沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

三権分立の欺瞞性!

日本は三権分立が確立された民主主義国家である、と形式的主張をする単細胞人間がいるが、現実は司法が暴走、迷走する事例に事欠かない。冤罪事件を取り上げると、免田事件、財田川事件、島田事件、松山事件、その他数え切れないほどある。

国策捜査という名前が有名になった、佐藤優氏と鈴木宗男氏の北方領土に関係する事件も司法と政治が絡んだ案件であった。ロッキード裁判しかり、司法側の不正といえばその最たるものは東京裁判であろう。民主主義国家のチャンピオン、米国が仕組んだ国際法違反の暗黒裁判である。

このように、司法も権力の一部である以上、我々国民としては、それが公正に機能しているか、常に監視する必要があるし、そうでなければ声を大にして戦わねばならない。

山城博治氏の逮捕が、まさにそうである。証拠隠滅の危険性のない事件であるにもかかわらず、保釈も認めず、家族との面会も許さず長期勾留するとは、やはり政治的意志を感じざるを得ない。これほど権力側が高圧的になれば、人民の抵抗がいよいよ激しくなるのは自然の勢いである。ウチナーンチュはまだまだ外国の過激な抵抗運動に比べれば、紳士的でおとなしいほうである。

ウチナーンチュウセーテーナランドーサイ。(沖縄の人をばかにしてはいけませんよ)

今日の沖縄タイムスの社説。
< 社説[反対派議長 長期勾留]人権配慮し即時釈放を (2017年2月25日) >
 個人の尊厳にもかかわる異例の長期勾留だというのに、司法は人権の砦(とりで)としての役割を全うすることができず、政府の追認機関に成り下がっているのではないか。
そんな疑念をぬぐい去ることができない。 
4カ月以上も長期勾留が続く山城博治・沖縄平和運動センター議長について、最高裁第3小法廷は、弁護側の特別抗告を棄却し、保釈を認めない決定を下した。
山城議長は2016年10月17日、高江のヘリパッド建設に対する抗議行動に絡み、有刺鉄線(2000円相当)を切ったとして器物損壊容疑で逮捕された。
那覇簡裁は20日、那覇地検の勾留請求を却下したが、地検が準抗告し、那覇地裁はその日のうちに勾留を決定。県警は同日、防衛局職員に対する公務執行妨害などの疑いで山城議長を再逮捕した。
さらに、1月に辺野古のゲート前でブロックを積み上げ、工事を妨げたとして10カ月後の11月になって、威力業務妨害の容疑で再々逮捕した。
ヘリパッド建設をめぐる機動隊の強権的な市民排除や、無許可の立木伐採などの法令違反に比べれば、非暴力抵抗の防御的な意思表示ばかりである。
逃亡の恐れがなく、重い病気を患っているにもかかわらず、いまだに家族との接見すら禁じているのは、国際人権法に反する疑いがある。
いわゆる「人質司法」が批判され、保釈を認めていく方向に司法が変わりつつあるだけに、なおさら、今回の執拗(しつよう)な逮捕劇と勾留は異様だ。
山城博治さんら3人の即時釈放を求める市民らは24日、那覇市の城岳公園で集会を開いた。参加した人々が口にしたのは、運動に対する弾圧への強い危機感である。
即時釈放を求める会の仲宗根勇さんは、今回の準現行犯逮捕を「捜査権の乱用」だと指摘、「安倍官邸の沖縄つぶしに裁判所が一役も二役も買っている」と批判した。
高里鈴代さんは「太陽の下、沖縄への人権侵害がこれほどあからさまになったことはない」と長期勾留の不当性を強調した。照屋寛徳衆院議員は、ある雑誌の対談で鹿野政直早稲田大学名誉教授が語った言葉を紹介した。「前は山城さんの存在が人々をつないでいた。今は、山城さんの不在が人々をつないでいる」
日米両政府の中には最高裁判決によって「辺野古問題は終わった」との見方が広がっているが、楽観的に過ぎる。23日の第3次嘉手納爆音訴訟判決で浮かび上がったのは、「騒音被害が漫然と放置されている」と司法が認めているにもかかわらず、米軍機の運航を規制できない、という沖縄の現実である。
ヘリパッド建設や新基地建設に対する山城議長らの抗議行動は、理不尽な基地負担に対する「ノー」の叫びでもある。対話や交渉を欠いた、ブルドーザーで敷きならすような強硬一辺倒の基地政策は、沖縄の人々の尊厳を傷つけ、激しい怒りの感情を呼び起こし、事態を一層泥沼化させるに違いない。》

菅官房長官は政治家をやめよ!

