沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

ノーム・チョムスキー氏はじめ世界の知性は辺野古新基地に反対している

世界的に著名なノーム・チョムスキーオリバー・ストーン、ジョン・ダワー各氏をはじめとして、世界の文化人・知識人・活動家133人が『辺野古承認撤回を支持する声明』を発表した。今朝の琉球新報がその全文を掲載しているので、その中から2箇所だけ引用したい。

<今回の声明は4年前の声明および、その後2015年の1月と8月に行った声明の形態に倣うもので、2014年声明に賛同した著名者を多く含んでいる。私たちが当時、懸念していた状況は良くなるどころか悪化しているので、今再び私たちは声を上げる。日米の専門家は、軍事戦略的にも、計画されている新基地の機能が存在する場所は沖縄でなければいけないということはないと言っている。(もしそのような機能の必要性があればの話だ。多くの人はそれにも疑問を呈している)。

政府が沖縄に固執する主な理由は、県外にそのような基地を造るのは「政治的に不可能」だと思っているからなのである。>

軍事戦略的必然性からではなく「政治的に不可能」だから沖縄に造るのだ、と安倍首相もつい本音を漏らした。つまり本土では反対が強いから沖縄に造らざるを得ないと言ったのだ。安倍首相の本音は沖縄差別そのものではないか!世界の知性はこの辺の事情をよく見ている。

<2012年2月、沖縄県環境影響評価審査会は前年末に提出された政府の環境影響評価書に対し、150もの「環境保全上問題」となる点を指摘した。それを受けて当時の仲井真弘多知事は、政府に対し「評価書で示された措置では生活、自然環境の保全を図ることは不可能」と意見した。しかし、仲井真前知事は2010年の知事選で普天間飛行場の「県外移設」を求めるとして当選していたにもかかわらず、2013年12月、東京の病院に身を隠している間に国の重圧に屈し、沖縄県民の圧倒的な反対の中、埋め立てを承認した。>

人の良い仲井真前知事が、アメとムチを使い分ける安倍・菅コンビの圧力に屈した時から沖縄の苦悩が始まったのだ。人間は誰でも物事に反対はしたくない。できるだけ協調したい。反対が長期に及ぶと人々は次第に疲労し、意志がくじけそうになる。

政府はうまくそこを見計らってアメとムチで落とし込む。政府と沖縄県基地問題で対立するとき、同じような光景を我々は繰り返しなんども見てきた。いや、見せられてきた。それでも先人達は、歯を食いしばって、圧力に抵抗して歴史を、我々の社会を少しづつ前進させてきたのだ。

辺野古基地問題もそうである。反対疲れのなかで、名護市長選挙は実質的には推進派の渡具知氏が当選した。経済政策を前面に打ち出し、基地問題の争点化を避ける卑怯な戦術が、名護市民の眼を曇らせたのである。13日告示の県知事選挙においても、政府が同じ戦術を踏襲するのはあきらかだ。

佐喜真候補は、新基地については反対か容認か明言しない。そして経済政策では大風呂敷を広げて名護市長選同様、県民の眼を曇らせる戦術を取るだろう。

しかし、予断は許さないとは言え、あきらかに状況は変わってきている。辺野古新基地はあまりにも多くの問題を抱えすぎて、建設は不可能であることが明確になったのだ。

仲井真前知事が埋め立てを承認して、工事が始まって以降、それまではあきらかでなかった新データが次々と出てきたのである。C護岸真下の軟弱地盤、活断層の存在、高度制限を超える建造物、土地の存在。そして米政府機関による、新基地の機能不適格性の指摘。

これらの新しい情報が承認前に出てきていたら、仲井真前知事は、はたして承認する勇気があっただろうか?仲井真前知事と雖も、さすがに承認はしなかっただろうと思うが、県2紙には是非その点を取材して欲しいものだ。

辺野古新基地は道義上も、設計上も建設不可能であることは、世界の知識人達の知るところとなった。海外識者133人による今回の『辺野古承認撤回を支持する声明』はいみじくもその事実を世界に発信することとなった。

安倍内閣は自らの失政を潔く認めて、一日も早く辺野古新基地断念の声明を出すべきだろう。

 

