沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

うまんちゅ大集会に降った翁長知事の涙雨

天気予報は晴れ。外に出ると、雲ひとつない日本晴れである。メインプレイスの球陽堂書店の本棚から興味深そうなタイトルの本二冊を抜き取り、書店併用の喫茶部に行き、空席のテーブルの上に置いて席を確保してから、ゴマ入り菓子と本日のコーヒーを注文した。菓子が百八十円、コーヒーが三百二十円である。

一冊は田原総一郎の新刊書『創価学会』。もう一冊はジャック・ペレッティ著『世界を変えた14の密約』。菓子を食べ、コーヒーを飲みながら、本を汚さないように注意しながら読む。

二冊とも購入してじっくり読みたい気にさせる内容だが、あいにく予算不足のため、購入は諦めざるを得なかった。洒落た喫茶店でコーヒーを飲みながら本が試読できるという贅沢な時間を過ごしたあと、腕時計で予定の時刻が来たのを確認してから、本を返却棚に戻した。

今日新都心に来たのは、玉城デニーの生の声を聞くためである。午後三時、日銀那覇支店前にうまんちゅの会と書かれた一台のワゴン車が止まった。日銀那覇支店はメインプレイスの真向かいにある。

ぼくはメインプレイスの側に立っていた。玉城デニーと書かれたのぼりがワゴン車の両側に並べられた。このミニ演説会は若い人たちの企画によるものらしく、男女の若者や大学生が次々と玉城デニー県知事候補の応援演説を行った。しばらくしてから玉城デニー本人が登場したのだが、テレビ撮影隊が前を遮ったため、玉城デニーの姿は隠れてスピーカーから流れる声だけが聞こえるという残念な状態になった。道路を挟んで両側の聴衆は多くはない。

この後、新都心公園で四時から開催される「うまんちゅ大集会」に向けての前座のようなものとして企画されたものなのかも知れない。玉城候補の話を聞き終わって時間にまだ余裕があったので、店内に戻り、アイスクリームを食べたりして小休憩を取った。

午後四時前から新都心公園に続々と大勢の人が集まり始めた。新都心界隈をぐるぐる回りながら録音したアジ演説をスピーカーから流す、日の丸と米国旗を車体の上部左右に立てたチビ(軽自動車)右翼が、この日とばかりせっせと走っている。

その姿は貧相というか、偏執狂というか、実に目障りである。なにせ声の質も内容も陰湿すぎるのだ。車に乗っているのは運転手だけで、いつも同じ顔の中年の男だ。一匹狼なのか、組織に属しているのかわからない。こういう輩はできるだけ気にせず、敢えて無視するに限る。

公園内に入ると、翁長知事の音声が流れていた。去年、辺野古ゲート前で二千人の聴衆を前にして演説した時のメッセージだ。あの時、ぼくも参加したからよく覚えている。「ぐすーようー、なまからるやんどー、ぬちかぎりぃちばらなやーさい!(皆さん、これからですよ、命の限り頑張りましょうね!)」

最後の言葉が確かそうだったと記憶している。あの時は、ほんとに元気一杯で活力に溢れ、言葉に迫力があった。翁長知事の言葉は、これから先何年も生き続けることだろう。

さて、公園内は芝生が敷き詰められていて、ほとんどの人は座って聞いていた。ところが時間が経過するうち、南の空が黒ずんで来た。そしてパラパラと小雨が降って来たのである。傘をさした後ろ隣の男性が入るように促したので、礼を述べ少し後退りしてお世話になったが、左半身が濡れるのを我慢しなければならなかった。

雨が降り始めた頃、最初に登壇したのは、金秀グループの呉屋守将会長である。呉屋会長は上手いことを言った。「皆さん、今雨が降っています。8月11日の県民大会の日も雨でした。これは亡くなった翁長雄志が、こうやって多くの県民の皆さんが集まってくれたことに感謝している証拠です。」

大きな拍手が起こった。この言葉のおかげで、もはや濡れることが気にならなくなった。

演壇に座っている人たちも誰一人傘をさす者はいない。濡れるがままに任せている。富川副知事はじめ、多くの人が演壇に立ったが、その中でも今年から投票権のある十八歳の高校生が登壇した時は、大きな拍手が起こり、堂々とした応援演説にさらに大きな拍手が送られた。