我が国はいつになったらアメリカの占領から卒業できるか?今日の沖縄タイムスの社説は次のように書いている。

< 社説[嘉手納爆音訴訟判決]日米の無策 司法が助長 2017年2月24日 > 
住民の健康に被害を及ぼすほどの爆音が発生しているのに、国や裁判所はそれを止められない-。
第3次嘉手納爆音訴訟の判決を一言で説明するとこうなる。那覇地裁沖縄支部藤倉徹也裁判長)は、深夜・早朝の米軍機飛行差し止め請求を棄却する一方、原告2万2005人に対し損害賠償を認め、国に合計301億9862万円の支払いを命じた。
かつてない巨額の賠償は、第1・第2次、普天間、厚木・横田などを含む過去の基地騒音訴訟の賠償総額をも大幅に上回った。
判決は、高血圧症の発症など爆音による健康被害普天間に続き認め、第2次訴訟では防衛省の騒音測定調査(コンター)外として対象外とされた読谷村座喜味以北の被害認定に踏み込んだ。
騒音が子どもにより大きな影響を及ぼしている可能性を示唆し、戦争を経験した高齢者は爆音で戦争時の記憶をよみがえらせ大きな不安を与えるであろうことも認定した。米軍機が戦争PTSDに悪影響を及ぼす可能性に触れた形で、被害認定の前進と言える。
一方、飛行差し止め請求は従来通り門前払いした。
静かな夜を勝ち取ろうと、原告が爆音による健康被害の立証に重きを置いた結果、裁判所は、被害の一部を認めざるを得なくなった。それにもかかわらず差し止めは請求できないという矛盾の理由はまたも、米軍の行為を国は制限できないとする「第三者行為論」である。
日米安保条約地位協定は国の権限を定めておらず、そのため国に飛行制限の手立てはないとする。そうであれば、この条約や協定にはそもそも不備があるのではないか。第三者行為論はこうした不備を司法が追認することに等しい。
「対米訴訟」後初の本訴となる今回、原告は、米国への訴訟が退けられる中での第三者行為論が、裁判を受ける権利を侵害するとも主張した。裁判所は、棄却そのものが権利の行使であり、侵害には当たらないとする。米国に訴状を届けもせず棄却した事実をもって「裁判権を保障した」というのは暴論だ。
 騒音対策への国の対応について裁判所は、効果がないばかりか、努力の跡もみられないなど厳しく批判した。しかしそうした国の無策を助長しているのは、この間の司法判断ではないか。第三者行為論や対米訴訟で国や米国を免責しておきながら、爆音対策の履行を求めたとしても実現するとはとても思えない。
第1次訴訟の確定から19年が経過した。今判決では、遡(さかのぼ)ること1970年代には爆音が社会問題化していたと触れるが、国が真摯(しんし)に向き合った形跡はみられない。
その結果、被害は蓄積して多くの住民の健康と生活の安心を奪い続け、賠償額はいまや300億円超となった。
地位協定は米側が75%を負担すると定めるが、これまで国が米側に請求したことはない。全てに国税が充てられることを考えれば、国と司法の無策ほど高く付くものはない。>>

一方、今回の判決について菅官房長官は何と言っているか。タイムスの記事から引用する。

<【東京】菅義偉官房長官は23日午前の記者会見で、第3次嘉手納爆音訴訟で国への損害賠償を命じた那覇地裁沖縄支部の判決について、「騒音被害に対する損害賠償請求の一部が認容されたことは、国の主張について裁判所の十分な理解が得られなかった」と述べた。控訴するかについては、「関係省庁と調整の上、適切に対応していく」と述べるにとどめた。
また、米軍機による騒音被害の軽減に向けては、「周辺住民に可能な限り配慮するよう米軍に申し入れるとともに、住宅防音工事など、各種施策を通じて周辺住民の負担を可能な限り軽減できるよう引き続き全力で取り組みたい」との考えを示した。>