初討論会は玉城デニー候補の勝利!しかし、油断は禁物だ

昨日、佐喜真淳候補と玉城デニー候補の初めての公開討論会が行われた。主催者は日本青年会議所沖縄ブロック協議会。場所は南風原町立中央公民館。

今朝の新報の報道で知り、早速動画はないか調べたらあった。しかし残念なことに音声が悪い。映像の写りも良くない。それでも時間の経過とともに聴覚が慣れてきて、何とか聞き取ることができた。

時間は約2時間。最後まで聞いた。感想を一言でいうと、玉城デニー候補の圧勝である。

その落ち着きぶり、弁舌の爽やかさ、明快な論理性。思考の柔軟性。ソフトなイメージだが、ブレない強さ。そして政治的課題についてよく勉強している。決定的なのは彼の郷土を愛する気持ちは本物だということである。

討論の最後で、両候補に与えられた5分間で有権者に訴える場面。玉城候補は、一番大事にしたいことは「沖縄はイデオロギーよりもアイデンティティ」と言った翁長知事の言葉であると述べ、その重要性を強調してスピーチの最後で「にふぇーでーびぃーたん(ありがとうございました)」と言って聴衆に向かって深々と頭を下げたのである。

一方の佐喜真候補は、声こそ大きいが論理に緻密さがなく大雑把であり、先日発表した大風呂敷の政策を裏付けするような内容であった。グローバルにダイナミックに、という言葉を連発するが、少しも聞き手の心に響くものがない。

政治家にとって言葉は一番大事なものだ。特に「語る言葉」は政治家の命と言っても過言ではない。文章化された政策や、新聞に載る政治家の発言では知ることのできない本音が、ぽろっと出たりするのを見ることができるのは、はやはり生の討論会ならではである。

昨日の公開討論会を見て、多くの聴衆は玉城候補に軍配をあげたのではないか。ぼくの判定は玉城候補の圧勝であった。

当初、佐喜真候補の選挙事務所は、地元メディアによる討論会を拒否し、青年会議所主催の討論会なら出る旨の発言をしていた。佐喜真候補の希望が実現したのだから、今後は是非地元メディア主催の討論会も快諾して欲しいものだ。

正々堂々と有権者の前で議論を闘わせる。そして誰の主張が正しいか、有権者に判断してもらう。民主主義社会では当然のことである。昨日の討論で劣勢に立たされたのを苦にせずに、佐喜真候補は勇気を持って、次回の討論会を受けて立つべきである。

さて、討論で圧倒したとはいえ、玉城陣営は決して油断してはならないだろう。各種世論調査で玉城候補有利と出ているらしいが、少しの気の緩み楽観視が逆転を許してしまうのは、選挙では良くあることだからだ。

今年2月の名護市長選がそうだった。大方の予想は現職の稲嶺市長有利だった。しかし蓋を開けたら大差の逆転負けだった。選挙戦術に長けた自民党はあらゆる手を使って襲ってくる。自公連立を侮ってはならない。前回自主投票だった公明党は佐喜真候補を推薦する。下地幹郎の維新の会も佐喜真陣営に加わった。

そして滑稽にも希望の党が支援することになった。希望の党?まだ存在していたんだ!中山恭子さんもよほど政治運のないお方だ。日本のこころという奇妙な政党がなくなったと思ったらゾンビのように希望の党に在籍しているとは。

少し脇道にそれるが、中山恭子さんが日本のこころの党首だった時、あのデマ常習犯・ボギー手登根が参議院選挙で、日本のこころから九州・沖縄ブロックの比例代表で出馬したことがあった。

当然落選したが、あの出来事は中山恭子さんという方がいかに人を見る目がないか、如実に証明することになったのである。いくらなんでもデマ常習犯・ボギー手登根を参議院選挙に担ぎ出すとは。

余計なことかもしれませんが、中山恭子さん、政界を引退なさったらいかがでしょうか。ぼくはあなたの人柄をどうこう言うつもりはありませんが、蚊のように小さいお声は有権者の耳に届きません。

「語る言葉」は政治家の命です。蚊のような小さい声は政治家に向いておりません。この人何か悪いことでも隠しているんじゃないかしら、と勘ぐってしまうのです。はやく引退なさって日本の文化の向上のために力を尽くしてもらいたいものです。これからはゆめゆめ、ボギー手登根のような精神の薄汚い男を相手にしてはいけません。