城間那覇市長は、今日の雨は翁長知事の涙雨である、だからこの選挙は絶対に負けるわけにはいきません、と言った。翁長知事の涙雨、確かにそうだ、ぼくの中でそう呟く者がいた。

さて、いよいよ玉城デニーの登場だ。この時、短い時間だが不思議な現象が起きた。雨が降り止んだのである。玉城デニーの演説は、期待した以上に凄いものになった。ぼくはこの時の感動を言葉で表現することができない。YouTubeで流れるはずだから、ぜひ多くの人に見てもらいたい。

演説が終わると座っていた聴衆は全員立ち上がって拍手を送り続けたのである。あまりにも感動的な演説に拍手は鳴り止まず、会場が揺れんばかりの拍手で鳴り響いたのだ。

玉城デニーの演説はぼくの琴線に触れ、烈しく搔き鳴らした。目頭が熱くなり、涙が流れるに任せ拍手を送り続ける自分がいた。

玉城デニー恐るべし!沖縄県知事玉城デニー氏を!!!

 

ぼくの趣味は玉城デニー

嘗て自民党の幹事長を務めた二階堂進は、趣味は田中角栄と言って憚らなかった。百年に一人出るかでないかの天才政治家・田中角栄と比較するつもりはないし、二階堂進を真似るつもりもないが、敢えて言いたい。ぼくの趣味は玉城デニーである。勿論、政治家に限定した場合は、という条件が付く。

玉城デニー県知事候補の演説をずっとYouTubeを追いかけて聞いているが、聞くたびに語りの巧さに感動する。自ら練り上げた政策と、イデオロギーよりもアイデンティティという政治理念を、彼ほど見事に具体的且つ分かりやすく語ることのできる政治家は他にいないだろう。

小泉進次郎も話上手だが、内容はさして深くはない。落語のような面白さがあるだけで聴き手を心の底から感動させることはない。ただの客寄せパンダと言われる所以だ。

菅義偉那覇で応援演説したが、小泉進次郎と比較して何倍も見劣りするばかりか、心に響くものが何一つなく、憎しみの感情が沸々と沸きあがるだけであった。

伊江島たっちゅうー(城山)を背景にした第一声と、同日行われた那覇市の県民広場での演説は大変素晴らしく、玉城デニー県知事候補の政治家としての才能が、紛れもなく本物であることを証明する内容だった。

とにかく性格が明るい。DNAの半分が米国人の父親譲りだからだろうか、顔立ちもいい。しかし魂は、正真正銘ウチナーンチュそのものだ。琉球語うちなーぐち)を生粋のウチナーンチュのぼくより流暢に話すから恐れ入る。

知的であり、努力家であり、思考は柔軟性があるが、強い信念の持ち主だ。

彼を知れば知るほど興味は尽ない。昨日は、宮古島での演説をYouTubeで見た。オール沖縄について語っていた。具体的で分かりやすい。オール沖縄に関してぼくは少し誤解していたふしがある。彼の丁寧な説明で理解できたように思う。この宮古での演説も感動的で素晴らしく、是非多くの人に見てもらいたい。

玉城デニーは沖縄の宝物だ。県知事として得難い人材である。デマ常習犯・ボギー手登根と繋がる凡俗な相手候補に、絶対に負けるわけにはいかないのだ。

売国奴政治家・安倍菅コンビが推す辺野古新基地容認の佐喜真候補に沖縄の未来を託すわけにはいかないのだ。理不尽な権力者に屈服するような、寒々とした沖縄にしてはいけない。

ゆくしむなーんかい、負きてーならんどお。ぐすーよー、ちばらなやーさい!(嘘つきに負けてはダメだ。皆さん、頑張りましょう!)

