沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

政府の紐付き交付金をあてにする古い政治から自立型経済を目指す新時代の政治へ

今12時50分、激しかった風雨が嘘のように静かになった。台風の目の中にすっぽり入ってしまったのだろうか?

昨夜から今朝にかけて、玉城デニーの演説をYouTubeで繰り返し何度も聞いた。聞くたびに感動を新たにしている。彼の政策を要約すると次のようになるだろうか。

経済は政府の紐付き交付金に頼らない自立型を目指す。自立型経済を確立拡大することで、県民所得を増やす。それで子どもの貧困問題を解消していく。

経済を成長させ豊かになるためには平和でなければならない。そのためにも、今や経済発展の阻害要因でしかない辺野古新基地建設は阻止する。土地を奪われて造られた普天間飛行場は、当然の権利として県民の手に取り戻す。

以上簡単過ぎて申し訳ないが、もっと詳しく知りたい方は、YouTubeをご覧頂くか、昨日の当ブログの玉城候補のインタビューを参照して頂きたい。さて、一方の佐喜真候補の方はどうだろうか。

彼の経済政策は、玉城デニー候補と180度異なる。自立型経済ではなく、政府の交付金を増やしてもらって、県民所得を300万円まで引き上げると言っているのだ。

アホか。

政府の交付金は紐が付いていて、各家庭に現金を配ることはできるはずもない。一体どうやって300万円まで増やすのだ?

そのためにはデニー候補のように、きめ細かな経済政策を構築する必要があるが、佐喜真氏にはそれがない。おそらく大型公共工事を考えているのだろうが、それでは本土の大手建設会社に利益をがっぽり持っていかれる。我々県民が何度も何度も目にしてきたことだ。

佐喜真候補が言う政府との太いパイプとは、増額してもらって流れてきた交付金を本土に逆流させるシステムに他ならない。沖縄振興策は長いことそのシステムでやってきた。おかげで公共インフラは見違えるように整備されたが、県民所得は未だに全国最下位のままであるのは、この利益逆流システムに原因があるのだ。

この古いシステムを佐喜真候補は踏襲しようとしている。辺野古新基地工事も大型公共工事である。佐喜真氏が辺野古新基地建設の是非について、一言も言わない理由がこれで明確ではないか。

大型公共工事をいくら増やしても、県民所得が300万円になることは絶対にありえない。自民党得意の有権者目眩し戦術に過ぎない。広げた大風呂敷にいくつも大きな穴があいているようなまやかしのキャッチフレーズに騙されてはならない。

佐喜真候補の演説会には、小泉進次郎が3回、菅義偉が3(4?)回もやって来た。これは何を意味するか。佐喜真候補は自分の政策に自信がないから、客寄せパンダと政界ナンバー2の官房長官に登場してもらったのだ。政府との太いパイプを誇示したいのだろうが、そのパイプは利益逆流の腐ったパイプである。

いったいこの選挙の主人公は誰だ?小泉進次郎か、菅義偉か?人気と権力のある応援弁士に頼らなければ、自分の政策を県民に理解してもらう自信がないのか。佐喜真淳は、主体性も能力もない実に哀れな男だ。

デマ常習犯・ボギー手登根(手登根安則チャンネル桜「沖縄の声」キャスター)と繋がり、沖縄で暗躍する日本会議のメンバーでありながらひた隠しにする佐喜真淳のような不誠実な人間を間違っても沖縄県知事にしてはいけない。

今回の沖縄県知事選挙は、政府の紐付き交付金をあてにする古い政治の佐喜真淳候補と自立型経済の新時代に向かう玉城デニー候補の一騎打ちである。

「誇りある豊かさ」を目指すなら、沖縄県知事の椅子に座ってもらう人は誰か、すでに答えははっきりしている。

無党派層の皆さん、魂の一票を是非、我らが愛すべき玉城デニー氏へ!

 

玉城デニー県知事候補のインタビューから

玉城デニー沖縄県知事にしたい一心で、僅か四日間ではあったが、ぼくのボランティア活動は昨日で終了した。『ウチナーンチュ、マキテーナイビランドー』という秀逸なポスターは全て貼り終えたので、あとは大して手伝うものはないだろうと思い、今日は事務所には寄らなかった。

明日は台風で両陣営とも選挙運動はできないだろうから、今日が実質的には活動最終日になる。あとは今日一日、運動員スタッフと玉城デニー本人が、無理をしないで効率的に動くことを願うばかりである。とは言ってもやはり、30日の選挙結果は大変気になるところだ。その日までにぼくにできることは、このささやかなブログで、我らが愛すべき玉城デニーを応援することだけである。

というわけで、玉城デニーのホームページの特別サイトに、玉城デニー県知事候補への興味深いインタビューが載っているので引用させて頂く。かなり長いインタビューで、前編と後編に分かれていて前編は玉城デニーの生い立ちについて、後編は政治家としての理念・政策について語っている。

前編も大変面白く是非多くの人に読んで欲しいが、ここでは後編だけ転載する。玉城デニーという逸材が、沖縄の政治状況・社会構造を正確に把握した上で、沖縄の将来の方向性について具体的に語っている。ぼくはこのインタヴューから多くのことを学んだ。皆さんはいかがだろうか。

——翁長さんは「イデオロギーよりアイデンティティ」という言葉をよく口にしていました。デニーさんもこの言葉を出馬会見で口にされていましたね。

「沖縄はこれから新しいステージへ向かおうとしている、僕はそう思っています。そしてきっと、翁長さんもそう思っていたのでは、と。彼はアメリカ統治下の沖縄も、復帰後の沖縄もずっと見てきて、ついに沖縄のアイデンティティを十分に発揮できる時代がきたんだ、と決意して知事になったんじゃないか。」

——デニーさんは翁長さんの「誇りある豊かな沖縄」という言葉も引き継いでいます。これについては?