菅氏は損害賠償を命じた那覇地裁沖縄支部の判決は容認できないと言っているのだ。菅義偉はたたき上げの苦労人政治家だとの評判を信じて、官房長官なりたての頃は、多少なりとも期待したのだが、完全に失望した。菅氏よ、今すぐに政治家を辞めたまえ。そもそも、あなたが記者会見するときの自信のない暗い表情は、以前から気になっていたが、結局あなたは政治をやる気がないのではないか、だから渋々記者会見をしているのではないかと、思わざるを得なくなるのだ。

貴方のような地元の人々の苦悩を理解できない人間は、政治家として失格である。直ちに故郷に帰って、農作業でもしながら、政治を志した頃の初心を思いおこすが良い。

 

「沖縄に内なる民主主義はあるか」批判 5

「大城立裕氏は民主主義思想家ではない」(2010-12-01)という題名で又吉(ヒジャイ)は次のように書いている。

< 明治政府は身分制度を廃して、四民平等にした。沖縄も琉球王朝時代の武士の特権を廃して四民平等になった。それは沖縄の民にとって喜ばしいことではないのか 小説「琉球処分」の作者である大城立裕氏が「県知事選を終えて」という評論を新聞に掲載した。 大城氏は「1879(明治12)年に、日本政府が国防のために琉球王国を併合することを企て、琉球側の抵抗を武力で排して、琉球王朝沖縄県にした」ことを琉球処分と呼んでいる。

そして、日本政府は沖縄県民を日本人に仕立てるために「同化」政策をとり、社会生活ではヤマト人による差別が横行したと述べている。 琉球王朝沖縄県にしたというのは廃藩置県のことであり、明治政府が九州から北海道まで日本全国で実施した大改革のことであり、廃藩置県は封建社会から近代社会に転換する第一歩の日本の変革だった。
(中略)
明治維新は日本の夜明けであるというのが常識なのだ。 ところが沖縄では明治維新による日本の近代化を琉球処分として位置づけ否定的に考えているのだ。それでいいのだろうか。沖縄には四民平等の思想、民主主義の思想は育っていないのか。 明治政府は身分制度を廃して、四民平等にした。沖縄も琉球王朝時代の武士の特権を廃して四民平等になった。

それは沖縄の民にとって喜ばしいことではないのか。 大城氏は、日本政府は沖縄県民を日本人に仕立てるために「同化」政策をとったというが、この「同化」というのは明治政府による日本全体の近代化への改革であったのであり、沖縄も全国と同じように変革をしたのであって、特別に沖縄が「同化」されたのではない。

琉球処分とは、琉球王朝の廃止、武士の武器携帯の禁止、ちょんまげの禁止、武士の特権の廃止、四民平等、国内移動の自由などのことである。それを琉球処分と呼ぶのに私は大反対だ。 琉球処分で被害をこうむるのは支配階級の武士であり、農民や庶民は武士支配から開放されて自由になったのだ。 廃藩置県を琉球処分と認識したのは沖縄の支配階級であった。廃藩置県を琉球処分と認識する大城氏には民主主義思想が欠落しているといえる。 福沢諭吉の「天は人の上に人をつくらず。人の下に人をつくらず」という歴史的名言も大城立裕氏には耳障りかもしれない。>
又吉(ヒジャイ)の歴史認識はあまりにも単純である。これだけ単純化されると、批判する気力もなくなるが、沖縄の歴史に疎い人たちに誤解を与える危険があるので、やはり批判せざるを得ない。
幕末の動乱期における武士階級は琉球王朝に民主主義をもたらすために明治維新を断行したのではない。ましてや、農民や庶民を武士階級から解放する目的で明治維新を決行したのでもない。
明治維新の意義を論じる際に重要なことは、できるだけ視野を広げて当時のアジアの状況を的確に把握することである。国内事情だけに限定して論じると、全体像を見ることは叶わず、真実は片手落ちになる。十九世紀は、アジア諸国が欧米帝国主義諸国に植民地化された時代であり、そのなかで唯一日本だけは独立を保っていたが、欧米の武力圧力は凄まじく幕藩体制のままでは他のアジア諸国同様、欧米に侵略されることは火を見るより明らかだった。