話を元に戻すと、独裁体質の強い安倍政権を決して侮ってはならない。しかし勿論、少しも恐れる必要はないが、トップが米国追従の頭の悪いお坊ちゃんだから、下々の連中が何をしでかすか最大限警戒する必要があるだろう。

今回の知事選を落としたら、安倍・菅コンビのプライドに深い傷がつく。ただそれだけの理由で、我が国の安全保障上の確たる信念もない安倍・菅コンビはなりふり構わず牙を剥いて襲いかかってくる。

彼らに対抗するための手段は、辺野古新基地がいかに理念なき不条理の論理に立っているか、怯まずブレずに正論を主張し訴え続けることである。そして針の穴ほども楽観ムードがあってはならない。

 

デマ常習犯ボギー手登根と佐喜真候補の親近性

佐喜真候補が知事選に向けて政策を発表した。歯の浮くような良いことづくめの政策をずらっと並べてある。

よくもこれだけの大風呂敷を広げることが出来たものだ。玉城デニー候補は、まだ政策発表はしていないが、経済振興策・福祉政策・その他において両候補にそれほど大きな違いがあるとは思えない。

県民の生活向上を目指すのは政治家として、当然の義務と言えるからである。しかし、佐喜真候補の財政の裏付けのない大風呂敷は有権者の心を誘惑するためだけのものであるのは、見え透いている。

賢明な有権者は、こんな子供っぽい大風呂敷に、どんなことがあっても惑わされてはいけない。両候補に経済振興・福祉政策・その他にそれほど大きな違いはないと思われるが、肝心なことは現実を見据えて、実現可能性を追求する誠実な対応が求められるということではないか。

佐喜真候補が広げた財政の裏付けのない大風呂敷は、可能なら全て実現して欲しいところだが、恐らく半分も達成されないだろう。その目指す規模を別にして、経済振興・福祉政策・その他に両候補の違いは、それほどないだろう。とすれば、両候補の政策の違いはいったい何だろうか?

言うまでもなく、米軍基地問題である。現時点においては、普天間飛行場移設と辺野古基地問題が、両候補にとって、最大の争点となるのは明らかだ。

この問題に対する玉城候補の主張は明快である。2019年2月までの普天間飛行場の閉鎖(仲井真前知事と安倍内閣が約束して閣議決定した)と、辺野古新基地阻止である。

対する佐喜真候補は、普天間飛行場の1日も早い返還を言うだけで、辺野古新基地に対しては、態度を明確にしていない。昨日の政策発表の場で、記者の質問に次のように答えている。

ー 政策で辺野古に1行も触れていない。県民を二分する大きな争点だ。

「先般、県が(埋立承認を)撤回した。政府と県の法廷闘争も考えられており、法的にどうなるかを注視する。現在はこのスタンスでいきたい。ただし最も重要なのは普天間の固定化は避けなければならないということだ。1日も早い返還が原点だ。」

一見最もらしい見解のように思われるが、その間接的遠回しの言い方に惑わされてはいけない。自民党特有のオブスキュランティズム(非明晰性)に用心する必要がある。

彼の見解を注意深く考察すると、辺野古新基地建設は容認せざるを得ないと言っているようにしか聞こえない。「法的にどうなるかを注視する」ということは、自分は責任ある当事者から身を引く、ということであり、最高裁の判決が下る迄、静観すると言っているのだ。

容認すると明言しないで、静観者を装うその姿勢は卑怯であるばかりか、県知事候補者としての資格があるかどうかさへ疑われる。いったい辺野古はどこにあるのだ? 山口県か、北海道か?

沖縄県知事を目指す人間が、沖縄に駐留する米軍の辺野古新基地に対して、第三者的立場をとることが、果たして許されるものだろうか?

