沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

我那覇真子が日本のジャンヌダルク?

これほど過激な発言をする二十代の女性が、かつて沖縄にいただろうか?

一昨年の9月、スイス国連人権理事会で翁長知事の発言の後で、彼女が反論スピーチをした時は、その度胸の良さ、行動力に驚嘆すると同時に、疑問を感じざるをえなかった。僅か二分間の反対スピーチをするために、わざわざ遠いスイスまで出かけた真意はなんだったのか、という疑問である。

翁長知事の発言が許せない、という動機だけなら、なんとも凄まじい行動力と言わねばならない。安くないはずの旅費は自分で負担したのだろうか、それとも他のだれかに負担してもらったのだろうか、気になるところだ。そして彼女は、「沖縄タイムス琉球新報を正す県民国民の会」という仰々しい名前の会を立ち上げて、その代表を務めるほどの積極派である。

そのための講演活動も活発にこなしている。チャンネル桜「沖縄の声」のキャスターの一人でもある。そして「日本を守る沖縄の戦い」という本も出していて、その副題は、「日本のジャンヌダルクかく語りき」である。

ベストセラーになっているそうだが、まだ読んでいない。読んでから批判するのが礼儀ではないかと思ったが、色々調べるうちに、彼女の思想の大まかな輪郭を掴むことができたので、購入してまで読むこともあるまいと考え直した。

反翁長知事、反タイムス・新報のキャンペーンをこれほど活発に展開する彼女の発言が、ネット上で、にわか保守層に受けている背景には、中国共産党の我が国に対する安全保障上の脅威があると、まずは指摘しておく必要がある。

尖閣諸島が危ないのに、なぜ翁長知事は中国を非難しないのだ、さては翁長知事は中国共産党のスパイではないか、なぜ辺野古米軍基地建設に反対するのだ、海兵隊が沖縄から撤退すれば、中国を勢いづかせるだけではないか、等々、ネット上で飛び交う多くのコメントの原因が、にわか保守層の我が国の安全保障と沖縄の現状に対する無知にあるのは、明らかだ。

しかし、彼らが主張するように、翁長知事が尖閣問題で中国を非難すれば、たちどころに沖縄から中国人の観光客が来なくなる恐れが多分にある。中国がどんな国か翁長知事は承知の上で、中国と付き合っていることを、にわか保守層の人達は考えたことがあるだろうか?

中国人観光客が落とすお金で、沖縄の経済が多少なりとも潤っている現状を、ご破算にするような態度をとれば、県民がそれを行政の無策として、非難するのは当然のことで、それを承知で、翁長知事は合理的判断で政治を遂行しているに過ぎないのである。

 そして、武力発動の権限のない県知事が、尖閣問題で中国を非難した時のリスクを考えてもらいたい。武力衝突の危険を孕む尖閣問題は、政府の専権事項である。

にもかかわらず、政府はどのような態度を取っているか。地元漁船が尖閣諸島から1マイル以内に近づくのを、海上保安庁が実力で阻止しているのである。尖閣諸島は我が国の領土だと、政府自ら主張しているにもかかわらずだ。悲しいかな、これが今の我が日本国政府の実態である。この事実を、いったい、どのくらいの国民が知っているだろうか?

ネット上で我那覇真子を持て囃す、にわか保守層とは、このように軽薄で、うろ覚えの知識の持ち主がほとんどである。彼女には深い思想の裏付けはない。にわか保守層の囃に乗って、嬉々として暴走するあどけない姿に、危険な感じを覚えるのは、ぼくだけではないだろう。

