は、5人全員に辺野古容認を迫ったのだった。容認しなければ、党から除名するぞ、というわけだ。除名を免れるためには、幹事長の恫喝に従うしかない。
しかし、その代償はあまりにも大きすぎた。県民は裏切られたと思い、怒りの声をあげた。
西銘恒三郎、島尻安伊子、宮崎正久、国場幸之助比嘉奈津美の5氏がその時の自民党所属の沖縄選出国会議員だった。参議院議員の島尻安伊子を除く4氏は3年前の衆議院選挙で全員落選したが、比例で拾われた。去年の参議院選挙では島尻安伊子は落選している。

しかし、どこに恥をかき捨ててきたのか、西銘恒三郎、宮崎正久、国場幸之助比嘉奈津美の4名は今回も立候補している。辺野古容認を提げたままでだ。
信念を貫き通すことのできない政治家は表舞台から早々に消えてもらいたい。代わりはいくらでもいるのだから。辺野古新基地建設反対は県民の大多数の意思である。ぼくもその中の一人である。国場幸之助は落選させるべきだし、比例復活もあってはならない。
さて、下地幹郎氏。
ぼくは、政治家としての下地幹郎氏を高く評価している。実は14年ほど前、『沖縄自立新聞』を個人で始めた頃、第2号で下地幹郎氏にインタビューを行い記事にしたことがあった。当時氏は自民党に籍を置き精力的に活動していた。インタビューしていても、ぼくより年の若い政治家の熱い想いと情熱がひしひしと胸に迫ってきた。
ぼくは、下地幹郎の陽気でエネルギーに満ちた性格に完全に魅了された、と言って良い。この政治家は将来、きっと大物になるに違いないと思った。テープ起こしをして仕上げた記事は自慢できるものに仕上がったと自負する。しかし、広告が取れない。どれほど頑張っても広告を集めることができない。唯一の収入源である広告が取れなければ、新聞を発行するのは不可能だ。個人で運営することの限界であり、悲劇でもある。涙を飲んで諦める他なかった。『沖縄自立新聞』は創刊号だけの幻の新聞になってしまった。
しかしそれでも、ぼくは今でも下地幹郎には政治家として期待している。沖縄のためにこれからも大いに汗を流してくれると信じる。それでは何故、下地幹郎に一票入れるのを躊躇するのか?
それは彼が所属する日本維新の会辺野古移設を容認しているからだ。下地氏自身の態度は曖昧で容認か反対か明確ではない。だからぼくは下地幹郎に一票入れないことに決めたのだ。しかし、比例は維新の会に入れるつもりだ。選挙区で落ちても、下地幹郎には比例で復活してもらいたいのだ。辺野古問題を除けば、ぼくは維新の会の政策にほとんど賛成の立場である。身を切る改革、政権与党に是々非々の立場で対峙する責任ある野党の立場。政治家を含め公務員をタックスイーター、納税者をタックスぺイヤーと規定してタックスイーターとしての公務員は身を正すべきだとする政治哲学。そんな日本維新の会の政治姿勢には大いに共感できる。
創始者橋下徹の遺産が大きいのだろう。しかし、辺野古容認はいただけない。橋下氏は最近安倍首相の例の九条に3項を加えて、自衛隊を明記する憲法改正案にも賛成している。ぼくは、先日当ブログでそんな橋下氏を「橋下徹には失望した」とのタイトルで批判したことを付け加えておきたい。
最後に共産党赤嶺政賢氏。
ぼくは共産党を幼稚な政党だと思っている。と同時にある面では感心できるところもある。その幼児性は安全保障政策だ。何が何でも憲法9条死守。嵐が吹こうがミサイルが飛ぼうが、とにかく九条死守。これを幼稚と言わずなんと言おう。共産党員の方々は、就寝時に戸締りはしないのだろうか?アパートの住人の良心を信じてドアに鍵をかけずに仕事に出かけるのだろうか?そうではあるまい。志位委員長始め、幹部連中は特に、自宅を出る時は、厳重に戸締りをしてから外出するはずだ。
国家だって同じことだ。外国の侵略に対してはしっかりとした戸締りを施す。一般家庭の鍵や防犯カメラを国家レヴェルにしたのが軍隊である。こんな簡単な理屈がわからない共産党はまるで子供のようである。そしてもうひとつ。共産党ほど頑固な政党はないということだ。年から年中、朝から晩まで大企業批判ばっかりして飽きることがない。経済政策もまるで子供のママゴト遊びのようだ。だから今日に至るまで、少数政党の域を出ることがないのである。名誉の万年少数政党!
しかし、感心できる面もある。それは他の政党と違って、政党助成金を受け取らない唯一の政党であるということだ。そして、企業献金も一切受け取らない。これは称賛に値する見事な信条である。この共産党の姿勢を他の政党は見習うべきではないか。
さて問題の多い共産党ではあるが、ぼくは赤嶺政賢氏に一票入れることに決めた。その決め手はただ一点。辺野古新基地建設に赤嶺氏は明確に反対しているという事実。ぼくは共産党を選択するのではない。選挙区は赤嶺政賢氏、比例は維新の会に入れて下地幹郎に復活してもらう。
オール沖縄は革新と一部の保守で構成されている。特殊な政治環境にある沖縄県民の知恵が働いた結果だと言える。3市長選挙で連敗した反省から、翁長県政を支える保守派の「にぬふぁぶしの会」も結成された。そして革新側もイデオロギーは腹六分目に抑えて翁長知事を支えてもらいたい。特に共産党イデオロギーを前面に出すのではなく、アイデンティティーこそを前面に押し出してほしい。