 

売国奴政治は続く

大方の予想通り、安倍晋三自民党総裁に三選された。田中角栄の秘書を務めた早坂茂三によると、国会議員の1番の関心事は、選挙にあるという。彼らの頭の中の大部分は選挙のことで一杯らしい。どんなに偉そうなことを言っても、落選したらタダの人に過ぎないからだ。

安倍内閣は、これまでの主要な選挙で連勝してきた。多くの自民党議員が安倍内閣のおかげで職を失わずに済んだ。安倍が自民党国会議員から8割を超える支持を得た理由はそこにある。国民の眼にどんなに不誠実に映る政治家でも、選挙に勝ちさへすれば免罪されるのだ。議院内閣制の歪さを感じるのはぼくだけだろうか?自民党総裁選なんて茶番劇に過ぎない。

いずれにしても、戦後最悪の売国奴政治家・安倍晋三がこれから三年の長きにわたって権力を行使することになる。我々うちなーんちゅにとって、政治的困難な状況は続く。安倍・菅コンビは総裁選が終わって、県知事選にこれまで以上に金・人を投入してくるだろう。あらゆる手段を使って、牙を剥きだしにしてくるだろう。その理由は、辺野古基地問題である。

超軟弱地盤の存在が明らかになった辺野古新基地は、設計変更して県に新たに認可申請しなければならなくなった。承認撤回を支持する玉城デニー候補が認可することはない。

安倍内閣が推す佐喜真候補は、間違いなく認可する。それが目的の候補者だからだ。玉城デニー新知事が誕生すれば、辺野古新基地は確実に頓挫する。

沖縄にとっても日本にとっても無用の長物となる辺野古新基地を完全に頓挫させるためには、玉城デニー氏に沖縄県知事になってもらわないといけない。30日まで、諦めないで頑張ろう!

沖縄 持続する意志 ー『世界』の沖縄特集から

那覇市庁舎で期日前投票を済ませた。勿論、投票用紙に書いた名前は玉城デニー。自信と誇りと期待を込めて大きな文字で書いた。今午後2時前、パレット久茂地一階のモスバーガー店でコーヒーを飲みながらこのブログを書いている。

昨日購入した『世界』10月号が沖縄特集をしている。北上田毅氏が「チョイさんの沖縄日記」で紹介しているのを見たからだ。よほどのことがない限り『世界』を買うことはないが、特集「沖縄 持続する意志」に呉屋守将、北上田毅、目取真俊各氏の論稿が載っているのを見て購入したのである。

その中で北上田氏の「マヨネーズなみの地盤の上に軍事基地?」と目取真氏の「930に問われるのは誰か」に注目すべき箇所があるので引用させてもらう。

< 当初のケーソン護岸(C1護岸)の設計条件は、「厚さ15メートルの沖積層(砂層)、N値11」、「基礎地盤については、砂・砂礫層が主体であり、長期間にわたって圧密沈下する軟弱な粘性土層は確認されていない」とされていた(埋立承認願書の設計概要説明書、環境保全図書)。

当初の設計条件がまったく誤っていたこととなり、設計の全面的な見直しが必要となっている。>

仲井眞前知事が埋立承認した後、沖縄防衛局はポセイドンという大型調査船を使って辺野古海域の地質調査を徹底的に実施した。その結果、C護岸真下の地盤がN値0を示す箇所が広域にわたって存在することが判明した。

しかし、沖縄防衛局は調査結果を県に報告しなかった。そのため北上田氏が情報公開法に則って資料提出を要求した結果、資料が公にされたのである。その意味で、北上田氏の功績は非常に大きい、と言わなければならない。何故なら、この超軟弱地盤の存在は、県の承認撤回を正当化する強力な論拠のひとつになったからだ。

北上田氏の働きは、いくら賞賛してもし足りない。我々は、北上田氏に深く感謝しなければならない。

< 政府は当初の工程を大幅に変更して工事の容易な辺野古側で工事を進め、県民の間に「辺野古新基地建設はもう止められない」という諦めの意識を植え付けることを狙っている。軟弱地盤の存在を認めれば、知事への設計概要変更申請が不可避となるので、知事が今後の新基地建設事業の帰趨を握っていることが明らかになってしまう。>

