沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

琉球新報社説子の歴史認識を批判する

今日の琉球新報の社説は「全学徒隊の碑 「強制動員」の歴史忘れまい」というタイトルで平和記念公園内に「全学徒隊の碑」が建立されたことについて述べているが、社説子の歴史認識に違和感を覚えるので、その点だけ批判したい。
< 沖縄に配備された日本軍の任務は、沖縄を守り抜くことではなく、米軍を一日でも長く引きつけて「出血消耗」させ、日本本土への攻撃を遅らせることだった。>

半分は真実であるが、半分は嘘である、というよりも社説子の独断が入っているため、真実が曇っているといったほうがより正確だろう。社説子の意図が日本軍を非難することにあるのは明らかだ。真実に近づくためには、当時、日本を取り巻く全戦局、沖縄の戦略的位置付け等、日本がどういう局面に立たされていたか、その全体像を把握する必要がある。詳述は控えて、沖縄に限っていえば、米軍の大艦隊が沖縄を包囲した時、すでに日本の敗戦は濃厚で、終戦の僅か四ヶ月前であった。米軍に較べて、我が軍の兵力は圧倒的に僅少で不利であり、沖縄を守るための戦略は限られていた。

<沖縄に配備された日本軍の任務は、沖縄を守り抜くことではなく、>と社説子は書いているが、そうではない。もはや、沖縄を守り抜くことが不可能な状況下にあることは、大本営も沖縄守備隊の軍首脳部も理解していたのだ。そうであるなら、残された道はただ一つ、祖国防衛のために最善を尽くすことである。

敵兵を一人でも多く殺して、敵軍をできるだけ消耗させること、それ以外の選択肢はない。戦争とは、殺すか殺されるかである。この冷徹な現実を踏まえた上で、参謀八原博通は必死に最善の策を練り、作戦を遂行したにすぎない。そして、ひめゆり学徒隊他、全学徒隊も命懸けで負傷兵達の治療に専念した。アメリカ軍の圧倒的物量に敗北したとはいえ、我が日本軍はよく戦った。大田中将が海軍次官に当てた電文は沖縄戦の内実をよく伝えている。

「一木一草焦土と化せん。糧食6月一杯を支うるのみという。沖縄県民斯く戦えり。県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを。」

米兵を恐怖におとしめるほど、日本軍人が精神的に強靭であったのはなぜか?日本に確たる大義が存在したからである。その大義とは、大東亜戦争自衛戦争であると同時に、東南アジア諸国を欧米帝国主義の植民地から解放することであった。「開戦の詔勅」に明らかである。

社説子に悪意はないとしても、歴史を表層的にしか見ていない嫌いがあると思うがどうだろうか。GHQ憲法の眼に見えぬ悪しき効力が、ここでも見事に、社説子に影響を及ぼしている、というべきだろう。

<今回建立された碑は、沖縄戦の実相を伝えると同時に、子どもの生命を脅かし夢と希望を奪う行為を許してはならない-というメッセージを発信する場となってほしい。>

二年前、セルラースタジアムで翁長知事候補の応援演説に立った、今は亡き菅原文太が次のように述べた。「政治家の仕事は二つある。ひとつは、国民に体に良い食料を提供すること。もうひとつは、戦争をしないこと!」

聴衆から怒涛の拍手がわき起こった。ぼくも感動して、胸が熱くなったものである。少数の好戦的人間を除いて、戦争を好む人間はいない。人間同士が殺し合い、自然を破壊し尽くす戦争は、母なる地球に対する人類の最大の罪であると思う。戦争は反対だ!と、ぼくも大きな声で叫びたい。

しかし、戦争ができない仕組みを、人類はまだ編み出せずにいるのも冷厳なる事実だ。永久平和の過程に人類はいるのだと、多少楽観的に考えたところで、こちらに落ち度がなくても殴りかかってくる他者が存在する以上、万全の備えは必要だろう。最悪の場合、戦わざるを得ないのが現実だ。

社説子が言っているように、全学徒隊の碑が沖縄戦の実相を伝え、平和のメッセージを発信するのは大変良いことであるが、同時に、学徒隊は祖国防衛のためによく戦ってくれたと、感謝の気持ちを持つことも大事なことだと、強調しておきたい。

