沖縄よ! 群星むりぶし日記

沖縄を、日本を、そして掛け替えのない惑星・地球を愛する者として発信していきます。

稀代のペテン師・安倍晋三

2013年12月、仲井真弘多沖縄県知事は、辺野古の埋め立てを承認する直前、政府に対し「普天間飛行場の5年以内の運用停止」を求めた。それを受けて翌年2月に負担軽減推進会議が発足し、5年以内の運用停止が閣議決定された。

遡って計算すると、2019年2月までに普天間飛行場の運用停止が実現する手筈になっている。ところが、政府には県との約束を履行する意思のないことがはっきりした。その最大の理由は、先の知事選で10万票という圧倒的票差で仲井真知事に勝利した翁長知事が辺野古埋め立てに反対しているからだ、という。

これがどんなに不誠実極まりない屁理屈にすぎないか、少し考えるだけで誰にも分かることだ。確かに多くの県民の意思を受けて、翁長知事は辺野古新基地建設阻止を公約に掲げた。にも拘らず、政府は昨年埋立作業に着手し、反対する多くの県民と翁長知事の主張に耳を傾けることなく、工事を強行して今日に至っている。

仮に仲井真前知事が当選したとしても、政府は当然工事を難なく進めただろう。しかし問題は、仲井真前知事の了解のもとで工事が進行したと仮定して、政府が約束通り2019年2月までに普天間飛行場を閉鎖するであろうか、という素朴な疑問である。

時間軸で考えると、ほとんど不可能に近いことがわかる。辺野古新基地建設は完成までに10年前後の歳月を要すると言われている。つまり県知事が誰であろうと、普天間飛行場の2019年2月までの運用停止は、辺野古新基地建設が完成する以前に実現されなければならない事になる。

そうなると、現在普天間に駐留している海兵隊は、一体何処に引き揚げることになるのか?米本土か、沖縄以外の在日米軍基地か?この件について、政府はなんの見解も示していないが、とにかく何処かに引き揚げたとしよう。そうなれば期せずして、普天間飛行場の存在理由そのものが成立しないことの証明になる。何故なら、辺野古新基地は建設途上であり、まだ運用に至っていないからだ。つまり普天間飛行場に駐留する海兵隊がいなくても抑止力にはなんの関係もない、という立派な証明となるのである。

いみじくも、2019年2月までの普天間飛行場の運用停止という政府の約束手形は、普天間飛行場そのものと、その代替施設さへも沖縄に置く必然性はないことの証明になるのだ。何故なら普天間飛行場は閉鎖されているし、新基地の完成は数年先のことだからだ。

つまり、新基地が完成するまでの数年間は、海兵隊の航空部隊が沖縄にいなくても我が国の防衛体制は充分に間に合うということを、安倍内閣自ら無意識の内に公言したことになる。

そもそも政府の中にも、5年以内の運用停止が可能なら、辺野古への移設そのものが不要ではないか、と言う声はあった。政府の中にも正直な人間はいるようだ。しかし、政府は仲井真前知事と約束を交わしたのである。

実現は不可能だと知りながら、沖縄県知事に空手形を切ったのだ。仲井真県政が続いていたとしても、2019年2月までの運用停止は不可能であることを政府は認識していた。明らかに沖縄県知事に対して嘘をついたのである。人の良い仲井真前知事は、安倍首相に見事に騙されたのだ。

この事実が意味するものは、一体何だろうか?

答えははっきりしている。沖縄に対する日本政府の構造的差別が歴然と存在すると言うこと。沖縄は日本列島でアイヌ民族同様、独自の歴史を持つ異端的少数派だ。少数派に対して多少強硬な行政を行使したからと言ってどうと言うことはない。適当に飴玉をしゃぶらせておけば、時の経過と共に忘れるものだ。

米軍基地問題に関する限り、日本政府の沖縄に対する理不尽な態度は、沖縄人に対する構造的差別の存在以外に説明がつかない。その差別構造が最大化したのが今の安倍内閣である。

実現できるはずのない2019年2月までの普天間飛行場閉鎖という空手形を切って仲井真前知事をまんまと騙し、返す刀で新基地建設に反対していると言う理由で翁長知事に強圧的態度で臨み、普天間飛行場閉鎖は不可能だと言ってのける。安倍晋三は稀代のペテン師である。

「できることは全てやる」と繰り返す安倍晋三の言葉の意味するところは、できないことは嘘をついてでも出来るように沖縄県知事を騙す、と言う意味に過ぎない。安倍晋三という男は、心のこもらない言葉を平然と使うことのできる人間だ。

彼の頭の悪さについて平沢勝栄議員が披瀝したことがある。安倍晋三が高校生の時、平沢氏は彼の家庭教師だった。当時を回想して、安倍君は決して頭が良い生徒ではなかった、と平沢氏は述べたのだ。

安倍晋三の頭脳の悪さは高校生の頃に比べて良くなったとは言えない。却って酷くなったのではないか。彼の言動、行動を観察していると、どうしてもそう疑わざるを得ないのだ。こんな低級な男が何故、日本の総理大臣にまで登りつめることができたのか?