政府・沖縄防衛局は明らかに焦っている。超軟弱地盤の存在が明らかになったにも関わらず、否、それ故にと言うべきか、公開しない資料がまだあるという。

そのため北上田氏は

< 七月、国を相手に、不開示決定処分を取り消し、開示を求める訴訟を提起した。この裁判で全ての資料を開示させ、軟弱地盤の全貌を明らかにしたいと考えている。

軟弱地盤の問題は、翁長知事の埋立承認撤回の最大の事由とされているが、防衛局にとっても解決困難な難問である。この知事選で、翁長知事の路線を継承する知事が選出されれば、設計概要変更申請を承認しないことにより、辺野古新基地建設は頓挫する。しかし、たとえ政府の言いなりになる知事が誕生しても、この軟弱地盤問題を解決することは困難であろう。>

北上田氏の今後の活躍に期待しよう。

目取真氏の「930に問われるのは誰か」の930とは言うまでもなく、目下争われている県知事選の投開票日のことである。

目取真氏はこの論稿で、自身が参加実践するカヌーを漕いでの抗議活動の実態を報告している。海上保安官の暴力性は、現場を長年体験してきた人間だからこそ言える真実である。

そして目取真氏は、沖縄の政治状況の変化、経済構造の変化について曇りのない客観的な目線で冷静に分析している。政治状況の変化ー 自公連立体制に対し従来の革新共闘方式では選挙に勝てない現実。

経済構造の変化ー 米軍基地返還後の北谷町のハンビータウンや那覇市新都心の成功事例。広大な面積を占拠する米軍基地は沖縄経済発展にとって阻害要因となっている。

目取真氏の分析は正しい。政治状況の変化と経済構造の変化を我々がどう認識し、どの方向を目指すのか沖縄の今後を占う大きな課題だろう。

目取真氏は最後に次のように述べている。

< 問題の根本にあるのは、沖縄に米軍基地の過重な負担を負わせている日本の政治であり、それを変えきれない大多数の日本人(ヤマトゥンチュー)の責任である。安倍政権の沖縄に対する強権的なふるまいを変えなければならないのは誰なのか。沖縄県選出の国会議員は10人もいないのだ。

県知事選挙が終われば、日本政府は埋立承認撤回に対抗策を打ち出し、工事を再開する。そして、抗議する市民に襲いかかってくる。日本全体の安全のために沖縄の皆さんは我慢してくださいと、ヤマトゥに住むあなたは高みから見物しているのだろうか。>

大多数の日本人の幾人の方々に目取真氏の重い悲痛な叫び声は届くのだろうか?

 

似非保守・佐喜真淳の正体

佐喜真淳沖縄県知事候補は、デマ常習犯・ボギー手登根(手登根安則)とつながりがある。宜野湾市長時代、ネットTVでボギー手登根と一緒に出演した動画が存在する。この事実だけでも行政者として失格であり、県知事候補としての資格はないはずである。沖縄県知事として最も不適任な人間である。

ボギー手登根という男はデマ常習犯だ。彼がネットで流した悪質なデマは数しれないほどある。辺野古で座り込みをする人たちは日当をもらっていると言って、2万円と書かれた茶封筒を見せびらかしてネットで拡散させた張本人だ。百田尚樹竹田恒泰ら本土の似非保守言論人達が彼のデマを真に受けて、公共のテレビ番組で吹聴した事実は、今も人々の記憶に残っている。

ぼくは去年の夏場、3ヶ月ほど辺野古に通って座り込みに参加したことがある。日当どころか、弁当代はじめ全て自前である。そしてチャンネル桜「沖縄の声」のおぞましいキャスター達が宣伝する、座り込みをする人々の内、約3割が朝鮮人であり、中には工作員もいて、彼らが辺野古反対闘争を仕切っているというのは真っ赤な嘘、デマにすぎないことをぼくは現場で確認した。

チャンネル桜「沖縄の声」が流すデマの中心的な人物がボギー手登根だ。中でも彼が手がけたデマで最大にして最悪なのは、沖縄自動車道で発生した多重衝突事故をダシにして作り上げたものだ。