 

又吉(ヒジャイ)よ、下手な冗談もいい加減にしたまへ「沖縄に内なる民主主義はあるか」を批判する 7

<「沖縄を返せ」は日本に沖縄を返せという歌である。歌の意味も知らずに歌う連中の無知よ>

というタイトルで又吉(ヒジャイ)は相変わらず視野の狭い、幼稚な言論を展開している。在沖米軍擁護論者、原理主義的民主主義論者としての彼の思想傾向のいい加減さ、矛盾をよく表している内容なので、その点を指摘しつつ批判したい。

< 固き土を破りて 民族の怒りに燃える島 沖縄よ

 我等と我等の祖先が血と汗をもて 守り育てた 沖縄よ
我等は叫ぶ沖縄よ 我等のものだ沖縄は
沖縄を返せ (返せ) 沖縄を返せ

この歌は沖縄の人間がつくったものではない。本土の公務員がつくった歌である。だから。民族とは日本民族のことである。「我等のものだ沖縄は」とは沖縄は日本のものだということであり、沖縄を日本に返せと主張しているのがこの歌である。

私はこの歌が嫌いだった。「民族の怒りに燃える島」と民族主義であるのと、「我等のものだ沖縄は」と沖縄を「我ら(日本)」の所有物だと主張していることだ。沖縄は誰の所有物でもない。沖縄は沖縄だという思いが私には強かった。>

又吉(ヒジャイ)には短絡的思考癖がある。本土の公務員が作った歌だから、

<「我等のものだ沖縄は」とは沖縄は日本のものだということであり、沖縄を日本に返せと主張しているのがこの歌である。>と決めつけている。

真実は、米国統治から沖縄を取り戻して日本国憲法下に保護せよと主張しているのであって、沖縄は日本の所有物だなどとは、一言も言及していない。又吉(ヒジャイ)特有の短絡的推測に過ぎないのは明らかである。

仮に、又吉(ヒジャイ)の主張を容認するとしたら、他のところで書いた彼の文章と辻褄が合わなくなる事を彼はどう説明するだろうか。つまり、彼は琉球処分は明治政府による当時の農民たちの琉球王朝からの解放であった、だから農民たちは喜んだに違いないと書いているのだ。

そうであるなら、沖縄は日本政府に多大なる恩義を受けたのだから、日本が沖縄を自らの所有物だと主張したとしても、少しもおかしくない筈なのに、それを非難するとは、自分の主張に論理的整合性がないことを自ら暴露しているようなものだ。

彼の琉球処分論に対して、ぼくはこのブログで先日批判したので、ここで詳述するのは控えたい。ただ一言で要約すると、約260年に及ぶ薩摩藩(ヤマトゥ)の支配でヤマトゥに対する不信感が身に染み込んだ農民たちが、琉球処分(廃藩置県)の真意を理解して、単純に喜ぶ姿をぼくはどうしても想像できない、と述べたのである。

<「沖縄を返せ」は祖国復帰運動の象徴的な歌だった。祖国復帰するのは沖縄人は日本民族であり、本土は母なる祖国であるから祖国に復帰するのは当然であるというのが祖国復帰運動であったが、それでは本土が軍国主義国家でも復帰するのかという疑問が私にはあった。もし、軍国主義であったなら本土に復帰しない方がいい。本土が民主主義国家であること、沖縄は弱小であり沖縄だけで米国と交渉するのは不利であり、日本の施政権下になれば米国とはもっと有利に交渉できるから私は施政権を日本の政権下に置くのは賛成だった。日本は祖国だから復帰するという祖国復帰運動の思想には反対だった。>

このように支離滅裂な言辞を弄する人間が、「沖縄に内なる民主主義はあるか」という本を11号まで出版し、チャンネル桜沖縄支局で隔週ごとに出演して、活発な言論を展開しているのだから、沖縄の言論空間の一部とはいえ、いかに稚拙であるかと思うと恥ずかしくてやりきれない。

< 本土が軍国主義国家でも復帰するのかという疑問が私にはあった。もし、軍国主義であったなら本土に復帰しない方がいい。>

残念なことに、戦後の日本は、GHQ憲法を押し付けられて、他力本願的民主主義国家となった。この現実を正視することなく、軍国主義であったなら本土に復帰しないほうがいい、と考える又吉(ヒジャイ)少年は、世にも稀な夢想家であったにちがいない。