答えは彼の政治家家系にある。祖父は元総理大臣の岸信介。父は元外務大臣安倍晋太郎。二人の存在がなければ、安倍晋三は平凡な並みの政治家として一生を終えたに違いない。

そうなれば、ぼくから散々批判されることもなかっただろうに。安倍晋三売国奴政治を続ける限り、沖縄県のため日本国のために、徹底して批判のメスを入れてやる。

 

翁長県政の度重なる失態

<県水産課は13日、埋め立て予定海域にある絶滅危惧種のオキナワハマサンゴ9群体を別の場所に移植するため沖縄防衛局が申請していた特別採捕を許可した。(琉球新報)>

<県水産課の粟屋龍一郎副参事は「ずっと審査して説明要求もした。内容を精査した結果、許可に至った」と述べた。(同紙)>

翁長県政は以前も沖縄防衛局に対し、サンゴの移植許可を出した前科がある。ぼくはその時のことをブログで批判した。翁長県政の失態はそれだけではない。奥港と本部港に砕石の海上運搬のための使用許可申請も認可したのだ。ぼくはそれも批判した。いずれも翁長知事の「あらゆる手段を行使して辺野古新基地建設を阻止する」と言う公約に相反すると考えたからだ。

砕石の海上運搬は、日々命懸けで小さなカヌーを漕いで抗議する人々を背後から鉄砲玉を撃ち込むに等しい。そのことを指摘して批判した。そしてサンゴ移植の許可は、新基地阻止の有力な知事権限にも拘らず自らそれを捨て去ることであり、決して容認できないと思い批判したのである。

翁長県政の変節に多くの県民も落胆し、抗議の声をあげた。声の大きさに翁長知事も反省の姿勢を示した。反省して県民の声に真摯に耳を傾ける。その基本姿勢がなければ県民を代表する政治家としての資格はない。当たり前のことだ。

しかし、果たして翁長知事は本当に反省したのか?

今回のサンゴ移植許可を見ると、少しも反省していないことが明確になったのではないか。たとえ県の担当者が<行政機関として、要件を満たしていれば許可せざるを得ないと判断した。(同紙)>にしても、知事は政治判断を下して、非許可に出来たはずであり、そうすべきだった。

役人の判断をそのまま容認するだけなら、政治家など要らない。役人の判断はあくまで行政手続きに添うだけのものであり、政治的判断を下すのは政治家の役割であり責任でもある。そう考えると、役人が上げた書類が知事に回ってきた段階で、知事は許可申請書を拒否すべきであった。あらゆる手段を行使して阻止するとは、そういうことだろう。

辺野古新基地建設に関わる沖縄防衛局の許可申請は全て拒否すべきである。そうして初めて、「撤回」の効力が最大限効いてくるはずだ。例えば今回のサンゴ移植を許可しなかったと仮定しよう。工事はストップするか、無許可の状態でサンゴを移植するか、あるいは移植せずに工事を強行するか、沖縄防衛局の選択肢はその何れかに絞られる。

工事が中断すれば、県としては大勝利であり、移植か工事を強行すれば、その時「撤回」宣言に正当性が付与されて、裁判に有利となるのは明らかだろう。

しかし、今回のようにサンゴ移植を許可するということは、埋め立てを間接的に認めることになり、「撤回」の意義が限りなく無意味となることは明らかである。蟻の一穴が建物全体を崩壊させる事だってあり得るのだ。このように考えると、翁長知事の今回の失態は実に残念であり、取り返しのつかない事態に至る恐れさえある。

<一方で条件を付した。その条件を満たすには、県による別の同意が必要となる。このため防衛局が思い通りに工事を進められるかどうかは不透明な要素が残る。(同紙)>

甘い、実に甘過ぎる。肝心の移植を許可しておいて、条件を付したから防衛局が工事を進められるかどうかなどと仮定の話をしてどうなる。一体、翁長県政は本気で新基地を阻止する気があるのか。

<県幹部の一人は「『撤回』と採捕許可は全く別の話だ」と否定した。県は今回の許可と関わりなく、撤回を含めさまざまな検討を続けるという。県民が納得できる説明ができるか問われる。(同紙)>