「あの言葉はとても良くできてるんです。戦後沖縄の歴史を振り返ってみると、その一方には、基地に反対する人たちが米軍に抗いながら守ってきた「誇り」があります。他方で、保守と呼ばれる側は、時に日本政府と一体になりながら、それでも沖縄として主張すべきところはきっちりと主張して、沖縄に「豊かさ」をもたらしてきました。

つまり、イデオロギーや立場は違っても、それぞれ沖縄の「誇り」と「豊かさ」をお互いが追求してきたんです。でもお互いに対立したままでは、新しい時代の沖縄はつくれない。互いに相手がやってきたことを認め合い、腹八分、腹六分で理解しあって、ウチナーンチュがひとつになる。それが僕なりに考える、翁長さんの「誇りある豊かな沖縄」という言葉の意味です。」

——しかし、新基地建設をめぐっては、県民は分断されがちです。

「沖縄の中には色んな立場の人がいて、色んな主張がある。僕は、辺野古に新基地を作らせない、埋め立て承認撤回を支持するという立場です。でも、基地で働いている人たちにだって生活があります。そのことは絶対に無視できない。基地負担の軽減は県民の願いですが、それが基地で働く人から仕事を奪う結果になっては意味がありません。

沖縄の誇りを守りつつ、どう県民の生活の豊かさを実現できるか、その両立を追求していくのが僕の使命だと思っています。翁長知事がやろうとしていたことの本質を見ないで、「誇りをあきらめて豊かさを実現しましょう」というのでは、沖縄は古い政治に逆戻りしてしまいます。」

——具体的にはどうやって基地問題を解決していくつもりですか?

「まず、現在基地が沖縄社会に与えている影響を冷静に評価すること。そして基地返還後に実現可能な経済ビジョンをはっきり示すことです。

次に、基地負担の軽減を求めつつも、基地から収入を得る人々の生活を守る。将来基地を返す時には、新たな雇用の場をつくり、新たな職場で働くためのスキルを身に着ける機会をつくる責任が国にはあります。それが戦後、基地との共存を強いられてきた県民に対する、最低限あるべき補償だと思います。そのことを強く国に求めていくこと。

最後のひとつは、時代の変化を捉えた返還跡地利用計画を策定することです。「アジア経済戦略構想」をみてもわかる通り、いまや沖縄は日本の辺境の一地方から脱して、日本経済をけん引するフロントランナーを目指しています。軍事ではなく、経済の面から沖縄の新たな価値を提示していくことが重要です。」

——本土との関係はどうでしょうか?

「沖縄が持続可能な経済発展の軌道に乗れば、国にとっては税収のアップに繋がりますし、発展するアジア経済へアクセスするための国内随一の戦略拠点を手に入れることができます。そうすれば対立することなく、お互いに自立した関係に立ち返ることができるはずです。基地の跡地利用も飛躍的な発展の可能性を秘めている。つまり長期的な視点に立てば、win-winの構図が描けるんです。

目指すのは平和と経済の両立です。僕は右でも左でもなく、その真ん中に立つ一人の沖縄の政治家として、そう主張します。」

——デニーさんは今回の選挙で、「新時代沖縄」という言葉を掲げています。これにはどんな意味がありますか?

「さっきお話しした通り、沖縄は「誇り」と「豊かさ」を両立させることのできる、新しい時代に入ったんだ、という意味で使っています。これまでの対立を超えた、新しい政治の可能性が求められている中で、翁長前知事の掲げた「誇りある豊かな沖縄」を発展的に継承したのが、僕の「新時代沖縄」の考え方です。

よく言われるように、沖縄への観光客数はついにハワイを超え、那覇の風景も大きく変わりました。しかし一方で、子どもの貧困問題や、若者の離職率非正規雇用の問題、それから那覇への人口集中の問題など、課題もたくさんあります。これから沖縄にどんな未来が描けるのか、これまでの対立軸を超えてともに考えるべき時が来ています。」

——4年後の2022年には、沖縄が本土に復帰して50周年を迎えます。

「そうです。復帰50周年へ向けて、いま生まれている新しい可能性を、県民とともに広げていきたい。沖縄の若い人たちが、自分たちの夢や将来を実現していくために、新時代の沖縄政治はどういうメニュー・予算・ビジョンで応えていけるのかが問われています。県民の生活に根差した生の声から、一つひとつの政策をつくっていきたい。」

——新時代沖縄がもっとも力を入れる政策はズバリ、何ですか?