まさに日本は建国以来の一大危機に立たされていたと言える。何が何でも欧米の侵略を跳ね返すために明治維新を断行し、近代化政策を推し進めた。圧倒的な近代兵器で襲いかかる欧米と互角に対抗するための唯一の近道は、かれらの諸制度を取り入れて重工業を起こし、近代兵器を生産することであった。そして欧米諸国と互角に渡り合える近代的軍隊を持つことであった。そうすれば、少なくとも欧米諸国の植民地にならずに済む、と考えた開明派達は様々な矛盾を抱えつつも、歴史を前進させて明治維新を発足させたのである。

つまり、明治維新帝国主義という外圧に強いられた歴史の必然であった。
さて、我が琉球王朝に目を転じると、王朝とは言っても内実は、薩摩藩主島津の傀儡政権であり、島津の支配は千六百九年の琉球侵攻以来、廃藩置県まで約二百六十年という長期に及ぶ。島津の琉球支配はその理不尽さゆえに、琉球の人々に感情的しこりを植え付け、大和人に対する不信感は抜き難いものになった。
いっぽう、当時の琉球と清国との関係は、冊封体制であったとはいえ、清国が政治的に琉球を支配統治することはなく、琉球人を虐殺した史実も存在しない。貿易では琉球側に多大の利益をもたらし、琉球と清国は友好関係にあった。そのいっぽう、資源の乏しい琉球から搾取する狡猾で高慢な島津に対して、我々の先祖は言葉に尽くせぬほど苦悩し、不信感は募るばかりであったにちがいない。その薩摩の背後には徳川幕府の存在があったことを忘れてはならない。
そんな大和人が琉球王朝を廃止して日本の一県として日本国に組み入れようとする時、はたして農民や庶民が喜ぶだろうか?その姿をぼくはどうしても想像できないのだ。
< 明治政府は身分制度を廃して、四民平等にした。沖縄も琉球王朝時代の武士の特権を廃して四民平等になった。それは沖縄の民にとって喜ばしいことではないのか。>
まるでマルクス主義の安っぽい階級闘争理論を聞かされる思いがする。歴史の真実はそんな単純な言い回しで説明できるものではない。
表層だけ見て実態を見ないからそのようなことが言えるのだ。形式で判断しても、人間の深い心理心情を理解できるはずはない。
当時の琉球は、本土の諸藩と違って、島津の傀儡政権とはいえ独自の文化、伝統、制度を持つ独立国家であった。明治政府が下した改革に伴う社会的混乱を平準化して諸藩のそれと同一視してはならない。つまり、明治政府が目指した第一の目的は、凶暴な欧米帝国諸国から日本を防衛する事であり、その圧力ゆえの改革であり、琉球編入はあくまでその国策の一環にすぎなかったと考えるべきである。身分制度が廃止され、四民平等になったのは事実その通りだが、その制度が安定するまでには相当の年月を要している。そして農民や庶民の暮らしが楽になったかといえば、必ずしもそうではなかった。なぜなら明治政府は富国強兵策を取ったため、税金が高くなった結果(歴史的資料がある)、地方の暮らしは厳しく、特に沖縄県はそれが原因の一つとなり、大正から昭和にかけて発生したソテツ地獄の遠因となる。以上、我々の先祖の苦悩を考えると、琉球の日本国への編入は大きな時代の流れに呑み込まれる歴史的必然性があったとはいえ、やはり琉球処分と呼んで然るべきである。

歴代の琉球王以下支配層による農民や庶民の虐待、虐殺などの歴史的資料があれば話は別だが、そのような資料は存在しないし、羽地朝秀や蔡温という優れた政治家が出現したことを考慮すると、資源の乏しい琉球の人々は支配被支配関係なく、南国人特有の穏やかで暖かい心の交流が交されていたとみるべきだろう。
又吉(ヒジャイ)の歴史認識は表層的で軽薄で、且つ冷淡である。彼の文章から当時の我々の先祖の生きた表情を見ることは不可能だ。近代が生み出した民主主義思想の観点から古の人々の生き様を説明するには相当無理があると心得るべきである。むしろ、古の人々の視点から、軽薄な現代人を逆照射すべきだろう。

 

拉致被害者を今すぐ取り返そう!