佐喜真氏の態度は卑怯であり、無責任である。沖縄県知事に不適格である。容認するなら容認するとはっきり言えば良いじゃないか。

その点、公約を破ったとは言え、容認すると明言した仲井真前知事のほうが、佐喜真氏よりも立派だったと言える。容認すると断言したことで、仲井真前知事は泥を被る覚悟を決めたからだ。

佐喜真氏の真意ははっきりしている。容認すると言えば、選挙戦に不利になると計算しているのだ。だから意図的に辺野古問題をぼかして、経済振興策の大風呂敷を広げてみせる。多くの県民はそのいかがわしい節操のなさをとっくにお見通しだよ。

佐喜真氏が節操のない性格なのは、あのデマ常習犯・ボギー手登根(手登根安則)との親近性を見るとはっきりする。佐喜真氏はボギー手登根のネット番組に出演したことがある。

それだけではない。宜野湾市長時代、社会を大混乱に陥れた恥ずべきデマ事件に、まんまとのっかったのである。その恥ずべきデマ事件とは、ボギー手登根が発信したデマを元にして、産經新聞の高木那覇支局長(当時)が記事にし、マスメディアに拡散させ、産經新聞、産経ニュース、八重山日報、ヤフーニュース、在沖海兵隊自衛隊、その他大勢の人々が騙された一大疑獄デマ事件である。

地元紙でありながら(デマの元になった)事故を、なぜ報道しないと非難された琉球新報の慎重な調査により、デマであることが確定したため、記事を書いた高木支局長は責任を負わされて更迭された。報道した新聞各社・ニュースサイトも正式に謝罪するという大掛かりなデマ事件であった。

多重衝突事故に巻き込まれて意識不明の重体に陥ったトルヒーヨ海兵隊曹長をダシに使って練り上げたボギー手登根の恥ずべきデマ。

そのデマに乗って、トルヒーヨ曹長の回復を祈る英文が書かれたTシャツをかざす佐喜真宜野湾市長の頓馬な姿を、我々はネットで見ることができる。何という節操のなさ!

しかも、祈るという英単語が餌を意味する英単語になっているというおまけまで付いているのだから呆れてしまう。デマを練り上げて拡散することに人生の価値と喜びを見出すボギー手登根。

嘘の塊のようなこの不実で薄気味悪いボギー手登根のデマに、いとも簡単に騙される佐喜真淳なる人物に沖縄県知事の職務を任せてはならない。彼には人を見る目がないのだ。

彼は子育て・教育支援政策で「子育て・教育王国おきなわ」を実現すると謳っているが、ネトウヨの子供が育ってはそれこそたまらない。巧言令色鮮し仁。くわばらくわばら。

 

公開討論から逃げる佐喜真淳県知事候補

佐喜真県知事候補は、マスコミ各社が個別に主催する討論会や対論番組に一切出席・出演しないことに決めたらしい。その理由がいかにもこの人の節操のない性格を表している。

「異例の超短期のため日程がつかない」

ということらしいが、こんな理由で候補者が討論会を拒否することが、はたして正当化されるのだろうか? 明らかにノーである。なぜならば、選挙は各立候補者がどのような政策を掲げているかを見極めた上で、誰に投票するかを有権者は判断するのであり、そのために各立候補者が自らの政策を有権者に訴えるのは当然のことだからだ。

政策を表明するだけなら、文書で十分だという主張もあるが、文書に書かれた公約が本物かどうか、有権者が判断するのはなかなか困難である。大概、政策・公約を羅列した文書・チラシ類は、歯の浮くようないいことばかりが書かれているからだ。

そのように考えると、政策・公約が本物かどうか判断するための手段として、候補者同士が有権者の前で、直接議論をぶつけ合う姿を見せるのが最良の手段と言えるだろう。

政治家は文学者とは違う。言葉を操る点で同類と呼べるほど似通っているが、言葉に与える価値観が大きく異なる。政治家の言葉は実用的・実際的なものであるのに対して、文学者の言葉は芸術的であり非日常的である。

文学者は一人書斎で言葉を紡ぐ。良い作品を生産するために孤独になる必要がある。しかし、政治家は全く異なる。彼は大衆に直接語らなければならない。自分の考えを多くの有権者に訴えて理解してもらう必要がある。

政治家の言葉は本質的に「語る言葉」なのだ。だから政治家の本領は語る技術を駆使して聴衆を魅了することにある。語る側と聞く側の真剣勝負がそこで展開される。聴衆は政治家の口から語られる言葉が偽物か本物か独自に判断する。偽物と判定されたら政治家の負けだ。