「「人」です。僕は未来の沖縄の可能性は、沖縄に住む人たち、つまりウチナーンチュそのものに秘められていると考えています。もちろん産業基盤やインフラの整備も大切ですが、なによりも人財育成、人づくりです。

たとえば、沖縄の若者の離職率非正規雇用率は非常に高く、女性と子どもの貧困問題も極めて深刻な水準にあります。今後沖縄がどのような発展モデルを選ぼうと、こうした状況を放置したままでは、持続可能な沖縄の未来を展望することはできません。

まずは、県民ひとり一人の生活をしっかりと保障していくことが最優先。そして、こうした課題に取り組むには、行政だけでなく、民間企業やNPONGOなどと連携し、ネットワークを構築することが不可欠です。」

——おっしゃるように、沖縄は県民所得、子どもの貧困率離職率非正規雇用率など、いずれの数値も厳しい水準にあります。打開策は何でしょうか?

「大切なのは、その厳しい現状を、沖縄社会の「伸びしろ」だととらえることです。若者・女性・子どもの抱える課題の解決は、今後の沖縄社会に活力を吹き込む、未来への投資です。創造性とエネルギーを秘めているのに、それを活かす機会を与えてこられなかった人たちにまず光を当てる。

一人ひとりが個性を活かし、誇りを持って働けるように、数値目標だけにとらわれず、きめ細やかに対応していきたいと思います。」

——具体的にはどのようなものでしょうか?

「僕が知事として働くことになったら、まずは県民の所得を増やすことに力を注ぎたいと思っています。県民ひとり一人の生活基盤の安定が、今後の豊かな沖縄社会の発展につながると考えるからです。でも、その先に、沖縄が地理的・歴史的な個性を活かし、日本のトップランナーとして、独自に発展していく可能性を、僕は見ているんです。

それって、単に「現在は47位の所得を46位にしよう」って考えるより、ワクワクするでしょ? ウチナーンチュ自身が元気になれば、県民所得を引き上げる以上のことが可能なはずなんです。

待機児童をなくし、就労支援に力を入れ、保育や医療を可能な限り無償化する。これは最優先課題として取り組むことを約束します。でも、それが「沖縄の新たな発展モデルへの投資なんだ」という意識を持たないと、単なるバラマキに終わってしまう。

新しい時代の可能性をみんなで追求していく、という意識なしには、選挙目当てに、実現不可能なメニューを並べる結果になってしまいます。」

——翁長前知事は一括交付金を使って子どもの貧困問題に力を入れて取り組みました。この点はどう評価していますか?

「割合にして30%、つまり3人に1人が貧困状態にある、という沖縄の子どもの貧困問題の深刻さは、翁長県政になって初めて、その実態が明らかになりました。復帰後の沖縄は、「本土との格差」を埋めようと、社会基盤整備を中心に予算が投じられ、頑張ってその規模を拡大し続けてきたわけですが、他方で「沖縄内部の格差」は見落とされがちだったのかもしれません。これからの豊かさはやはり「人と暮らし」に光をあてていくものでなければならない。」

——今後沖縄のすべての可能性の土台にあるのが「人」であり、貧困対策や所得対策はそのための投資である、ということですね。

「翁長知事もアジアのダイナミズムを沖縄に引き入れることに力を注いできましたが、人を育てることで沖縄を飛躍させていくプログラムはこれから一層重要になります。

若い人が自分で考えて、やりたいと思ったことが認められる、支えてもらえる、そういう政治への信頼関係を構築していくことが大切です。特に新時代の沖縄を担う、女性や若い人たちの声を丁寧に拾うことで、その可能性を最大限引き出していきたい。

繰り返しますが、沖縄経済飛躍のための原動力は、なによりも人です。そしてそれが、政官民が一体となった沖縄の団結力、ネットワークの力になっていくはずです。ウチナーンチュも、沖縄という島も、とてつもない可能性を秘めている。その確信が僕の「新時代沖縄」構想のど真ん中にあります。」

——最近の沖縄観光の伸長は著しく、ここ数年の間に沖縄の風景は大きく変わりました。那覇を歩けば様々な言語が飛び交っているし、まさに「新時代」という言葉通り、多くの県民が時代の変化を肌で感じていると思います。

「確かに観光振興には可能性があります。しかし、現在の「とにかく客の量を増やそう」という路線は、単に地理的に近いから、安くて便利だから沖縄に来てください、という次元にとどまっています。その意識を変えずに、ただインフラなどを拡大しても限界があります。これからはむしろ「沖縄にしかない価値」を僕たち自身が意識的に発信していかなければいけない。付加価値を高めていく工夫と努力が欠かせません。」

——そのための第一歩はなんでしょうか?

「たとえば、観光産業で働く若者の多くは非正規雇用です。これから世界と沖縄を橋渡しできるような人材を育成しなければならない時に、観光産業で働く人たちを大事にしないようでは、その可能性を引き出すことはできません。

これからの沖縄は、英語や中国語だけではなく、一層多くの言語に対応していかなればなりません。それにITを駆使して、世界に沖縄の魅力を発信する創造性を持った人材も必要です。沖縄を飛び出し、世界各地に出かけて行って、現地と沖縄を結び、世界中で沖縄の理解者を増やしていくような主体的な動きが求められている。もちろん、友好関係にある国々との発展にも繋がります。

ここでもやはり、鍵になるのは人づくりです。観光というのはひとつのわかりやすい例で、他の産業でも同じことが言えると思います。沖縄が他には真似できない価値を生み出すには、その価値の源泉である、一人一人の個性や可能性を大事にしなければ。ウチナーンチュこそが新時代沖縄のフロンティアなんです。」

——そうした人材育成を踏まえたうえで、今後の沖縄観光の最大の武器はなんでしょうか?