人生の終盤に差し掛かった現在も、高校生時の感想を語るという事は、今なお当時の信念にゆるぎはないと宣言しているに等しい。沖縄の諸問題を考える時、物事を単純化することほど危険な態度はない。

沖縄が辿ってきた歴史は独自のものであり、先祖代々続く文化、伝統も独自のものである以上、他国ないし他地域との関係性をできる限り正確に読み解くためには、丁寧に忍耐強くその複雑さを解きほぐす努力が要求されるのは当然であり、それを怠ると歴史の全体像を概略的にでも把握することができなくなるだけでなく、自らの立ち位置を見誤ることになる。

又吉(ヒジャイ)の歴史認識は単純過ぎて幼稚であり、彼の議論を読んだり、聞いたりする人(特に若い人々、そして琉球・沖縄の歴史を知らないヤマトゥンチュ)に誤解を与える恐れがある。

例えば、復帰運動を考察する場合でも、又吉(ヒジャイ)が言うように

<本土は母なる祖国であるから祖国に復帰するのは当然であるというのが祖国復帰運動であった>

と単純化してしまうと、真実が見えなくなってしまう。現実はもっと複雑であった。祖国復帰運動で沖縄中が燃えていた頃、反復帰を唱える人々もいた。新川明もその一人であった。彼は当時の沖縄の言論界では、最も先鋭的な主張をした知識人であった。彼のヤマトゥに対する不信感には激しいものがあった。彼の思想に賛同した人も多かった筈である。

既得権益にしがみつく沖縄自民党も祖国復帰には消極的反対の立場であった。彼らの胸の内には、やはりヤマトゥに対する根強い不信感があったと思う。野底土南の琉球独立党も存在したし、現在は屋良朝助に引き継がれている。これらの全ては、沖縄がこれまで歩んできた歴史の中で身に付いた、ヤマトゥに対する強烈な不信感の表明だと言える。

そして、復帰運動をリードしたのは、教職員組合をはじめとする諸団体で構成された祖国復帰協議会であった。彼らの主張は、本土は母なる祖国であるから祖国に復帰するというような単純なものではなかった。米軍による沖縄人の人権蹂躙があまりにも酷いので、日本に復帰することで日本建国憲法による人権の保護を求めたのである。

米軍擁護論者の又吉(ヒジャイ)には理解できないだろうが、歴史の真実は紛れもなくそうであったと断言できる。

<「沖縄を返せ」は日本本土の人間が沖縄は日本だから日本に返せと主張している歌である。もし、沖縄に石油が大量に埋蔵されていて独立したほうが豊かになれるとしたら祖国復帰運動をやらないだろう。沖縄の損得で復帰は考えるべきであると、高校生の頃の私は考えていたから祖国復帰運動に反発していた。もう、50年以上も前のことである。

祖国復帰前は「沖縄を返せ」は沖縄は日本だから日本に返せという意味で歌っていたが、祖国復帰した後は、沖縄は沖縄人のものだから沖縄に返せという意味に変え、反日反米の歌にしている。沖縄革新のご都合主義の「沖縄を返せ」である。>

又吉(ヒジャイ)は意識的か無意識的か米軍の存在に言及しない。祖国復帰運動の最大の原因である米軍の存在にあえて言及しないのは、彼の思想的欠陥によるものだ。

<もし、沖縄に石油が大量に埋蔵されていて独立したほうが豊かになれるとしたら祖国復帰運動をやらないだろう。>

とはよく言えたものだ。下手な冗談もいい加減にしたまへ。沖縄で石油が大量に発見されたら、施政権者の米軍にいいように弄ばれて、忽ち沖縄はアメリカの石油メジャーの餌食となるだろう。彼らの利益のおこぼれに預かれるとしても雀の涙ほどで、独立どころか祖国復帰は永遠の彼方へと消えていったに違いない。そして、米軍による人権蹂躙は半永久的になるのは目に見えている。

在沖海兵隊は抑止力になんの役にも立たない!