事故に巻き込まれた日本人を車から助け出したトルヒーヨ海兵隊曹長が後続の車にはねられて意識不明の重体に陥ったのに、なぜ沖縄タイムス琉球新報も事実を報道しないのか、トルヒーヨ氏が海兵隊員だからか、と県2紙を陥れる目的で捏造したデマ事件。

ボギー手登根と連携した産經新聞の高木那覇支局長が、現場の取材もせずボギー手登根のデマに枝葉をつけて記事に仕上げて、なんと産經新聞と産経ニュースで報道したから大変だ。

ヤフーニュースと八重山日報がそのまま事実として追随報道し、海兵隊が騙され自衛隊も騙され、なんと佐喜真宜野湾市長も騙されたのである。

佐喜真淳という男は、実に節操のない軽薄でおっちょこちょいな人間だということを証明したデマ事件であった。市長という市民に対して行政責任を背負う立場にある人間が、時間をかけて事実を検証する慎重さに欠けるということは、政治家として適任性がないということに他ならない。

この事件は琉球新報が県警と海兵隊を取材した結果、デマであることが立証されたため、産經新聞八重山日報、ヤフーニュースは正式に謝罪した。そして可哀想なことに、産經新聞の高木那覇支局長は、更迭されたのである。

しかし、だ。デマ製造の張本人、ボギー手登根はいまだにシレッとして謝罪しないばかりか、相変わらず「沖縄の声」のキャスターとしてデマを垂れ流し続けている。こんな人間の屑のような男と関係を持つ佐喜真県知事候補の人道的責任は重大なものがある。

絶対に県知事にしてはいけない人物だ。

 

玉城デニーこそ沖縄県知事にふさわしい稀有な人材である

選挙の第一声は母親の出身地である伊江島でやりたい。玉城デニー県知事候補の城山(いいじまたっちゅう)を背にした演説は、沖縄が歩んで来た苦難の歴史を象徴するような中身の濃いものになった。

米軍は銃剣とブルドーザーで小さな島伊江島から住民を追い払い、土地を収奪して基地をつくった。伊江島の住民は激しく抵抗し、やがて島ぐるみ闘争へと発展する。以後、伊江島の抵抗運動は全島に拡大し、米軍基地建設反対・島ぐるみ闘争の象徴となった。

その精神を引き継ぐ島ぐるみ会議が、今でも県内各地に存在する。玉城デニー氏の母親はその伊江島の出身である。父親は米軍人。玉城少年は父親の顔を知らないで育った。玉のように可愛らしい赤ちゃんの顔を見ることもなく、若い父親はそのまま米国へ帰ってしまったからだ。

米軍占領下の沖縄で、玉城氏と同じような境遇の人は数多い。幸いなことに、玉城少年は心優しい母親に恵まれた。康裕(本名)ちゃんを食べさせるため、日夜働く実の母親に代わって面倒を見てくれた育ての親がいた。玉城氏は自分には二人の母親がいると言う。そして、二人の母親に同じように感謝しているとも語った。

特別な運命を背負わされた一人の人間と、沖縄の過酷な歴史が伊江島で交差し、響きあう。玉城氏の内部で大きな物語が生まれた。それは時と共に熟成され整理されて、伊江島での選挙遊説第一声となって我々の前に姿を現したのである。この感動的な演説はユーチューブで見ることができるので、ぜひ多くの方に見てもらいたい。

玉城候補は、ほんとうに演説がうまい。国会での質疑を見て、彼の弁舌の爽やかさに注目して来たが、県知事候補となってさらに磨きがかかったように思われる。ただ上手いだけではない。沖縄の歴史、政治課題についてよく勉強している。それらのことを淀みなく語るためには、膨大な資料を読み込み、頭の中できれいに整理されていなければならない。

彼の演説を聞いて感動を覚えるのは、その並々ならぬ勉強・努力に裏打ちされた知性を感じるからだ。玉城候補は普段から資料を読み込み整理する作業を通して、巧みな話術に仕上げることのできる、歴代の沖縄県知事に見られない才能豊かな「語れる政治家」だ。