「今も多くの観光客がアジアから訪れていますが、ハワイのようなリゾート滞在型ではなく、クルーズ船で来て4時間滞在とか、ツアーで来て2泊3日といった短期滞在がパターンになっています。滞在中に一人ひとりが使うお金は、まだまだハワイには及びません。

でも僕は、沖縄はハワイを目指す必要はないんじゃないかと思っています。やみくもに開発を進めるのではなく、持続可能な自然開発を基本にして、沖縄にしかない自然環境を未来への財産としてしっかり残すこと。

その上でたとえば、医療ツーリズム、グリーンツーリズムといった、訪れる人たち、一人ひとりに合ったメニューを充実させる。最近ではブルー・ツーリズムなど、イルカと触れ合うセラピーのような、様々なツーリズムのモデルが提案されています。沖縄に来て自分らしさを取り戻すというような方向で、ツーリズムを伸ばしていけると思います。第一次産業と密接につなげていく地産地消型のツールも成長株です。

さらには離島の問題もそうです。不便さをネガティブに捉えるのではなく、島々の個性を発揮できる環境を政治が作っていく。そういう視点なしに、単に便利なリゾートを画一的に目指すのはナンセンスだと思います。」

——他にはありますか?

「なにより、僕が思うこの島の一番の魅力は、ウチナーンチュの平和への想いです。考えてみてください。なぜ毎年全国の修学旅行生が沖縄を訪れるのでしょうか? それは、沖縄が単にたくさんあるリゾートの中で優れているとか、安いからとか、そんな理由ではないはずです。

戦後の沖縄の、平和を希求してきた長い歴史は、それ自体にすごく価値があります。その歩み自体が、本土やアジア、世界の人々を沖縄に惹きつける力となっている。新基地建設は、その平和の価値を傷つけてしまうことになる。

沖縄という土地に根付いた平和への意志は、誰も真似できない特別な魅力になっているんです。その意味では、まずわれわれウチナーンチュ自身が、沖縄の価値を再発見しなくてはいけません。」

——街宣では、「新時代沖縄をつくるのはみなさんです」と呼びかけていたのが印象的でした。これにはどういう意味があるんですか?

「僕の考えている新時代沖縄のビジョンは、翁長知事も言っていたように、ウチナーンチュをひとつにしなければ実現できません。たとえばある課題を解決しようとしたとして、行政が諮問機関を設けて有識者を呼び、計画を作って、予算をつけ、解決策を実行していく…その過程で、本当にその問題で困っている人たちや、現場で働く人たちの感覚とズレてしまうことってよくあるんです。

だから、NPOや民間企業、専門家や教育機関などと綿密に連携していきます。復帰50周年に向けた県民参加型のプラットフォームを設置するなど、とにかく新しいエネルギーを呼び込みたいと思っています。

その意味で、新時代沖縄をつくるのは僕だけじゃない、むしろみなさんです、と。この点、翁長県政で実施されたプロジェクトは、すごく大きなヒントになっています。」

——参加型の県政という意味でも、翁長県政を引き継ぐということでしょうか?

「翁長さんは沖縄の良心といってもいい、懐が深く、柔軟な保守政治家でした。すごくリーダーシップのある方だったし、同時にすごく温かい方でもありました。その方が遺してくれたヒントを、当選後も僕なりに考え、行動していきたい。

僕のような、必ずしもオーソドックスな経歴とは言えない政治家の名前を翁長さんが口にした、そのことの意味を、ずっと考えています。僕は国政に転身してからも、誰よりも沖縄の未来を考え、行動し、勉強してきた自負があります。その結果として、今の保守中道という立場にたどり着いた。

けれど、これからの沖縄政治が目指すべきなのは、単に保守と革新の垣根を超えるだけではなくて、政治のアクターを広げて、より多くの人々を包み込むように、その輪を広げていくことなんじゃないかと思っています。」

——その意味で、デニーさんがこれから目指す県知事像はどのようなものですか?