昨日の沖縄タイムスのウエブサイトに、柳澤協二氏の論文が載っている。その主旨は在沖海兵隊の抑止力の不要論であるが、論理的に明確で説得力がある。

「 日米両政府が普天間の県内移設にこだわる理由は抑止力である。抑止力とは、一体何なのか。そして、海兵隊が沖縄にいることは、どういう意味を持っているのだろうか。(中略)

中国は、いかなる脅威なのか。真っ先に思い浮かぶのは、日本の領有に中国が異議を唱える尖閣だ。そこで、海兵隊が沖縄からいなくなれば中国に誤ったメッセージを送ることになる、と懸念する声がある。

一昨年改定された日米防衛協力のための指針(ガイドライン)では、離島防衛は主として自衛隊の役割とされている。2013年の防衛計画の大綱は、離島防衛には海上・航空優勢の確保が重要であると述べている。

離島防衛は自衛隊の仕事であり、しかも、相手が泳いで来るわけではないので、海上・航空の戦いになるということだ。

陸上自衛隊は、離島奪還作戦のため、長崎県を拠点とする3千人規模の水陸機動団を新設しようとしている。海上・航空優勢を奪われている離島にどうやって上陸するのか、理解できないが、米軍再編後に辺野古新基地を拠点に沖縄に残留する31海兵機動部隊以上の規模を持つ水陸両用戦部隊である。

それでもなお、海兵隊がなければ離島を守れないのだろうか。仮に海兵隊が投入されれば、島をめぐる小競り合いの域を超えて米中の本格的武力衝突になる。その結末は、沖縄にミサイルが飛んでくるということだ。

中国向けの抑止のメッセージとは、米国が介入するということだ。だが、使われない海兵隊が沖縄からいなくなっても米国の意図が誤解されることはない。

むしろ、米国が海兵隊を中国向けに使う、そのために辺野古が必要という誤ったメッセージのほうが、はるかに危険だ。」(2017年2月26日付沖縄タイムス総合面から転載)

尖閣防衛に海兵隊はなんの役にも立たないし、海兵隊に倣って、自衛隊が新設しようとしている水陸機動団も全く無意味である事は、軍事知識に素人であるぼくのような人間にとっても、少しばかり具体的な想像力を働かせば、簡単に分かる事である。

無人島の小さな尖閣諸島中国軍が上陸したと仮定する。それを奪還するために、水陸機動団を派遣して、狭い島の中で、中国軍自衛隊が銃撃戦を繰り広げる場面を、いったい誰が想像できるだろうか?

さらに仮定して、我が自衛隊中国軍を殲滅したとする。それで尖閣戦争が終わるわけではない。次に中国は軍艦を派遣し、戦闘機を飛ばしてくるはずだ。そして尖閣諸島の水陸機動団は全滅させられる。

その時、米軍が動くと仮定して、果たして、オスプレイを飛ばして海兵隊を派遣するだろうか?オスプレイは戦闘ヘリではなく、単なる輸送ヘリである。しかも、海岸に不時着して、バラバラに分解するようなやわな構造の飛行機である。オスプレイの出る幕はこの時点で、もはやない。

米軍が本気になれば(尖閣問題で本気になるとは思わないが)、嘉手納から世界最強の戦闘機を飛ばし、横須賀から世界最強の空母打撃群を派遣するだろう。それに対抗する覚悟が、果たして中国にあるかどうかは誰にも予測できまい。直ちに停戦を宣言して、戦後処理交渉に入るか、戦争を続行するか、中国側の胸の内は知るよしもないが、続行となれば、米中全面戦争となる危険性は大いにあり得るだろう。そして次第にエスカレートして、核兵器のボタンが押される可能性がある。

米軍は広島と長崎に核爆弾を投下した実績がある。毛沢東は自国民を二千万人以上殺害したとされている。この歴史事実を見ると、米中が核兵器を飛ばし合う未来を想像するのは、決して空想の領域だとは言えない。

話が先走り過ぎたようだ。ぼくが言いたい事はつまり、柳澤氏が言っているように、離島防衛には海上・航空優勢の確保が重要であって、海兵隊も水陸機動団も役に立たないと言う事だ。

従って、我が国の抑止力は、嘉手納空軍基地と横須賀の第七艦隊と我が自衛隊で十分すぎるほど十分である。沖縄から海兵隊が全面撤退しても、痛くも痒くも無い以上、辺野古米軍基地は全く不要である。

 

海上保安庁に内なる国家理念はあるか?