県幹部がこのように呑気な体たらく振りだと、もはや翁長県政に新基地を阻止する気はないのではないか、と疑わざるを得ない。

翁長県政は、仲井真前知事同様、土壇場で県民を裏切るつもりだと、誰もが疑心暗鬼に陥っても不思議ではない状況になって来た。県知事選挙は11月に行われる予定になっている。もうすぐそこまで来ている。名護市は辺野古容認派に敗北した。今の厳しい状況下で、県政があやふやな態度では知事も容認派に奪われる恐れが強い。県民の心が離反すれば翁長知事の再選はあり得ない。

今回のサンゴ移植を許可した翁長知事の責任は重い。翁長知事と県幹部諸君は猛省してもらいたい。そして、新基地阻止のために気を引き締めて、真剣に県政を運営してもらいたい。

敵は売国奴政治家・安倍晋三だ。不誠実で頭の悪いお坊ちゃん政治家に屈するわけにはいかないのだ。

 

 

人口減少時代に国会議員は増員⁉️

参議院は昨日の本会議で、参議院定数を6増する公選法改正案を、自民・公明党の賛成多数で可決した。大義名分は、一票の格差是正だと言う。おいおい、ちょっと待てよ。向いてる方向が逆だろうが。

人口が減少していく時代において、一票の格差是正を言うならば、議員の数を削減するのが真っ当な政策であるはずなのに、政権与党の諸君は何を血迷ったか、6人も増やす法案を可決したのだ。

当然、野党は反対した。国民の多くも反対だろう。しかし、今の政界は自民・公明の圧倒的多数の横暴が繰り返される泥沼状態だ。

去年一年で、37万人も人口が減少したと言う。我が国の人口減少は9年連続だが、去年の減少幅は過去最大となったらしい。那覇市の人口が一年で消えた計算だ。異常とも呼べる現実が進行中である。

ところで、先の総選挙で安倍晋三は、少子高齢化を「国難」の一つに掲げていた筈だ。その国難が進行している。人口減少と少子高齢化は相比例する現象だ。とすればすなわち、安倍晋三の「国難」発言は眉唾もので、彼には虚言癖があることの証明でもある。言葉が軽すぎるのだ。

国難」ならば、何故国会議員を増やす必要があるのか?常識的に考えて、削減するのが当たり前ではないか。人口は減る、議員は増える、こんなことをやってはいけない事くらいは、賢明な中学生なら容易に理解できることだろう。

増員する代わりに高い歳費を削減すると言うなら、多少は理解できる。しかし、それどころか東北大震災の時、削減された歳費はいつの間にか元に戻ったことを考えるならば、歳費の削減なんて彼らの頭の中では禁句という固定観念になっている。この事については、橋下徹が繰り返し批判してきた。

いまの政治家は、国民のことよりも自分たちの身分の安定、利益だけを考えている。安倍晋三がその象徴的存在だ。視線が向けられるのは、自分を支持する人々、身内だけだ。

少数派の意見に耳を傾けて、良いところは取り入れるのが民主主義の本来のあるべき姿である筈なのに、今の安倍内閣にその姿勢は微塵もない。兎に角数に任せて強行採決を繰り返すだけ。

5日午後2時、気象庁は豪雨に対する警戒を呼びかける緊急記者会見を行った。午後8時半に京都市は8万人以上に避難指示を出している。ところが、同日午後8時半「赤坂自民亭」に安倍晋三の姿があった。赤坂の議員宿舎で毎月1回開かれる懇親会。西村康稔官房副長官が自身のツイッターに載せた写真には、竹下亘岸田文雄小野寺五典等の面々が写っている。

料理のテーブルを囲んで、楽しそうに酒を酌み交わしているようだ。豪雨警戒が発せられた地域住民に対する気遣いの念を彼らから感じ取ることは出来ない。

これが今の安倍政治の実態である。宴会から外部に漂う腐臭。外交も国防も米国に追随・従属する売国政治家ども、全員直ちに辞職しろ❗️

 

映画『果たし合い』に見る武士道精神

主役を演じる仲代達矢と他の役者達の見事な演技と、美しい映像、そして重厚な物語がこの作品を見応えのあるものにしている。時代劇に感動したのは久しぶりのことである。特に仲代達矢の演技が渋い。過去と現在が交錯することで、年老いた武士の人生が浮き彫りにされる。

庄司佐之助(仲代達矢)は、左足が不自由な部屋住みの年老いた下級武士である。左足の不自由が原因で甥夫婦の屋敷の離れで暮らす厄介者。何故そうなったのか、物語は佐之助の若い頃に遡る。

佐之助には相思相愛の牧江(徳永えり)と言う名の美しい女性がいた。しかし、名家から縁談を申し込まれた牧江は、悩みに悩む。相手は格式の高い家柄である。当然両親に異存はないが、しかし、牧江は佐之助を諦めることが出来ない。。それを知った男は、佐之助に果たし合いを申し込む。

