沖縄よ! 群星むりぶし日記

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乗松聡子の目は曇っている

琉球新報に「乗松聡子の目」というコラムがある。11回目となる今日の紙面で「侵略と向き合う責任」という題で論じている。見過ごすことのできない偏見に満ちた内容で、乗松氏の文章を引用しつつ批判したい。「13日は、人類史上でも最も残酷なジェノサイドの一つである南京大虐殺80周年を記憶する日だ。」
いきなり、南京大虐殺という言葉を使い、歴史的事実として肯定し、人類史上最も残酷なジェノサイドだと断定している。これだけでも許しがたい言いがかりだが、続いて次のように述べている。
「カナダ・オンタリオ州の州議会では12月13日(1937年、南京城が日本軍により陥落した日)を「南京大虐殺を記憶する日」と制定する法案(Bill79)が昨年末から審議されてきた。(略)このBill79は、日本や現地の歴史否定主義者たちの妨害を受け、法案としてはまだ成立していないが、10月26日、道義として満場一致で可決された。」
乗松氏は、本当に日本人なのだろうか?写真を見る限りでは、日本人の顔をしている。とすれば、偏見イデオロギーの染み付いた人間に違いない。そうでなければ何故、乗松氏はカナダ・オンタリオ州議会が「南京大虐殺を記憶する日」法案を可決することを正当化する必要があるのか。しかもこの法案に反対し、阻止しようとする人々を「歴史否定主義者たち」と断じている。
もし南京大虐殺と呼ばれる事件が、歴史的検証に耐え、史実として確定しているならば、それを否定する人々を「歴史否定主義者たち」と呼んでも誰からも非難されるいわれはないだろう。しかし、そもそも日本軍が南京市民を20万から30万人も殺したとされる南京大虐殺事件なるものが、はたして存在したのかどうか。80年前の歴史的事実を我々は直接知ることはできない。とすればどうしても、この南京事件について書かれた著作類を読む他に方法はない。南京事件の真実を知るためには、これらの著作を読み、自分の頭で判断することは、最低限の必要条件だろう。そうでなければ、南京事件について語る資格はない。幸いというか、南京事件について書かれた書籍は、多数出版されている。
その中で、ぼくが読んだ本は次のとおりである。竹本忠雄・大原康男共著『再審「南京大虐殺」(THE ALLEGED NANKING MASSCRE)』東中野修道他著『南京事件証拠写真」を検証する』本多勝一著『中国の旅』以上だが、『再審「南京大虐殺」(THE ALLEGED NANKING MASSCRE)』は半分は英語で書かれている。国際社会に訴えたいという著者の強い使命感が感じられる。この本は膨大な資料を検証して南京事件は、戦時下における蒋介石軍と日本軍の戦闘であり、言われるような日本軍による南京市民の大虐殺はなかったと、立証している。東中野修道他著『南京事件証拠写真」を検証する』は中国共産党寄りの日本のメディアが、南京大虐殺証拠写真として報道したものを、元になった写真を探し出して、それらが南京事件と全く関係のない写真であることを明らかにしている。証拠写真として使われた143枚の写真の源流になる写真を探し出して、それを一枚一枚検証する作業は、大変な時間と労力を必要とする。この本の完成に3年の歳月がかかったとされるが、よく3年でこれだけの労作を仕上げることができたものだと、その使命感に感服する。この一冊だけで、南京大虐殺の嘘を証明するのに十分であると言いたいくらい、画期的な作品である。『中国の旅』は南京事件を大虐殺事件として描いている。当時朝日新聞に連載されると、「ごうごうたる非難の投書が東京本社に殺到した(朝日新聞社史)」というから、当初から朝日新聞の読者もあまりの酷い内容に疑問を抱いていた。しかし、著者本多勝一氏のうまい文章に騙される読者もいただろう。ぼくは、この本を読む前から、この本に批判的な書評をいくつか目にしていたので、読むのを躊躇したのだが、しかしやはり、歴史の真実を知るためには、肯定・否定の両面から眺める必要があるだろうと思い、読むことにしたのである。感想としてはやはり、著者の恣意的な描写が顕著で、真実には程遠い感じが強い。ぼくは、この本を信用しない。それどころか、歴史を捏造する犯罪的著作であると断言したい。これらの著作から明らかになることは、南京大虐殺事件なるものは、実は日本を国際社会から貶めるための中国共産党と欧米諸国、そして中国共産党に同調する日本人による壮大なる陰謀ではないかと疑いたくなってくる。中国共産党は、日本を非難することで、国内の不満を国外に向ける目的で。欧米諸国は、かつてアジア全域に所有していた植民地を、日本軍によって失った恨みを晴らすため。日本人は左翼イデオロギーで日本国を弱体化させる目的で。それらの思惑が複雑に絡んで、ありもしない南京大虐殺事件がでっち上げられたのではないか、とぼくは考える。
小林秀雄に『杭州より南京』というルポルタージュがある。昭和13年5月に書かれたものだ。それを読むと、南京について実際に目にした事柄を書いているが、南京事件に関する記述はどこにもない。南京の戦闘は昭和12年12月から約ひと月くらいとすると、小林秀雄は、およそ4、5ヶ月後に南京を訪れて見て回ったことになる。20万から30万人の南京市民が虐殺されたなら、その死体の処理作業が完全に終了して、人々の話題に上らなくなるほどの日時が経過するには、4、5ヶ月はあまりにも短いと言えないか。
鋭い感性を持つ碩学小林秀雄が、南京大虐殺に触れないばかりか、その文章からはその僅かな匂いさへ全く感じられないのである。小林秀雄は次のように書いている。「支那料理屋に這入ってビールを呑む。そこにいる三人の支那人の女給は、僕から十銭づつ貰い、ビールを飲み、訳のわからぬ高声で大はしゃぎである。僕は焼き豚を註文し、彼女達にも取ってやった。僕の焼き豚は半分は脂の切った奴だが、彼女達の皿は全部肉であった。差別がどうもあんまり露骨なので可笑しかった。」小林秀雄と女給たちの間で南京大虐殺が話題にのぼることはないし、その僅かな雰囲気さへ感じとることはできない。存在しない事件は、小林秀雄も書けるわけがないのだ。もうひとつ。石平氏は、先祖代々南京市に住んでいる友人に、電話で訪ねたことがあった。「南京大虐殺について、お前聞いたことがあるか?」友人の返事は「ない」であった。毛沢東研究の第一人者、遠藤誉さんは、毛沢東南京大虐殺に言及したことは一度もなかった、と断定している。
ということは、日本軍が南京市民を20万から30万人虐殺したとされる南京大虐殺なるものは、歴史の捏造だということが明確ではないか。乗松氏の言う「歴史否定主義者たち」とは、実は乗松氏らではないか。史実に基づいて歴史を検証する努力を怠り、自分たちのイデオロギーを第一に置く。このような姿勢から真実が生まれることはない。乗松聡子氏の目は曇っている。ジャーナリスト失格である。
もし、ぼくを納得させる程の南京大虐殺を証明する論文なり、本が出版されたら、ぼくは現在の見解を変える用意はある。そのくらいの精神の柔軟性は持っているつもりだ。