我が国の防衛省、外務省、そして海上保安庁に内なる国家理念はあるか?これら行政組織に日々、理不尽な行動が散見される。今日の沖縄タイムスは、次のような記事をネット配信している。

《 「突っ込んできた」 辺野古の海、フロート外で抗議船と海保ボート衝突【動画あり】
8日午前9時20分ごろ、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ沖で海上保安庁のゴムボートが新基地建設に反対する市民の抗議船に衝突した。市民側が撮影した動画によると、現場は進入防止用のフロート(浮具)の外側だった。

抗議船の左舷後方が長さ約1メートルにわたってひび割れ、ゴムボートも左舷前方の外装がめくれて、内部構造が飛び出した状態になった。けが人はいない。
抗議船に乗っていた市民(52)は「海保は減速せず突っ込んできた。メキメキと音がして船が壊れるのかと怖かった」と話す。別の市民も(43)も「海上保安官は『危険運転するからだ』と言ったが、真っすぐ進んだだけ。めちゃくちゃだ」と怒った。
一方、第11管区海上保安本部は本紙の取材に「抗議船は警告にもかかわらず立ち入り制限区域内に高速で進入し、制止しようとしたゴムボートと接触した」と説明。「現場海域の安全確保と法令順守の観点から適切な対処だった」とした。
11管は衝突現場がフロート内と主張したが、市民側の動画ではフロート外で衝突した後、内側に入ったことが確認できる。》

動画を見たが、フロート外で海上保安庁のボートが、猛スピードで抗議船に衝突してきたのは明らかである。制限区域内だったと主張する第11管区海上保安部は嘘をついている。

海上保安庁といえば、尖閣諸島を日々、中国の船が領海内に侵入しないよう監視巡航していて、国民は感謝しているはずだが、しかし、実態はどうか。

地元の漁船が尖閣の海域に近付こうとすると、1海里内に侵入することを禁じ、実力行使で妨害しているのだ。ところが、その向こう側では、中国の公船が堂々と領海内に侵入するのを見て、領海外に出るよう警告するだけである。海上保安庁のこのような行動は、無論、現場の職員が独自で判断して実行しているわけではない。

彼らは上からの命令に従っているにすぎない。言うまでもなく、縦割りの組織の最上層部は、内閣である。弱者には冷淡で、強者にはへっぴり腰の安倍内閣である。現在の安倍内閣に確たる国家理念はあるか?はっきり言う、ない。ない、ない、ないのだ。

何もないからこそ、海上保安庁の職員たちは信念のない、ちぐはぐな行動を取らざるを得ないのだ。8月15日に靖国神社に参拝しない総理大臣の下で、どうして国家公務員に愛国心を期待することができようか?

祖国防衛のために死んで行った英霊に向かって、黙って感謝の意を表すことのない総理大臣がいる限り、独立国日本は蜃気楼に過ぎない、と国民は腹をくくるべきだろう。

 

目取真俊氏のブログ「海鳴りの島から」を多くの人に見てもらいたい

辺野古基地建設に反対する県民は、翁長知事を誕生させた。そして地元では毎日、反対活動が繰り広げられているが、日常の生活に追われる大多数の県民は、参加したくてもなかなか容易なことではない。

那覇在住の人にとって(ぼくもその一人だが)、辺野古は遠い。専用バスが出ているという情報は知っているが、残念ながらまだ行った事はない。しかし、必ず参加しなければならないだろう。

優柔不断のぼくのような人間にとって、日々、カヌーを漕いで辺野古の海で抗議活動し、ブログでその活動を報告し続ける目取真氏は、それだけで尊敬に値する人物である。氏は昨日のブログに、次のように書いている。

《 午前は4艇、午後は12艇のカヌーがフロートを越えて、サンゴの調査に抗議行動を行った。同調査は環境保護のためのものではない。汚濁防止膜のアンカーとなるコンクリートブロックやH鋼を海底に設置するためのものであり、黙って見ていたら埋め立てに向けた準備が進む。