忍耐せよ、と引き止める兄の手を払いのけて、佐之助は果たし合いの場所に駆けつけた。佐之助の腕が相手より優っていた。得意の居合抜きで相手を斬り殺した。しかし、運悪く相手の折れた刀の先が佐之助の左足に深く突き刺さったのである。

左足は不自由となり、以後不遇な人生を余儀なくされる。牧江は別の家柄と縁談を結ぶことになるが、足が不自由になったとは言え、佐之助を忘れることはできず、強引に駆け落ちを持ちかける。佐之助は牧江の将来を思って断るが、時間と場所だけを告げて、牧江は急ぎその場を立ち去った。

夜、約束の時間に、満開の桜の下で旅衣装姿で佐之助を待つ牧江。手のひらに桜の花びらが数枚落ちてきた。期待と不安の気持ちを込めて、花びらを一枚ずつつまんでは捨て、その度に「来る」と声に出す。しかし男が現れることはなかった。

同時刻の頃、佐之助は酒屋で一人酒を飲んでいた。駆け落ちなんて出来るわけがない。そんな事をしたら、二人とも惨めになるだけだ。今俺に出来ることは、意識が無くなるまで酒を呑むことだ。そして牧江のことは忘れよう。

牧江は待ち続けていた。しかし、佐之助は来ない。牧江の手のひらに積もった桜の花びら。その時ついに女は理解した、佐之助は来ない事を。牧江は泣き崩れた。一途な女の情念の悲しさ。深い闇夜に桜の花が風に吹かれて舞散る。

酒屋で酔い潰れた佐之助はやっと眼を覚まし、自害が脳裏をよぎったのだろう、駆け落ちの場所へ急いだ。遺憾、自害したらいかん!浴びるほど呑んだ酒と不自由な足は、佐之助を女が待っている場所まで連れて行くことはなかった。途中転倒した佐之助は、ついに起き上がることが出来なかった。

運命の女神はなんと冷酷であろうか、と言うよりも時代の厳格なしきたりが佐之助と牧江の仲を引き裂いたのである。気の進まない婚礼のあと間も無く、牧江は精神に異常をきたし、一年後に亡くなる。佐之助はその事を初めて兄から告げられて知り、遺体が横たわる牧江の家の門前で、一目だけでも合わせてくれと、地面に突っ伏して必死に懇願するのだった。

以来、佐之助は世間から白眼視される部屋住みの身となったのである。或る日、そんな佐之助のもとに、農家の女が世話役としてあてがわれる。正式の妻ではないが、実質的な妻と言えるだろう。暇を持て余す佐之助は、囲碁の研究に勤しむ。碁の指南役を目指すつもりらしい。そんな慎ましい生活を送る佐之助だったが、いつしか女は身籠り、女児を産む。

しかし、部屋住みの人間に子を持つことはご法度である。現代人には理解できない当時の厳しい社会制度、しきたりだった。生まれて間もない子は、顔に布を被せられて窒息死させられた。勿論、若い母親は激しく慟哭する。佐之助も余りの苦しみに耐えられず泣いた。それでもしきたりには従わねばならぬ。そうしないと社会の秩序は保たれない。とは言え、なんと生き難い世であろうか。女は身体を壊し死の間際に一言いう、あなたと一緒になれて幸せでした、と。佐之助は心の優しい男だった。

苦難は人間を成長させる。耐え難きを耐え偲んできた人間の精神は強靭になる。いつしか佐之助は人生を達観した雰囲気を漂わせる老人になっていた。それでも部屋住みの厄介者にかわりはない。老人になった佐之助の面倒を見るのは、甥の娘の美也(桜庭ななみ)である。その美也は或る悩みを抱えていた。名家から縁談が持ちかけられているが、他に好きな男がいるのだ。美也は大叔父の佐之助に悩みを打ち明けた。

美也の父母はしきたりに厳しいが、大叔父は親身になって話を聞いてくれる。だから美也は大叔父が好きだった。佐之助は、好きな男と一緒になる事を薦めた。若い頃の苦い経験を孫のように可愛い美也に味わせたくない。美也は佐之助の助言に意を強くする。娘の強情な態度に根負けした両親は、やむなく縁談を断わらざるを得なかった。

ところが武士の世の中、そう簡単にことは収まらない。格式高い家系を辱めたとして、縁談を断られた腹いせに美也の恋仲である下級武士のもとに果たし状が届けられたのである。実はその少し前に、ちょっとした事件があった。今は碁の指南役として、方々で碁を打ち手数料稼ぎをしていた佐之助を、迎えに急ぐ美也の前方から数名の武士が近付いて来る。雨の降る竹林の中で、美也も武士達も傘をさしている。