彼女は、2月24日の記者会見で、辛淑玉(シン・スゴ)さんを批判して、次のように語っている。

「日本国内における外国人の政治活動について。高江に常駐する約100名程度の活動家のうち、約30名が在日朝鮮人だと言われている。日本の安全保障にかかわる米軍施設への妨害、撤去を、外国人たる在日朝鮮人が過激に行うことが、果たして認められるものなのか。その実態を現地に入って取材した研究者は、この一連の反対活動を分析し、この運動の背景に北朝鮮指導部の思想が絡んでいるとすれば重大な主権侵害に当たるし、大胆で組織的なスパイ活動とも言えるとしレポートしている。貴女の抗議は、地上波東京MXテレビによって自らの不法行為と虚偽が首都圏から全国に拡散されるのを恐れ、これを阻止する事が目的と断じれる。そのために貴女は、沖縄県を日本の植民地と言い、ありもしない沖縄ヘイトに論理をすり替えた。日本国民である我々沖縄県民が、在日朝鮮人たる貴女に愚弄される謂れがどこにあろうか。我々は、貴女の一連の言動が反日工作につながるものだと解している。北朝鮮による無慈悲な日本人拉致、どう国内における、処刑、強制収容所送り等のすさまじい現在進行中の同朋人権蹂躙に対して、貴女が抗議しない不思議についても問うてみたい。それにしても、外国人の身でこれ程の反日活動を行うとは驚きである。」

あどけない若い女性の、あまりの勇ましい語調に背筋が寒くなって、愕然とするのみである。この発言には、在日朝鮮人に対する差別意識が強烈に滲み出ている。在日朝鮮人辺野古米軍基地建設に反対して何故悪いのか、その理由がまったく理解できない。辛淑玉(シン・スゴ)さんが、外国籍だからという理由のようだが、それでは、Veterans For Peace の退役軍人の人たちが辺野古に来て反対活動をしたのも、許されない事なのか?

会見の場に同席したケントギルバートは外国人ではないのか?在日朝鮮人はダメで、米国人なら良いのか?

むしろ、ぼくは、世界中の良識派が辺野古に集まって、反対活動を展開してほしいと願っている人間だ。いったい、我那覇真子という人物は、自分を何様だと思っているのだろう。まるで自分は沖縄を代表する人間であるかのような物言いではないか。思い上がるのもいい加減にしろと言いたい。

日本の安全保障について、親米保守の域を出ない若者が、ネット上での軽薄な人気に乗って、自信たっぷりに強硬な主張を繰り返す、その上滑りの強がりの姿勢に危険な匂いがするのだ。

ニュース女子」はぼくも見たが、例のごとく、本土の言論人が沖縄の問題を論じる時、偏見と誤解に陥るのが常で、その内容は見るに耐えないほどの酷いものであった。

 自称軍事漫談家井上和彦我那覇真子が、二人揃って海に向かい、「沖縄を返せ〜」と大声で叫ぶ場面があるが、誰に向かって沖縄を返せと言っているのか、意味不明であり、無邪気に笑う我那覇真子のあどけない姿は、滑稽を通り越して、無様であった。

彼女は戦闘的であるのに加えて、なかなか執念深い性格の持ち主のようだ。今月9日は前橋商工会議所会館で、26日は千代田区で講演し、前橋では次のように述べている。

「いつも沖縄県民は取り残されている。基地の問題でも、沖縄の人は誰も文句を言っていないのに、よそからやってきた人たちが割って入ったり情報をゆがめたりして、問題でないものを勝手に問題にしている。」

千代田区では次のように述べている。「辛氏は本来ならば今ごろ、MXテレビに対して勝利宣言をしていたことでしょう。しかし私たち沖縄県民を怒らせてしまった。日頃はおとなしく、穏やかな沖縄県民だが、一度怒ったらタダではすまない。沖縄の米軍基地の問題に在日朝鮮人の辛氏がいちゃもんをつけているのは、日本という国の主体性のなさから来ている」

このように発言する若い女性が、ネット上で持て囃され、親米保守派が彼女を称賛して利用する今の状況を見ると、我々は何が起きても不思議ではない、かつて経験したことのない困難な時代を生きているかもしれないと、暗澹たる気持ちになる。

フランスのジャンヌダルクは異端の判決を受け、火刑に処せられて19歳の若さで生涯を閉じたが、果たして我が日本のジャンヌダルクの運命やいかに。

 

 

 

沖縄を舐めてはいけない

政府が翁長知事を権限乱用で損害賠償請求を検討している、と産経ニュースが報じている。

権限乱用で工事が中断した損害額を算出し、個人資産で賠償を求める、としている。金額は数億円になるらしい。国家賠償法に基づくとのことだが、事実とすれば恐ろしいことだ。

ぼくは法律家ではないから、法律上の正当性を論じることはできない。生活者としての個人的常識から判断するほかないのだが、政府の強硬な姿勢に恐怖を感じる。

これでは民主的手続きで選出した県知事といえども、政府の政策に反対するのは許さない、と言っていることと同じで、果たしてこんなことが実行可能なのだろうか?