深い知識に裏付けられた明晰で論理的な話術を駆使する県知事候補は、沖縄にとって得難い至宝な人材となる。これからの沖縄にとって世界に向けて発信力のある知事は貴重であり、どうしても必要な人材と言える。玉城候補は、間違いなく我々の期待に応える才能を備えている。期待以上の才能と言うべきだろう。

伊江島から名護、宜野湾と南下して県庁前広場で演説した様子もユーチューブで見ることができる。これも非常に感動的な演説で、多くの人にぜひとも見てもらいたい。

〇違法工事の辺野古新基地建設は何があっても阻止する。〇普天間飛行場は即時閉鎖を求める。そのために安倍内閣と仲井真前知事が約束した5年以内(来年2月)の閉鎖・返還を実現させる

〇3000億円を超える国税を収めるまでになった県経済の実力を発揮させ、政府の補助金頼みの政策から脱却して、アジアのダイナミズムを取り入れて自立型経済を目指し、それで得た原資を県内で循環させて、沖縄の特徴ある優しいしなやかで強い社会を作っていく

〇万国津梁会議(仮名)を県庁内部ではなく、外局として設置し、各層から人材を集め自治体外交と共に沖縄県を世界に向けて発信する

〇子どもの貧困問題を社会全体の責任と捉え、出産から子育てまで切れ目のない安心システムを構築する

これらの政策から聞こえてくるのは、他力本願と真逆の自主性であり自発性である。遠い中央政府に頼るのではなく、自発的に自ら稼ぎに打って出る。この積極性が良い意味で沖縄の未来を開くのだ。「誇りある豊かさ」自立型経済に反対する経済人はいないだろう。

何を隠そう、ぼく自身が玉城氏の発想力に舌を巻き、多くのことを教えてもらっているのだ。ユーチューブで彼の演説を追いかけている自分がいる。

玉城デニーこそ沖縄県知事になって沖縄を引っ張ってもらいたい稀有な人材である。玉城氏に比べると、佐喜真候補はせいぜい市長止まりの、知事としては役不足の凡俗な人材に過ぎない。

4年前の圧倒的票差を超える圧倒的勝利で玉城デニー新知事を誕生させようではないか!

 

沖縄の自立的経済発展を目指す玉城デニー候補

玉城デニー県知事候補は10日に政策を発表した。その翌日11日に県政記者クラブによる討論会が開かれた。録画されたものが同日の午後7時半にNHKで公開されたので、多くの人が見たと思う。

沖縄青年会議所主催で行われた5日に続く2回目の討論会である。やはり候補者自身の口から語られる言葉は、文章化された言葉よりも生々しい。それだけに、発言された言葉にどれだけ誠意が込められているか、真実があるか、 聞き手は発言者の人間性を見ながら、政策を判断評価することになる。

生の討論は真剣勝負である。政策が問われるということは、知性が問われるということでもある。自身が掲げた政策を本人がどれだけ正確に認識しているか、質疑応答で明らかにされる。

基地問題と経済政策で、玉城氏と佐喜真氏とでは大きな違いがある。辺野古基地問題で玉城氏は、先日県が埋め立て承認を撤回したことを支持し、いかなることがあっても辺野古新基地を阻止すると改めて言明した。

対する佐喜真氏は、辺野古新基地に関しては賛成か反対か明確にせず、これまでの主張通り、ただ普天間飛行場の早期返還を繰り返すだけだった。これは誰が考えても明らかにおかしい。確かに宜野湾市長としての立場からすれば、それでよかったかも知れない。しかし、県知事の立場になれば果たしてどうか?

市長と県知事では権限に大きな違いがある。辺野古は名護市にあるため名護市長と違い、宜野湾市長としては新基地建設に対して賛否を明らかにしないからと言って、必ずしも厳しく糾弾されるいわれはないだろう。

しかし、知事は沖縄県全体を所管する立場にある。各市町村の首長に比べてより大きな権限と責任を背負う立場にある。ということは、宜野湾市にある普天間飛行場移設問題と名護市の辺野古基地問題に対してどのような立場に立つか、明確にしなければならない責任がある。