すれ違いざま、一団の一人が美也に声をかける。その男は縁談を断られた縄手達之助だった。顔を始めて見る美也は驚くが、二言三言言葉を交わして、その場を去ろうとする。しかし、達之助は執拗に絡みついてくる。格上の家柄の人間として、縁談を断られた屈辱を許すわけにはいかない、と言うのだ。

宴会の帰りだろうか、一団には多少酒が入っているようだ。仲間たちが達之助を囃し立てる。暴行に及ぼうとした瞬間、背後から声がかかった。「貴様たち何をするのだ!」佐之助だった。

若侍たちと佐之助の言い争いとなり、襲いかかる数名を、傘を刀代わりに叩きのめした。佐之助の剣の腕前は衰えていなかったのだ。しかし、いかんせん老体の身である、息が続かない。その場に倒れると、若侍たちに思い切り蹴り上げられ、踏み潰された。そして美也に手をかけることなく、若侍たちはその場を去った。大叔父を気遣い、抱き起す美也。幸いなことに、佐之助は軽い怪我で済んだ。

この事件の後に、美也の恋仲である下級武士、信二郎のもとに果たし状が届いたのである。それを知った美也は佐之助に相談する。信二郎は既に現場に向かっている。一刻の猶予も許されない。佐之助は美也に言う。俺が助太刀して信二郎を救うから、おぬしは旅支度をして、ここで待て、と。

信二郎は達之助に比べて剣の腕は劣る。負けることははっきりしていた。だから信二郎を助太刀して救い、美也と駆け落ちさせるのだ。若い頃の無念と教訓が佐之助にそう決断させた。佐之助は急いで現場に向かった。

予想通り信二郎は不利な戦いを強いられていた。所々斬られて血を流している。トドメの一撃の前に声がかかった。佐之助は間に合ったのである。向き合う若武者と老武士。上級武士と下級武士。達之助が上段から振り下ろしてくるところを居合抜きで仕留めた。一瞬の力技。時間をかけて斬り合いに及んでいたら、息の続かない佐之助には致命傷になっただろう。若い頃修練した居合抜きが幸いした。

美也が待つ離れで信二郎の傷の手当を終えて、二人で旅立とうとした時、佐之助は金の入った袋を美也に手渡す。碁の指南役で、方々から稼いだ手数料が入っていた。実の所、美也は大叔父が碁打ちに出かけるのが嫌いだった。賭け碁だと知っていたからだ。しかし、この時のために蓄えた金だとわかり、左之助の優しさに感激して体が震えた。厳しい生活が待ち受けるであろう未来に向かって、若い二人は旅に出る。

さて、助太刀とは言え、上級武士を殺した佐之助は、これからの身の処し方を十分承知していた。切腹か、処刑のいずれかであろう。覚悟を決め、綺麗に身支度を整えた左之助は庭に出た。植えてある小菊の中から、黄色いのと白いのを摘み取り、これは牧江これは(女児を生んだ農家出の世話女房のことだが、名前が思い出せない)と二人の女の名を呟き、黒布に包み懐に収める。「これで良かったんだろう?んっ?」老武士の表情には人生を達観している雰囲気が滲み出ている。この時の仲代達矢の演技は見応えがある。

美也とともに牧江の墓と、世話女房の墓を訪ねる場面もあった。世話女房の墓は、丸っこい石を一つ置いただけの雑草に覆われた粗末なものだ。牧江の墓は武士の家系らしく、墓石に名前が刻まれた立派なものだった。身分制度が厳しい時代の光と闇。しかし、佐之助の心の中では二人とも自分を愛してくれた掛け替えのない大事な女性だったに違いない。死者は生者の記憶の中で生き続ける。

最後の場面。武家屋敷が並ぶ広い道路を、凛々しい衣装に身をつつんで、足を引きずりながら悠然と歩く一人の老武士の姿があった。その先にあるのは、切腹か、処刑の奉行のお咎めである。もとよりその覚悟はできている。

生き難き世を、佐之助は見事に、武士道精神で凌駕したのである。

 

日本代表と西野監督に感謝しよう!

試合開始から日本は、予想を遥かに超える闘いぶりで、信じられない位終始ベルギーを圧倒していた。前半を理想的な形で0対0に抑えると、後半戦に入って3分、原口が待望の先制点を決めた。斜めに飛んでゴールの左端に突き刺さる美しいシュート。日本の優勢な試合運びが実を結んだ瞬間だった。素晴らしい。選手全員が躍動している。その表情は落ち着いているし、自信に溢れている。

続いて、原口のゴールから僅か4分後に、乾の鮮やかなシュートがネットを激しく揺らした。斜めに飛んだボールは、今度はゴールの右端に突き刺さったのである。後半戦に入って間もない間の2得点。日本人の誰がこのような光景を想像できただろうか? 否、世界中のサッカーファンが驚愕したに違いない。こうなると、FIFAランクは少しも参考にならない。ドイツもスペインもポルトガルも、そしてアルゼンチンの並み居る強豪チームが既に姿を消してしまっているからだ。この調子だと、FIFAランク3位のベルギーがランク61位の日本に撃沈される運命にあるとしても、少しも不思議ではなくなった。日本の長年の夢、16強を超える歴史的瞬間が目の前に迫っている。可能性は9割以上、歓喜に高鳴る胸を抑えることができない。超えられない壁なんてこの世には存在しないのだ。終了の笛よ、何をグズグズしている、早く鳴ってくれ!