まるで公権力による恐喝ではないか。今の安倍政権は何か異様な感じがする。歴代政権の安全保障政策の無策ぶりのツケを、翁長知事に負わせるとは、傲慢ぶりも甚だしい。

ぼくは安倍政権に反対である。辺野古米軍基地は呪われた基地になるのは間違いない。これを強行すれば、安倍政権は呪われた内閣として歴史に刻まれることになるだろう。

 

 

日本を真の独立国にする戦い

昨日の翁長知事の演説を聞いて深く感動した。演説が上手いだけではない。論理と心情に嘘がないから、聞く人の心を強く打つのである。あらゆる行政手段を駆使して、辺野古米軍基地は造らせないという、翁長知事の決意に揺るぎはないことがはっきりした。

県民の全国に占める人口比率は、わずか1%に過ぎない。民主主義国家において、少数派の勝利は常に困難を強いられる運命にあるが、大義と不屈の精神があれば、負けることはない。

辺野古米軍基地建設反対の大義とは何か?日本の真の独立である。外国の強大な軍隊が、戦後71年も駐留し続ける国家は真の独立国ではない。これが世界の常識である。

沖縄県民は、日本の真の独立のために戦っているのである!

しかし、残念なことに、我が国の歴代内閣はこの常識を理解せず、自国の安全保障を他国に依存してきたツケを、今頃になって払わされるという、惨めな姿を晒している。

世界の状況が大きく変化していく時代においては、政府の適応能力の欠如は致命的であり、国を間違った方向に導く恐れがあり、安倍内閣も例外とは言えない。

辺野古米軍基地は造らせないと、選挙の度に県民の意思を表明したにもかかわらず、辺野古移設が唯一だとする現政権の頑固なまでの鈍感さは、翁長知事が指摘したように、我が国は「法治国家」ではなく、「放置国家」と言われる所以である。

時代が大きく動く現代、安倍内閣の適応能力が問われている。少数派の沖縄県民は、日本の将来を憂い、不屈の精神で、日本の真の独立のために戦っていると認識せよ。

それでも沖縄を潰しにかかれば、その代償は高くつくと覚悟すべきだ。日本の真の独立は、千年遠のくだろう。

ウチナーンチュ、ウセーテーナランドー。ナマカラルヤンドー。(沖縄の人をばかにしてはいけないよ。今からだよ、始まるのは。)

 

憲法改正を急げ!

安倍総理、全精力を傾けて憲法改正を急げ。

冗談で言っているのではない。いまの我が国の閉塞状況は極限に達している。拉致問題尖閣問題、等を解決するのに、もはや従来の外交のやり方に限界があるのは明らかだ。その原因ははっきりしている。現憲法では自衛隊を動かすことができない。これが最大の原因である。

北朝鮮は核で我が国を威嚇し、中国共産党尖閣諸島を奪いに来ている。これに対抗する手段は一つしかない。自衛隊を国軍に昇格させて、抑止力を完璧にすることである。大多数の国民が、もはやそれ以外の解決方法はないと思っている。

在日米軍に頼りきってはならない。なぜなら彼らは、かつての敵国だからである。勿論、敵対する必要はないが、制限なき信頼は危険である。賢く利用することだ。嘉手納空軍基地と第七艦隊だけを残し、沖縄の海兵隊は撤去して貰う。これで沖縄問題は完全ではないが、概ね解決する。正論を強く主張すれば、米軍も納得するだろう。

米軍の顔をたてるため、日米地位協定の改定も当分の間、見合わせて、我慢する必要があるかもしれない。これらのことを達成するために憲法を改正するのだ。禊祓いをして、自主憲法を制定せよ。

第九条

一、国防の為、国軍を保有する。ニ、他国への侵略は、これを行使しない。

安倍総理はもともと憲法改正論者ではないか。ならば、総理になって4年にもなるというのに、何をぐずぐずしているのか。自分の思いを、正直に国民に訴えれば、賢い国民は必ず理解する。反対勢力と堂々とわたりあって、中央突破して、指導力を発揮せよ!