公開討論会は、立候補者同士が議論を闘わせることで、語られる言葉が本物か偽物かが浮き彫りにされる舞台である。自身の政策・公約に自信があれば、進んで公開討論会に臨むだろう。

しかし、佐喜真候補は拒否した。自信のない証拠だ。今回の知事選の日程が超短期なのは、玉城デニー候補にとっても同じことである。同じ条件であるにもかかわらず、超短期日程を理由に公開討論を拒否するのは卑怯である。これだけでも佐喜真候補は知事にふさわしくない人間であることがわかる

 

沖縄防衛局に感謝しよう!ただし逆説的意味において

多くの県民の民意に支えられた翁長知事の遺志を受け継いで、県は昨日、辺野古の公有水面埋立承認取消(撤回)通知書を沖縄防衛局に送付した。その通知書の概要が、今朝の琉球新報に2ページを割いて掲載されている。これは同紙の8月1日に掲載された「辺野古埋め立て承認撤回聴聞通知書(概要)」より詳しく記述されているが、内容はほとんど同じである。ざっと目を通してそう認識した。

改めて読み返してみても、先日当ブログで感想を述べたように、沖縄防衛局のあまりにも杜撰な工事に怒りが沸々と湧いてくるのを抑えることができない。

この通知書(概要)は誰が読んでも、仲井真前知事が埋立を承認した後進められた工事が、法令違反、留意事項無視に満ち満ちているか、明らかであろう。そうは思わないという人は、原理主義的安倍シンパかよほどのへそ曲がり、あるいは知能指数がよほど低い御仁に限られるに違いない。

冷静に、そして丁寧に読み込めば、新基地工事が法令違反であるのは、反証の余地がないくらい明らかである。問題は、にもかかわらず沖縄防衛局は、なぜ法令に違反する工事を一年半以上も続けることができたのか、ということだ。

いろいろと、ぼくなりに想像してみた。中嶋浩一郎局長以下、職員に優秀な人材が一人もいない? 職員諸君には申し訳ないが、これが最初に思い浮かんだ。あるいは優秀な人材は、一人二人いるが、中嶋局長に頭が上がらず、法令違反だと知りながらも指摘する勇気がない? 官僚組織において十分に考えられる特殊な内部事情も考えられる。

そして最後に考えたのは、やはり人事権を一手に握って強くなりすぎた安倍内閣の安倍・菅コンビに恐れをなして、最大限に忖度した結果、工事遂行あるのみとそれいけどんどんで法令違反を重ねた?

この推測は、先の国会で噴出した財務省厚生労働省文部科学省の公文書書き換え問題、防衛省の日報隠蔽問題などを振り返ると、十分に成立するのではないか。そして、仮にこの推測が当たっているなら、実に恐ろしいことになる。

安倍・菅コンビに逆らえば、人事で飛ばされる。だから逆らうよりも安倍・菅コンビの意向を忖度して、法令違反と薄々知りながらも工事を強行してきた。どうやら結論はこの辺に落ち着きそうだ。

しかし、いつの世も、事実は小説よりも奇なり、である。

沖縄防衛局が法令違反の工事をやってくれたおかげで、県は承認撤回の立派な根拠を得ることができたのだ。と言うことはつまり、県に承認撤回の根拠を与えないという確たる目的意識が、沖縄防衛局にあったならば、県の行政指導に従い、留意事項を守り、土質調査の結果を報告して、誠意ある態度で工事を進めていれば、県は承認撤回の根拠を失う可能性が大いにあった。

しかし、とは言えC護岸真下の軟弱地盤が判明した以上、沖縄防衛局がどんなに誠実な態度を示したにせよ、設計変更は避けられず、海底の地盤改良という難工事を考えると、県が認可するはずもなく、そうなるとやはり工事が行き詰まるのは目に見えている。

ということは、辺野古新基地建設は、道義上も法令解釈の上でも立ち行かないことが明確になったということだ。

とりあえず我々としては、逆説的な意味において、法令違反を犯した沖縄防衛局に感謝しようではないか!