しかし、しかし、嗚呼、笛が吹かれる前に夢は幻となり、幻と現実が入り乱れ混沌とし始めたのだ。190センチを超える長身のヴェルトンヘンが投入されると、なんと悪魔のようなヘディングシュートを決められてしまった。

乾の天使のようなシュートから17分経過していたにも関わらずだ。この1点が、赤い悪魔たちを死の淵から呼び戻すのに大きな役割を果たすことになった。しかし、雪崩を打って日本チームが崩壊したわけではない。確かに、2点先行で気の緩みがあったとはいえ、見事なパス回しは健在だし、追加点のチャンスも何度か作ったのだ。

しかし、悪魔のヘディングシュートから5分後、フェレーニのシュートが決まり、ついに同点に追いつかれてしまった。そこで西野監督は、本田と山口を投入するが、勢いづいた赤い悪魔軍団を追い詰める力は、残念ながらこの時点でほとんど残っていなかった、と言うよりも、明らかに両チームには本気度に僅かではあるが差があるように見えた。この僅かな差が勝敗を支配した。しかし、それでも本田のシュート等があり、まだ勝利の可能性が消えたわけでもなく、同点のまま持ちこたえることができれば、延長戦も十分にあり得る状況だったのだ。

しかし、本田のコーナーキックを奪った後のベルギーの恐るべき反転攻勢の速いこと!この一瞬の虚を突く光速のような速さが、やはり日本との大きな実力の差と言うべきなのだろうか?

稲妻の速さに日本の防御態勢はなすすべもなく、チャドリに3点目を奪われてしまった。アディッショナルタイム3分41秒のことだった。こうなると、もはやどうすることも出来ない。間もなく終了を告げる笛が鳴ったのである。

残念無念、惜しい悔しい!

歓喜と沈黙。鮮やかすぎる明暗は、あまりにも残酷すぎる。西野監督、日本チームメンバー全員、そして日本中のサッカーファンの心の中に広がる巨大な空洞を形容できる言葉を、ぼくは持ち合わせない。

精神が固まるほどに劇的な試合だった。ワールドカップの歴史において、2点先行されての逆転勝利は1970年以来のことらしい。当時は、西ドイツが英国を相手に逆転劇を演じたとUS TODAYが報道している。

負けた側にとっては不名誉な記録として残るのは確かだろう。しかし、数字だけで全体像を把握することは不可能である。スルメを観察して烏賊を理解できないのと同じように。数字は固定している。スルメは死んでいる。生きている烏賊は自由に海を泳いでいる。

教条主義は実存を捉えることはできない。今日の劇的な試合は、実存のぶつかり合いだった。瞬間瞬間が自由の予測できない行動の展開だった。我々は、選手とともに生き、選手と共に敗北したのだ。我々は、実存のぶつかりあいの生き証人である。2対3という記録に残る数字に還元されない生きた試合を知る同時代人である。

試合そのものが映像として記録され、既に過去の出来事になっている。映像を検証して、これからのチーム作りに活かすことはできるだろう。又、当然そうすべきだろう。しかし、記録はあくまでも記録に過ぎない。西野監督も選手達も、日本中のサッカーファンも既に前を向いている。

現在を生きることが何よりも大事なことだ。過去を参考にすることはあっても捉われないこと。これは多分、西野監督の人生哲学だろうと思う。素晴らしい日本サッカーを見せてくれた西野監督に、感謝したい。そして引き続き日本代表を率いてもらいたい。

次のワールドカップまで4年ある。そこに至る間、日本代表は様々な試合をこなさなければならない。その試合毎に西野監督の采配ぶりを見ることが出来る。日本が目指してきたサッカーを西野監督なら、きっと完成度の高い形に仕上げて見せてくれると信じたい。

日本サッカーはまだ始まったばかりである。今日の素晴らしい試合が見事に証明してくれたのだ。

 