カヌーがフロートを越えることで海保のGBが走り回り、潜水調査は難しくなる。午前・午後ともに作業が中断し、作業和船は現場を離れざるを得なかった。午後はフロートの開口部でカヌーと抗議船が待機したため、潜水調査の作業和船がフロート内の現場に近づけない事態も生じた。

海上での抗議行動を目にする人は限られている。それだけに実態を知りもしないでとやかくいう者がいる。しかし、実際に参加してみれば、厳しい条件のもとでカヌーチームがいかに尽力しているかが分かるだろう。別にフロートを越えなくても、寒いなか5時間も6時間もカヌーに乗っているだけで大変なのだ。

それでもみんな海に出てくるのは、辺野古の海・大浦湾を守り、破壊と殺戮のための軍事基地を造らせない、という思いからだ。それを誹謗中傷する者は、相手がネトウヨだろうが誰だろうが許さない。》

沖縄は厳しい寒さが続いている。辺野古の海は耐え難いほどの寒さに違いない。にもかかわらず、5時間も6時間も海の上にいるという事は、よほどの使命感と精神力がなければできることではない。

小説を書く貴重な時間を犠牲にしてまで、抗議活動をやめない目取真氏の不屈の精神力は、辺野古に行けない多くの人々の大きな心の支えになっている。左翼だ右翼だと、人間を狭い枠に閉じ込めて、喚く連中がいるが、現実の生活を営む多くの県民にとって、左翼も右翼もあるものか。

強硬な圧力に抵抗して、にじるように少しづつ前に進んできた歴史的事実こそ、ウチナーンチュの誇るべき伝統である。県民の皆さん、そして全国、全世界の良識派の皆さん、辺野古に米軍基地を造らせないために連帯しよう!

安倍内閣の危機管理能力のお粗末さ

昨日の午前の参議院予算委員会で、安倍総理は「北朝鮮による弾道ミサイル発射は安全保障上の重大な挑発行為だ。安保理決議に明確に違反するものであり、断じて容認できない。北朝鮮に対し、厳重に講義を行うとともに、強く批判した」と述べたが、従来繰り返されてきた発言の域を超えていない。

そして、福山民進党議員がNSCを直ちに開催するべきではないかと問いただすと、与党議員が賛成したため、予算委員会が一時休憩に入るという一幕があった。

いかに国会審議が重要とはいえ、緊急時に於いて野党議員から促されて、NSCを開催するとは、安倍内閣の危機管理の本気度がどの程度のものか、テレビ中継を見ていた多くの国民は理解し、そして落胆したのではないだろうか。

安倍総理はミサイル発射の報告を受けた時点で、12時開催の予定を変更してでも、自らの判断で直ちにNSCを開催するべきであった。

そこでどのような話し合いがなされたかについては知る由もないが、NSC終了後の安倍総理の記者会見の内容を産経ニュースが以下のように伝えている。

《 政府は6日、北朝鮮の弾道ミサイル発射を受けて国家安全保障会議(NSC)の関係閣僚会合を首相官邸で開き、警戒態勢を強化する方針を確認した。安倍晋三首相は参院予算委員会で「さらなる挑発行為に備え、情報収集、警戒監視に当たるとともに、国民の安全と安心の確保に万全を期す」と述べた。

首相は(1)情報収集に全力を挙げ、国民に迅速、的確に情報提供(2)航空機や船舶の安全確認徹底(3)不測の事態に備えた万全の態勢-の3点を政府内に指示。参院予算委員会で「漁船操業の可能性があり、極めて危険な行為だ。米国と緊密に連携して情報収集、分析に当たっている」と強調した。

岸田文雄外相は、国連安全保障理事会の決議違反だと非難した。安保理に強いメッセージを出すよう求め、昨年の北朝鮮制裁決議に同調した中国にも完全履行への協力を求める考えを記者団に表明した。外務省の金杉憲治アジア大洋州局長は、米国務省のジョセフ・ユン北朝鮮担当特別代表と電話会談し、緊密に連携していくと確認した。》