森友学園問題などは小さな問題である。総理には日本国の舵取りをする大きな責務がある。安倍晋三の命など惜しんではならない。命は天に預けよ。日本国の命運は、総理、あなたにかかっているのだ。

 

チャンネル桜の水島総社長と沖縄

2年ほど前からチャンネル桜YouTubeでよく見るようになった。その理由の一つは、登場する論客陣が凄い、ということがある。特に西尾幹二日下公人西部邁馬渕睦夫、小堀圭一郎、各氏の博学は抜きん出て、討論番組での論述を聴くことで、又、諸氏の著作を読むことで、多くのことを、特に保守思想の本質を学ぶことができたように思う。

そして、もう一人、佐藤健志氏がいる。現代という難しい時代を、独創的に解明する注目すべき人物だ。次代を担う、論客の一人になることは間違いないと思うし、期待したい。そのほかにも深い学識を持つ多くの論客がいる。

「防人の道」という、元自衛官達の貴重な話を聞くことができる番組もある。そういう意味で、チャンネル桜の水島社長には、大いに感謝しなければならない。ところが、チャンネル桜沖縄支局に関しては、事情が違ってくるのだ。

水島氏は当然、保守派の論客の一人であり、安全保障に関しては、GHQ憲法改正、自主防衛を主張している筈である。ところが、水島氏は先刻、十数名の仲間達とともに沖縄に来た時、辺野古で基地建設反対運動をする人たちをマイクを使って、非難した。水島氏の仲間達が大きな日の丸を支えて立つ光景は異様であった。

水島氏は、反対派のうち、主に左翼を非難していたように思うが、それでも明らかに氏の態度は、思想的に矛盾していると言わざるを得ない。なぜなら、反対派には左翼を除く、多くの県民がいるからだ。そして、辺野古で反対運動をする県民の後ろには、辺野古には行けないが、翁長知事を支持して投票した、辺野古米軍基地建設に反対する多数の県民の存在がある。ぼくもその一人である。

それとも水島氏は、反対派全員を非難したいのだろうか?そうだとすれば、在沖米軍基地の存在を容認する立場をとることになるが、それだと東京にいる時と、沖縄にいる時との主張が違うことになる。仮に、左翼だけ非難することが目的だったとしたら、度量が小さすぎはしないか。

本気で自主防衛を唱えるなら、県民と一緒になって、辺野古米軍基地建設に反対するのが筋だと思うが、どうだろうか。それが嫌なら、黙って見守っていれば良いだけの話だ。左翼だろうと右翼だろうと、辺野古米軍基地建設に反対する人なら、我々沖縄県民としては、大歓迎である。地元の住民が大きな力に抑圧されている時、その大きな力と戦うのに左翼も右翼もあるものか。

ところで失礼は承知の上だが、果たして水島氏は、沖縄の歴史をどの程度勉強したのだろうか?

沖縄の現状を理解するためには、どうしても琉球・沖縄の歴史を知っておく必要があると、指摘しておきたい。沖縄はその面積が全国の0.6%しかない狭い地域だが、琉球・沖縄がたどって来た歴史は、けっして平坦な道ではなかった。無理に単純化すると、本当の姿を捉えることはできない。水島氏が力を入れている南京事件の真実を知るには、最低限、当時の中国の歴史を知る必要があるのと同じ理屈である。偉そうなことを言うようだが、是非、琉球・沖縄史を勉強してもらいたい。