「政治家は何より政策で勝負です。あとは誠実さかな。当選したら、今回県民に示したビジョンを、愚直に実行していきたい。でも、僕ひとりが今の沖縄の抱える課題をすべて解決できる、というのは嘘になります。僕は県民が政治に参加する窓口になりたいんです。

いま政治に関心を持てないという若者が増えていること自体、政治の責任といえるかもしれません。だから、「若い人は関心がない」とただ嘆くだけではなくて、政治の側から、参加のあり方を提示していこうと思います。

僕は人を巻き込むことに関しては自信があるから(笑) これまで政治から遠ざかっていた人たちも含めて、一緒に、新しい沖縄政治をつくっていけたらと考えてます。」

 

「誇り高き秀作」と「秘密の佳作」

玉城デニー事務所でのボランティア活動も今日で四日目。台風が接近しているため風が強い。投票率がどうなるか心配だが、台風は誰にも止めることはできない。なるようにしかならない以上、黙々と作業を遂行するのみ。三十分ほどチラシ折りを手伝ってからポスター貼りに参加した。

最初に目指した場所は宜野湾市役所の裏側。ポスターは今までと同じ『ウチナーンチュ、マキテーナイビランドー』。翁長知事が生前に発した言葉で、ウチナーンチュの魂を揺り動かす強烈なメッセージだ。緑地に赤い文字。誇り高き秀作である。

期日前投票で市役所にやって来る多くの人の目に触れることを願って作業に勤しんだ。作業人員は四名(女性一人)。思ったよりも早く終わり、事務所へ戻ってチラシ折りを手伝う。

午後二時を過ぎた頃、首里支所周辺にポスター張りに向かうことになった。最初と同じメンバー。着いてみると、期日前投票者が後から後からやって来る。ここで『ウチナーンチュ、マキテーナイビランドー』ポスターは一枚残らず全部貼り終えた。今日もいい汗をかいた。皆さん、ご苦労さん!

事務所に戻って、メンバーの一人が点ててくれたコーヒーが美味かった。和やかな雰囲気で、お喋りを聞きながらチラシ折に専念する。

四時頃事務所を出て、新都心に向けて歩きながら行き交う人々に玉城デニーの名刺を配る。「玉城デニーをよろしくお願いします。」返ってくる反応は様々だ。腹が減ったので、久し振りにガストで食事をとることにした。メニューを見ると、ハッピー時間帯に入っていて、ビールのジョッキ499円が、なんと200円だ。これは飲まないわけにはいかないだろう。

一人で牡蠣料理とビールを楽しんだ。これで5時の県庁前広場での集会に参加するのは不可能となった。ハッピー時間帯とは秘密の佳作なり。ウチナーンチュ、アルコールに敗れたり。

 

うちなーんちゅ、負きてーないびらんどお!

十二時半に玉城デニー事務所に着いた。世話役のK氏は弁当を食べ終えるところだった。少し時間があるので外に出て自販機でポカリスエットを買う。今日は暑いので、外回りの作業となると飲料水は必需品になる。

パンフレットのポスティングを割り当てられた。二人一組で四組、八名がワンボックスカーに乗り込んだ。車内で相方と住宅地図をコピーした区割り図を見ながら、回る範囲を調整した。場所は「おもろまち」だから近い。車を運転している若い女性は福岡出身で、全員降ろしたらそのまま帰る予定だと言う。

数分で目的の区域に着いた。相方と地図を確認してから、担当した区域を回った。ところが、ぼくが担当した区域はあまりにも狭すぎた。マンション、個人宅全部ポスチィングしても、三十数か所しかなかった。貰ったパンフレットは百枚だからだいぶ残ってしまった。どうしたものかと困っていると、別組の一人がぼくの方へやって来た。

全部配って足りなくなったから、ぼくの余った分を二人で配ろうということになった。それでも二十数枚残ってしまった。後はやることもないので、事務所に歩いて戻ることにした。彼は本土から応援にきているので、この辺の道に詳しくない。そこでぼくが先導しながら一緒に歩いた。事務所に着くとパンフレット折の作業を手伝うことになった。

昨日と変わって今日はみんな黙々と作業をこなしている。相方がまだ帰ってこないので心配だったが、三時ちょっと前に帰ってきた。話を聞いてみると、ポスティングを終えた後、デニーの名刺配りをしたと言う。恐れ入りました、頭が下がります。

三時頃からポスター貼りをすることになった。参加人員は四名で、車の運転は例の世話役K氏である。場所は宜野湾市役所周辺だと言う。ちょっと遠出になる。バイパス通りを走っていったが、思った以上に混んでいた。海勢頭豊の曲が流れている。

目的の場所に着いた。相手候補のポスターが結構貼られているが、我が方のポスターに比べると、半分の大きさしかなく文字も小さくて遠くから読むこことはできない。貧弱な作りである。

ポスターでは明らかに我が陣営の勝ちである。候補者も我が陣営の勝ちである。後は宣伝合戦だ。どれだけの人間が動き、どれだけの働きを見せるかの勝負になってくる。そう考えると、やる気が出てきた。

敵陣の小型のポスターを覆い被さないよう注意しながら傑作『ウチナーンチュ、マキテーナイビランドー』のポスターを貼っていく。そして通りすがりの人に、玉城デニーの名刺を渡した。「こんにちは、玉城デニーです。よろしくお願いします。」

大方反応は良い。中には「入れてきました。」と言う人もいた。期日前投票をすませたのだ。「そうですか、ありがとうございます。」また一人の高齢の女性は「もう終わりました。」といって厳しい顔をして名刺を受け取らなかった。

そうこうしているうち、世話役K氏の車がポスティングの相方を乗せてやって来た。もう終わりにしよう、と言う。警察がうるさいらしい。通報の疑いがあると言うので、思い当たる節があった。車のトランクに前かがみになっている高齢の男性に名刺を渡そうと思い近づくと、トランクの中は敵陣のポスターが積まれていたのである。