しかし、討論会での佐喜真氏の発言は、宜野湾市長時代と全く同じで、これでは県知事としての自覚に欠けるのではないか。佐喜真氏の発言をよく吟味すると、普天間飛行場の1日も早い返還とは、代案がない以上は辺野古以外にない、と言っているに等しいことがわかる。

そうであるなら、なぜ辺野古新基地に賛成であるとハッキリ言わないのか、どう考えても腑に落ちない。このようなあやふやな態度を、世間一般では卑怯というのだ。

普天間飛行場の1日も早い返還を望むなら、安倍内閣が仲井真前知事と約束した来年2月までの『普天間飛行場の閉鎖・返還』を安倍内閣に確実に実行するよう申し入れるべきではないか。玉城デニー候補は強く申し入れると明言している。

しかし、佐喜真淳候補からはその件に関する言及は一言もなかった。これで佐喜真氏の本音は辺野古移設にあることは間違いないことがわかる。そしてこの方向に佐喜真氏の経済政策がそのまま直線で繋がるのが明瞭に見て取れる。

「対立から対話へ」というのが佐喜真氏のキャッチフレーズのひとつになっている。これは何を意味するかというと、翁長県政は政府と対立したことで県の振興予算が大幅に削減された、だから対立ではなく対話することで政府から必要な振興予算を獲得する、これが知事の仕事だ、と佐喜真氏は述べた。

それでは政府と対話をするとは、どのような内容の意味を持つのだろうか?

辺野古新基地を容認するから、県が必要とする振興予算を確保してもらいたい。安倍内閣にそう申し入れる。これが佐喜真氏の言う「対立から対話へ」の意味であるのは明らかだろう。どの角度から検討してもそう考えざるを得ないのだ。

そして佐喜真氏の対話路線とは、可能な限り政府の言うことを受け入れる、ということに他ならない。佐喜真氏が所属する自民党が政権党だから、当然といえば当然のことではある。では、県のお金の問題、沖縄関係予算について少し振り返ってみたい。

ぼくの手元に大田県政、稲嶺県政、仲井真県政、翁長県政に至る「沖縄関係予算の推移」に関するデータがある。これを見ると、時の政権と県政の対立乃至協調関係が、必ずしもそのまま予算に反映されたと判断するにはちょっと無理があるように思われるのだ。

大田県政=最少額3141億円(95年)最高額3524億円(94年)稲嶺県政=最少額2720億円(06年)最高額3490億円(01年)仲井真県政=最少額2298億円(10年)最高額3501億円(14年)翁長県政=最少額3010億円(18年)最高額3350億円(16年)

これらの数字から、政権と県政の関係の善し悪しのレベルで金額の増減を判断するのは非常に困難であることが分かる。

大田県政の時代、知事の代理署名拒否があり、村山内閣と大田県政は決して良好な関係とはいえなかった。しかし、94年から98年にかけて沖縄関係予算は3千億円台を維持していたのである。

稲嶺県政を見ると、05年から06年は2843億円と2720億円で、3000億円台を割り込んでいる。05年は小泉内閣の時で、06年は第1次安倍内閣であった。稲嶺県政は自民党が擁立した政権であり、稲嶺県政の8年間はずっと自民党政権だったから、政府と県政の関係が特別悪かったわけではない。それでも3000億円を割り込んだのである。

仲井真県政は07年の発足時から12年までずっと2000億円台が続いた。仲井真県政も自民党が擁立した政権だったことを考えると、大田県政時と比較して何故1000億円近く少なくなったのか理解に苦しむ。政府と県政の関係の善し悪しだけで判断できないことがよく分かる。

そして安倍内閣の時、公約を破棄して辺野古容認と引き換えに10年先まで3000億円台の予算を約束してもらい、13年度3001億円、14年度3501億円を計上した。

そして翁長県政。15年度3340億円、16年度3350億円、17年度3150億円、18年度3010億円、19年度3190億円(予定)。

以上、沖縄関係予算の推移を検証して考えられることは、政府と県政の関係の善し悪しだけで予算額が決まるとするのはあまりにも単純だと言えそうだが、ただし例外が存在する。それは安倍内閣である。