そのうえで、ウチナーンチュに対して言いたいことがあれば、堂々と主張すれば良い。そして、沖縄にも安全保障に詳しい論客陣がいるから、彼らと議論されたら良いと思う。

さて、皇統を敬愛する気持ちは、ぼくと水島氏は多分、濃淡の差はあれ、共通している。

しかし、沖縄に関しては、立場は大きく異なる。ぼくは、自主防衛という確たる安全保障の観点から、沖縄と我が国にとって、不利益となる勢力とは徹底的に戦うつもりだ。そして、これは、皇統を尊崇する気持ちと少しも矛盾しないと確信している。辺野古米軍基地建設に反対するのは、日本の将来のためでもあると信じて疑わない。

その理由は、当面の間、我が国の抑止力は、嘉手納空軍基地と横須賀の第七艦隊、それと我が自衛隊だけで十分だからである。海兵隊は沖縄に駐留しなくても、我が国の抑止力になんら問題ないのだ。そして政府は、急いで自主防衛路線へ国策を転換するべきである。GDPが韓国より少ないあのロシアさでえ、広大な国土を一国で守っているのである。

戦後71年にもなるというのに、かつての敵国の軍隊が我が国に駐留し続けること自体が、異常なことであり、正常なあるべき姿に戻すべく、国民が声を上げなければならないのだ。その意味でも、辺野古米軍基地建設反対運動は、日本人として真っ当な行動であると断言する。

本土の多くの言論人同様、水島氏も、沖縄について発言する時は、誤解と偏見に陥るようで、ある意味尊敬している水島氏だけに、非常に残念である。「沖縄の声」のキャスター陣は東京と比べると、その力量の貧しさは、見ていて恥ずかしいばかりである。特に、在沖米軍擁護論を展開するヒジャイこと、又吉康隆の存在は異常である。

「ブーべの恋人」と山城議長の保釈

戦争末期のイタリアの或る田舎町。石造りの古い建物と舗装されていない道路。車が通る度に砂埃が舞う。そこに一人の若い男がやってくる。ブーべと言う名前のパルチザンである。殺された同志の家族を訪ねてきたのだが、そこで美しい妹、マーラと出会う。

マーラは両親と、年の離れた弟と一緒に暮らしている。父親は、パルチザンに好意を持っているが、息子を失ったことで母親はあまり良い顔をしない。ブーべを加えた家族の食事が始まるが、各人、一皿に味の薄いスープだけという貧しさだ。

ブーべはいつかまた来る約束をして帰る。マーラは外に出て彼を見送る。その時、あの懐かしいテーマ曲が流れる。二人に芽生えた純朴な愛を、言葉ではなく音楽で暗示する感動的なシーンだ。

筆不精のため、ブーべからの手紙はたまにしかこない。マーラの恋心は募る一方だが、ブーべに会うと、冷たい態度を装う。ブーべもしつこく愛を求めるわけでもない。若い男女によく見られる心理だ。マーラは気丈な娘で、ブーべは正義感は強いが淡白なところがある。

逢引きを重ねるごとに、恋心は深まり、家族の同意のもと二人は婚約する。そして、テーマ曲が暗示するように、運命は二人に過酷な試練を与える。

ブーべはパルチザンとして闘っている間に、人を殺し、そのため警察から追われていた。その追求がいよいよ厳しくなって、仲間の薦めで外国に一時、身を隠すことになる。マーラは一緒に連れていくようせがむが、一時的だし君のためだからと言い残して去る。

以後、ブーべからの音信は途絶え、孤独の月日が過ぎ去る。そして偶然、優しい真面目な男性と知り合い、彼と付き合うようになるが、ブーべのことを忘れることができず、相手の求婚を拒否し続ける。しかし、ブーべからの便りは無く、ついに男の強い情熱に押されて、結婚の約束をする。

そんなある日、ブーべが逮捕され裁判が開かれるという知らせが届く。ブーべに面会すべきか、それとも彼のために会わないほうがいいのか、マーラの心は激しく揺れる。これはぼくの勝手な推測だが、マーラがこの時妊娠していたら、おそらく彼女はブーべに会いにいくことはなかったに違いない。