昨日の産経ニュースは次のように伝えていた。

北朝鮮による拉致被害者家族会と救う会が19日、「今年中」と期限を初めて明記して全被害者の奪還を政府に求める運動方針を打ち出した。背景には問題が長期化する中で、家族が直面する厳しい現実がある。「家族には亡くなった方もいる。もう待てない状況なんです。」家族会の飯塚繁雄代表(78)は硬い表情でこう語った。「横田ご夫妻も来られない状態になってしまった」。

この日の会議に横田めぐみさん(52)=拉致被害当時(13)=の両親、滋さん(84)と早紀江さん(81)の姿はなかった。滋さんは足腰が弱って言葉が出にくくなり、早紀江さんも体調不良を抱えている。苦渋の欠席だった。(以下略)>

世界第3位の経済規模を誇る国家が、小国の隣国に国民がさらわれても取り返せずに時間だけが経過する。なぜこうなってしまったのか、答えははっきりしている。国民の代表とされるいまの政治家には誰一人男性がいないからだ。喧嘩を売られて、「それは良くないよ」としか言わない我が国の政治家達。

にもかかわらず、内閣支持率が6割も超える現実を突きつけられると、この国に未来はないのではないかと、暗澹たる気分にならざるを得ない。拉致を最優先課題とし、解決に全力を尽くすと約束した安倍総理だが、彼の行動を見ていると、その気がないとしか思われない。

無能で勇気のない政治家よりも、むしろ武士道精神を身につけた自衛官の方々の存在が、唯一の救いの光と言えるかもしれない。政治家達の千の嘘の言葉よりも、自衛官の誠の一言が聞きたい。

自衛隊幻想』という本の中で、海上自衛隊「特殊部隊」初代先任小隊長だった伊藤祐靖氏は次のように語っている。

< どう考えても拉致被害者を実力で救出するなら、自衛隊しかありません。自衛隊を使えば救出できる。一般部隊ができるかというと簡単ではありませんが、荒谷さんが創設し、初代郡長を務めた陸上自衛隊の特殊作戦群、私がからんでいる海上自衛隊の特別警備隊という陸海の両特殊部隊を投入すれば可能だと思います。難しいか難しくないかといえば、あの虎の子の特殊部隊を出せば、簡単な部類に入る作戦でしょう。

ただし、犠牲者がどれくらい出るかということと、できるかできないか、安易か困難かというのは別の話です。簡単であるとは言いましたが、犠牲は国民が想像する以上に出ると覚悟しなければなりません。一度に救出する人数にもよりますが、5倍から10倍、あるいは15倍くらいの犠牲は覚悟しての作戦立案となります。こういう話になると、「それだけの犠牲を払ってまでやる価値があるのか」とか「それは作戦として成立するのか」という声も出てきます。

公式の場ではありませんが、これについて議論をしたこともあります。私の個人的な考えとしては、国として、自分の国の国民がさらわれたにもかかわらず、ちょっと手間がかかるから止めるという話があるのかということです。犠牲が多いから止めます、見なかったことにしますという話があるのか。

世の中には一歩も譲れないことがあります。普通に暮らしていた中学生がさらわれたのであれば、国家は何としても、いかなる犠牲を払ってでも取り返す。それは、そろばん勘定とは別のものです。やるやらないという話、費用対効果、犠牲が出るという話ではなく、我々国民はなんのために日本という国を形成しているのか、国とは何なのか、あのパスポートは何なのか、どんどん原点を突き詰めなければならない話になります。

拉致問題でもう一度、立ち戻ってもらいたいのは「国とは何なのか」というポイントです。救出作戦ができるかどうか、本当に国としてやるのかどうかについては、その母体である国民の一人一人が「我々は何のために日本国民を名乗っているのか」を考えるべきですし、国のトップである内閣総理大臣は国民をどう方向づけするのかが問われます。

そうして、北朝鮮による拉致は、国として譲れないラインを明らかに超えていると判断すれば、ことは難しい話ではありません。現場は覚悟ができているのだから、あとは国民、最高指揮官である総理大臣が求めるだけで話は進んでいきます。拉致問題を放置して国としての体をなすのかなさないのか、それだけを判断して、国家として然るべき人に命じれば事はすみます。>