公有水面埋立承認取消通知書(概要)を、ぜひ多くの方に目を通してもらいたい。読み応えのある見事な公文書ですぞ。

 

玉城デニー候補と県民は一体である

玉城デニー氏が正式に出馬表明した。玉城氏は、現時点において、翁長知事の後継者として最適任者である。昨日沖縄ホテルで行われた記者会見の模様を動画で見て、改めて、そのように認識を深めることができた。

明るい性格、政治理念の確かさ、弁舌は爽やかで明快かつ論理的であり、その誠実な姿勢は、多くの県民から支持されることは間違いないだろう。記者会見の内容を要約してみた。

① 今回の知事選の最大の争点は、辺野古基地問題であり、翁長知事の遺志を引き継いで埋立承認の「撤回」を全面的に支持する

② 翁長知事が進めた沖縄21世紀ビジョンやアジア経済戦略構想などをさらに前進させていく

③ 自立と共生の沖縄を目指す。生まれてくる子供たち、あすを担う若者たちに平和で真に豊かな沖縄、誇りある沖縄、新時代沖縄を託せるよう全力疾走で頑張る

④ 翁長カラーに付け加えて玉城カラーを打ち出したい

要点だけ拾うとざっとこんなところだったと思うが、玉城氏は次のようことも述べた。「相手候補の佐喜真氏は新基地の工事に瑕疵があるか、法令に違反することが明らかになれば、「撤回」もあり得ると言っているが、討論の場でその真意を確かめたい。正々堂々と討論の場に出てきてもらいたい。」

玉城氏の言う通りだ。超短期決戦となった知事選とはいえ、できるだけ多くの公開討論を行うべきだろう。「撤回」もあり得るなどという目眩し戦術が公開討論の場で論理破綻するのは目に見えている。自民・公明推薦の候補は実に目眩し戦術に長けている。2月に行われた名護市長選挙がそうだった。

渡具知氏は、辺野古新基地は名護市にあるにも関わらず、最後まで争点化を避けて、稲嶺市長の公開討論への呼びかけに一切応じることなく逃げ回ったのである。しかしそれでも卑怯な戦術で当選するのだから呆れる。渡具知氏を選んだ名護市民は、時の経過とともに誇りを失うことになる。卑怯で不誠実な政治家が、長い目で見て名護市を健全にできるはずがない。

その意味でも我々は、名護市長選を教訓にして、今回の知事選を名護市の二の舞にしてはならない。幸いにも県は明日、「撤回」を宣言する予定らしいので、そうなれば佐喜真候補は、嫌でも新基地の是非を問う問題から逃げることはできなくなるだろう。

渡具知氏のように逃げ回れば、卑怯者とみなされる。正々堂々と受け止めて、公開討論の場で、玉城デニー候補と丁々発止、本気で議論を闘わすべきだろう。私心を捨てて、あくまでも合理的精神を持って正論を闘わせる。そうすることが県民のためにもなり、沖縄の将来にとっても有益となる。佐喜真候補にその覚悟があるかどうかが問われる。

いよいよ知事選の幕は切って落とされた。今回の知事選は、単に沖縄という小さな一地方の選挙にとどまらない。日本の安全保障の根幹と、民主主義の本質が問われる、日本の将来を占う大きな意味を持つ選挙である。米国に隷属する安倍政権の息がかかる佐喜真候補に沖縄の未来を託すのか、理不尽で不条理な米軍の隷属から脱し、沖縄の新しい時代を見添える玉城デニー氏に託するのか、冷静に考えた時、我々県民が下す結論は明快である。

玉城デニー氏を支えて新知事として重責を担ってもらう。その重責を県民一人ひとりが分担すれば、玉城新知事は勇気百倍、重圧を跳ね返して県民のために汗を流してくれるはずだ。安倍売国奴政権は、名護市長選挙でやったように、なりふり構わず襲いかかってくるだろう。

しかし、鶏口となるも牛後となるなかれ!

吹けば飛ぶような一時的な利権に屈するよりも、これから生まれてくる世代のために誇りを失わない大人たちの姿を見せることが、いかに大事なことか、繰り返し何度でも確認する必要がある。

 

Mr.ダグラスありがとう!