我が陣営のポスターの出来の素晴らしさに憤慨するあまり、この男性が警察に通報した?ぼくの勝手な想像だが、無きにしも非ずだろう。事実ならあまりにも姑息、そして笑えない喜劇である。

いずれにしても残りの二人を探して引き上げることになった。少々時間はかかったが、無事全員揃って事務所に向かった。時計の針は五時を指していた。混む時間帯である。世話役K氏はその間もよく喋った。事務所に着いてしばらくしてから失礼した。メインプレイスのバス停に行くまでの間、玉城デニーの名刺を配った。大方の反応は良いが、若い父親で受け取った名刺を投げ返す人がいた。拾い上げてシャツのポケットに収めた。気にしない気にしない。人それぞれの事情があるのだ。

玉城デニーなとぉいびーん、ゆたしくうにげーさびら。」といって名刺を手渡したお婆さんは、満面の笑みで「頑張ってね。」と言ってくれた。人生それぞれ。面白い面白い。

メインプレイスの王将で中華丼を食べた。明日も玉城デニーの事務所に出かけてこの選挙戦を大いに楽しむつもりだ。

無党派層(ぼくもその一人)の皆さん、あと三日、是非期日前投票へ足を運んでいただきたい。

我らが玉城デニーへ魂の一票を!

 

玉城デニーと激励のハグ

玉城デニー事務所へボランティアに行く前に市役所に寄った。姉の介護保険証の更新申請のためだ。手続きを終えてパレット久茂地前のバス停に向かう途中、偶然にもデニー県知事候補が県庁前広場で演説をしていた。

事務所へ行く時間が遅れるのを覚悟で、横断歩道を引き返して聴衆に混じって、デニー候補の正面に立った。これほどの至近距離からデニー候補の演説を聞くのははじめてだ。顔の動きが細部までハッキリ見える。切れ目のない子育て支援の実現を強調していた。彼の誠実な人柄がストレートに出ている。

話が終わると聴衆一人一人と握手して回っている。ぼくのところへ来た。右手を強く握ると、「昨日、事務所に行って看板の取り付けを手伝ってきました。生まれて初めてのことです。今日もこれから事務所によるところです。」と言ったら顔全体が笑顔になり、感謝の表情が滲み出た。

ぼくは彼を強く抱きしめて背中を叩きながら「頑張ろうね、頑張ろうね。」と言った。デニーは再びぼくの手を握り返して深く頭を下げたのである。聴衆は多くはなかったが、全員が拍手して感動した様子だった。

ぼくは横断歩道を渡ってバス停まで引き返した。デニー候補の車は次の目的地に向けて出発した。手を高くあげて大きく振ると、それに応えて車の中から笑顔で手を振るデニー候補の姿が見えた。

全ては、玉城デニーに何としてでも新知事になってもらいたいという一念がそうさせたのだ。

玉城新知事が誕生したら、この日の出来事はささやかなよき思い出として、ぼくの記憶に刻み込まれるだろう。メインプレイスに着いてから事務所に向けて歩き始めた。真嘉比の交差点を過ぎたところで昨日の世話役K氏に電話した。すると既に外出したあとだった。

仕方がない、外回りは諦めて事務所内でどんな作業でもやろう。事務所の中では十名ほどの人がチラシ折りをしていた。空いている椅子に座って、早速作業にかかった。向かいの席に、去年同じバスで辺野古へ通った人がいた。彼はぼくのことを覚えていないと言った。今も通っているらしい。

もう一人女性もいたが、彼女はぼくのことを覚えていた。昨日も驚いたことだが、やはり本土から来た人が多い。雰囲気は和やかだ。適当にお喋りしながら作業を進めている。作業自体は少しもきつくはない。午後1時から四時まで休まずにこなした。途中、三時頃、かつての辺野古のメンバーT氏が来た。彼は辺野古へ何百回と通い続ける強者である。握手して挨拶を交わした。

人のために無償で働く。立場の違い、思想の違いを乗り超えて人と人とがどこかで結ばれる。その結び目は辺野古新基地阻止である。

無党派層の皆さん、是非期日前投票へ!

玉城デニーに魂の一票を!

 

玉城デニー事務所へボランティアに行こう!

午前中雨が降ったので少し迷ったが、やはり出かけることにした。玉城デニーが、全島くまなく奔走する姿を見て、いても立ってもいられなくなり、何か役に立てないだろうか、そうだボランティアに行こう、と奮い立ったのである。

玉城デニー事務所は、古島テラス内にある。勿論、今まで一度も行ったことはない。グーグルマップで場所を確認して、メモ用紙に略図をしたためた。わかりにくい場所なので、用心するに越したことはない。

メインプレイスの大衆食堂で野菜カレーを食べ終えてから、目指す場所まで歩いて行く。おおよその検討はついていたので、メモ用紙を見ないで済んだ。十四五分ほど歩くと幟が目に入った。なぜこんな辺鄙な場所に事務所を構えたのだろう、と不思議に思いつつも少し興奮している。