安倍総理に告ぐ、我が自衛隊は覚悟はできている。直ちに特殊部隊を招集して、命令を下してほしい。「私は諸君とともに命は天に預けた。拉致被害者を救出せよ。現憲法下では超法規的措置であるが、全責任は私が取る。」と言ってもらいたい。多くの国民は総理の決断を支持するであろう。

 

 

荒谷卓著『戦う者たちへ 日本の大義と武士道』8

民主主義だ、人権だと抽象的概念を叫び続けた結果、戦後の日本社会が失ったものは、共同体の横のつながりであり、伝統文化の空洞化である。戦後、日本が半ば強制的に押し付けられた欧米型民主主義は個人の権利を最優先するものであって、それゆえ共同体としての人間同士の絆は、脆弱にならざるを得ず、事実、現代の日本社会はそうなってしまった。

女性の麗しい黒髪は醜い茶髪になり、ズボンをずり下げたまま、街を闊歩する若い男子がいる。自由だからいいじゃないか、と主張するが、自らの意思というよりも、他者の周りの影響が強く働いている事実に気づいていない。

物事の本質を履き違えた主張には迫力がない。自由が本物であるためには、自発的必然性が伴わなければならないし、自由と責任は同義語であると認識する必要がある。自由放任は自由の誤解でしかない。

歴史的にみて、欧米型民主主義は欧米人にとって、自発的必然性であったがゆえに、彼らの行動ふるまいに不自然な感じがしないのだ。しかし、日本人の場合は違う。戦後体制に自発的必然性がなかったために、戦前と戦後を比べると、日本人の振る舞い方に異和感を覚えるのである。

男女を問わず、戦前の日本人の振る舞い方は、地に足がついて自然であり、無理がない。古より培ってきた文化伝統を熟成させ、その中で生活してきたからだ。しかし、戦後は欧米文化が怒涛のように流入し、消化不良のまま現在に至っているから、本来の日本人にそぐわない、不自然な、そして自信のない振る舞いが多く目につくのである。特にアメリカナイズされたものは外観も醜く感情的にも反発したくなるが、そう感じるのは果たしてぼくだけだろうか。

日本人が再認識しなければならない本来の日本人の精神のありようとは何か、荒谷氏の言葉は深い矜持に富むと思い、断続的ではあるが引き続き紹介したい。

「 九、人間の真心を具現する武士道 (略)

日本の武士道が教えるのは、戦闘者が、単なる戦闘技能を有する武者に終わらず、道理を探求し実践する生き方である。自らの主体を精神に置き、精神の目的に応じて肉体を使い切る生き方である。武士道は本来「死」を対象にしているのではなく、魂が最も充実する「生き方」を提示しているのだ。

キリスト教徒であった内村鑑三は「(武士道は)日本における唯一の道徳・倫理であり、かつ、世界最高の人の道」と賞し、「日本武士は、その正義と真理のため生命を惜しまざる犠牲の精神に共鳴して神の道に従った。武士道があるかぎり日本は栄え、武士道がなくなるとき日本は滅びる」とまで断言した。この、生死に直面してもなお貫こうとする人間としての生き方、この奥深い普遍的原理こそ、世界的に注目を引く要因なのだと思われる。(略)

日本の武道や神道は、人間の持つ感性の歴史と経験で築き上げたものであって、知識のマニュアル化ではない。逆に言えば、現代において武道や神道を学ぶ重要な意義は、知識の啓蒙作用によって失いかけた人間の感性を磨き、自然の普遍的原理に立ち返るということなのかもしれない。」

 

天皇陛下とひめゆりの塔

天皇陛下が皇太子の時、ひめゆりの塔を慰問されたことがある。その時、事件が起きた。左翼系過激派が、壕の中から皇太子めがけて火炎瓶を投げたのである。火炎瓶は皇太子の目の前で破裂炎上したが、幸いなことに皇太子も、ご同行されていた皇太子妃もご無事であった。

沖縄が祖国復帰してから三年後、1975年7月17日のことだった。復帰後、政府の「本土並み返還」はまやかしであったということで、沖縄県が政治的に燃えていた頃である。