去年の夏場、週毎に三ヶ月ほど辺野古へ通ったことがあった。振り返ると早いもので一年がすぎたことになる。その時、ダグラス・ラミス氏と同じバスに乗り、辺野古の現場で時間をともにしたことが何度かあった。高齢にもかかわらず辺野古の現場に通うラミス氏の姿に敬意と好感を覚えた。

短い期間ではあったが、濃い思い出がたくさんできた。工事用ゲート前で座り込みをしていたある暑い日、ラミス氏はぼくの右隣に座っていた。その時我々を排除しに機動隊がゾロゾロやって来た。

「機動隊は帰れ帰れ!」ぼくは繰り返し大声で叫んだ。ぼくのあまりにも大きな声に驚いたのか、ラミス氏は横からぼくの顔を覗き込んで、「私はあまり無理できないので立ち上がります」と言った。ラミス氏の少年のような表情に、ぼくは多少戸惑いつつ、「無理しないでください」と言って、軽く氏の肩を叩いた。

最後まで抵抗して、機動隊員に抱きかかえられて持っていかれるのは、腕に痣ができたりしてきつい。明らかにラミス氏にとっては耐えられないだろう。高齢であるのと同時に、ラミス氏は大病を患って後あまり体調が良くないのだ。それでも辺野古に来て抗議活動に参加するラミス氏にぼくは感心し、このユーモア精神にあふれる退役軍人に好意を感じた。

その思い出多いラミス氏が、久し振りに今朝の琉球新報に登場した。ラミス氏が会長を務める「平和を求める元軍人の会ー琉球・沖縄(VFP-ROCK)」が米政府監査院(GAO)に対し、米軍普天間飛行場移設に伴う名護市辺野古への新基地建設計画の問題点を独自に調査するよう求める決議案を提起して、「ベテランズ・フォー・ピース(VFP)」第33回年次総会の全体会議において全会一致で可決されたのである。

総会決議(要旨)を琉球新報は次のように報じている。

<米政府監査院(GAO)は、2017年のアジア太平洋地域における在沖米海兵隊の再編に関する報告書で、米軍普天間飛行場代替施設の滑走路が必要とされる長さを満たしていないと指摘した。この建設計画が米国の国益にかなうものなのか、その他の側面でも疑いがかかっている。

在日米軍施設の大部分、約7割の負担がのしかかる沖縄の人々はこの計画を、近代史から続く沖縄への新たな差別だと捉えている。激しい抗議と環境問題のため、建設は数年遅れている。滑走路の建設予定地には絶滅危惧種ジュゴンが生息し、手付かずのサンゴの庭が広がり、環境への細心な配慮が必要だが、日本の防衛省にその十分な能力はないとみられる。

地質調査は2014年に始まったが、沖縄防衛局は海底の地盤が2本の滑走路を支えるだけの十分な強度があるか判断していない(一部の地域は軟質の石灰岩やマヨネーズ並みの軟質地盤となっている)。

建設予定地周辺の送電塔や、学校施設、辺野古弾薬庫を含む建造物は米軍の高さ制限を超えており、活断層がある可能性も指摘されている。

これらの問題点は「良き隣人」のふりをする米軍の沖縄駐留は危険であることを示す。一方、日本政府は面目を保つことに執着し、信頼できる情報を明らかにしていない。従って、VFPはGAOに対し、この状況に対する独自の調査を行って、これらの申し立ての事実を究明し、計画の強行が、コストに見合うことなのか、リスクなのかを判断するよう強く求める。>

辺野古新基地は欠陥施設である。あらゆる角度から検証してそうだと言わざるを得ない。米政府監査院(GAO)は、昨年の報告書で、辺野古新基地は滑走路が短くて必要条件を満たしていないと指摘した。元海兵隊幹部のエルドリッジ氏はラミス氏とは立場を異にする米軍の利益を第一に考える人間だが、その彼でさへ辺野古新基地の欠陥を指摘して、反対を表明している。

米国人の思考方法はあくまでも合理的精神に基づくことを考えるならば、安倍政権と沖縄防衛局のオブスキュランティズム(非明晰性)との違いが何と際立つこと!

行政のトップが頭が悪いと下部組織の頭脳も腐敗する典型的な見本が今の安倍政権だ。

辺野古新基地がいかに欠陥に満ちた危険な施設であるか確定的となった今、各方面から大きな声で全世界に向けてその事実を発信する必要がある。その意味で、ベテランズ・フォー・ピース(VFP)の活躍は目覚しい。全世界の良識派の皆さん、連帯して辺野古新基地を阻止しよう!Mr.ダグラスありがとう!