ワールドカップが熱い!西野監督の采配の善し悪し

ハリルホジッチ監督がワールドカップ開催2ヶ月前に解任された時、突然のことに驚くと同時に、後任の監督が日本人の西野朗氏に決まったことで安堵した。ぼくは日本代表の監督は日本人であるべきだとずっと思ってきたからだ。外国人の監督だと通訳が必要で、選手とのコミュニケーションが煩わしいだろうし、文化や感性の違いもあり、意思疎通が中途半端に終わる恐れが多分にある。

日本人監督だとそんな煩わしさは一切なく、監督の思いがストレートに伝わる。このような理由で日本人監督が持論だったが、しかし、今回の交代劇はあまりにも唐突すぎたのも事実だ。できるならもっと早めに、最低短くても半年くらいは欲しかった、というのが正直な感想である。

ぼくは、ハリルホジッチ氏の縦パス一辺倒の姿勢には賛同できなかった。日本選手は外国勢と違い、個人技を中心にした試合運びではうまくいかない。やはりチームワークを第一の主眼に置いた全員が一体化した陣形を目指すべきだ。その中で縦パスの技術も取り入れる。日本選手には日本人の特長があるのは当然のことで、それを最大限に発揮する方向で外国勢には真似ることのできない日本独自のサッカーを目指して欲しいのだ。

さて、ぼくは西野監督の手腕について殆ど知識を持ち合わせていない。プロ野球よりもサッカーの方が何倍も好きだという、普通のサッカー好きにすぎない。だから西野監督のことは殆ど何の知識もなく、日本代表の監督に就任してから関心を持つようになったのである。

監督就任からワールドカップが始まる前までの短い期間、観察してきた結果わかったことは、選手たちの表情が明るくなったということだ。ハリルホジッチ監督の下での選手たちの表情と明らかに違う。厳しい暗い表情から、落ち着いて余裕のある明るい表情になった。

これは、やはり監督が代わった原因が大きいと思われる。西野氏は選手たちの話をよく聞き、自分の見解を押し付けることをしないらしい。選手たちの考えを重視し、試合中は選手たちの自主性を重んじる。しかし、性格は静かで穏やかだが、戦略は緻密で決断を下す時は、妥協することなく決然と下す。そのような人物像が少しずつ明らかになってきた。

日を追うごとに選手たちの表情が冷静になり、自信を感じさせる雰囲気になってきた。ぼく自身、西野監督ならきっと良い試合を見せてくれるに違いない、と信じる気持ちが強くなった。ワールドカップ前の強化試合で2連敗を喫し、マスコミもサポーターも落胆し、辛辣な批判が多勢を占めたが、ぼくは違う、結果は負けだが試合内容は明らかによくなっている、と思った。

予想は的中した。最後の強化試合に日本は勝利したのである。しかし、西野監督と選手たちに浮かれた雰囲気はない。監督と選手たちが一体となった証拠だ。自分たちのサッカーをやる。選手一人一人の顔がそう語っている。監督の影響力は恐ろしい。ハリルホジッチ氏から西野氏への交代は、唐突だったとは言え、正解だったと言える。

第1次リーグでは、コロンビアに勝ってブラジル大会の雪辱を果たし、セネガルと引き分けた。日本はH組ではFIFAランク最下位である。全敗を予想した多くの下馬評を覆す最高の仕上がりである。西野監督の冴え渡る采配に日本中が狂喜した。最終戦となる対ポーランド戦は、勝てば勿論のこと、引き分けても決勝トーナメントへの進出が決まる。問題は負けた場合どうなるかだが、コロンビアとセネガルの勝敗の内容いかんに左右されるのだ。コロンビアが勝ってもセネガルが勝っても日本はセーフとなる。

しかし、引き分けると得失点差でコロンビアが優位となり、日本の敗退が決まる。人を神経質にさせるような実にデリケートな組み合わせになっているのだ。ところが現実は大量の神経症患者を生むような進行となったのである。

前半有利に進めたのにかかわらず、後半になると一転ポーランドが優勢となり、ついに一点を許してしまった。ここから猛反撃するべきなのに、38分経過した頃、異変が起きた。交代で入った長谷部の指示で日本チームは自陣内でボールを回し始めたのだ。西野監督の伝令であるのは明らかだ。

ボールを回すだけの消極的な姿勢にぼくはショックを受けた。とんでもない。間違っている。一体どうなっているんだ!西野監督、ダメじゃないか。一人声に出して興奮した。確かに、コロンビアが後半に一点入れて優勢であるとの情報が流されたことはわかる。このまま最後まで行けば、日本の決勝トーナメント入りが決まる。それで積極的に勝負に出て、いらぬ警告を受ける危険を犯すよりも、自陣内でボールを回しあって試合終了の笛が吹かれるのを待つ。西野監督はそう決断したに違いない。