しかし、明仁殿下はめげることなく、その後何度も沖縄をご訪問された。天皇陛下となられてからも、対馬丸記念館を訪れている。戦時中、学童疎開で沖縄から本土に向けて出航した対馬丸が、米国潜水艦に撃沈されたという報告を受けて、ご自身も疎開中の身であられた殿下は以来ずっと気にかけられていたという。

吉永小百合主演の映画「あゝひめゆりの塔」に対馬丸に乗船するため召集された学童たちと、彼らを見送る父兄が離別する悲壮な場面があるが、当時小学生であられた殿下も、疎開先で同じ気分であったに違いない。

 そして、対馬丸が撃沈されたという報告が、父兄や先生たちのもとに届くと、全員が泣き崩れる。殿下が疎開先で、対馬丸撃沈を知らされた時、幼い胸に言葉にならない悲しみが去来したことだろう。

驚くべきは、殿下はこの対馬丸の悲劇をずっと胸の内に抱え込んでいたという事実である。2014年6月27日に、陛下は学童慰霊塔「小桜の塔」と対馬丸記念館を訪れ、遺族・生存者十五人と懇談された。

歴史の真実を知れば知るほど、天皇陛下が高貴にて私心がなく、国民の安寧をひたすら念じておられるかがわかる。対馬丸が海底から発見された時、陛下が詠まれた歌

    疎開児の命いだきて沈みたる船深海に見出されけり 

一部の県民の間に未だに存在する、皇室に対するわだかまりを解くためには、我々一人一人が、忍耐強く歴史の真実を追求していくほかに道はない。

 

あゝひめゆりの塔

吉永小百合主演の「あゝひめゆりの塔」をビデオで観た。沖縄を誤解したお涙頂戴の、感傷的な映画だろうと、あまり期待はしていなかったが、予想に反して感動的で面白い良い作品だった。

特に感動した場面が二箇所ある。そのひとつは、米軍の凄まじい攻撃が続く中、ついに日本軍の大反撃が始まると言う嘘の情報を信じたひめゆり学徒隊は、ある日砲弾一つ聞こえない、静かな日に、大反撃が始まった証拠に違いないと喜んで、全員川で水浴びをしながらワイワイはしゃぎ回る。

そうしているうちに、突然、ウチナーグチで「谷茶前」を全員で大きい元気な声で歌いながら、カチャーシーを踊るのである。意表をつかれたぼくは、一瞬、吉永小百合はじめ全員がウチナーンチュになった感覚に襲われ、感動に震えて涙がどっと溢れてくるのを抑えることができなかった。

そのつかの間のオアシスを憎きグラマンが襲いかかり、多くの女学生が機銃で撃たれてしまう。そして、二つめの場面は、ある壕の中で、二谷英明演じる先生が生徒たちに言う、今までご苦労だった、今日で君たちの任務を解く、と。

悔しくてはじめは泣いて抵抗するが、仕方なく全員制服に着替えると、吉永小百合がひとりで、「浜千鳥」をウチナーグチで歌いながら踊りだすのである。

再び意表を突かれて、頭の中が真っ白になり、感動に震えて、大粒の涙が流れてくるのを止めることができなかった。

そして最後の場面。吉永小百合と同級生二人が摩文仁の崖に立っている。二人立ったまま抱き合い、吉永小百合が手榴弾の安全ピンを口で外して、自爆する。

何事もなかったかのように、摩文仁の海は静かで、浜辺に打ち寄せる波の音だけが聞こえる。− 終 −

「谷茶前」と「浜千鳥」は幼い頃から、どこからとなく、それこそいたるところから自然に耳に入り、また、目にしてきた歌であり踊りである。ぼくの血となり、肉となっている、と言っても決して言い過ぎではない。特に「浜千鳥」は思い入れの深い曲で、今でも何かの拍子で軽く口ずさむ時がある。世界の名曲の一つである、と勝手に自分で評価しているのだが。

どこからともなく、その哀調を帯びた三味線の調べが聞こえてくると、自然に胸の中が熱くなり、目頭が潤む。ヤマトゥンチュには理解できない、ウチナーンチュの情感ではないだろうか。

次回鑑賞する時は、「谷茶前」と「浜千鳥」の場面だけ繰り返し繰り返し見ることにしよう。この作品のおかげで、吉永小百合が今までよりグッと身近になったような気がする。大和撫子はウチナーンチュだった。