マーラのブーべを想う気持ちは、まだ切れていなかったのだ。彼女は父親と一緒にブーべに面会に行く。久しぶりに向き合った二人は、ぎこちない会話を交わすが、それでもブーべが今も自分を愛していることを確信した彼女は、少しでもブーべの役に立ちたいと、証言台に立つ決心をする。

 しかし、彼女は緊張のあまり証言台でしどろもどろになり、彼女の証言が裁判に生かされることはなかったが、この体験は逆にブーべに対する想いを強めたように思われる。そして判決が下されるが、裁判官が判決を言い渡す場面はカットされているので、観客はその結果を知ることはできない。

そして最後の場面。マーラが汽車に乗るところを、かつて結婚の約束を交わした男が偶然見つけて、彼女のところへ駆け寄ると、マーラも彼に気づき、汽車のドアのところで二人が言葉をかわす。

「久しぶりだね、会えて嬉しいよ。どこへ?」「ブーべに会いに」

「よく行くの?」「2週間おきに」

「君は・・・。君はほんとうに強い。」「ブーべはもっと強いわ。7年も塀の中にいて、気力を失っていない。最近になってようやく将来を語りあえるように。」

 「あと7年待つのか?」「あっという間よ。7年経てば私は34歳、彼は37歳。まだ子供も産めるし、結婚だって・・あなたは?」

「ここで働いている。」「結婚したの?」

「ああ」「よかったわ、例の彼女と?」

「いや、別の女性だ。(間)元気で(チャオ、マーラ)。」「じゃあね(チャオ、ステファン)。」

暗い表情で男は去って行く。汽車が発車する。マーラの独白「短い時間だけどブーべに会える。14年と聞いたときは不安になったが、以外と平気だった。」テーマ曲がずっと流れる。

この作品を見終わってから、山城議長の保釈を知った。支持者の前で、彼がカチャーシーを踊るのを見て、「ブーべの恋人」とオーヴァーラップする感覚がぼくを襲った。時代も状況も全く異なるのにもかかわらず、何か共通するものを、ぼくの抑制の効かない感性が感じ取ったのだろうか?

 

 

森友学園問題から見えてくるもの

籠池泰典理事長の証人喚問が23日に行われることが決まった。野党側の参考人招致を拒否した自民党だったが、安倍総理夫人を介して、安倍総理から百万円の寄付金を受けたと、籠池理事長が発言したため、怒った自民党がそれじゃ証人喚問にしようといって、与野党合意で証人喚問が決まった、というような状況の流れが各マスコミから報道された。

何故、今まで表に出なかった事実を暴露したのか、籠池理事長にどのような心境の変化があったのか、氏の胸の内を知るよしもないが、国会を巻き込んだ一連の騒動を見て感じることは、戦後保守派と呼ばれる人間が、いかにだらしなく、いい加減であるかということである。

数年前の海上保安庁の船に中国漁船が体当たりした事件以来、度重なる中国共産党の我が国に対する傍若無人な振る舞いが、国民を大いに刺激して、にわか保守層を誕生させるきっかけとなり、屁っ放り腰の民主党政権に代わって、保守派期待の星、安倍晋三政権を誕生させる要因となったのは、多くの国民が認めるところだろう。

その安倍総理と籠池氏を結ぶのはお互い保守思想の持ち主であるということだと思うが、籠池氏が総理になる前の安倍氏にどの程度の思想的共鳴を懐き期待を寄せていたか、総理に就任してからもその思いは持続したのか、あるいは多少なりとも変容していったのか、 情報は限られていてなんとも判断しかねるが、どうも各マスコミの報道を見る範囲では、籠池氏の方から積極的に安倍総理に接近したのではないかと推察してほぼ間違いではないと思われる。

そうだとすれば、籠池氏の意図は明らかである。学園を経営する上で、安倍総理をなんらかの形で利用できないか、学園のステータスを上げるのに総理の名前を活用できないか、と思案を巡らしたに違いない。そう考えると、安倍晋三記念小学校という名前をつけた強引さも納得がいく。