なにしろ選挙事務所にボランティア目的で赴くなんて初めての経験なので、流石に自分自身ビックリしているのだ。何か不可思議な目に見えない力が働いたとしか思えない。その不思議な力は、明らかに玉城デニーから来ている。人を惹きつけてやまない玉城デニーという人間の不思議な魅力。

緊張して事務所の中に入ると、両側の壁に電柱に括り付ける看板が大量に積まれている。部屋を覗き込むと、大きなテーブルを囲んで七、八名の人が座っている。午後1時ちょっと前だから、きっと休憩を取っているのだろう。「受付は二階へ」の表示を見て階段を上る。「ボランティアにきました」と先手を打った。若い女性が「それでは一階で受け付けますので」と言ってぼくを誘導する。

階段の途中で振り向きながら「以前来られたことがありますか?」と若い女性。「いいえ、はじめてです。」「そうですか、何処かで見かけた気がしたものですから」明らかにボランティアに来てくれたことを喜んでいる様子だ。

世話役の年輩の男性を紹介してくれた。まず来客ノートに住所・氏名を記入した。「何がしたいか希望がありますか?」「外回りがいいですね。」「水は持って来ましたか?」「えっ?」「何か飲み物は持って来ましたか?外は暑いですから、熱中症にならないために必要です。」「いいえ、用意していません。」男性は隣の部屋から二本のお茶入ボトルを持って来て、「好きな方を選んでください。」と言った。行動がテキパキしている。

本当は全て自前で持つ用意できたのだが、ありがたく一本いただいた。入口の両側の壁に積まれた看板を電柱に括り付けることになった。百枚、車に積んだ。しかし、既に同じ看板が大量に積まれていた。一体どう言うことだろうか? 新米としてはあまり深く考えないほうがいいかもしれない。

翁長知事の言葉『ウチナーンチュ、マキテーナイビランドー』これが看板の文句だ。緑地に黒文字。写真や絵はない。文字だけだ。これはインパクトがある。素晴らしい!

車を運転するのは世話役の男性で、同行者がぼくを含めると四名である。二人一組で回るらしい。一人は女性だ。男性の一人は横浜、もう一人は京都から来たと言う。女性は知らないが、訛りは明らかに本土の人間だ。

世話役はウチナーンチュ。五名のうち三名がヤマトゥンチュ。複雑な気持ちになった。本土から応援に来てくれるのは、大変ありがたいことだが、ウチナーンチュは一体何をしているのだ?

生まれてはじめての選挙活動で且つ新米となれば、選対内部の詳しい事情を知らないのは致し方ないのかも知れない。そこで少しばかり想像力を働かしてみた。敵の佐喜真陣営には百名を超える国会議員をはじめ、大量の人員が本土から送り込まれているという。

とすれば、今回の知事選はまさしく全国を巻き込んだ一大政治決戦になっているわけで、両陣営にヤマトゥンチュが多いのも頷けるというものだ。いや、名護市長選からして既にそうだったのだ。

小さな島沖縄でこれほどの政治決戦が戦われることは異常である。しかし、なぜそうなったのか、我々は本質を見抜かなければならない。沖縄の似非保守言論人に辺野古新基地は争点ではないと主張するお馬鹿さんがいるが、まさしく辺野古新基地こそが争点になっているのだ。そうでなければ何故、安倍・菅コンビはこれほど必死になって、大量の人員と金を投入するのか理解できないではないか。

佐喜真陣営が強調する「県民のくらし」は第1の争点ではない。この知事選挙の最大の争点は、辺野古新基地の是非を問うことであり、「県民のくらし」は必然的にその中に含まれる性格のものだ。辺野古新基地こそ最大の問題だからこそ安倍・菅コンビは牙を剥いて必死になっているのだ。

「県民のくらし」が第一の争点なら、安倍・菅コンビがこれほど必死になることはないし、あり得ない。彼らが沖縄の人々の暮らしに全く関心がないことは、彼らが今まで取って来た行動・言動を見れば一目瞭然ではないか。

さて、看板の取り付けはコツを掴めば何の問題もない。できるだけ丁寧に見栄え良く取り付けるよう心掛けた。見る側からすれば、整然としているほうが気持ちが良いし、良い印象として記憶に残る。

約二時間半で一人四十枚ほどこなした計算になる。

取り付けている間もそうだったが、終わってからも気分は爽快で、なんだか善行を施した感じである。久しぶりにいい汗をかいた。これで玉城デニーにほんの少し恩返しすることができて、内心ホッとしている。あと五日、できるだけ楽しく、毎日実行するつもりだ。

事務所に帰ってから、預けてあったカバンを取り、世話役に挨拶してから帰るつもりで外で待っていると、大きな街宣車が戻って来た。中から福島瑞穂議員、森裕子議員が降りて来た。初対面である。二人ともいい表情をしている。福島さんがぼくの方によって来て、普段通りの感じで握手をし、森さんも同じように握手して事務所の中に入って行った。これから色々と打ち合わせがあるのだろう。

世話役が来たので礼を言い、「また来ます。」と言って失礼した。帰りの道順を間違えた。わかりにくい場所なのだ。この時間も玉城デニーは、日焼けにめげず走り回っているのだろう。

ちばりようー、デニー

ちばらなやーさい、ぐすーよー!