安倍内閣になってから、内閣の言うことを聞けば予算を増額する現象が見られるようになった。辺野古移設の容認と引き換えに10年先まで3000億円台を確保することを仲井真知事と約束したのである。

しかし、奇妙なことに、この約束の履行は、辺野古移設に反対した翁長県政にも引き継がれている。ただし毎年度減額されてきたが、一転して19年度は180億円増になっている。嫌がらせのために減額したのかどうかは判断が難しい。

安倍内閣の性格からして、そう考えて少しも不思議ではないが、はっきりしていることは3000億円台を割り込むところまで減額するのは不可能だろう、と言うことだ。

なぜなら安倍内閣は、10年先の24年度まで3000億円台を約束したからだ。勿論、内閣が約束を守ると仮定しての上だが。

このように考えてくると、県予算を獲得する目的で「対立から対話へ」と言う佐喜真氏の提言は、あまり意味をなさないのではないか。

意味をなさないばかりか、対話を拒否しているのは県政ではなく、実は内閣であるという事実は、今までの経過ではっきりしているので、「対立から対話へ」という提言自体矛盾しているのだ。むしろ「対立から対話へ」という言葉には、あたかも県政が一方的に悪いという響きがあり、危険でさへある。

佐喜真候補は馬力はありそうだが、どうも知性的ではない。自分が言っていることの矛盾に気がつかない。昨日の討論会を見て、強くそう感じた。

その点、玉城候補の考え方は健全であり正論である。彼はどう述べたか。県の振興予算を決めるのに、基地問題とリンクさせるやり方は明らかに地方自治の精神に反する。地方が伸びていくのを押さえつけるようにして、辺野古移設を容認しないなら予算を減額するというのは、政権にある者としてやってはならないことである。これでは民主主義が成り立たない。

佐喜真候補と玉城候補。どちらの主張が正しいか。誰が見ても玉城候補だろう。佐喜真候補と玉城候補とでは知的水準に大きな差がある。佐喜真候補は物の捉え方が大雑把であり、玉城候補は緻密で論理的だ。

これだけでも誰が県知事としてふさわしいか、歴然ではないか。

両者は発想力にも大きな差がある。佐喜真候補が県予算獲得を重視するのに対し、玉城候補は自立型経済を提言した。自立型経済とは、県予算を政府に頼るのではなく、アジアの成長を沖縄に呼び込み、自ら稼ぐ仕組みを構築して県を豊かにしていく。これが「誇りある豊かさ」となる。

翁長知事が「埋立承認撤回」の手続きを県職員に表明した時の記者会見で述べた「アジアが沖縄を離さない」という言葉に直結する発想である。

自立型経済!

県知事候補からこの言葉が力強く語られる時代が、我が沖縄にようやくやって来た。日本列島における我が沖縄の地政学的有利性が活かされる状況になっている。その大きな可能性に玉城候補は気づいている。沖縄の経済人で自立型経済に異を唱える人は一人もいない。

それほどこの言葉は我々の心に響き我々ウチナーンチュを奮い立たたせて止まないのだ。かつて琉球王国は中継貿易で繁栄した時代があった。自立型経済という言葉には、かつての黄金時代を彷彿とさせる響きがある。

全国民から集められた政府の予算に頼るのではなく、自立型経済を確立して沖縄を豊かにする。沖縄は現在、3000億円の国税を収めるまでの力を持つまでに至った。沖縄を日本経済の牽引役に引き上げる、と言った玉城候補の発言は決して大袈裟ではない。時代状況がそこまで来ているのだ。

政府の予算をあてにする、もうそんな時代ではないのだ。佐喜真候補は玉城候補より若いにもかかわらず、頭の中は旧態依然のままだ。政府からあてがわれる予算をあてにして、いくら大風呂敷を広げたところで行き着く先は奴隷根性に過ぎない。

発想力のない人間がいくら夢を語ろうが人々の心を動かすことはない。現実を見据えて新しい発想で現実を乗り越える構想が語られる時、人々の瞳が輝く。

佐喜真候補の旧態依然の政策に乗るか、玉城候補の新時代を告げる政策に乗るか。有権者が乗るべき政策は明らかだろう。