この記事を読んで愕然とするのは、一人ぼくだけではないだろう。何故政府はもっと強硬なメッセージを発信できないのか。例えば、「防衛予算を倍増する」「敵地攻撃ミサイルを早急に配備する」「我が国の排他的経済水域にミサイルを撃ち込んだら、先制攻撃も辞さない」等々、自国の防衛はまず、自国が主体となってやる姿勢を示すべきではないか。あいも変わらず他力本願的姿勢のままでは、世界の笑い者になるだけでなく、シナ、北鮮から舐められるだけである。

 

 

安倍昭恵夫人の道徳心の浅ましさ

総理大臣の妻が、公人か私人かを問う議論が国会で展開されたが、明確に定義されることはなかった。そんな議論よりも、昭恵夫人森友学園の名誉校長になった事実だけをとりあげて、そのことがどのような問題を孕んでいるか、野党議員には追及して欲しかった。

夫人が森友学園を訪問した時の映像を、フジテレビ系が配信している。ぼくもその動画を見たが、学園の教育方針がいかに異常であるか、そしてそれに同調する総理夫人はいったいどのような精神の持ち主なのだろうかと、疑問に思い、身の毛もよだつ感じがした。

総理夫人と籠池理事長、両人に対し、幼稚園児達が「日本国、日本国のために活躍されている安倍晋三内閣総理大臣を、一生懸命支えていらっしゃる昭恵夫人、本当にありがとうございます。ぼくたち・わたしたちも頑張りますので、昭恵夫人も頑張ってください」

と大きな声で話す場面があるが、これを学校側が仕組んで園児達に無理強いさせているのは明らかである。このような内容を幼稚園児が自発的に考えて話すはずがない。

誰でも気づくことなのに、総理夫人は涙ぐんで、「感動しちゃいました」と感想を述べている。そして、国会審議の中で、安倍総理は野党議員の質問に答えて「妻は名誉校長を引き受けるつもりはなかったが、その場の雰囲気で引き受けざるを得なかったと聞いている」旨の発言をしていた。

それが事実なら、昭恵夫人は意志の弱い人間だと言うことになる。だとすれば、総理夫人が名誉校長の肩書きを持つことが、周囲にどれだけの影響を及ぼすか、予見する能力も欠けていたに違いない。

これだけでも問題の多い人格だと思うが、さらに驚くべきことは、学園の教育方針に賛同していることである。この森友学園では、幼稚園児達に教育勅語を暗記させているのだ。これは幼稚園児にとって、教育上、全く無意味であるどころか、有害でさえある。

教育勅語は、明治二十三年10月30日に公布された。以後、国民道徳の基準となるが、その内容は格式の高い文章で綴られていて、現代の大学生でも読んで直ぐにその真意を理解するのは容易でない。

「朕惟ふに、我が皇祖皇宗國を肇むること宏遠に、徳を樹つること深厚なり。」

最初の文章であるが、これだけでもスラスラと読めて意味が完全に理解できる人は少ないのではなかろうか。これを平成の世の幼稚園児に暗唱させるのは、ほとんど精神的虐待にしかならない。道徳的躾をするなら、他に方法はいくらでもあるはずだ。例えば小野田自然塾などは、一つの良い例である。

遊び盛り、伸び盛りの幼稚園児たちに、大人に都合の良い私利私欲を植え付けてはいけない。後々復讐されるのは我々大人の側である。

《  FNNは、2014年4月、昭恵夫人が、渦中の森友学園が運営する幼稚園を訪問した時の映像を入手した。
その隣には、森友学園の籠池泰典理事長の姿もある。
籠池理事長「中国から、何? 言って」
園児「中国から鉄砲とかくるけど、ぜったい日本を守ろう」
籠池理事長「安倍総理大臣を応援してあげてくださいよ!」
園児「はい!」
昭恵夫人「ありがとう。おうちに帰って安倍総理大臣に伝えます。みんなを守りますように、みんながそう言っていたことを伝えます」
籠池理事長「うれしいですか?」
園児「はい!」
籠池理事長の話は、さらに。
籠池理事長「『日本を守ってください、お願いします』と、昭恵夫人にきちんと伝えてください」
園児「日本を守ってくださいね」
昭恵夫人「ちゃんと伝えます。ありがとう」
昭恵夫人は、満面の笑みを見せた。
そして、子どもたちと集合写真を撮っていた。》