安倍総理は、自分の名前を学校名にするのは迷惑だとして、断ったことが判明したので、両者の関係は籠池氏の一方的な思い入れが強かったのではないかと推測される。それが事実なら、証人喚問が行われたとしても、安倍総理が法的に問われる事態にはならないだろう。

国会の場で、籠池氏がどんな発言をするか見ものではあるが、そんなことよりも保守思想を標榜する氏の体質、人格こそ問われるべきである。

氏が愛国者であるのは疑う余地はないと思うが、幼稚園児に教育勅語を暗唱させる氏の教育者としての姿勢は大いに疑問である。ぼくは、教育勅語そのものに対しては、なんら抵抗感を感じる者ではなく、むしろ尊崇の念を持つ一人だが、その文体は文語調で格式が高く、基礎的教養を身につけた者でないと、容易に理解できるものではないと思う。

それを幼稚園児に強制するのは、大人の身勝手と言うべきで、園児達にとっては、なんの躾にもならないどころか、無意味であり、精神的拷問になる恐れさえある。そのように考えると、籠池氏は教育者としては失格であると言わざるを得ない。

日本の危機的現況に警鐘を鳴らす氏の想いは理解できないでもないが、氏の教育方針には反対である。園児達にとって、最も重要なことは、困難な状況に耐え抜く強い精神力と丈夫な体を身につけさせることであって、純朴な園児にとって観念的範囲を超えないままの教育勅語を暗唱させてもなんの役にもたちはしないことは誰にもわかることだ。

一方の安倍総理はどうか。拉致被害者の救出、憲法改正北方領土の返還、戦後レジームからの脱却、日本を取り戻す、総理になる前の数々の威勢のいい発言の中で、緖に着いたのは北方領土の返還交渉だが、その中身は経済交流を深めるというもので返還の「へ」の字も見当たらない気の遠くなるようなものでしかないことがはっきりしたにすぎない。

安倍内閣ができて四年、その軌跡を遡っていくと、内閣の性格が明瞭になったのではなかろうか。歴代内閣と似たり寄ったりの屁っ放り腰内閣であると断言したい。完全な期待外れである。

期待した人間が悪いと言われればそれまでだが、何しろ外れた度合いがあまりにも巨大で、日本のこれからの進路に絶望的にならざるを得ないのだ。安倍総理は2013年12月に靖国神社を参拝して以来、一度も参拝していない。その理由は、国内外、特に米国と中国そして韓国から反発されたからである。

世界第3位の経済規模を誇る大国の総理大臣が、国家のために戦って死んでいった英霊に感謝の意を捧げるのに、他国に非難されたからといってなんで萎縮する必要があるか。非難した国の脅し文句を聞きたいところだが、靖国神社を参拝したら、原爆を落とすぞとでも言われたのか。

実際、米国は原爆を落とすぞと、毛沢東を何度も脅迫した実績があるから、その可能性はあり得るだろう。しかし、毛沢東は少しもビビることはなかった。貧乏国であったにもかかわらず、急いで独自に核実験を成功させたのだ。

毛沢東を見習うべし、とまでは言わないが、少なくとも8月15日は靖国神社を参拝せよと言いたい。これは日本国民を代表する内閣総理大臣に課せられた最低限の義務である。義務を果たすことができなければ、総理は即刻辞任するべきである。

そのくらいの覚悟がなくて総理大臣が務まるか。積極的平和主義などと言って、世界各国を飛び回るよりも、他国の非難をはねのけて、8月15日に靖国神社を参拝する勇気を見せつけるほうが、世界の歴史を大きく転回させる効果があるとなぜ理解できないのか。

西尾幹二氏をはじめとする少数の思想家を除けば、籠池氏、安倍総理他、大多数の戦後保守派なんていい加減で醜い姿を世間に晒しているだけで、ぬるま湯に浸かって自分は日本の良き伝統を守る保守派である、と自己満足しているに過ぎない。

 籠池氏の証人喚問で出てくるものは、戦後保守派の聞き飽きた陳腐な言葉のやりとりだけのように思われて、なんとも暗い気持ちになる。