追記。多くの無党派層(ぼくもそうです)の皆さん、玉城デニーの事務所へボランティアに行きましょう!そして、期日前投票をお忘れなく!

 

無党派の皆さん、期日前投票に行こう!

今、午後二時四十五分。パレットくもじ一階のモスバーガー店でキーボードを叩いている。小泉進次郎の演説を聞きに来たのだ。午後二時少し前、県庁前のバス停を降りると、既に県庁前広場とパレットくもじ側には大勢の人が集まっていた。

横断歩道を渡り、パレットくもじ側の日陰の適当な場所を探して陣取ることにした。独特の熱気を感じる。運動員はじめ、本土の人間が多いような感じだ。何割位が観光客だろうか、よくわからない。なんだか東京にいるような雰囲気がする。

大きな選挙カーに佐喜真候補と小泉進次郎の姿はまだ見えない。佐喜真候補の政策が書かれた真ん丸のうちわらしき物を運動員が配っている。一枚頂いた。「県民の暮らしを最優先に」という例のキャッチフレーズが大きな文字で書かれている。洗練されたレイアウトに真実の情報に疎い人は騙されるに違いない。

若い人の応援演説に、聴衆が威勢良く反応する。昨日の「うまんちゅの大集会」とは違う独特な力強い熱気を感じる。しかし、あくまでも表面的なもので、心に響くことはない。

しばらくして佐喜真候補と小泉進次郎が登壇した。佐喜真候補が先に話し始めた。声は大きいが中身は空疎、右手を上げたかと思うと、左手を上げる動作を繰り返す。パレットくもじ側を向いたかと思うと反対側を向いて話す。とにかく忙しい男だ。節操のないおっちょこちょいな性格がよく表れている。

背景には県庁の建物がどんと建っている。こんな男があの建物の知事の椅子に座る姿を想像するとゾッとする。彼は、宜野湾市長時代に学校の給食費を無料にすると公約して、なんと値上げしたのだ。普天間飛行場跡地にディズニーランドを誘致すると公約しながら、当選するとその件について一言も触れず、知らん顔。

つまり、公約を破って平気でいられる図太い神経の持ち主なのだ。それだけではない。『Osprey Fuan Club うようよ対策課』がすっぱ抜いたように、日本会議のメンバーであるにもかかわらず、日本会議のホームページから佐喜真淳のページが忽然と消えたのだ。さらに、彼が顧問を務める沖縄県日中友好協会のウェブページが消えたと言うのだ。

当然、県知事選挙に不利になることを見越しての対応である。詳しいことは是非『Osprey Fuan Club うようよ対策課』をご覧いただきたい。

こんなデタラメ不誠実極まりない人間を、絶対に沖縄県知事にしてはならない。もう一つ付け加えると、彼は、あの嘘つき常習犯・ボギー手登根(手登根安則)とつながりを持っている!何をか言わんや、開いた口が塞がらない!

彼が喋り終わっていよいよ政界の人気者、小泉進次郎にマイクが回って来た。確かに彼は聴衆を引き込む話術に長けている。誰しも認めるところだろう。ぼくもそう思う。しかし、寄席の面白さとさして変わらない内容で、考えようによっては、聴衆を馬鹿にしているとも言えるのだ。

今回の知事選に真剣でない人間なら小泉進次郎の話は受け容れられるだろう。しかし、真剣に向き合っている人にとって、小泉氏のうわっ滑りの演説はあまりにも不誠実だ。沖縄問題を真正面から論じたければ、小泉ジュニアよ、もっと沖縄の歴史と向き合う勇気を持て、と言いたい。

彼の話を最後まで聞く必要はない。丸いうちわを抗議を込めて破いてやろうか、と考えたが、せっかく頂いたものだから、それは失礼になると思い直し、四分の1に折りたたんでバッグの中に収めた。そしてさっさとモスバーガー店に入ったのである。スピーカーのボリュームが大きいため、店の中でも小泉ジュニアの声が聞こえて来る。今日の演説の主役は小泉ジュニアであり、佐喜真候補ではないことははっきりしている。

多くの聴衆は、明らかに政界の人気者・小泉ジュニアを見に来たのだ。中央の政界から応援弁士を迎えて主人公の役を担わせる。こんな情けない佐喜真淳を絶対に沖縄県知事にしてはいけない。

しかし、とは言っても今回の知事選は非常に厳しいものがある。何故なら安倍・菅コンビは何がなんでも勝利すべく必死になっているからだ。大量の人と金を中央から湯水のように送り込んでいる。翁長知事の遺志を引き継いだ玉城デニーを完膚なきまでに叩き落とすためにあらゆる手を使って襲いかかっている。

期日前投票が去年の倍、三倍に上がっているとマスコミは報道している。これは佐喜真陣営が組織に物を言わせて有権者を虱潰しに説得しているためだ。

そこで、無党派(ぼくもその一人)の皆さんに呼び掛けたい。期日前投票に出かけて我らの玉城デニー候補に魂の一票を入れよう!

天気予報によると、投票日前後に強烈な台風が来る恐れがある。天候のせいで投票に行けなくなることがないように、是非期日前投票に行って欲しい。ぼくは既に18日に投票を済ませた。

なまからるやんどお、ちばらなやーさい。