 

安倍の空虚で甘い言葉に騙されるな

投票日まであと一週間。選挙情勢はなお混沌としているが、そもそも今回の解散総選挙の本質を忘れることがあってはならない。米国による実質的宣戦布告による米朝戦争の只中において、その危機的状況を真正面から国民に訴えないばかりか、森友・加計学園問題で追及されるのを恐れるあまり、臨時国会で代表質問はおろか一切の審議も行わないで、冒頭で解散するという国会蔑視・国民無視の安倍首相の政治的無能がもたらす判断の誤りが原因である、ということだ。

解散などせずに、野党を説得して、臨時国会米朝戦争対策に絞って議論すべきではなかったか。迫力を持って説得すれば、森友・加計学園問題を一時棚上げすることに野党各党も同意するのにやぶさかではなかっただろう。もし首相提案を拒否すれば野党は国民から総スカンを喰らったはずだ。それほど米朝戦争は逼迫しているのだ。

年末にかけて米朝戦争はさらに緊迫するとの読みで、早めの解散を決意したとの報道もあるが、首相の任期はまだ一年ちょっとある。それなら解散せずに任期満了まで内閣と国会が協力して、米朝戦争に万全の対策を講じるべきだ。そのためにやるべき事は山積している。第一に核シェルターの建設。特に皇室の核シェルターは準備されているのかどうか。

電磁パルス攻撃による情報網壊滅に対する対応策は十分になされているかどうか。等々検討すべき課題は膨大である。しかも急を要するものばかりだ。

ところが頓馬な安倍首相は選挙演説でなんと言っているか。アベノミクスによる経済効果を数字の羅列でこれでもかとばかりに自慢する。しかも2年先の消費税の引き上げで学費の無償化を目指すなどと、いかにも国民受けするような人参政策をぶち上げている。こんなのは全て解散しなくても臨時国会の専門部会で審議できる事案ばかりだ。

安倍首相の今回の解散劇の目的ははっきりしている。自己保身のためだけのお坊ちゃん的悪あがきに他ならない。安倍首相の頭の中に国家国民は存在しない。あるのは自分を良く見せようとする子供っぽいパフォーマンスだけである。

鳩山由紀夫菅直人も最低の総理大臣であったが、安倍晋三は両者を上回る戦後の歴代内閣で最悪の頭の悪い総理大臣である。このような指導者をいただく日本国民こそ哀れである。