しかし、アディッショナルタイムを含めると終了時間までまだ約10分もある。それまでにセネガルが同点に追いついて引き分けになる可能性だって十分にあり得る。そうなったらどうなる。決勝トーナメントの夢は消えるのだ。問題の核心は、この状況の全体像のデータを西野監督はどう把握し、分析し、判断したか、である。

西野監督は、セネガルが同点に追いつけないと判断した。入手した全データを分析した結果、ギリギリの線で、危ない橋を渡らない戦略をとった。一夜明けて、冷静に考えてみると、西野監督の判断の凄さに感心するのだが、素人の頭はまだ割り切れないでいる。難しい局面での決断力。その中身は本人以外に知ることはできないだろう。最高指揮官の孤独がそこにある。

消極的なボール回しで日本代表は決勝トーナメント入りの切符を手に入れた。観客から大ブーイングが起きる醜いパフォーマンスでも良い。勝つためには、小さな犠牲はやむを得ない場合がある。

西野監督の采配は、結果を見ると成功したと言えるだろう。この静かな闘志の持ち主のことをもっと知りたいという気持ちが強くなった。決勝トーナメントで、大きな番狂わせを演じてくれそうな気がする。

 

頭が悪いだけではない、言葉も軽い安倍首相

政治家にとって言葉は命である。その自覚があるかないかで、政治家としての器量を判定することができる。判定するのは、当然ながら政治家を選んだ国民だ。昨日の沖縄全戦没者追悼式で式辞を述べた安倍首相の言葉の軽さは如何ともし難いほどであり、聞いていて心が寒くなるのと同時に、怒りの感情がふつふつと湧いてくるのを抑えることができなかった。

「沖縄の方々には永きにわたり、米軍基地の集中による大きな負担を担っていただいている。この現状は、何としても変えていかなければならない。政府として基地負担を減らすため、一つ一つ確実に結果を出していく決意だ。本年3月には嘉手納以南の西普天間住宅地区跡地の引き渡しが実現し、跡地利用の取り組みが進んでいる。できることは全て行う。引き続き、この方針の下、沖縄の基地負担軽減に全力を尽くしていく。」

安倍首相が沖縄の基地問題について語るときの定番のレトリック。あまりにも白々しい。これを追悼式典で臆面もなく言ってのけたのである。同じような内容のレトリックを、我々沖縄県民はこれまで何度聞かされたことか。

西普天間住宅地区跡地の返還は、二十年前のSACO合意で決まった事で、安倍内閣が決めたものではない。にも関わらず、恰も自分の内閣の手柄のように繰り返し自慢するその厚顔さはどうだ。

安倍内閣が決定したのは、辺野古新基地建設の強行ではないか。「できることは全て行う」「沖縄の基地負担軽減に全力を尽くしていく」一体どのような思考回路からこのような、欺瞞に満ちた軽い言葉が出てくるのだろうか。

遺族の方々を含め、参列していた多くの人の厳しい視線が安倍首相に向けられたのは、自然であり、当然である。何度も言うように、安倍晋三という男は頭が悪すぎる。トランプ大統領に追随するだけで自国についての確かな、国民が納得できるような安全保障政策がない。「我が国は100パーセント米国と共にある」などと、一国の指導者が使ってはならない言葉を、平気で言ってみせる人間だ。

一方、安倍首相と比べて翁長知事の式辞は立派だった。膵臓癌切除の後、薬による再発予防治療で痛々しいほど痩せて、頭も坊主姿だが、声は力強く張りがあり、式辞の内容も誠実に満ちたもので、多くの人の心を打ったのではないだろうか。

「戦後焼け野が原となった沖縄で、私たちはこの「沖縄のこころ」をよりどころとして、復興と発展の道を力強く歩んできた。しかしながら、戦後実に73年を経た現在においても、日本の国土面積の約0.6%にすぎないこの沖縄に、米軍専用施設面積の約70.3%が存在し続けており、県民は広大な米軍基地から派生する事件・事故、騒音をはじめとする環境問題などに苦しみ、悩まされ続けている。」

「民意を顧みず工事が進められている辺野古新基地建設については、沖縄の基地負担軽減に逆行しているばかりではなく、アジアの緊張緩和の流れにも逆行していると言わざるを得ず、全く容認できるものではない。辺野古に新基地を作らせないという私の決意は県民とともにあり、これからもみじんも揺らぐことはない。」

こう述べた翁長知事の姿には鬼気迫るものがあり、新基地を作らせないという強い信念は本物である。日本の総理大臣は、安倍晋三よりも翁長雄志の方が相応しい、そう思いたくなる瞬間だった。翁長知事には、事後療養をしっかり受けて、早急に健康を回復して欲しい。

そして、不誠実で、頭の悪いお坊ちゃん安倍首相には、一日も早く政治家を辞めてもらいたい。